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江戸へ帰れ

怒りに任せて夜道をドスドスと歩く。ああ言っちまった。でもさ、バカにした話じゃん? 自分が引き受けるわけでもないのに「幸せを守る」だなんて。



(…まぁーた、先走っちゃったのかなあ)



慎重に、って言い聞かせていたのに。



けどあれは向こうが悪い。私のこと好きなんだって思ったって、それは勘違いじゃない。そう思わせたあっちが悪い。



そうして小さな公園の前を通りかかったときだった。



「よう」



私に声をかけてきたのは、昨夜のムカつくあの男だった。

「そんなシケたツラして歩いてるくらいなら、俺んとこ来いって」



行かねっつってんだろが。



「さっさと嫁と仲直りしてきな」



「元の鞘に納めて俺を退散させようって魂胆? 生憎だな。あの女は今ごろ浮気相手と所帯持ってるさ」



「あれ?そうなの? つーか近況知ってんじゃん」



「知らねえよ。ただあいつは刀で斬りかかる俺から相手の男を庇ったんだ。そんだけ本気なら今ごろ夫婦に直ってるんだろうさ」



ふーん。フラれちゃったんだね……そう考えるとこの男も切なげに見えてくる。しかしかわいくないことに、男は話題を切り替えこっちに切り込んできた。



「で? あいつ何だって? まあアンタのシケ顔見りゃあ大体想像はつくけどな──ああ、本人に聞くか」



男の視線を追ってふり返ると、侍が小走りで近づいて来たところだった。たぶん、少し距離をあけて私の後についてきてくれていたのだろう。私が男に呼び止められたのを見て、慌てて駆け寄ったというところか。



「お前、何のつもりだ」



そんな侍に、男はニヤニヤと笑う。



「こいつ、連れてくぜ」



だから行かないって! しつけぇな。



「させんわ」



…と言って、侍に守られるのもシャクに触る。



「アンタには必要ないんだろ? こいつ袖にしたんじゃねえの?」



そうだそうだ!



「そういう問題ではない」



はぐらかしやがったなコノ……ってこら。当事者を差し置いて何を揉めている。けんかをやめて、とでも歌えってのか!



そうこうしているうちに、まず男が左手をスッと伸ばした。これは見たことがある。時のひずみを作ろうとするポーズだ。



すると侍も、腕で宙に円を描く。あれ? 刀が無くてもできるの? そりゃあ、刀を持ち歩かれたら困るけれども。



そしてこの小さな公園に、異質なものが──ひずみが2つ、生まれたのだった。男は私を連れて行くために。侍は男を送り返すために。それぞれひずみを作ったのだけど。



力が均衡していればまた違ったのかもしれないけれど、どうやら侍の作ったもののほうが強大だったようだ。男のひずみが少しずつ吸い寄せられていく。



「侍作ひずみ」は「男作ひずみ」をすっぽり飲み込み──というか、その力さえも自らのものに変えて、とてつもない引力をもって男に迫って行った。



「くっ……そぅ…!」



力と力の戦い。私は近くにあった電灯にしがみつき、巻き込まれるのを防ぐ。



男は必死に耐えるも抗えず、ついにひずみに吸い込まれる。その直前、私に向かって腕を伸ばしてきた。避けようとしてバランスを崩した私を、侍が抱き留めてくれて──舌打ちを残し、男は姿を消した。



の、だけど。



まだ素直になるわけにはいかない私はすぐに侍の腕を振りほどいてしまった。



「待て、まだ──」



「…えっ」



気がつかなかった。あまりに強大すぎるひずみは、男を飲み込んでもなおそこにあり続け、ぱっかりと口を開けていたのだ。



腕を振りほどいた勢いにひずみからの引力が加わり、四、五歩後退する。と、そこにはもうひずみが待ち受けていて。



──本当はあと少し手を伸ばしたら、侍の手を掴めたのだ。でも私はそれをしなくて。



焦る侍の顔がゆがんで消えて、足元がぐらりとして。



アホみたいな意地を張った結果、私はひずみに落ちたのだった。




どさっ…!



「…った~」



派手に尻もちをついた。尻もちなんて久しぶりだ。よろよろと身を起こし、手のひらの砂を払い落とす。いや、落とそうとして手のひらを見たのだけど──見えなかった。



あたりを見回すと、街灯は一つもなく、まったくの真っ暗闇だ。待てよ、冷静に振り返ろう。まずは現状の確認からだ。侍たちが作ったひずみがあって、そこにすっぽりハマっちゃって。てことはつまりここは。



「お江戸……」



家を飛び出したのがたしか22時過ぎだった。同じ時刻だとして、なるほど江戸のこの時刻はもう真っ暗だろう。人っ子一人いない。せめて昼間ならよかったのに──いや、こんな格好で昼日中に現れたら、すぐに番所行きか。



(どうしろってんだ)



侍がすぐに迎えに来てくれるだろうか。……悪態ついた私を? でもほらあの人、「いい人」だから来てくれるんじゃん? そうだ、それよりあの男がその辺にいるはず。



「おーい…」



深夜のこと。あたりをはばかって、あまり大きくない声で呼びかける……が、返事はない。男が飲み込まれてからわずか一瞬で、ひずみは別の場所へと行き先を変えたのだろうか。まあ、2つが合体した特殊なものだったし。



どうしよう。とりあえずここから動かずに朝を待ったほうがいいだろうか。っていうか、ここ、どこ?



するとそのとき。



「……誰?」



「ひゃっ」



女性の声に呼びかけられ、心臓がのど元までせり上がった。いや待て、このまま姿を見せては、きっと私よりも数倍驚かせてしまうだろう。というか、怪しまれたら困る! 番所に連れてかれてそのまま牢送りとか……いや、時空奉行に行けば話を聞いてくれるかも。って、一般には伏せられた職なんだっけ。うわーどうしよう!?



「あ、あの…私…」



なんとか弁明を…って、なんて説明するつもり? パニックになりかけた私は、声の主が息を飲んだことに気付かなかった。ガサガサと人が動く音がしたかと思うと、しばらくののち、灯がともったのが見えた。障子の向こうに人影。自分のいる場所が一軒家の庭であることに、そこで初めて気がついた。



ああ、家人を起こしてしまったのか……そして不法侵入と言われて、お役人が呼ばれて、荒削りな岡っ引きに引っ立てられるんだ。同心は人情派だといいなあ……ああでも、本物の八丁堀に会えるんだったらそれはそれで萌えるなあ。



カラリ。



障子が開き、妄想に逃げる私の前に現れたのは、初老の女性だった。

女性は手にした明かりをこちらへかかげた。女性は当然ながら日本髪を結っていて、時代劇でいうと、女中さんなんかが来ている感じの着物を着ている。



探るように私をまじまじを見つめると、ハッと息を飲んだ。



「あの、怪しい者ではないん…です…」



こんなにも説得力に欠けるセリフがあるだろうか。いやわかってますって。だから最後は尻すぼみでしょ?



ところが意外なことに、女性は私に向かってひとつ深くうなずくと、庭へ降りてきて私を立たせてくれた。そう、私はまだ尻もちをついたままだったのだ。



「さ、こちらへ」



手をとられるままに、部屋へ招き入れられる。抵抗する理由はない。とにかくここで尻もちついてたってどうにもならないのだ。



「あのう…」



「お見つけしたのが私でようございました。他の者では騒ぎになっておりましたでしょう」



女性は、私が脱いだ靴を持って部屋へ入り、廊下に人がいないのを用心深く確かめてから障子を閉めた。



「あなたは…?」



本当なら自分の正体を明かして状況を説明するのが筋なのだろうけど、なぜ助けてもらえたのかを聞いておきたかった。すると女性は明かりを置き、ひざをつくと、とてもやわらかな、それでいて少しつらそうな顔で言った。



「お嬢様でございましょう…?」



…え〜…っと…?



私をお嬢様なんぞと呼ぶ人はいない。誰かと間違えているのだろうか。訝しがる私に女性がさらに言葉をかける。



「お顔を見てすぐにわかりましたよ。お姉様とそっくりです」



「……!」



……ああ。ここは。



「ここは…私が生まれた家、ですか…」




聞けばこの女性はこの家の女中頭で、今は出戻った娘の世話を一手に引き受けているらしい。私が生まれた日のことも、消えた日のことも、よく覚えていると言って目頭をおさえた。



どう説明してよいものか迷ったけれど、とにかく私がここへ来たのはまったくの偶然だということを伝えると、「神仏のお導き…」と拝まれてしまった。



「今日はもう遅うございます。私の部屋で失礼ではございますが、このままこちらでお休みください。明日、ご家族にお知らせいたしましょう」



「家族…?」



「ええ、旦那様も奥様もお嬢様もきっとお喜びに……」



「いりません」



こんなにいい人に、硬い声で冷たく答えてしまった。けれど、いわゆる「生みの親」というものに対する拒否反応がとっさに出てしまったのだ。



「お会いになられないんですか」



「会いに来たわけではありませんし、何も用はありませんから。…けど…その、お姉さん?には会ってみたいです」



「お姉さん」という言い方にどうも慣れないために、語尾が上がってしまう。しかし私のその言葉を聞くと、女中頭さんはうれしそうにうなずいてくれた。



「ぜひお嬢様にはお会いになってください。明日お連れしますから」



会いたい理由は、あのツンデレ男とのことを聞きたかったからなのだけど。



とにかく私は無事に床につくことができたのだった。本当に神仏のお導きかもしれない。近所の神社にはわりとよく挨拶に行っているし。お賽銭は年に一度しか入れないけれど、私のことはよくご存じだろう。



薄い布団に横になり、ようやく人心地つくと、侍のことが気になって仕方がなくなってしまった。きっと今頃、私のことを心配して探しているだろう。夜通し探すだろうか。また自分を責めるだろうか。



あの人が言っていた、「喉につっかえた重苦しいトゲ」は、紛れもなく私の存在そのものなんだ。



だったら私がするべきことは、あの人を解放してあげることなんだ。



……その先は考えるのをやめた。すぐ隣りで寝ている女中頭さんに、泣いていることがバレてしまわないように。

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