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「これでよし、っと」

 人気のないコピー室で、悠太は予算会議の資料を揃えていた。プリントを数え終え、印刷機のスイッチを切った。忘れ物がないことを確認し、少年は雑然とした部屋を後にした。

 本来ならば教職員しか利用できないスペースを使うことができるのも、生徒会役員の特権である。悠太はこれまで、学校の機材を私用に供したことはなかった。その一方で、悪用する他の役員を注意したこともなかった。優等生、聖人君子、頑固者、型に嵌まったお坊ちゃん。どのレッテル貼りも失敗に終わり、悠太の人物評を云々する生徒の方が、いつしか口を閉ざすようになっていた。

 悠太が廊下に出ると、中庭の窓から夕陽が射し込んでいた。カミサマの花はとうに掘り返され、ところどころに紫色の花びらが散らばっているだけであった。それは夕焼けの赤と混じり、妙に毒々しい色を放っていた。とても高価な代物だという春園の説明が、悠太にはピンとこなかった。彼は、もっとおとなしい感じの花が好きであった。

 悠太は、腕時計を確認した。黒い革製のベルトに留められた、銀色の針が旋回するだけの簡素なデザイン。高校の入学祝いである。

「もう六時過ぎか……」

 時計から目を離し、悠太は疲労の溜め息を吐いた。

 彼の意識は徐々に、今夜の使徒会議へと向かっていった。

「せめて隔日にして欲しいなあ……」

 五月に召し出されて以来、会議が途絶えたことは一度もなかった。最初は自分の崇高な使命に酔っていた悠太も、ここ数日はだんだんと醒めた調子でそれに参加していた。その最たる原因は、彼の責任感が萎えたからではなく、自分たちの行為が果たして町のためになっているのか、そのことが疑わしくなり始めたからである。今朝のキセキの意義も、悠太には未だに見えてこない。バルトロマイが、なぜあのような提案をしたのか、悠太は直に訊いてみたいとすら思っていた。

 悠太は階段を上がり、二年A組の教室へと向かった。ドアを開けると、誰もいないはずの教室に人影が見えた。

 真飛だった。

「どうしたの? 珍しいね」

 率直な驚き。運動神経抜群にも関わらず、真飛は帰宅部を決め込んでいた。その真飛が放課後まで残っている理由を、悠太は察しかねたのである。

「悠太か、待ってたぜ」

 真飛はそう言うと、椅子から腰を上げた。手に持っていた何かを、机の上に放り投げた。

その正体を見極めるには、教室の闇があまりにも濃過ぎた。

 それよりも悠太は、近付いて来る真飛の方に気を取られた。

「僕を……待ってた……?」

「ああ、ちょっと訊きたいことがあってな」

 真飛は、いつになく真剣な面持ちで、悠太と向かい合った。ここまで思い詰めた友人の顔を、悠太はまだ見たことがなかった。

 唖然とする悠太を他所に、真飛は唇を動かした。

「俺たち、友達だよな?」

 何だ。何を言い出すのだ。

 悠太は、混乱する自分を落ち着かせて、答えを返す。

「そ、そうだよ」

「そしてライバルでもある」

「?」

 悠太は、真飛の発言に首を捻った。

 けれども、すぐさま口元に笑みを浮かべた。

「そうだね、僕たちはもう二年だし、来年は受験生だ。そうなったらお互いに……」

「そういう意味じゃねえよ」

 真飛は口を挟んだ。その声には、若干苛立ちの気配があった。

「え、違うの?」

「とぼけてるんじゃないだろうな?」

 誰もいない教室で、真飛に睨まれる。そのシチェーションに、さすがの悠太も恐怖心を抱いた。逃げ道を探るように、自分が入って来たドアを盗み見た。

 相手の動揺を察したのか、真飛は表情を和らげた。

「わりぃ……おまえが気付いてないのは分かってたんだ……」

 真飛は、そこで言葉を濁した。

 窓から見える空が、恐ろしいほど静かだった。

「あのさ、オレが瑠香のこと好きなのは、知ってるよな?」

 悠太は、黙って首肯した。瑠香を紹介して欲しいと頼まれたのが、高校一年生の秋。そのとき真飛から聞かされた情報を、悠太が忘れているはずもない。

 何を今さら。拍子抜けした悠太を前に、真飛は視線を逸らした。

「じゃあ、瑠香が好きなのは誰だ?」

 それが訊きたかったのかと、悠太は勝手に解釈した。

「その点なら、安心してよ。ライバルはいないから、時間はまだ十分に……」

「本当にそう思うか?」

 真飛は、悠太と再び目を合わせた。

 今度は悠太が視線を逸らし、朱に染まった教室の壁を見つめた。

「ぼ、僕が知ってる限りでは、そうだよ……」

 溜め息。空気の波が、少年の耳元をくすぐった。

「おまえ、ほんとに鈍いな……」

「……何が?」

 鈍いと言われても、悠太には何のことか分からなかった。

「マジでオレから言わないとダメなのか……」

「だから何が?」

 遠くで、カラスが白々しく鳴いた。

 真飛はいつの間にか、あの真面目な顔付きに戻っていた。

 そして、こう言い放った。

「瑠香はな、おまえのことが好きなんだよ」

 一瞬、悠太の中で時が止まった。聞き間違いではないかと目を細め、耳を傾けた。

 真飛は呆れ返ったような調子で、言葉を継いだ。

「ほんとに気付いてなかったのか?」

「気付いてないって言うか……それは君の勘違いだろう?」

「いいや、瑠香は、おまえのことが好きだ」

「何で断言できるの? 彼女がそう言ったとか?」

 真飛は首を、力強く左右に振った。

「思い過ごしだよ」

「オレの勘に狂いはない」

 何だ、ただの勘かと、悠太は苦笑してしまう。

 それを見咎めた真飛は、ムッと口の端をねじ曲げた。

 後ろ髪を掻きあげ、再び溜め息を吐いた。

「ハァ……マジで気付いてなかったのか……」

「だからさ、それは君の勘違いだって」

 あらぬ誤解を生まないよう、悠太は念を押した。

 脱力気味の真飛は、いつもの気さくな笑顔に戻り、悠太の肩をポンと叩いた。

「だったら訊くが……仮に……仮にだぞ、瑠香がおまえに告白しても、おまえは瑠香を振るわけだ?」

「瑠香が告白? 僕に?」

 悠太はその場面を、頭の中に思い描こうと試みた。だが、どうしてもイメージできない。瑠香の顔が、浮かんでは消えていった。

 ふたりは、小学校時代からの幼馴染みである。彼女を恋愛対象として見たことは、一度もなかった。いきなり恋仲へ発展するなど、少年には非現実的な注文のように思われた。

「どうなんだ?」

 真飛の催促。悠太は、自分でもよく分からないままに、答えを返した。

「ちょっと考える……かな……?」

「考える? ……脈ありってことか?」

 真飛の表情が、再び険しくなった。

 悠太は慌てて釈明した。

「違うよ。そもそも、そのシチェーションがありえないって言うか……」

 悠太の回答に満足したのか、それとも諦めをつけたのか、真飛は追及を止めた。そして、三度目の溜め息を吐いた。

 教室は既に、夕刻の暗さを迎えていた。

「それを聞いて、ちょっくら安心したぜ」

「そ、それならいいんだけど……ところで……」

 悠太は、教室に入ったときの、最初の疑問に立ち返った。

「僕が来たとき、何か手に持ってたよね? あれは何?」

 悠太はそう言って、真飛の席に目を凝らした。対象は、もはや闇と一体化しつつあった。輪郭さえ覚束なくなっていた。

 少年の視線を、真飛も追った。その目には、なぜか鬼気迫るものが宿っていた。まさか、瑠香の隠し撮り写真というわけでもあるまい。それなら机の上に放り出したりせず、どこかに隠すだろう。

 真飛は、しばらく押し黙ったあとで、自ら謎を解いた。

「花びらだよ」

「花びら? ……まさか中庭の?」

 真飛は、あっさりと頷き返した。他に何があるのか。そう問いた気な顔をしていた。

 けれども悠太にとっては、不十分な回答である。ホームルームでの態度と言い、今日の真飛には、首を傾げてしまう点がいくつかあった。

 訝る悠太をよそに、真飛はスッと目を閉じた。

「ちょっと気になることがあってな……実は……」

「こんな時間に何してるの?」

 第三者の出没に、悠太と真飛はその場で飛び上がりかけた。

 入り口から聞こえたのは、最も望んでいなかった人物の声だった。

「る、瑠香!」

 真飛はごにょごにょと唇を動かすばかりで、この場を誤摩化せそうな気配がない。

 おかしな弁解が飛び出さないうちに、悠太はフォローを入れた。

「生徒会のコピーを手伝ってもらったんだよ」

 あっさりと吐かれた嘘に、真飛も歩調を合わせて、大げさに首を振ってみせた。

 もっとも、瑠香の位置からその仕草が見えたのか、悠太は疑問に思った。

「そう……」

 無気力な返事。疲れているのだろうか。窺い知れない闇に、悠太は目を凝らした。

「瑠香こそ、どうしたの? 部活?」

「ええ……ちょっと構図が決まらなくて……」

「さすがに、もう帰るよね? みんなで一緒にどう?」

 悠太の機敏な提案に、真飛は顔を綻ばせた。

 ところが瑠香は、残酷な答えを返してきた。

「私は、まだ残るわ」

「え? 六時過ぎだよ?」

「そうだぜ。余り遅くなると、宿直のおっさんに……」

「ごめんなさい……このままだと、コンクールに間に合わないから……」

 酷く弱々しい声が、彼女の憔悴を物語っていた。体の調子が悪いのではないかと、悠太は疑いたくなった。

「じゃあ、僕たちは先に帰るよ……体に気をつけてね……」

「ええ、悠太もね……」

 そう言い残して、瑠香の影は視界から消えた。

 名前を呼んでもらえなかった真飛は、がっくりと肩を落としていた。

 そんな悩める友人にかける言葉を、悠太は知らなかった。

 

 ✞

 

 シモン だから何度も言っているように、もっと有効な手段に訴えるべきだ

 シモン 汚職を繰り返している市議会議員の殺害 これしかない

 ヤコブB 俺たちは過激派じゃないっつーの

 ペトロ ヤコブBさん、発言するときは挙手してください


 もはや恒例となってしまったやり取りを前に、悠太は目を擦った。今日の一件は、悠太が思っていた以上にストレスとなっていた。カミサマの花、マリア、生徒会、そして……。

 

《瑠香はな、おまえのことが好きなんだよ》

 

 少年はうっすらと眼を瞑り、首を左右に振った。あのあと、風呂に浸かりながら考えてみたところ、やはり真飛の勘違いだという結論に落ち着いた。全く心当たりがない。それが、悠太の本心であった。

「……!」

 少年は、一瞬意識が飛んでいたことに気付いた。パソコンに目をやると、自分の使徒名が数行に渡って書き込まれていた。

 

 ペトロ ユダさーん???

 

 しまった。悠太は、慌ててキーボードを打った。

 

 ユダ すみません、ちょっと寝てました

 ヤコブB おーい、気をつけようぜ

 ペトロ 上にマタイさんの意見がありますので、賛否をお願いします

 

 悠太は急いで、マウスのローラーを回し、ログを確認した。

 長々としたスクロールの末、マタイの提案に突き当たった。

 

 マタイ 行方不明になっているY小学校のインコが見つかる

 

 悠太は議論の中身を追うことなく、賛否の状況のみをチェックした。

 賛成はマタイ、ペトロ、マルコ、ルカ、ヤコブAとB、フィリポ。

 反対はシモンとヨハネ。

 どうやら、決着はとうについていたらしい。よく見れば、カミサマの認定も、文字列の中に混じっていた。時間を浪費した仲間たちに詫びつつ、悠太は書き込み欄に漢字二文字を打ち込んだ。

 けれども、送信ボタンをクリックしかけたとき、ふと少年の中指が止まった。数秒ほど考え直してから、既存の二文字を消し、別の二文字へと置き換えた。

 

 ユダ 反対

 

 悠太の投票と同時に、他の使徒たちの書き込みが始まった。

 

 シモン これはいったい何なんだね?

 ヤコブB 見りゃ分かるっしょ

 マタイ ユダさんは反対なんですか?

 シモン 全くもって無意味だ

 ユダ もう少し町のためになることをすべきだと思います

 ペトロ では、Y小学校のインコが見つかるという予言を広めますね

 ヤコブA お先に失礼します

 シモン ユダくんの言う通りだよ

 ヨハネ ちょっとルカさん?

 ヤコブAさんが退室しました!

 ヤコブB 意味があるとかないとかはみんなで決めるんだよ

 ルカ ?

 フィリポ 落ちます、お疲れさまでした

 シモン それは衆愚政治の考え方だよ

 ヨハネ あなた、今日ずっと黙ってたわね? どうかしたの?

 

 悠太はマウスの動きを止めた。退室の挨拶を控えて、じっとチャットに見入った。

 

 フィリポさんが退室しました!

 ペトロ 今日は私も先に失礼します お疲れさまでした

 ペトロさんが退室しました!

 シモン こうなったら私にも考えがある

 ルカ 特に何も

 ヤコブB 何だよ?

 マタイ おふたりとも、喧嘩はほどほどに さようなら

 シモン それは言えん

 マタイさんが退室しました!

 ヤコブB ハァ?

 

 シモンとヤコブBの言い合いが続く中、少年はルカとヨハネの会話だけを追いかけた。確かに、今日はおかしなことがふたつあった。ひとつは、バルトロマイが欠席したこと、もうひとつは、ルカが何も発言しなかったことである。先ほど慌てて追ったログの中にも、ルカの名前はなかった。

 

 ヨハネ そうかしらねえ

 ヨハネ おしゃべりの度合いは、急には変わらないものだけど

 ヨハネ もしかして、失恋でもした?

 

 悠太は、使徒会議にあるまじき公私混同を蔑んだ。これ以上は見る必要がないと、挨拶文を送信し、退室ボタンに指を伸ばした。

 ところが、それよりも速く、ログが動いた。

 

 ルカさんが退室しました!

 ヨハネ ┐(´ー`)┌

 

 その顔文字を最後に、液晶は暗転した。

 悠太は、ノートパソコンを力任せに閉じると、電気を消してベッドに潜り込んだ。自分が何に腹を立てているのかさえ分からぬまま、少年の意識もまた暗転した。

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