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「……てる?ねぇ、ちょっと聞いてるの?」
はっと目の前に視線を向けると、そこには加奈の苛立ったような顔があった。
「ごめん。聞いてなかった。それでえーっと、何だっけ?」
「もう、真知子はホント人の話聞かないよね。だから、メンバーの話だってば」
そうだ、思い出した。私達は今、ファミレスで来週の旅行の相談をしていたのだった。
「ごめんごめん。えっと、佐紀ちゃんと愛ちゃんと、それから滝口さんも来るんだったよね?」
「そ。それで、滝口さんのことなんだけど……」
途端に加奈は声を潜める。滝口さんは、元々私達が四人で行こうとしていた旅行計画を偶然知って、一緒に行きたいと突然メンバーに入ってきた人だった。だから、正直加奈も私も、滝口さんにはあまりいい感情を抱いていない。
「あの時はびっくりしたよね。まさか滝口さんがいきなりあんなこと言い出すなんて」
私達四人が旅行の話で盛り上がっている最中、突然滝口さんが話の輪に入り込んできたのだ。「自分も入れてほしい」と。
「滝口さんってさ、結構おとなしそうな性格かと思ってたけど、あんな人だったなんて」
そう言う加奈の顔は、どこか苦々しげだった。
「もしかして加奈、嫌なの?」
「そりゃあ、ね。元々、気心の知れた友達だけで行く筈の旅行だったのにさ」
「でも、うまく断る理由もなかったし……」
そうなのだ。あの時私達は、誰一人として断る理由を見つけられなかった。むしろ佐紀ちゃんなんて、積極的に滝口さんを歓迎していたくらいだ。
「佐紀も佐紀よ。誰にでも優しいのは構わないけど、少しくらい私達のこと考えてくれたって……」
「佐紀ちゃんは悪くないよ」
「一人でも多い方が楽しいわ」なんて言って、ふんわり笑っていた佐紀ちゃんを思い出す。佐紀ちゃんはやさしい子だ。きっと滝口さんのことも、断るなんて考え自体、持っていなかったことだろう。
「真知子は嫌じゃないの?」
ずいっとテーブルに身を乗りだして、加奈が私の瞳を覗き込む。
「そりゃあ、ちょっと気まずいかな……とは思うけど」
でも、別に嫌ってほどじゃない。そう言うと、加奈はふぅと溜め息をついて椅子の背もたれに寄りかかった。
「まあ別に、今更何言ったってどうしようもないんだけどね」
「もう決まっちゃったことだし、ね」
「そ」
加奈は手元のアイスティーに刺さっているストローを指先でピンと弾く。ストローがグラスの中の氷に当たって、カランと音を立てた。それから加奈はふてくされたような声を上げる。
「あーあ、折角楽しみにしてたのになー」
「別に旅行自体がなくなった訳じゃないんだし、いいじゃない」
「そうなんだけど……」
それから、加奈はしばらくグチグチと何か言い続けていたが、突然スッと立ち上がると「おかわり取ってくる」と言ってドリンクバーに向かって行った。
「加奈ったら……」
私は頬に手を当てて思わず溜め息をつく。加奈はきっと、滝口さんがメンバーに加わることを内心かなり不満に思っているんだろう。私だって何も思わない訳ではないけれど、だからと言って今更何が変わる訳でもない。滝口さんにはもう、「いいよ」と返事をしてしまったのだ。これから断ることなんてできる筈もないんだから、あとは加奈と滝口さんがうまくやってくれることを祈るばかりだ。
――あの時、近くに滝口さんがいなければ良かったのかな?
一瞬、そんなことがふと頭に浮かんで、私は慌てて首を横に振った。
――私も存外、嫌な奴だ。
「ただいま」
気付けば、私の正面にはドリンクバーから戻ってきた加奈の姿があった。
「お、おかえり」
意外と早かったねと言いかけて、ドリンクバーに行っただけなのだから当たり前かと思い直す。加奈のコップには、新しいアイスティーがなみなみと注がれていた。私は先程までの考えを打ち消すように、加奈に新しい話題を振った。
「アイスティー、好きだよね」
「……ん、まあね。ここの系列店のドリンクバー頼む時は、大抵アイスティーって決めてるから」
「いつもストレートばっかりで飽きない?」
「全然。むしろストレート以外は飲む気しないし」
「そうなんだ」
それからしばらく他愛のない話を続けていると、気付けばそろそろ日も落ちようかという時刻になった。どうやら長話に花を咲かせ過ぎたようだ。一緒に会計を済ませ、私達はファミレスを後にした。
「じゃあ、またぼちぼち連絡するから」
「うん。気付いたらちゃんと返信する」
「あんま期待はしてないけどね」
それじゃ、と言ってひらひらと軽く手を振り、加奈は私に背を向けて歩き出す。私もそれに小さく手を振り返して、私達は各々の帰路についた。
それから数日経って、旅行当日。私が集合場所の駅に到着したのは、待ち合わせの八時半まであと五分というギリギリの時刻だった。
「ごめん支度に手間取っちゃって――ってあれ?」
駅前に集まっているメンバーを見回すと、一人足りない。まだ来ていないのは――佐紀ちゃん?
「佐紀ちゃんまだ来てないの?」
「あれ?佐紀なら熱で今日は来れないって……真知子のとこにも連絡行ってる筈だけど」
「え!?」
そういえば慌てていたせいで、今朝はすっかりメールの確認を怠っていた。急いで鞄からスマートフォンを取り出し、画面のロックを解除する。
「……本当だ、新着メール二通も来てる」
受信ボックスを開くと、一通は佐紀ちゃんから、もう一通は加奈からのメールだった。佐紀ちゃんからのメールには
『昨日の夜から少し気怠かったんだけど、やっぱり今朝熱がでちゃったので今日は家でゆっくり休みます。旅行、一緒に行けなくてごめんね。』
と書かれていた。私はあとでお見舞いのメールを送ろうと心の中で思いながら、続けて加奈のメールを開封する。
『佐紀が来れなくなったって』
私は思わず加奈の顔を見た。加奈が私の視線に気付いてそっぽを向く。
「……返信なんて、期待してなかったし」
「ご、ごめん……」
私の為にわざわざメールで知らせてくれたようだ。それに、どうやらそのことに関して私の返信を期待していたらしい。気付かなかったことに、僅かに申し訳ない気持ちになる。
「とにかくそういう訳だからさ、出発しようよ」
私が一人で落ち込んでいると、愛ちゃんが慰めるように私の肩を叩いてそう言った。それに「うん」と返事をして、私は改札に向かって歩き出す。
ポケットからICカードを取り出して改札をくぐる前に、私はちらりと滝口さんの方を見た。彼女はさっきから一言を言葉を発していない。
「…………」
一瞬だけ目が合ってしまい、私はなんとなく気まずくなって彼女から目を逸らした。
電車に乗り込むと、丁度四人掛けのボックス席が空いていたので、私達はそこに座ろうと近付く。
「私、窓際がいいです」
座る直前、滝口さんがいきなりそう言い出した。私は今日初めて聞いた彼女の声に吃驚して、思わず振り返ってしまう。
「う、うん。いいよ」
また、目が合ってしまった――そんなことに私が気をとられていると、サッと私から視線を外した滝口さんはあっという間に窓際の座席に腰掛けてしまった。
「……他に誰か、窓際座る?」
そう言って愛ちゃんと加奈に視線を向ければ、二人とも呆気にとられた表情をしていた。多分、私もさっきまで同じような顔をしていたことだろうから、二人の気持ちはなんとなく分かる。
「あたし、いいや」
「じゃあ、私がそっち行こっかな」
どことなく固い声で返事をした加奈をちらりと見た愛ちゃんが、少し苦笑い気味にそう言って滝口さんの向かいへ座る。……気を遣ってくれたのだろうか。そんな愛ちゃんの隣に、黙ったままの加奈が素早く入り込む。その行動の意味を察した私は、一瞬だけ愛ちゃんと顔を見合わせてから、残った席に腰掛けた。
四人掛けのボックスシート、それも女同士の集まりだというのに、私達の座っている席はやけに静かだった。座るやいなや、スマホを取り出して自分の世界に入り込む加奈。窓に顔を向けたままずっと外の景色を眺めている滝口さん。愛ちゃんはそんな二人を困ったような顔で眺めた後、諦めたように目を閉じて背もたれに寄りかかってしまった。
「愛ちゃん、寝るの?」
「……ん」
目を閉じたまま愛ちゃんが小さく頷く。こうなれば仕方がないと、私もまた鞄からスマホを取り出した。今の内に、佐紀ちゃんへの返信を済ませておこうと思ったのだ。
【メッセージを受信しました】
画面を開いた途端、そんな通知が私の目に飛び込んできた。今度は誰からだろう? そう思いながら受信ボックスを開くと、そこには加奈の名前があった。――目の前にいるのに、わざわざメール? 訝しみながらも私はメールを開く。
『なんなのあの人』
私はスマホからちら、と視線を上げて正面にいる加奈を見た。脚を組んだまま片手でスマホを操作する加奈は、相変わらずこちらの視線には気づかないで、親指を忙しなく動かしている。――「あの人」とは十中八九滝口さんのことだろう。加奈は相当、彼女のことが気に食わないらしい。以前ファミレスで話していた時には引っ掛かる物言いこそしていたものの、てっきり滝口さんの参加を受け入れたと思っていたのに……。
【メッセージを受信しました】
えっ、また? 私は目を瞬かせる。今度は、先程よりも少し長い文章だった。
『あたしやっぱりあの人苦手かも。今朝あたしと愛がおはようって挨拶した時、あの人全然返事しなかったんだよ? なのにああいう言いたいことだけはちゃんと言うんだね。普通そういう態度ってなくない?ほんとなんであの人ついてきたんだろ』
思った以上に、加奈は不満が溜まっていたようだ。まさか私が駅に着く前にそんなことがあったなんて……。道理で、加奈が若干苛立っている訳だ。きっと愛ちゃんもそれを察して、さっきは滝口さんの正面の席に率先して座ってくれたのだろう。加奈のメールに私は返信する。
『滝口さんの参加は私達みんなで決めたことだから、しょうがないよ。それに、席順なんてどうでもいいじゃない。もっと気楽に考えていこ』
送信ボタンを押してから、加奈の方を伺う。数秒後、私からの返信を読んだと思われる加奈の顔が険しく歪んだ。脚を組み替える振りをして、加奈のつま先が私の膝を蹴る。
「痛っ!」
「そういうことじゃない」
じゃあどういうことなんだろう? 私が頭に疑問符を浮かべていると、窓の外を見ていた筈の滝口さんがじっとこちらを見ていることに気付いた。
「何してるんですか?」
私の背中にヒヤリとしたものが伝った。もしかして、さっきのメールのやりとりを見られていたのだろうか。だとしたら、気まずいなんてもんじゃない。
「別に」
「もしかして、私の悪口ですか?」
私達の手に持つスマホを交互に見比べながら、滝口さんはそう言った。やはり見られていたのかと、私は動揺で身を固くする。しかし加奈は、そんなこと微塵も気にしていないという風に、滝口さんへ言葉を返した。
「なんでそう思うの」
「メールでこっそり、私の悪口を言い合ってるんじゃないですか? 私、前にもそういうことが……」
「ふーん。でも、違うから」
滝口さんの言葉を遮るように、加奈はしらを切る。それから、まるでこれ以上は聞きたくないとでもいうように、手元のスマホに視線を戻してしまった。
「そう、ですか」
そんな加奈の態度に、滝口さんは表情を変えないまま、つぶやくようにそう言った。