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 ペトロ:今日もシモンさんは来ませんね

 

 その何気ない一言に、悠太の心臓が高鳴った。存命中と思われている人間の死。これほど深い秘密が、他にあるだろうか。もちろん、悠太がこの場で洗いざらい話してしまえば、それまでことである。しかし、それはありえなかった。なぜ悠太がシモンの正体を知っているのか、そこに衆目が及ぶはずだ。下手をすれば、犯人と疑われる可能性もある。

 悠太は静かに、チャットの流れを追っていた。一年後か、十年後か。シモン=下野という方程式が解かれるのを、悠太は時の流れに委ねようと思った。

 そして、それは一秒後に起こった。

 

 ヨハネ:もしかして死んだんじゃない?

 

 何が書き込まれたのか、悠太の目はその解読を拒んだ。

 少年が考えをまとめる前に、他の使徒たちの書き込みが乱舞した。

 

 マルコ そういう発言はよくないですよ

 ヤコブB そうそう

 マルコ 根拠がないのに死んだとか言っちゃダメです

 ヤコブB シモンが聞いたら怒るぜ?

 ヤコブA 人間、ある日突然ぽっくりというのも、ママありますけどね

 ヨハネ あら、証拠がないわけじゃないわよ?

 

 何を言っているのだ、ヨハネは。少年は、画面に顔を近付けた。液晶の表面についた埃を手で拭いながら、悠太はヨハネの回答を待った。

 証拠などあるはずがない。あってはならないのだ。

 

 ヨハネ 先週の土曜日にね

 ヨハネ 下野洋助って変人が死んだのよ

 ヨハネ それがシモンの消えた日と一致してるのよね

 

 ログが止まった。スピーカーから失笑が漏れたような錯覚に、悠太は陥った。こんな推論が説得力を持つはずがない。たとえ、結論が正しくとも……。

 誰もが同じ感想を抱いたと思しき中、最初に反応を示したのはヤコブBだった。

 

 ヤコブB そんだけ?

 ヨハネ それだけよ

 ヤコブB ( ゜д゜)

 ヨハネ あら? 納得しないの?

 ヤコブB あのさあ・・・

 マタイ しないですね

 ヤコブB そんなので納得するわけないっしょ

 ヨハネ そうかしら

 

 悠太は、そろそろ司会のペトロが割り込んで来るのではないかと期待した。ところが、ペトロの書き込みは途絶えていた。何があったのかと、悠太はそちらの方が気になり始めた。これまでペトロが中座したことはなく、司会不在で使徒会議が行われたことはないのだ。彼がいなくなるとどうなるのか、少年には見当もつかなかった。

 注意がないのをいいことに、ヨハネは書き込みを続けた。

 

 ヨハネ だって似てるじゃない

 ヨハネ 下野とシモンって

 

 再びログが止まった。同時に、悠太の心臓も止まりかけた。

 あまりにも、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由付け。だが、悠太にはそう思えない。

 

 ヤコブB アホくさ

 マルコ ヨハネさん、何か悪いものでも食べたんじゃないですか?

 ヨハネ あら、どうしたの急に?

 マルコ それってただの言葉遊びじゃないですか

 ヨハネ そうかしら?

 マルコ シとモしか合ってないですし

 ヨハネ でもね

 ヤコブA 「の」も子音では一致してますけどね

 ヨハネ 私の名前も似てるんだけど

 ヨハネ ヨハネに

 

 沈黙。それはまさに、電子の海の静けさだった。

 そんなことがありうるのだろうか。少年は息を呑む。使徒に召し出されたとき、ユーザーネームを見た悠太は、こう思った。ただの偶然だろう、と。

 ユウタとユダ。それは、音の近似以外の何物でもないと、少年は信じていた。

 チャットは、一ドットも動かない。それが嘲笑を意味するのか、それとも別の何かを暗示しているのか、悠太の中で振り子が揺れた。前者であって欲しいと、悠太は願った。

 そこへ、助っ人が舞い降りてきた。

 

 ペトロ すみません ちょっと席を外してました

 

 座長のペトロは、大量のログが流れていることに気付いたらしい。

 当然のごとく、状況の把握に努め始めた。

 

 ペトロ どなたかアイデアを出されたんですか?

 

 過去の書き込みを追っているのだろう。ペトロの打ち込みが途絶えた。

 それから、怒ったような文字列が並び始めた。

 

 ペトロ ヨハネさん

 ペトロ 会議と関係のない話は謹んでください

 ヨハネ あら、関係なくはないでしょ?

 ペトロ ここはキセキの内容を決定する場です

 ペトロ 関係ありません

 

 数秒の間。

 

 ヨハネ そうかしら

 

 とぼけたような書き込みで、チャットは終わった。

 いや、終わるはずだった。

 

 バルトロマイ ヨハネさんだったんですね

 バルトロマイ どうして私を脅迫するんですか?

 

 目の前で何が起こっているのか、悠太には理解できなかった。

 脅迫という二文字が、まるで彼自身に向けられたかのように、白く輝いていた。

 他の使徒たちも戸惑ったのか、名指しされたヨハネだけがレスを返した。

 

 ヨハネ あなた、何言ってるの?

 バルトロマイ とぼけないでください

 バルトロマイ 私に脅迫状を送ってきたのはあなたでしょう

 バルトロマイ ばらすならここでばらしてください

 ヨハネ だから何のこと?

 バルトロマイ 私は悪いことはしていません

 バルトロマイ とぼけるな!

 

 一方的な口論に、ペトロが割って入る。

 

 ペトロ 落ち着いてください

 ペトロ 何の話ですか?

 バルトロマイ ヨハネさんが私を脅迫してます

 バルトロマイ 私の正体をばらすと言ってるんです

 ヨハネ わけがわからないわ

 ペトロ 脅迫?

 バルトロマイ とぼけるなと言ってるの!

 バルトロマイ あなた以外に考えられない

 ヨハネ そんなこと言われても

 ペトロ チャットを中止してください

 ヨハネ バルトロマイさんが誰かなんて知らないもの

 バルトロマイ ふざけるな!

 バルトロマイ いい加減にしないと怒るわよ!

 ペトロ チャット中止!

 

 巨大な赤字が、会話の鎖を断ち切った。

 けれども場は、秩序を取戻すことなく、次の一行で全てが破綻した。

 

 バルトロマイさんが退室しました!

 

 嵐は去り、チャットルームに静寂が戻った。

 お互いに様子を窺っているらしく、誰も書き込もうとはしない。

 この状況下で議事を回復できる者は、ひとりしかいなかった。

 

 ペトロ ヨハネさん

 ヨハネ はい?

 ペトロ バルトロマイさんの主張に心当たりは?

 ヨハネ ないわね

 

 あっさりとしたやり取りに、もはや深入りする余地はなかった。重苦しい雰囲気に、誰もが話す気力を失っているようだ。少なくとも悠太には、アイデアを出すつもりも、今夜の使徒会議に積極的に参加するつもりもなかった。家庭内不和が起こっているときに国家の政治について語るような、ちぐはぐな態度に思われたのである。

 その空気を察したのか、それとも司会進行にうんざりしたのか、ペトロが判断を下した。

 

 ペトロ 今日はこれで解散にしましょう

 ペトロ 3人欠席では合意が難しいと思いますし

 ヨハネ 残念だわ

 ペトロ では、また明日の10時に

 

 それを合図に、使徒たちは次々と退室して行った。ユダこと悠太も、形だけの挨拶を残して、退室ボタンをクリックした。画面が暗転したところで、悠太は椅子にもたれかかり、天井を見上げた。

 そして、バルトロマイの言葉を反芻した。


《ヨハネさんが私を脅迫してます……》

《私の正体をばらすと言ってるんです……》

 

 どういうことだろうか。バルトロマイは、脅迫されていると言った。しかも、正体をばらされそうになっているらしい。それはつまり、彼あるいは彼女の死を意味する。そのことを確認するため、悠太は机の引出しを開けた。

 プリントの山の奥に、A4版の茶色い封筒が見えた。悠太はその中から、一枚の紙切れを取り出し、ゆっくりと黙読した。

 

 【使徒心得】

 一、他の十二使徒たちと協力して、世の中を善くしましょう。

 二、カミサマは、多数決で使徒たちの願い事を叶えてくれます。

 三、キセキは、I市の内部でしか起きません。

 四、自分が使徒であることを一般人にばらさないでください。ばらすと死にます。

 五、使徒は、自分の命と引き換えに、他人を使徒にすることができます。

 六、カミサマの正体を一般人にばらした場合、カミサマが交代します。

 

 URL:http://apostoli.com

 ID:ユダ

 PASS:XXXX-XXXX-XX....

 

 悠太は、四番目の心得に何度も目を通した。少年の考えによれば、重要なのは一から四までのルールであり、五と六は意味の分からない雑則に過ぎなかった。自分の命と引き換えにしてまで、他人を使徒にする者などいないであろうし、カミサマの正体をばらそうにも、そもそもカミサマがどこの誰なのかを、悠太は知らないのだ。他の使徒たちが知っている様子もなかった。

 だが、四番目のルールは違う。それは、うっかりすれば犯してしまいそうなミスであり、そして致命的なのだ。もしバルトロマイが脅迫されているとすれば、まさにこの点についてであろうと、少年は推測した。

「まずいな……」

 脅迫の手法は、これで明らかになった。しかし、動機が判然としなかった。いや、動機だけではない。悠太は使徒心得を、机の上に放り投げた。なぜバルトロマイの正体が、外部へ筒抜けになっているのだろうか。脅迫状を送りつけた以上、犯人は、確かな情報を掴んでいるはずである。

 そこまで推理して、悠太は身震いした。シモンの発言が、少年の耳に木霊した。

 

《全員の素性を突き止めたわけじゃない。それは、このあと分かることだからね》

 

 そうだ。脅迫こそされなかったものの、自分もまた素性を突き止められたのだ。そして、あのときの発言に隠された意図を、悠太はようやく探り当てることができた。シモンは、第三者から、使徒たちの情報を得ていたに違いない。それがバルトロマイの脅迫者である可能性は、明日も世界が存続するのと同じくらい高いように思われた。

「待てよ……」

 悠太は唇に手を添え、思考の波に乗る。視界からパソコンが消え、先ほどのチャットが網膜の上を走った。

 

 ヨハネ 私の名前も似てるんだけど

 ヨハネ ヨハネに

 

 バルトロマイは十中八九、この発言に反応していた。それを、冗談だと受け取らなかったのである。それが示唆するところはひとつ。バルトロマイの本名もまた、ユーザーネームに似ているということだった。バルトロマイは、ヨハネのあの書き込みを、自分への挑発と捉えたに違いない。

 バルトロマイ。ここまで長い名字があるのだろうか。日本人の姓は多いから、ありえなくもないかと、悠太は思った。下の名前かもしれない。

 しかしそれでは、あまりにも珍しい人物ということになりはしないだろうか。

「バルトロマイ……バルトロマイ……バルトロマイ……」

 悠太は、一階にいる母親に怪しまれない程度の声で、その名前を繰り返し呟いた。全使徒の中で最長の名前が、少年の中で様々な発音と結びつき、ひとつの文字列を形作っていった。

「……え?」

 相手の話が聞こえなかったかのように、悠太は喫驚を漏らした。震える指を口元から離し、机の上に転がっている鉛筆へと、それを伸ばした。

 英語のノートを開け、空いたスペースにお構いなく芯を入れた。恐怖と猜疑心にうねった文字が、六つの平仮名を紙の上に残した。

 

 はるぞのまい

 

 そしてその下に、怒り狂った使徒の名前を連ねた。

 

 はるぞのまい

 バルトロマイ

 

「そんな……バカな……」

 悠太は、おのれの遊戯に戦慄した。呪いのアイテムにでも触れたかのように、鉛筆を放り出し、席を立った。鉛筆の芯が折れ、ノートの上を転々とした。その乾いた音が、少年の記憶のドアを開けた。

 

《病気?》

《アノ日なんじゃね?》

《ちょっと男子》

《とりあえず、このサイトを見ろ》

《値段を見てみろよ……下の方に書いてある》

《ま、証拠はないんだけどな》

 

「黙れ!」

 悠太はそう叫び、肩で息をしながら、幻聴を振り払った。息苦しさを覚え、パジャマの襟を押し開いた。しばらく呼吸を整えていると、ふいにノックの音がした。聞き慣れた女性の声が、扉越しに聞こえた。悠太の母だった。

 悠太は、椅子の角に小指をぶつけたと言い訳し、心配する母親を宥めた。足音が階段の下へ消えたところで、悠太は電気を消し、ベッドに潜り込んだ。

 ただの偶然に決まっている。母音が一致しているだけではないか。悠太は自分にそう言い聞かせ、目を閉じた。

 少年はその夜、微睡むことすらできなかった。

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