chapter 6
数日後、アヤは一人で城下町を歩いていた。
城へ戻る道を歩いている時、慌てて細い路地に入っていく少年の姿を見た。そして、その少年の後を追うリリーとローズの姿を目にする。アヤはその少年のことが放っておけなくなり、こっそりと三人のあとをついていった。二人のアクマから逃げていた少年が、昔同じクラスだった男友達――ロビン・セオドア・クレイスト――でもあったからだった。
細い道を抜けて人気のない広場に出たロビンは、逃げ道に迷い足を止めた。後から追ってきたアクマは、その隙を逃さなかった。
三人の後を追ってやってきたアヤは、すぐに出ていくことはせずに建物の陰に身を隠した。
「もう逃がさないわよ」
先にロビンの前に立ったリリーが口を開く。
「さっきからしつこく追いかけてくるけど、何の用なんだよ」
ロビンは逃げることを諦め、目の前に立つ二人のアクマに声を投げる。
「あなたはちょっと特殊な能力を持っているみたいでね? 上から連れてくるように言われたのよ」
ロビンの質問に答えたのは、リリーの隣に立つローズだった。
「特殊な能力?」
「そうよ」
「そんなの、これっぽっちも思い当たらないんだけど……」
首を傾げて言うと、またもやローズが答える。
「あなたはそうかもしれないけど、私たちには欲しい能力なのよ」
「へぇ……」
「だから、一緒に来てくれないかしら?」
「そう言われて、アクマについてく奴なんていないだろ」
ロビンは、呆れたような表情で冷たく言い放つ。
「それもそうね。でも、余裕でいられるのも今のうちよ」
言い終えるや否や、ローズがロビンに向かって光の球を放った。ロビンは自分の前に魔方陣を出現させ、その攻撃を防ぐ。
「襲わないんじゃなかったのか?」
話が違う、と抗議をすると
「大人しくついてこないなら、実力行使で連れて行くしかないでしょう?」
とローズが答えた。
そして、再びローズがロビンに攻撃をする。ロビンはそれを弾くなどして防いでいたが、力の差がはっきりとしていて押され気味だった。アクマはローズの他にもリリーがいるため、アクマ一人にてこずっている今、ロビンは圧倒的に不利な立場にいた。
三人から見えないように隠れて様子を窺っていたアヤだったが、だんだんと見ていられなくなってきていた。タイミングを見て姿を現そうと決めた時、ちょうどローズが大きな攻撃をした。
アヤはぱっとロビンの前に飛び出し、魔方陣を出して攻撃を防いだ。
「アヤ!?」
まさかアヤが出てくると思っていなかったのだろう。ロビンからは驚きの声があがった。
「大丈夫?」
「え、あ、ああ。一応……」
アヤの問いに、戸惑いつつもロビンは答える。
「それより、どうしてここに?」
街の人を巻き込まないために、わざわざ人気のないところに来たのだ。助けなど来るはずがないと思っていた。
「話はあと! とにかく、早く逃げるよ!」
アヤはそう叫ぶと、ロビンの手を掴み走り出す。
「逃がさないわっ!」
ずっと傍観者を決め込んでいたリリーが、二人に向かって火の球を放つ。しかし、アヤが振り向きざまに水の術でそれを打ち消してしまう。
予想外の出来事に、攻撃を仕掛けたリリーは思わず息を詰めてしまう。その間にも、彩とロビンの姿が遠ざかりつつあるのを見て、今度はローズが攻撃をした。二人の行く先に魔方陣を出現させたのだ。
アヤは足を止めると、リリーとローズの方に向き直り二人を睨んだ。
人気のない小さな広場は、逃げ道が少ない。三ヶ所しかなかった道のうち一本は四人が通った道で、今はリリーとローズがその道の少し前に立っていて使えない。もう一本は、つい先程ローズが魔方陣で塞いでしまった。残りは、アヤとロビンの近くにある一本だけだった。
「ロビン、先に行って!」
「でも……」
二人同時に同じ道に逃げるのは難しいと判断したアヤは、先にロビンを行かせることにして叫んだ。しかし、ロビンはすぐには頷かなかった。
「すぐ追いかけるから!」
アヤが後からそう声をあげても、ロビンは先に逃げようとはしなかった。
女の子を一人、しかも二人のアクマのところに残していきたくない、その思いから動けずにいた。
その一方で、ロビンは自分の力ではアクマに敵わないことも判っていた。小学部、中学部で同じクラスになった時、アヤが普通の大人よりも強いということを知っている。自分がこの場に留まれば、アヤの足手まといにしかならないことを理解していた。ただ、気持ちがそれを許さないだけで。
「早く‼」
ロビンが悩んでいる間もリリーとローズの攻撃を防いでいたアヤが、しびれを切らして叫んだ。
その切羽詰まった声に、ロビンはアヤの指示に従うことに決めた。
「判った。ありがと、助かったよ」
ロビンは頷き助けに来てくれたお礼を言うと、最後の逃げ道を進んだ。そして、タクトを呼ぶために城の方へと走った。
目の前のリリーとローズに意識を向けつつ、ロビンが立ち去ったことを確認したアヤは、心の中で安堵の溜め息を吐いた。すると、それを見越したかのようにローズが嗤った。
「あの子を逃がすなんて、あなたも馬鹿ね。まぁいいわ。連れて行くのはあなたでも構わないもの。大人しく……」
「ついていく訳ないでしょう?」
アヤはローズの言葉を遮って答えた。
「なら、力ずくね」
ローズがそう言うや否や、アヤに攻撃を仕掛けてくる。そうして再び戦いが始まった。
二対一であるというのに、アヤの方が強かったらしくアクマの二人が押され気味だった。
このままではアヤにまで逃げられてしまうと焦ったローズは、リリーにしばらくアヤの相手をするように頼んだ。ローズが何をしようとしているか理解したリリーは、弾いたり防いだりすると煙などで視界が悪くなる魔術でアヤを攻撃した。
攻撃してくるのがリリーに変わり、あまり威力はないが視界が悪くなるという魔術ばかりになり、アヤは首を傾げた。しかし、長く考えている場合ではなかったため、アヤは視界が悪くなっているうちにロビンに行かせた道に逃げこむことにした。そう考え得ているうちに煙が少なくなってしまい、次の攻撃を防いですぐに走りだそうと決めたアヤは視界が良くなっていくのを待った。
だんだん煙が少なくなっていき、そろそろ次の攻撃が来ると構えたが、リリーから魔術が放たれることはなかった。嫌な予感がしたアヤは、逃げようと動いた、はずだった。
「――っ!?」
ずしん、と重い何かがのしかかってきたような感覚がアヤを襲った。そんな気がしたあと、すぐに呼吸が苦しくなる。
見なかったはずだ。だが、今の身体の状態からすると、視界の端で捉えてしまったのだろう。数日前にアヤを苦しめた、魔方陣を。
「数日前のこと、もう忘れたの?」
嘲笑う声でローズが言葉を放つ。アヤは、何も答えることができなかった。
アヤは苦しそうに胸元の服を掴むと、その場にゆっくりとしゃがみこんだ。
「こんな人気のないところに、助けなんて来ないわよ? まぁ、私にとっては願ってもないことだけれどね」
「…………」
「さて、一緒に来てもらうわ」
ローズはそう言うと、苦しそうに蹲るアヤへと近付いていった。
その様子を見て、アヤは大いに焦った。
このままでは捕まってしまう。なんとかして逃げないといけない。しかし、前回同様思うように身体を動かすことができない。
頭の中でそう考えている間にも、ローズが着実に近づいてくる。
さらに焦ったアヤは、移動魔法を使おうとした。
「――っ‼」
結果は、声にならない悲鳴をあげてさらに蹲っただけだった。
暴走していない、封印されていない魔力だけでなく、今なお身体の内側で暴れている魔力まで術に反応してしまったのだ。封印されている魔力は、決して外に出ることはなく、ただその魔術師を苦しめるだけだ。
先程よりも弱ったアヤを見て、ローズは嬉しそうに口元を緩ませた。
「馬鹿ね。そんなことしたら、余計苦しくなるだけだって判らないわけでもないでしょう?」
そう言ってまた歩を進めるローズは、ほとんどアヤの目の前に来ていた。
――もう、駄目。
アヤがそう思って目を閉じようとした時だった。
突然、辺りに白い煙がたちこめる。
「なにっ?」
予想外のことに、ローズは驚き足を止める。
「お姉さま!」
煙が一番多いところにいるローズを心配して、離れたところにいたリリーが声をあげる。
アヤは、リリーとローズの二人が突然発生した煙に気を取られていることに気付いた。白い煙のおかげで、アヤの姿が二人には見えていないことにも。
――今のうちに、何とかしないと。
そう思ったが、身体は動かないし魔術も使えない。煙だって、そういつまでもその場に留まっているわけでもない。せっかく誰かが作ってくれた機会を無駄にはしたくなかった。
そう考えたところで、何かが思考の糸に引っかかった。しかし、それが何なのかが判らない。
答えを導き出す前に、アヤは不意に浮遊感を感じた。それは、誰かに横抱きにされたときに感じるものだった。
――でも、いったい誰が?
疑問に思っていると、頭上から声が降ってきた。
「大人しくしてろよ」
それは少し前まで聞きなれていたアクマ――クリスの声だった。
タクトを助けてから、クリスはアクマという立場でありながらアヤに声をかけてきたことがあった。
そのおかげか、アヤは無意識のうちに助けに来てくれたのだと理解した。そして、安心してしまったアヤは、今まで閉じるのを耐えていた瞳を瞼の裏に隠した。
クリスはまだ煙が残っているうちにと、移動魔法でその場から姿を消した。
次にクリスが姿を現したのは、街から離れたところにある廃れた住宅街だった。
歩く度揺れる感覚に、アヤは閉じていた瞳をうっすらと開けた。
「無理に起きてなくていいぞ?」
アヤが目を開けたことに気が付いたクリスが声をかける。すると、アヤはゆるゆると首を横に振った。その様子に、クリスは困ったような、呆れたような息を吐いた。
少し歩くと、クリスは誰も住んでいない家の中に入っていった。
「こ、の家は……」
見覚えのある家に、アヤは声をあげる。しかし、その声は苦しそうだった。
「おい、無理して喋るな。でも、覚えてたのか。ちょっと前に、お前をここに連れてきた時の家だ」
「やっぱ、り……」
クリスは、家の奥にある寝室に行くと、ベッドの上にアヤを寝せた。
「少しでもいいから寝ろよ」
布団をかけながら声をかけるが、アヤは首を横に振った。それを見たクリスは、呆れたような溜め息をこぼした。
そしてアヤに近寄ると、相手を眠らせる術をかける。魔力の強いアヤは、すぐには意識を手放さなかった。眠りたくないという思いもあったのか、少しの間術に耐えていた。クリスは内心厄介だなと思っていたが、数分後にようやく眠ったアヤを見てほっと息を吐いた。
しかし、クリスが一安心してから三十分もたたないうちに、アヤが目を覚ました。そのことに気付いたクリスは、呆れたような口調でアヤに声をかける。
「まだ寝てろよ」
クリスの声に、天井をぼうっと見つめていたアヤは、ゆるく首を横に振った。
そんなアヤに、クリスがどうしようか迷っていると、玄関で来客を知らせる鐘が鳴った。
クリスが玄関の扉を開けると、そこには慌てた様子のタクトが立っていた。
「アヤは!?」
「さっき目が覚めたところだ」
寝ろと言っても聞かないアヤを思い出し、クリスはその不機嫌さを声にのせて答えた。
「よかった」
そんなことを知らないタクトは、ほっと安心したような表情を浮かべた。
「よくねーよ」
先程よりも苛立ちをこめて、クリスが答える。
「ローズのあの魔方陣を見て苦しいくせに、ろくに休もうとしないんだから。まだ寝てた方がいいのによ」
そう言うと、クリスはタクトをアヤが眠る寝室へと連れて行った。
タクトは、部屋の中に入るや否や、アヤの元へ駆け寄った。
「アヤ?」
「……タ、クト?」
辛そうな表情で目を閉じていたアヤが、うっすらと目を開け、タクトの方に顔を向ける。
「大丈夫?」
「いち、おう……。クリス、が……助け、て、くれた、から……」
タクトが声をかけると、アヤは弱々しい声でゆっくりと答えた。
「あまり無理して喋らないで? ここにいるから、もう少しだけ眠ろう?」
タクトが優しい声で促しても、アヤは首を横に振り眠ることを拒む。
強く拒み続けるのは、何か理由があるからだとすぐに判った。しかし、それでも今のアヤに必要なのは睡眠だった。だから、タクトは困ったような笑みを浮かべて、アヤの名前を呼んだ。
「アヤ……」
そうしてアヤは少しの間ぐずっていたが、身体の疲れには抗うことができなかったのだろう。ゆっくりと眠りの中へと落ちていった。
静かに寝息をたてるアヤの手を握り締めたまま、タクトは近くに立っているクリスに向けて口を開いた。
「アヤのこと、ありがとう。助かったよ」
「あぁ。なんか嫌な予感がしたから、様子を見に行っただけだったんだ。気にするな。まぁ、ちょっと助けるのは大変だったけどな」
クリスは、アヤを助けに入った時のことを思い出して言った。
仲間であるアクマ二人が、敵であるはずのアヤを追い詰めているところにいたのだ。あの状況では、アクマの方の助けに入るのが普通だ。しかし、クリスはアクマではなくアヤの方の助けに入った。
それは、仲間のアクマからすれば裏切りの行為に値する。それでも、あの時のクリスに迷いはなかった。
「クリスがいてくれてよかったよ。でも、悪いことをさせたね」
クリスの話から、近くにアクマがいたにもかかわらずアヤを救ってくれたことを知ったタクトは、申し訳なさそうに言った。
「自分の意思でやったんだ。お前は気にしなくていい」
「そっか。うん、判ったよ」
クリスの強い声に、タクトはただ頷くことしかできなかった。
それから数分後、アヤが目を覚ました。
「起きた? 気分は?」
「少しだけ、よくなった」
「そろそろ戻る?」
タクトの問いかけに、アヤは小さく頷いた。
タクトはまだ動けそうにないアヤを横抱きすると、移動魔法を使う。
「クリス、ありがとな」
「あぁ。でも、気をつけろよ? 俺だっていつも助けに入れるわけじゃない。俺は、アクマ側の人間なんだからな」
「判ってるさ」
クリスと短い会話を交わし、タクトはアヤを抱えて城へと移動した。
城に戻ってくると、以前アヤが倒れたときに使用した、怪我人や病人の世話がしやすい部屋にアヤを運び入れた。
「もう大丈夫だから、ちゃんと寝よう?」
タクトが優しく声をかけても、アヤは首を横に振り眠ることを拒み続けた。
今眠ってしまうと良くない夢を見そうだと、そう思ったアヤは眠らないようにしようとしていた。けれど、先程受けた術のせいで身体は眠りを必要としている。
寝なければいけないのは、アヤ自身よく理解していた。しかし、心の奥にある不安が眠りを遠ざける。本音を言えば、タクトに傍にいて欲しい。そう思う一方で、まだ完全にタクトに心を開いていないアヤは、そのことを声に出せずにいた。
このまま眠らずにいてタクトを困らせたくなかったアヤは、本音を心の中にしまったままそっと目を閉じた。それを見たタクトは、ようやくアヤが眠ったと思い部屋を去った。
扉が閉まる音とほぼ同時に、アヤは目を開けた。
淋しい。怖い。眠りたくない。行かないで、傍にいて欲しかった。
たくさんの思いでいっぱいになったアヤは、今にも涙を流しそうな表情を浮かべていた。そして、絞りだすような声でタクトの名前を呼んだ。
「……タクト…………」
その声は、タクトの耳に届くことはなく、虚しく室内に響いた。
そうして、アヤの意識はゆっくりと暗い海の中へと沈んでいった。
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