chapter 1
新緑の季節が過ぎ、気温が高くなり始め夏が近づく。
魔術師が多いフローレ国の一番大きな魔法学校、国立中央魔法学校では、いつも通り授業が行われていた。
午前中の授業にもかかわらず、一人だけ堂々と居眠りをする生徒がいた。
その問題児の名前は、アヤ・フォルアナ・ウィルソン。成績優秀なのに、たまに決まった授業で居眠りをする生徒だった。
今行われている授業は、アヤのクラスの担任で古代文字の担当である、ハルル・セイエナ・トラプソンが行っていた。そして、ハルルはアヤのことをよく知っている上に、教師と生徒という関係でありながら親友のように仲が良いため、アヤが授業中に眠っている時はそのまま寝せておくことが多かった。それはこの日も同じで、珍しく午前中から眠るアヤを心配しつつ、放っておくことにした。
授業終了の鐘がなり、古代文字の授業が終わる。
挨拶を終えたハルルは、教室を出る前にずっと眠っていたアヤの席に向かった。
「おはよ、授業終わったよ?」
未だ寝ているアヤに、親友のように声をかける。
「おはよ……」
ハルルの声に反応し目を覚ましたアヤは、ゆっくりと顔をあげた。無意識に返された言葉は小さく、起きたばかりのアヤはぼんやりとしている。
「午前中なのに、珍しくぐっすり眠ってたね」
ハルルの授業でアヤが居眠りをするのは、恒例行事のようなものになっているため注意はしない。
「あー、ごめん……」
アヤもいつものようにかわいた笑みを浮かべる。
「まぁ、いつものことだから構わないけどね。それに、アヤちゃんには教えることないし」
そう言って、ハルルも笑う。
古代文字の授業で居眠りをしたアヤによく言っていることで、教えることがないというのは本当だ。
アヤは、ハルルより古代文字に詳しい。学者でも解読に苦戦するような古代文字もスラスラと読んでしまう。それに、数人しかいないとされている特別な古代文字を読むことができる人のうちの一人でもあった。
ハルルなんかは、たまにアヤに教わっているほどだ。教えることがないというのもうなずける。
「それより、寝不足なの?」
心配そうに尋ねる。
「寝てはいるんだけど、夢見が悪くて、ね……」
困ったような笑みを浮かべてアヤが答えた。そんなアヤの様子を見たハルルは、ますます心配になる。
「そうなんだ。……どんな夢を見るの?」
「……ごめん。今は、ちょっと」
アヤは首を横に振り、話したくないと伝える。
「判った。でも、あまり一人で考えこまないでね?」
仕方なく質問の手をとめる。無理に聞き出すことでもないし、相手の思いを無視するわけにもいかない。ただし、釘をさすことだけは忘れなかった。
「誰かに話すと楽になるから」
「うん」
それで二人の会話は終わった。
午後の授業が始まって少ししたころ、ハルルが自分の部屋のように使っている古代文字資料室でくつろいでいると扉が叩かれた。「どうぞ」と返すとゆっくりと扉が開く。そして入ってきたのは、教室で授業を受けているはずのアヤだった。
「いらっしゃい」
ハルルは授業を受けていないアヤを注意せず、快く部屋の中に迎え入れる。大方、体調不良だから保健室で休んでくるとでも教師に伝えたのだろうと思ったのだ。ただ、保健室ではなく古代文字資料室に来ただけで。
「ごめんね。ちょっとだけ昼寝してもいい?」
申し訳なさそうに言うアヤを見て、ハルルは安心させるようににっこりと笑う。
「いいよ。でも、ソファーで大丈夫?」
「うん。保健室はちょっと……」
最後は尻すぼみになりながらもアヤは答える。その答えを聞いて、ハルルは納得する。
アヤは誰にでも心を開いているような態度をとるが、本当は誰にも心を許していないのだ。本音はすべて自分の中に隠してしまうことを知っている。
保健室に行きたがらないのは、保健の先生にどうしたのか聞かれたくないからだろう。
その点、ハルルは何も尋ねようとしない。そのことをアヤは知っていたし、信頼していた。だから、この古代文字資料室の方が保健室より安心していられるのだ。
ソファーに横になったアヤは、すぐに寝息をたて始めた。その様子を見ていたハルルは、ほっと一安心した。
よほど夢見が悪かったのだろう。アヤは、ぐっすりと眠っていた。
少しして、アヤが何か呟いた。
「ダ、メ……。その子を、かえし、て……」
悪い夢を見ているのか、苦しそうな表情を浮かべている。少しだけ呼吸も速い。
ハルルは起こした方が良いのか迷った。しかし、すぐにアヤを起こすことに決める。そして、ためらいながらアヤの身体をゆすって声をかけた。
「アヤちゃん、アヤちゃん!」
「ん……」
ゆっくりと目を開けるアヤ。心配そうな顔をしたハルルを見て、どうしたのかと首をかしげる。
「大丈夫? うなされてたよ?」
ハルルはアヤに水を渡しながら尋ねる。
「大丈夫」
そう返すわりには、声に元気がなかった。
「起こしてくれてありがとう……」
弱々しい声で答えてゆっくりと起き上がると、ハルルから水を受け取る。一口だけ水を飲んで、ふうっと息を吐く。
「最初はね……」
突然口を開いて沈黙を破ったは、起きたばかりのアヤだった。
話が長くなるだろうと思ったハルルは、アヤの隣に腰を下ろした。
「二人の幼い女の子達が楽しそうに部屋の中で遊んでるの……」
アヤが話し出したのは、寝不足の原因となっていた夢の話だった。
「一人はもう一人の女の子よりちょっと年上みたいなんだけど、その子と仲良くしてて、見てるこっちまで穏やかな気持ちになれるくらいあたたかい雰囲気なの」
ハルルは静かにアヤの話を聞いていた。
「でも、すぐに場面が変わるの」
アヤの声が固くなり、ハルルは身構える。
「次に見るのは、悲惨な状態になったその部屋なの。年上の子が床に倒れてて、年下の、多分妹だと思うんだけど、その子は誰か知らない女の人に抱えられてるの。そして、女の人が姉の方に何か術をかけようとして、そこで映像が切れるんだ。それで、次にまた何か映るんだけど、女の人が妹を連れ去っていくところで……。そこで、いつも夢が終わるの」
アヤが話し終えると、辺りには重い空気が流れていた。
「ねぇ、もしかして、そのお姉さんってアヤちゃんのこと?」
静かな空気を崩さないように、ハルルはおずおずと尋ねる。
「……そうだよ」
小さく静かな声で答えが返される。
「今の話は、私が昔に体験したことだよ」
ハルルは頭の中に浮かんだ予想が当たり、わずかに目を見張った。そして、辛そうな表情を浮かべた。
そんな中、アヤが夢の続きに当たる部分を昔に体験したことで語る。
「あの日、女の人が去ってしばらくしたあと、城の中を歩き回ったんだ。薄暗くて、辺りは散らかってて、酷かった。怪我をしてる人もいた。」
幼い子供の目に、その光景はどのように映ったのだろうか。
「それでね、探してた人がいたんだけど……」
一旦言葉を切る。
「見付からなかったんだ」
それを聞いたハルルは、ヒュッと息を呑んだ。
探してた人。それは、幼い子供が必ず求める存在。
「私はその日、両親も失ったんだ」
ハルルは何も言えなかった。
「失った、というよりは行方不明になったのが本当だけどね」
困ったように笑ってアヤは言った。
「アヤちゃん……」
「そんな哀しい顔しないでよ」
ハルルの哀しげな表情を見て、アヤが慰めるように言う。
「無理だよ。だって、夢じゃないんでしょう?」
「うん」
「昔、アヤちゃんが体験したことなんでしょう?」
「そうだよ……」
確認が終わったハルルは、席を立ちアヤの前に来ると抱きしめた。
「はるるん?」
突然のことに驚いて、ハルルの名前を呼ぶ。すると、先程よりもぎゅっと力をこめて抱きしめられる。
初めは戸惑っていたアヤだったが、安心して目を閉じた。
「……ありがと」
アヤは、今にも消えそうなほど小さな声でお礼を言った。そのあとすぐ、アヤの頬に温かい雫が伝った。流れだした涙は止まることを知らず、次々と零れ落ちていく。
「哀しい時は、ちゃんと泣きなよ……」
「……うん」
声を抑えて涙を流すアヤに、ハルルは優しく声をかける。その声は、震えていた。ハルルも、アヤを抱きしめながら泣いていたのだ。
しばらくして、二人は泣き止んだ。
「はるるん、ありがとね」
お礼を言うアヤの声は、弱々しかった。しかし、どこかすっきりしたような感じがあることに気付いたハルルは、ほっと一安心した。
「どういたしまして。ま、午後の授業全部終わっちゃったけどね」
ハルルは困ったように笑う。
それでも、アヤを責めることはなかった。もともと、どの科目においてもアヤに教えることなどないことを知っているのだ。
「今日は見逃してもらいたいな」
ハルルの言葉に、アヤは笑って言う。
「そうだね。まぁ、安心して? 私から午後の科目の先生達には事情を話しておくから」
「それは助かる。じゃあ、お願いね?」
「任せておいて」
ハルルに頼むと、アヤは立ち上がり教室に戻ろうとする。そして、扉を開ける前に振り向いてもう一度お礼を口にした。
「はるるん、本当にありがとね」
初出:H26 5/3