第三十三話
救援に行くケマン村へは三日の道のりである。道中は融和派の村に寄って宿を貸してもらうついでに、立ち寄った村で治療を行うことになった。出発の準備を村の入口でしていると、リュオクが荷を積み込みに来た。爽やかな朝に不釣り合いな仏頂面である。
「お早うございます」
ファリィラが声をかけたが、返事はなかった。黙々と荷物を積んで縄で固定していく。
スミヤがジバシリを引いてやってきた、楽しそうに足元にまとわりつく幼い男の子と少し年上の女の子付きで。
「このジバシリ良いわねー。どこで手に入れたの? オスの方、種付けに使っていい?」
目をキラキラさせて聞いてくるので、盗賊討伐で手に入れたもので、乱暴に扱わなければ好きに使っていいと答えた。スミヤは喜んで足元の子供とキャッキャッと騒いでいる。
「その子たちは?」
「え? 私の子に決まってるじゃない。言ってなかったけ?」
姐御は二児の母だった。
荷物の積み込みを終えたとリュオクが報告に来た。屋敷に帰ろうとするので、スミヤが呼び止めた。
「忘れ物でもしたの?」
「俺は行かない」
スミヤ片眉が跳ね上がった。
「あんたも行くのよ」
だんっ、と右足を踏み下ろす。それだけの動作であったが、ファリィラは嫌な予感がして二人から距離を置いた。脇を見ると子供たちはもう少し離れている、同じくらい下がることにした。
「うるせえ。お前らの都合なんか知るか。タウロスにも俺は一切手を貸さないと言ってある」
一貫して奥高原の事情に関わらない方針らしい。
「救援や戦闘はしなくていいわよ。でも、リィラは守りなさいよ。それくらいは出来るでしょ」
リュオクが渋面を作ると
「リィラ、ちょっと来なさい」
私も拳で説教されるのかと内心びくびくしながらそばに行くと、肩をガシッと掴まれた。
「こんな男と今すぐ別れなさい。もっとマシな男を紹介してあげるわ」
姐御、朝から勘弁して下さい。よほど言いたかったが、鬼気迫る様子に何も言葉が出なかった。掴まれた肩が痛く、気道が使われている感覚があった。肩を握りつぶされるかもしれないという恐怖が沸き起こり、必死に怒れる姐御をなだめにかかった。
「嫌です、私は彼と霊峰に行くと約束したのです、今更他の方と行く気はありません。そもそも、私は守ってもらう必要などありません、自分の身は自分で何とかします。リュオクが奥高原の内紛に一切手を出さないと決めたのであれば、私はそれを支持します。彼には彼の考えがあるのです、どうか分かってあげてください」
肩を握っている手が緩んだ。なんとかなるかと気を緩めた矢先
「で、あんたはどうなのよ?」
リュオクに矛先が向いた。彼が姐御の気に入る回答を選ぶとは思えない、逆なでしてくれるに違いない。ファリィラは絶望的な気分で祈った。
「……行けばいいんだろ。荷物を取ってくる」
ぶっきらぼうな声が聞こえて、姐御が破顔した。肩から手が離れて、ファリィラは心底安堵した。
朝から疲れる一幕があったが、無事出発を迎えられた。タウロスと子供たち、村人に見送られて道を歩き出した。
「今年はなんだか畑が生き生きしてるわねー。嬉しいわ」
スミヤが景色を眺めながらジバシリを進める。
「そうですか、良かったですね」
愛想良く相槌を打つ。後ろからリュオクの物言いたげな視線が飛んできたが、無視した。アスラントは大人しくしていると決めたようで、黙って荷車の御者を務めた。
この辺りはまだ治安がいいので、道中特に何もなく、今晩の宿を借りる村に着いた。
早速、スミヤと村長の家に向かい挨拶をする。先ぶれがあったようで、病人や怪我人が集められていた。重篤な患者はほとんどおらず、比較的簡単に治療が終わり、村長の家に戻ってきた。庭ではアスラントとリュオクが組み手をやっていて、村人たちがどちらが勝つかで酒を賭けていた。
「あいつら……畑仕事の手伝いをしていろって言ったのに」
スミヤはおかんむりだ。だが、二人を止めるようなことはせず、ファリィラを促して家に入った。
夕食をご馳走になり、治癒で消耗しているからと早々に部屋に引き揚げてきた。スミヤも一緒に引き揚げた。男共は今頃酒にありついているだろう。ファリィラは前から気になっていたことを尋ねてみた。
「朱の一族とは何ですか?」
スミヤは目を瞬かせた。
「あー、知るわけないよね。何にも言ってないもんね」
あんまり詳しいことは教えられないんだけど、と前置きして話してくれた。
「このガイラル高原の中でも、霊峰の麓の奥高原と呼ばれる土地は、元々人は住んでいなかった。先史文明の末期、大崩壊と呼ばれる文明の崩壊が起こったのは知ってるわね。その時の生き残りの呪師や道士の集団が移り住んできたのが奥高原の始まりといわれてるわ。
その時の五つの集団の直系の末裔が、源流五族といってそれぞれの身体的特徴、目や髪の色にちなんだた部族名を持っているの。朱の一族はその一つ、他に翠、蒼、白耀、黒耀の四つがあって、白耀、黒耀は呪師の系統よ。そこから分派した部族も昔は沢山あったんだけど、今は十数部族しかいないし、それも紛争で減ってしまったわ。もう、部族ごとにいがみ合っている場合じゃないのにね」
最後の言葉は悲しみに満ちていて、ファリィラは何と言っていいか分からなかった。
呪導や気道の才能は血統に由来するものがほとんどだ。呪師や、気道の中でも特異能力を持つ家系に生まれると、子を儲けることは重大な義務になる。定められた結婚を嫌がって出奔する話は後を絶たない。
奥高原のような限られた土地では、時代を重ねれば近親婚になる、閉鎖的な交配は、出生率の低下を招き先天性疾患を多発する、数が減るのは必然だ。だからといって、部族間で交わるのはおそらく無理だろう。心理的な障壁もさることながら、血が混ざることによって、血統に由来する能力を失う恐れがあるからだ。
奥高原の民が、部族間の交わりを嫌い混血を差別するのは、能力の保存の点から、あながち間違いともいえない。部族の融和と、血統の保持を両立させるのは至難の技だろう。この話でスミヤ達の苦悩が垣間見えたが、部外者のファリィラが口出ししていい話題ではない。暗くなった部屋の空気を振り払おうと話を振った。
「スミヤさんは、蒼の一族の方ですよね。ケンカを止めた時、何か凄い攻撃してましてけれど、あれはどうやってやったのですか?」
姐御は悪戯っぽい笑みを浮かべてファリィラの頬をつねった。
「勘が鋭いわね、さすがは呪師と褒めてあげるわ。でも教えてあげないし、名乗ってもいない部族名を勝手に言うもんじゃないわ、失礼よ! 他では絶対にしないように!」
なら最初から部族名付きで名乗ってくれればいいのに、高原の民は面倒だと初めて思った。




