chapter 2
学校を出たアヤは、落ちつくためにお気に入りの小さな丘へ足を運んだ。
いつもはアヤ一人しかいないのに、この日は珍しく先客がいた。
丘を登ったアヤは、頂上にある一本の木のところに女の子が一人いた。
その少女は、アヤと同じ金色の短い髪をしていた。そして見る限り、アヤより少し年下のようだ。
アヤはその少女から少し離れたところに立ち、遠くに見える街を眺めていた。
夕方ということもあり、街の方は買い物客で賑わっていた。しかし、街や住宅街からかなり離れたこの場所は静かだった。だからこそ、アヤはこの丘を気に入っていたりするのだが。
しばらくぼうっとしたあと辺りを見ると、先程まで丘にいた少女は姿を消していた。アヤが考え事をしている間に帰ったのだろう。
次の日、少女のことが気になったアヤは、放課後にまたお気に入りの丘を訪れた。
アヤが丘に着くと、少女が昨日と同じところに座っていた。アヤは少し離れたところからこっそり少女を観察していた。
少しすると、アクマの気配を感じた。アヤは慌てて辺りを見渡したが、アクマの姿は見当たらなかった。
もしかして、と思い目の前の少女を見つめる。
すると、少女からかすかにアクマの気配を感じることができた。丘に来た時はアクマの気配なんて感じなかったこと、あまりにもその少女がアクマらしくないことに戸惑う。少し迷ったあと、アヤは声をかけてみることに決めた。
「こんにちは」
少女に近づきながら、優しい声であいさつをする。
「……こんにちは」
少女はアヤの方に振り向いてあいさつを返してきた。
その時に見た瞳の色は、鮮やかな緑色だった。
宝石のように綺麗な翡翠色の瞳をもつアヤより、少し緑がかっていたがアヤに負けないくらい澄んだ色をしていた。
「昨日も、ここに来てたよね?」
「はい」
話をしつつ、アヤは少女の隣に腰を下ろす。
「いい場所だよね」
「そうですね」
心地よい風が丘の上を吹き抜ける。
アヤは目を閉じて息を大きく吸い込んだ。
「いい風だね」
そのまま何も話すことがなくなってしまい、沈黙がおちる。
気まずい沈黙ではなかったため、二人は時が流れていくままに身を任せた。
「……私、そろそろ戻りますね」
少ししたあと少女が立ち上がり、アヤに声をかける。
「また、会えるといいね」
アヤがにっこりと笑って言うと、「そうですね」と少女は答えた。
「でも、近いうちにまた会えると思いますよ?」
「そうなの?」
不思議そうに首をかしげる。
「はい。私、最近この丘によく来ますから」
「そうなんだ。じゃあ、またね」
「はい」
少女は笑顔を浮かべると、丘をおりて行った。
アヤはその少女の後姿を見ていた。
そのままアヤは思考の海へと落ちていく。
――あの少女から、かすかにアクマの気配がした。でも、丘に来た時は何も感じられなかった。どうして?
まだ出会ったばかりの少女だ。考えても答えが出ることはなかった。
アヤは立ち上がると城へ向かって歩き出した。
丘を離れ、住宅街をぬけて街の中に入る。街の中は、丘からみたようにたくさんの人で賑わっていた。
アヤは歩きながら先程のことを考えていた。考え事をしているのに器用に人の間を歩いているため、一度も人とぶつかることはなかった。
「――ヤ。アヤ!」
急に近くで名前を呼ばれ、驚いて足を止め振り向く。すると、すぐ後ろにタクトが立っていた。
「あ、タクト……」
「どうしたの? ぼんやりして」
タクトが心配そうに尋ねてくる。
「う、ん。ちょっとね……」
アヤが曖昧に答えると、タクトはすかさず声をかける。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけだから」
アヤはそう言って笑って見せる。しかし、その笑顔はどこか疲れているような感じのするものだった。
タクトはそのことに気が付いたが、それ以上問い詰めることはなかった。無理に聞いても、アヤが苦しむだけだと思ったのだ。
「それならいいけど……。でも、何かあったら話してね? できる限り、力になりたいからさ」
アヤは考えていたことを離さなくて済むことにほっと胸をなでおろした。そして、タクトの優しい気遣いに心の中で感謝した。
「ありがとう」
「いいって」
そうして、二人は並んで城への道を歩き出す。
「あの丘に行っていたんだね」
アヤがよく足を運ぶ小さな丘は、タクトのお気に入りの場所でもあった。
「うん」
「そっか」
数日後、この日は学校が休みだった。
アヤは午前中にお気に入りの丘に足を運んだ。
アヤが丘に着くと、前にこの場所で話をした少女の姿があった。
「また、会ったね」
アヤは後ろから声をかけて少女に近づく。少女は、この前と同じように丘の上にある一本の木の近くに座っていた。
「あなたは、この前の……」
少女が首だけ振り返り、アヤを見る。
「うん。アヤって言うんだ。よろしくね」
アヤは笑顔を浮かべて名乗ると、少女の隣に腰を下ろした。
「私はセイラです」
「セイラちゃんか。いい名前だね」
「ありがとうございます」
セイラが照れくさそうにお礼を言う。
「あのさ、この丘にはよく来るの?」
「はい。アヤさんも、ですか?」
「まぁね。私は気が向いた時とか、ここに来たくなった時とかかな。よく来てることは確かだね」
そう言ってアヤは照れたように笑うと、奥に広がる街の方に目をやる。
「この丘、街から結構離れているでしょう?」
アヤの声を聞き、セイラは遠くに広がる街を見る。
休日ということもあり、午前中から街は賑わっているのが判った。
「それでね、静かなこの場所から遠くに広がる街の様子を見るのが好きなんだ」
「そうなんですか」
「それに、ここは落ち着けるからね」
一人になりたい時とか、もってこいの場所であるのだ。
心地好い風が吹くし、静かな場所といっても静かすぎない。それがこの丘の良いところだ。
「それは判ります。ここにいると、何だか心地好いんですよね」
「私と同じだね」
セイラの言葉を聞いたアヤは、この前のアクマの気配のことは気のせいだと思う。セイラは、アヤの言葉に同意してくれたのだ。そんな人がアクマだと思えないのだ。
会話が終わって少しすると、街の時計台が正午の鐘を鳴らす。その音は、遠く離れたこの丘にまで聞こえてきた。
「お昼、だね」
「そうですね」
「私は、これで。セイラと話ができて楽しかったよ」
「私もです」
「じゃあ、またね」
「はい」
アヤは立ち上がりセイラに別れを告げると、丘をおりて行った。
小さな丘に行くまでには、住宅街の終わりから始まる草原を歩かなければならない。その草原が始まってすぐのところに、一件の家が建っている。
アヤはその家のドアを叩いた。
「はーい」
扉が開くと、家の中からハルルが姿を現した。
「いらっしゃい」
扉を開けてアヤの姿を見たハルルは、嬉しそうな弾んだ声をあげた。
「急にごめんね」
アヤは申し訳なさそうに言うが、ハルルはそんなこと気にしてないとでも言うかのように、にっこりと笑う。
「アヤちゃんならいつでも大歓迎よ」
「ありがとう」
「さ、上がって上がって」
ハルルに言われるまま、アヤは家の中に入る。
そして、リビングにあるソファーに腰を下ろした。
「アヤちゃん、お昼は?」
アヤに出す紅茶を作りながら、ハルルがさりげなく尋ねる。
「あー、まだ食べてない……」
「それなら、ここで食べてく?」
気まずそうに答えるアヤをよそに、ハルルは笑顔で提案する。
「いいの?」
戸惑いつつハルルを見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「もちろん!」
「本当に?」
「えぇ。だって、一人より二人の方が楽しいでしょう?」
ハルルの言葉を聞いて、迷っていたアヤは答えをだした。
「じゃあ、そうしようかな」
「決まりだね! 待ってて、すぐに作るから!」
ハルルは紅茶をアヤに出すと、すぐにキッチンに行ってしまった。
少しして、おいしそうなサンドイッチを持ったハルルがリビングに戻ってくる。
「さ、食べましょう」
「いただきます」
そうして、二人は昼食をとった。
食べ終えてお皿を片付けると、ハルルが新しい紅茶を淹れてきて食後の時間をゆっくりと過ごす。
「そういえば、あの丘に行ってきたの?」
「どうして?」
「んー、なんとなく? でも、この家は丘に近いからさ。そう思っただけ」
「行ってきたよ」
「やっぱり」
「あの丘に行ったらね、先客がいたんだ」
アヤの言葉にハルルはわずかに眉をあげた。
「珍しいね」
「うん。で、その子は前にあいさつした女の子で、少し話をしてきたんだ」
「楽しかった?」
「うん。いい子だった」
そんな他愛もない話をしていると、二人のティーカップの中は空になった。
「おかわり、する?」
空になったカップを見て、ハルルは尋ねる。
「ううん。ごちそうさま」
「判った。じゃあ、ちょっと片付けてくるから」
アヤからティーカップを受け取り、ハルルはキッチンへ向かった。
ハルルが片付けをしている間、アヤはソファーでのんびりくつろいでいた。そうしているうちに、遠いところから睡魔が襲ってくる。アヤはその眠気に抗うことなく身を任せた。
ハルルがキッチンから戻ってくると、ソファーの上で横になって眠るアヤの姿があった。
「あらら」
疲れているようには見えなかったが、本当は疲れていたのだろう。
寝室からタオルケットを持ってきてそっとかける。
「ん……」
すると、もぞっと動きタオルケットを肩まで引き上げる。そして、アヤは再び寝息をたて始めた。
そんなアヤの様子を見守りつつ、ハルルの心の中には不安が生まれる。
それは、以前アヤが古代文字資料室で夢見が悪いと話していたことを思い出したからだった。その夢は、アヤが幼いころ実際に体験したという辛い記憶。アヤは他人の話をするように語っていたが、ハルルにはとても他人事のようには思えなかった。
あの日、静かに涙を流していたアヤ。今まで誰にも話すことができず、ずっと一人で抱えこんできていたことが判った。そして、ようやくまた少しだけ心を開いてくれたことも。
アヤが古代文字資料室を去ったあと、ハルルは心の中で誓った。今まで通り、アヤの味方でいることを。
「――っ」
数日前のことを思い出していると、アヤの苦しそうな息づかいが聞こえてきた。
慌ててソファーの上で眠るアヤを見ると、彼女は顔を歪めて辛そうにしていた。きっと、悪い夢でも見始めたのだろう。
夢の中にまで行くことはできないから、せめて少しでも楽になるようにと、ハルルはアヤの手を優しく包む。これ以上苦しむことの内容に、心の中で祈りながら。
すると、少ししてアヤの呼吸が落ち着いてくる。表情も柔らかくなり、落ちついたことが判った。
「アヤちゃん」
優しい声で名前を呼び、そっと頭をなでる。
「……ん」
心地好かったのか、アヤの表情が穏やかなものになる。
こうしてみると、アヤはまだ子供のように思えた。普段は何でも一人で抱えこむ癖もあって、周りにいる同年代の子達よりも大人っぽく見えてしまう。けれど、今はそんな面影はどこにもなかった。
「よい夢を」
ハルルの呟きは、静かな部屋に響いて消えていった。