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嫁の告白

「あ……あ!?」



翌朝。女中頭さんが人目につかないように私をある部屋へ案内してくれた。緊張して手が出せない私の代わりに戸を開けてくれる。すると部屋の中では私と同じ顔をした女性が、目を丸くしてこちらを見ていた。



驚いた。ほんとに同じ顔だ。けど私が驚いたのはそこではなくて。



「え、それって…え?」



あろうことか、彼女ははち切れんばかりのお腹を大儀そうにさすっていたのだ。



顔とお腹を交互に見やり、二の句が継げないでいる私に、彼女もまた発すべき言葉に迷っているようだった。



「あなた……」



そうだ。とにもかくにも私たちは初対面。私はざっとこれまでの事情を説明した。女中頭さんが席を外してくれたので、彼女にしたものよりももっと詳しく、男が私を探しに来たことなんかを。



「そう、あの人がそんなこと」



「なんだか突然のことで私もどう受け止めていいものやら」



「うちのことも、ずっと知らなかったのね……がっかりしたでしょ、こんな家族で」



うーん、なんというか。返答に困ったので、ここは思ったままを正直に言う。



「正直、そういう感想を抱くところにすら達していない。今さら生みの親が他にいるって言われてもね」



うんうん、と彼女が頷く。



「そんなふうに言うってことは、今の暮らしに不満はないのね。よかったわ」



「そうだね…いい暮らし、してるよ」



聞かせて、とねだられて、今の私を彼女に教える。



えーっと、仕事があって、家があって、家族がいて、友だちがいて、自由があって、趣味がある。ただ、



「男だけがいない」



すると彼女は破顔して言った。



「やだ、私と真逆!」



つまり彼女は嫁いでからずっと婚家にこもりきりで、仕事も、自由も趣味もなく、友だちもいないし家族とも疎遠。けど、



「男だけはいたわね」



まあそれも無くなっちゃって、今はあなたのほうに近づいたかな。なんて笑う彼女に、ずっと気になっていたことをおずおずと聞いてみる。



「あのー…そのお腹の子って…」



「ダンナの子よ」



ダンナってことは、やっぱり再婚したのかあ。残念、失恋確定だね…あの男に同情しかけたところで、彼女が苦笑とともに意外なことを言った。



「正確には元ダンナ、か」



「えっ! それってじゃあ、あの男の? 今のダンナさんじゃなくて?」



それを聞いて今度は彼女がきょとんとした。



「今の……? 亭主なんかいないわよ?」



「えっ……だってあの人、そう言ってたよ?」



「そう、そんなふうに思ってんだ」



えーと。事態が飲み込めないけれど。



「…その……あの人が父親ってのは確かなの? なんて言ったらアレだけど」



「ええ。だってあの人しか有り得ないもの」



「え、でも、だってほら」



重ねておいて2つに斬られたんじゃないの?



「うん、あの男とはそこまで行ってないし。それにたぶん、それより前に妊娠してたから」



ちょちょ、ちょっと待て。するってえと何かい? 腹に子を抱えてよその男に身を預けたってか!?



私の表情に気づいたのかどうか、少しバツが悪そうに彼女は説明を始めた。



「春先に、もしかしたら子どもを授かったのかもしれないってわかってさ。夫婦になって17年だよ? ちょっと動揺しちゃってね。今までずっと意地張ってたし、いろいろ不安になって」



うん、うん。妊娠初期ってそういうもの。聞きかじりの知識だけはある。けどそんなことも、知らなければ不安を募らせるだけだろう。



「それで、本当にこのダンナの子を産んで大丈夫なのかしらって思って。私のことなんてただの飾り物程度にしか思ってない人だし。それで」



か、飾り物? 私に言わせりゃあんなに“嫁大好き”っ子なのに。自分のことになると見えないんだなあ…ほんとだ。私たちよく似てる。



「それで、他の男と比べてみたらいいんだって思ったの」



「…は?」



「男の人ってダンナしか知らないから、あの人の態度が普通なのか、多少なりと私に気持ちがあるのか、わかんないんだもん」



だもん、って。



「それで、その弟分とかいう人と…? 好きだったからとかではなくて?」



「あの男を選んだのはダンナと条件が似てたからよ。隠居寸前のおじいさんとか、血気盛んな若者じゃあ比べられないでしょ。だから年が近くて独身のに頼んだの…あれにも悪いことしたわね」



まあ、確かに検証をするにはある程度条件を揃えることが必須だけれども。なんというか、まあ。



「…世間知らずっていうか…」



自覚はあるらしく、ちょっと居心地の悪そうな顔で、もじもじと続ける。



「そうなのよ。すぐに気づいちゃったのよ。なんていうか、愛情のない欲望だけのって、全然違うのね。押し倒された瞬間にわかったの。あの人がどれだけ優しかったのか。どれだけ愛されてたのか」



彼女は頬を赤く染めている。たぶん、聞いている私も同じように赤いだろう……だってこの人、言ってることもやってることもとんでもないけど、すごくかわいい!



「でもさ、やっぱりやめますなんて言ったって男の人は止められないでしょう? ああもうダメかあって後悔し始めたところでダンナが部屋に乗り込んできてね。助かった!ってダンナの顔見たら……もっと後悔したわ。あの人とっても傷ついた顔をしていたの」



「でも、斬られそうになって相手の男をかばったって聞いたけど」



「…あの人が刀を抜くのを見て咄嗟に背中を向けたから、結果的に男をかばうみたいになっちゃったけど。そうじゃないの。自分でも無意識だったんだけどね、私、咄嗟にお腹を守ったのよ」



そう言って、大事そうにお腹をなでる。この大きさと、話の筋から頭の中でざっと計算すると、出てくるのはもうすぐだろう。



「ねえ。私のこと知ったのが最近ってことは、あなたは“もしあっちだったら”ってのは考えたことない?」



唐突な彼女の質問の意図を図りかねて、返事のかわりに首を傾げてみせる。



「私はずっと思ってた。もし私のほうが神隠しに遭ってたらって。もっと自由だったかもしれないって。でもね」



自分のお腹を愛おしそうに見つめて彼女が言う。



「この子が無事に生まれてきてくれたら、初めて自分の人生を肯定できる気がする」

……ほんとに。



この世でいちばん強いのは女の人のまあるいお腹だと思う。



自由だ収入だとどんなに自分ちの芝の青さを言い募ったところで、まあるいお腹には到底歯が立たない。絶対に勝つことができないのだ。



…まあ、でも、この人には幸せでいてほしい。私が歩むかもしれなかった道だもの。



しかしあれだな、母親の人生来し方を背負わされちゃあ赤ちゃんだって荷が重かろう。私は欠けたピースを嵌めてやることにした。



「あの人に教えてあげないの? 子どもができたこと」



そう、それはダンナであり、父親。



「だってもう愛想つかされてるし。ひどいことしたわけだし。言えないでしょ」



そうかなあ。私から見たらどう考えても未練たらたらだけどね。でも、まあ気持ちはわかる。わかっちゃう。拒否されるのが怖くて自分からは行けないの。だけどさ、



「本当は待ってるんでしょ?」



寂しそうに笑ったのは、私には肯定に見えた。よし、そうと決まったら! 私はすっくと立ち上がり、宣言した。



「連れてくる」



すると慌てた様子でこちらに手を伸ばしてきた。



「ちょっと待って、誰を!? 来るわけないじゃない」



「あのね、生まれてから『あなたの子です』なんて言ったって男には伝わんないの。そうやってしんどい思いして、大事に自分のお腹で育ててるとこ見せなきゃ。引きずってでも連れてくる」



「ちょっと!」


部屋を出て行こうとした私を再び彼女が呼び止める。



「…その格好で行くつもり?」

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