第三十六話
とりあえずファリィラに正気を取り戻させようと、声をかけてみた。
「リィラ、いま自分がどんな格好しているか分かってるかー? 素っ裸だぞー、嫁入り前なのに。とりあえず落ち着こう、な?」
ファリィラはゆっくりと振り返って
「うるさい、お前は関係ない。失せろ」
凍て付く声でリュオクの口調をまねると、男に向き直って一歩踏み出す。男はひっ、と悲鳴を上げて闇雲に呪器を振り回した。
「く、来るな、来るなぁ!」
剣の切っ先がファリィラの右腕を切り裂いた。笑みが深まり、目の闇が深くなる。
「さて、今のは何回目でした? 気は済みましたか、若?」
バチバチと自身の周りで火花を散らす呪源に、呪器を放り出して男が謝る。
「俺が悪かった、許してくれぇ! お願いだ、もう何もしないから、命だけは助けてくれ、頼む!」
地面に頭をこすりつけて懇願する。
「何を勘違いなさっているのかしら? 私はあの子の代わりに杖打ち刑を受けているだけですのに。まるで私があなたを襲っているような仰りよう。納得できません」
お望みなら襲って差し上げましょうか。右手を男に突き出した瞬間に、黒い大剣が濃密な呪源の塊を切り裂いた。
「いい加減にしろや、このアホンダラァァァ」
首筋に剣の背を叩きつける。体にまとわりついている呪導が首に集まってきて剣を浸食するが、リュオクは気源を集中させて抵抗した。
二人の睨み合いが続く。
「高原のことには関わらないのではなかったのですか?」
ファリィラは苛立たしげに顔を歪めた。
「確かにこの男はどうでもいい。そのどうでもいい男を傷つけたっつって、お前が後悔するのが分かり切ってるから止めに入ってるんだよ! さっさと呪導を静めろや! さもないと……」
ファリィラは笑った。
「さもないと? どうするのですか? その剣で私を切りますか?」
切りたければどうぞ、と言わんばかりに腕を広げて胸を張った。
「……その胸揉むぞ! さっきからこれ見よがしに目の前で揺らしやがって! 気が散るわ!」
笑みが強張った。
「理由は何か知らんが、怒りにまかせて呪導を振り回すようじゃ、話にならん。教国でもユーカナンでもどこにでも帰れ。その方がお前のためにも良いだろう」
ファリィラの怒りがたちまち萎んだ。息苦しいほどに集められていた呪源も散らされて、辺りは静かになった。
やれやれと呪器を収めて振り返ったら、ファリィラが倒れていた。
上着をかけてやり、声をかけるが反応はない。そこに村人から連絡を受けたスミヤがやってきた。
「あんた何やってるのよ!」
「やらかしたのは俺じゃねえ、こいつだこいつ!」
足元のファリィラを指さした。スミヤの視線が下がる。
「どうして裸で血塗れなの?! 一体何されたの?」
動かないファリィラを、ひとまず部屋に連れ帰った。
傷の手当てをしながら、スミヤは事の顛末を聞き出した。全て聞いたスミヤは怒り狂って村長に抗議しに行った。一人寝かされたファリィラはぼんやりと天井を見ていた。呪導の使い過ぎで体がだるく手足がしびれ、頭の芯に靄がかかったようになっている。傷を治癒できないため、あちこちが痛い上に、呪器で切られた傷はいまだに血が止まらない。呪導が使えるようになるまで、ずっとこのままかと思うと気が滅入った。
扉が開いて、水差しを持ったリュオクが入ってきた。
「お、本当に目が覚めてる。以外に頑丈だな」
ファリィラは起き上ろうとして、全身に激痛が走って呻いた。
「動くなよ、せっかく戻した肋骨がまたずれるぞ」
派手に折れてたからな、肺に刺さってなかったのが奇跡だぜ、と至極楽しげだ。
「全く人の不幸をそんな嬉しそうに」
「不幸じゃなくて、自業自得だろ。厄介事に首を突っ込むからそうなるんだ」
ぐうの音も出ない正論だった。
「……何で呼ばなかった? 俺でもスミヤでもアスラでも、もっとうまく対応できた」
ファリィラは口を引き結んだまま、何か考えていたが、ぽつりと言った。
「あなた達は見捨てるでしょう。村の合意によって制裁を加えられた人を、助けてはいけないんでしょう? 私が頼んだら、あなたはあの親子を助けてくれましたか?」
リュオクは答えられなかった。無言のリュオクをファリィラはじっと見詰めていたが、答えがないことに納得して目を逸らした。
「高原の決まりに従うあなた達が悪い訳ではありませんし、責めるつもりもありません。ただ、助けてくれないなら呼べなんて言わないでください」
リュオクはかける言葉が見つからず、結局何も言わずに部屋を出た。
リュオクは村の端の壊れたままの獣避けの柵までやってきて、人目がないことを確認すると、半壊している杭を蹴りつけた。
「あぁあ! クソ、畜生! 腹立つ!」
げしげしと、一蹴りごとに悪態をつきながら、蹴り続ける。何度目かの蹴りを加えた時、耐えきれずに杭が折れた。転がった杭の残骸に一撃をくれて座りこむ。
「何やってるんだ、俺……」
先ほどのファリィラの目を思い出した。諦念の中に微かに期待が込められていた眼差し、それが失望と蔑みに変わった瞬間。失望させたのは他でもない、自分だ。
問いかけられて、何故すぐに助けてやると言わなかったのか、迷って答えられなかった自分の弱さが腹立たしくて仕方なかった。
「荒れてんなあ。そんなときは暴れるに限る! 俺が相手になるぜ!」
「黙れ戦闘馬鹿。……なあ、あんたはあの親子助けられるか?」
いきなりの質問にアスラントは面食らったが、すぐにファリィラの件を思い出した。
「うーん、あれはちょっと難しいなあ。子供の杖打ちを止めさせるぐらいは出来るが、母親の方はなあ……」
ファリィラの治療によって、母親の容体は持ち直している。だが、知らなかったとはいえ、罪人に与えた刑罰の傷を癒すのは、刑罰を執行した部族への非難になる。村への侮辱だという者もいて、彼女の非を責める声も少なくない。監督不行き届きを責めらているスミヤもつらい立場だ。
「だがそこは! 惚れた女のために一肌脱ぐ所だろう、男なら後先考えず突っ走れ!」
グッと拳を突き上げる戦闘馬鹿。
「そんなことして高原から追い出されたら、霊峰に行けないだろうが! それと惚れてないからな、勘違いするなよ」
「そこは姐御に頼めばなんとかなるさ。リュオク、俺に遠慮しなくてもいいぞ、惚気ぐらいいくらでも聞いてやるからな」
ついでに拳でも語り合う気なのは明らかだった。望み通り、アスラントで憂さ晴らしすることに決めた。




