第三十話
リュオクの部屋の扉をノックする。右を見るとスミヤが少し離れたところで親指を立てて爽やかな笑みとウインクを送ってきた。
扉が少し開いて、彼が顔を覗かせた。ファリィラを睨みつけてくる視線は冷たかった。
「何の用だ?」
ファリィラがなかなか言葉を紡げずにいると
「帰れ」
扉を閉められてしまった。思わず右を見ると、もう一回と身振りで指示されて、再びノックするが返事はなかった。諦めて帰ろうとしたら、話をするまで部屋に帰っちゃダメ、と行く手を塞がれた。姐御はスパルタだった。
仕方なく扉を叩き、返事を待つがやはり無視された。やけくそになって扉を叩き続けると
「うるせえ!」
扉が勢い良く開いた。
「お、おお話があるのです」
噛んでしまったが、とりあえず言えた。リュオクは不機嫌に睨みつけてきたが、一気にしゃべった。
「昨日のことは申し訳なく思っています。その、えと、あなたはずっとここに来るのを嫌がっていたし、何か訳がありそうだったし、私なんかに構わずにレギエに戻ったほうが良いだろうと。決して邪険にしたわけではなくて、あの、これ以上私のことで迷惑をかけるのも、あ、いえ、私のせいであなたが傷つくのは……その、御免なさい」
支離滅裂だったが、とりあえず謝罪は出来た、ような気がする。俯いて黙っているファリィラの後頭部を長いこと眺めていたリュオクが一言
「入れ」
体をずらして、彼女を通した。
部屋に入ったのはいいが、気まずい沈黙が続いていた。リュオクは寝台の端に腰かけて、ファリィラは扉の前に突っ立って、お互いに足元の床を見ている始末だ。意を決して、ファリイラが話しかけた。
「あの、もしよければあなたがガイラル高原を、奥高原を嫌がる理由を聞かせてもらってもいいですか? もちろん話したくないならいいですが」
そしてまた足元に視線を落とした。
「……俺はここより北、マルアーダで生まれた。そこには旧守派最大の部族がいる、母親はそこの名家の血筋だった」
リュオクの言葉に、ファリィラは顔を上げた。
「父親は知らない。母は当時、婚約者がいたにも拘らず他の男との間に子供を作った。妊娠が判明した時、父親が誰かきつく問いただしたが、決して口を割らなかったという。不義密通は重罪、母親は奴隷に落とされた、腹の子も奴隷だ。俺は穢れた忌み子、奴隷として生まれ、十二までそこで暮らした。
十年前、十二になってしばらくの頃、部族内に揉め事が起こった。些細な火種は大火事になり、部族を二分する内紛になった。当時の族長は殺され、粛清が行われた。俺はそのどさくさに紛れてそこから逃げ出した。以来、一度も帰ったことはない」
下を向いたまま低い声で語られる内容に、ファリィラは言葉を失った。
「ガイラル高原は豊かな土地ではない。人心を支えているのは、自分達は先史文明から受け継いだ数々の伝承と、特殊な力――強い気道や呪導を持つ、平地の民とは違う特別な人種だという誇りだ。
貧しい土地で、チンケな誇りを守って、掟に雁字搦めになって、みみっちく争っている連中なんて本当にどうでもいい。関わりたくもない」
最後は吐き捨てるように言って、顔を上げた。意地の悪い笑みを浮かべる。
「それなのにどっかの馬鹿がほいほい首を突っ込む。嫌な思いをするぜ、保証する。帰りたくなったらいつでも言えよ、すぐに教国でも呪協でも連れてってやるからな」
そして二度と余計な世話を焼かすな。その言葉にファリィラはカチンときた。
「死んでも帰るなどとは言いません。その程度の覚悟だと思われているのなら心外です。私は必ず天鏡を、力を手に入れるのです」
「どうだか。満足に自分の身も守れないへっぽこ呪導師様じゃあ、辿りつく前に死体か奴隷になれそうだ」
「リュオク、あなたがこの土地に恨みを持つのは致し方のないことでしょう。だからといって、必要以上に他者を貶めないでください、不愉快です」
リュオクは鼻で笑った。
「図星をさされたのがそんなに気に食わないか?」
ファリィラは両手を胸の前に組んで、怒りに震える指を抑えた。声が震えないように深い呼吸を心がけながら、提案した。
「では、そんなへっぽこな私が困難を乗り越えて、無事に紛争終結を迎えられたら、一緒に霊峰に行ってくださいますか?」
ニヤニヤ笑いが消えた。
「……いいだろう。その時は霊峰だろうと世界の果てだろうと、どこでも行ってやるよ」
「約束ですよ、絶対に忘れないでくださいね」
念を押して、自室に戻った。
部屋ではスミヤが待っていた。
「どーお、上手くいった?」
底抜けの明るさに、軽く苛立った。だが、目的は果たせたので、大目に見ようと心を落ち着けた。
「はい、紛争が終われば、一緒に行ってくれるそうです」
そこまでの経緯を大胆に端折って結果だけを告げると、終始うまくいったように聞こえるから不思議だ。スミヤの仲直り大作戦は、最初の謝罪以外は全く実行されなかったのだが。
良かったじゃなーい、とはしゃいで帰っていくスミヤを複雑な気持ちで見送った。




