第二十七話
融和派の村は街といっても差し支えないほど大きかった。サウルと共に、村の中央にいる孫娘のスミヤに会いに行く。村を貫く道を歩いて行くと左手に屋敷があり、門をくぐると肩まで伸びた水色の髪に鮮やかな青い瞳の二十代半ばぐらいの女性がいて、三人に気付くと笑顔で手を振った。
「いらっしゃいサウル、いつも悪いね。後ろの方はどなた?」
薬を受け取りながら、ファリィラを不思議そうに見てくる。
「こっちの女性はファリイラ呪師で、霊峰を目指しているそうだ。リュオクは道中の護衛だ。タウロス殿にお会いしたい」
ファリィラが礼をして紹介状を渡すと、受け取って扉を指示した。
「分かったわ。じゃあ中へどうぞ」
応接間で待っていると、タウロスが来た。黒に近い青い髪に藍色の目の落ち着いた男性だ。挨拶をすませると早速本題に入った。
「紹介状を拝見しました、霊峰の試練のことですが、現在、山守の民の住む土地まで行く手段がありません。お引き取りください」
初っ端から、拒否された。
「そこをなんとかお願いできないでしょうか。奥高原の事情は伺いましたが、私も呪師ですので、ある程度は対処できます」
ここまできて、駄目です、はいそうですか、で終われない。タウロスは難しい顔をした。
「お気持ちは分かります。私としても案内して差し上げられないのは心苦しいのですが、霊峰へは古典派の本拠地を通らないといけないのです。近年、旧守派の行動は過激さを増しており、焼き討ちされた村の数も片手の指では収まらない、とても近付けないのが現状です」
「そこまで酷いのですか?」
紛争が続いていて、極端に治安が悪化しているとは聞いていたが、誇張だと思っていた。
「十年前、旧守派最大の部族の族長が代替わりしてから、旧守派の行動は激しさを増しています。あまりの横暴に離反する者もでるくらいで、ここ三年ほどは力による押さえつけと報復行動が激化して手がつけられない状態です。なんとかしなければならない状況なのですが、いかんともしがたく……」
男の表情は暗い、奥高原の治安の悪化はそこに住む人々にとって死活問題だ。十年も紛争が続いていて、今なお悪化しているのなら、土地はかなり荒廃しているはずだ。荒廃は更なる悲劇を呼び、悲劇は更なる荒廃を呼ぶ悪循環だ。
ファリィラは考える。奥高原では、霊峰に行く呪師を拒絶しているようなことはない。試練に挑む者としてそれなりの敬意を払っているようだ。治安問題さえ解決すれば案外すんなり行けるのではないか。ならばやることは一つ、その旧守派の独裁者を打倒しよう。
「分かりました。では、私も紛争解決のお手伝いをさせていただきます。無事、その旧守派の乱暴者を排除して通れるようになったら、霊峰に案内してくださいますね?」
リュオクは驚愕をあらわにファリィラを見て口をパクパクさせた。本来は罵るところだが、初対面の人の前では憚られるため罵倒の言葉は音にならなかった。
「それは勿論。ですが、本当によろしいのですか? 高原と何の関わりもない貴女が命を危険にさらすことになりますよ」
「構いません、これも霊峰に課せられた試練でしょう。乗り越えて来いと、ここで倒れるようなら霊峰に行く価値もないということでしょう」
タウロスは感心して頷いた。
「そこまでの覚悟を持っていらっしゃるなら、お願いしよう。部屋はこちらにご用意します」
タウロスの屋敷に厄介になることが決まった。
通された部屋で一休みしていると、足音も荒くリュオクがやってきた。予想していたので、部屋に招き入れ、扉を閉めた。
「この馬鹿! 大馬鹿者! 自分が何を言ったか分かってるのか!? 高原のことなんて何一つ分かっていない部外者が、紛争に首を突っ込むなんて正気の沙汰じゃない! 帰る、俺はレギエに帰るからな!」
ファリィラは寝台に腰掛けて、激高する男を見上げた。不思議と気持ちは落ち着いていた。
「そうですね、その方がいいでしょう。依頼終了の旨、一筆書きますので、それを持って帰ってください。ここまで一緒に来て下さって有難うございました。どうぞお達者で」
頭を下げて、荷物から筆記用具を取り出して、机に向かった。
「アホが、お前も連れて帰るに決まってんだろう。お前みたいなはた迷惑な奴を置いて帰れるか。二度と馬鹿なことをしないように、張り紙付けて教国の大教殿の柱に括りつけてやる!」
リュオクの鼻息荒く、天井に向かって吠えた。
「何故ですか?」
不思議そうに聞くと、彼はこちらを向いた。
「私が巡礼中に逃亡して破門になろうと、要らぬお節介の果てに見知らぬ土地で命を落とそうと、あなたには関係のないことです。さっさと見捨てて帰るだけでいいのです。あなたへの依頼には私の逃亡を防止するといった項目はありましたか? 無いでしょう。教国にも呪協にも、私があるかどうかも分からない天鏡を求めてガイラル高原の奥地に消えて行ったと、止めても聞かなかったと報告するだけです。それで十分でしょう」
ゆっくりと机に向き直り、ペンを取り出す。その背中にリュオクは語りかけた。
「なあ、リィラ。もし、お前が俺の立場だったら、見捨てて一人で帰るのか? 一月近く一緒にいて、飯食って話もした奴が、馬鹿やろうとしてるのを止めもせず、関係ないって放っていくのか?」
ペンを持つ手が止まった、椅子を引いて振り返る、柔らかく微笑んで。
「お人好しですね。……そんな優しいあなたは、私と一緒にいないほうが良い。東平原で楽しく暮らしてください」
その後は無言でペンを走らせ、書きあげた紙をリュオクに押し付けた。
リュオクを追い出した後、ファリィラは寝台に腰掛けて呆けていた。先ほどのリュオクの言葉が甦ってくる。人の真心を踏みにじるのは心が痛かった、だがこれ以上自分の都合に彼を巻き込んではいけない。そもそも彼は奥高原に来るのを非常に嫌がっていた。理由は聞かなかったが、この土地の伝承を知っていたことからして縁のある土地であることは間違いない。不快な思い出があるのだろう、ファリィラにとってユーカナンがそうであるように。ファリィラは久しぶりに祈りを捧げた、神などいないであろうこの世で、一体祈りはどこにゆくのかと思いながら。




