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サムライの告白

駅に着き、改札口を出ると、侍が待っていてくれた。会社を出たときに迎えに来てくれと電話を入れておいたのだ。昨夜のあの男に会ってしまったら怖いから、と。



「おかえり」



「ただいま」



二人とも、顔は笑っているけれど心は笑っていない。ぎこちなく、当たり障りのない会話をしながら歩く、この緊張感。これを私は知っている──そう、別れ話をする直前の空気に似ているんだ。



って! バッドエンド前提か!



家に帰り、食べた気のしない夕飯を食べ終え、私たちは向き合った。



「あのね、昨日いろいろ聞いたの。あなたが隠してくれてたことも、いろいろ」



「…そうか」



「あの人がダンナだったんだって。その、私の…姉?の」



「なんだと!?」



侍が身を乗り出す。私はひとつうなずき、簡単に説明をした。あの男が下手人を逃がしていたことなんかを。



「それで、あいつどうするって…?」



「手配書持って、迎えに来るって」



「お前さんはどうする?」



「行かないよ!!」



すると彼は、私を安心させるように頭を撫でてくれた。



「大丈夫だ、儂がお前さんを守る──そのために来たんだからの」



頭を撫でてくれる手を、私は両手で包み込む。



「あなたから、ちゃんと聞きたいの。ぜんぶ聞かせてほしい」



「……」



「覚悟、決めたから。あなたの人生に、私を巻き込んでほしい」



「お前…」



「私も、あなたに惚れました」



──お願い。



そんなつもりじゃなかったと、本気にするとは思わなかったと。



お願い、言わないで。



少しの逡巡ののち、侍はポツリポツリと語り始めた。話を聞くのは本当は怖かったはずなのに、私はあまり緊張せずに済んだ。彼が、私の手を握り続けていてくれたから。




=====

その娘には、界隈の男共は皆夢中だった。だがそれは、たまに見かけることができれば眼福──その程度のものだった。



嫁入りの噂を聞いたときだって、多少は…いや、だいぶ悔しい思いをしたがな、けどそれまでだった。自分にはおかしな能力が備わっていて、まともに家族なぞ持てないと、若かったからそう思っていたのだ。



その頃、ちょうどこの仕事を始めたばかりで、神隠しに遭った娘の探索をすることになった。それを探し出せれば、憧れのあの娘を助けることができるらしい。勇んでこちらに来たわ。しかし儂は連れて帰れなかった。



あれは学校からの帰り道だろうな。お前さんを見つけた。顔を見てすぐにわかった。



うまい具合にひとりだ、声をかけよう。近づきかけた。そうしたらそこに同じ服を着て同じ鞄を持った友人が追いかけて来て、肩を叩いた。するとお前さんは、振り向くなりそれはもう、うれしそうに笑ったんだ。何が面白いのか、けらけら笑いながら帰って行ったわ。



同じ顔の妹を探し出して身替わりにしたい、と泣いていたあの娘の痛々しい顔と、お前さんの笑顔は正反対だった。



ああ、目の前のこの娘には友だちがいて、暮らしがあって、きっと家でも、あの笑顔を見れば想像がつくように、いい家族に囲まれているのだろう。連れて帰れなかったよ。



初めての掟破りだ。もちろん迷ったし、悩んだ。自分のしたことは間違いではなかったか、確かめたかった。お前さんがこちらで幸せにしていてくれたら自分のしたことが許されるのではないかと思った。だから、こちらに来るたびにお前さんの様子を見に行った。



あの頃は、2、3か月に一度くらいこちらに来ていたかな。時間を作っては様子を窺いに行って、お前さんが笑っていれば安心したし、泣いていれば胸が痛んだものだ。



初めの頃は毎回。それから段々と頻度は下がっていったが、年に何回かは訪ねておった。それが5、6年続いた頃か──お前さんに恋人ができた。



ああ、これでもう心配せずともよい。こっそりと様子を覗く必要ももうない。やっと終わりにできる、そう思ったのだが……違った。そうではなかった。



お前さんを訪ねるのをやめたのは、幸せそうな姿に安心したからではなかったんだな。何だろう、釈然としなかったのだわ。お前さんが恋人に向ける笑みに、悔しいような不愉快なような気分にさせられた。もういい、心配などしてやるものかと、半ばヤケになって、無理やり忘れることにしたのだ。



まあ小骨のようなものでな。どこかに刺さってなかなか抜けない。気にすればするほど、気になって仕方がない。しかし所詮は小骨。忘れたフリをするのも簡単だったわ。




「…ずっと見ていてくれたんだ」



「自分の罪悪感を慰めるためにな」



そう言うと彼は自嘲気味に笑う。そんなこと、いいのに。私が黙って首を振ると、静かに話の続きが始まった。



まだ、わからない。話が終わる頃に私が笑っているのか、泣いているのか。



=====

最後にお前さんを見てから10年近く経つだろうか。すっかり忘れたつもりになっていた。そうしているうちに消えてなくなるだろうと思っていた。



ところがな、その反対だったのだわ。放置していた小骨は大きなトゲになっていた。ちょっとやそっとじゃ抜けないほどにな。



そのことに気づいたのは偶然がきっかけだった。たまたま、日本橋のあの商家の前を通りかかったときに、娘の姿を見かけてな。一気によみがえってきたわ。重苦しい、喉につかえるようなトゲが。



人の噂では三行半を書かれたということだった──三行半みくだりはんはわかるか? そう、離縁のことだ。



今さら何を、と思った。しかし同時に気づかされた。儂のこのトゲは、あちらの世界に置いてきた娘だけではない、こちらで暮らす娘もまた幸せでなければ、このトゲは抜けないのだと。



嫁ぐことを泣いて嫌がった娘にとって、離縁されたことは不幸なのか幸せなのか。それを確かめる術はなかったから、またお前さんの幸せを確認することでこの罪悪感から逃れようと思った。



…ただ自分が楽になるために、お前さんを探したのだよ。幸い、夏ごろからこちらでの探索が増えていたのでな。まあ、今にして思えばそれも奴の仕業だったわけだが──こちらに来るたびに探してな。やっと見つけ出したのが、あの晩だ。



家に向かって歩いていたお前さんが、なんだか寂しそうに見えたんだ。当然だれかに嫁いでいるものとばかり思っていたから、ここでも亭主が辛い目にあわせているのかと、カッとなった。少しおかしくなっていたな、あのときは。



それで部屋に入り込んで、この家の主人はどこだと聞いたのだ。刀を持っていたのは、騒がれたらすぐに逃げられるようにと思って──いや、軽率だった。



「…そういえば、そんなこと言ってたね」



そう、あの日は後輩の結婚祝いの帰りで、少しばかりヘコんでいたのだ。あれをそんなふうに受け取っていたのか。



「それで私、なんて答えたんだっけ」



「父はいない、と言っておった。つまりこの家の主人は父親であって夫ではない。そうか、まだ独り者か。それならよいわ。そう考えたんだな。それで家を出ていこうとしたんだが」



そう。私が追いかけたんだ。閉め出すために。



「あれはな、無鉄砲にも程があるぞ。ああいうときは寝たふりでもして身を潜めておくものだ」



そんな機会、二度とあってたまるか。しかしまあ一理あるので肩をすくめておく。へいへい。



「追いかけてきたお前さんに、今幸せなのかどうか、それだけ聞こうとした」



でも私が閉め出そうとして、侍が押し入ろうとして。そんなふうにベランダのところで攻防したんだ。



「それでな…お前さんが言ったのだ。なぜこんなことをしているんだ、とな」



…言った、な。そのあとの台詞が激ハズ過ぎて、記憶から消し去っていたんだけど。



「言われて我に返ったわ。本当に儂は何をしているのだ。罪の意識から逃れたいために、目の前のこの娘をまた巻き込むのか」



“巻き込む”という言い方をこの人がするのは初めてではないけれど。どこかが引っかかった。



「反省してなあ、ひと晩頭を冷やした」



人んちのベランダでか。



「そうしているときに思い出したんだがな、お前さんを探している間、同じ足跡を辿っている者がいるような気配があったのだわ。ひょっとすると他にも娘を探しているのがいるのかもしれない。万が一あの婚家だとしたら大変だ、そばにいて守らねばならん。そんなことを考えてなあ」



だからその検討も人んちのベランダでか!



「朝になって、ご両親が起きていらしてな。儂を見て父上がおっしゃったのだ。娘を連れ戻しに来たのか、と」



「え…」



やっぱり。お父さんとお母さんは知っていたんだ。



「母上はな、大事に育てた娘を今さら返すわけにはいかないと言っておられた」


お母さん……。



「…そりゃそうだよ。私がいなくなったら誰が老後の面倒見んのさ」



私の答えに、侍がニヤリとする。



「それも言っておられたわ」



侍のニヤリは久しぶりだ。そう、こういうときにわざと外したことを言うのはわが家の家系。



「それで儂は親御様に申し上げた。連れ戻しに来たのではない、その逆だと。誰かがあちらに連れて行くことのないよう、娘さんを守らせてくれと」



そんなやり取りがあったのか。道理で両親の理解がスムーズだったわけだ。



「それにはできるだけそばにおらねばならん。しかしお前さんの住む家は別にあるという。できればお前さんが真相を知ることなく事が片づけばいい。説明せずに近くにいる方法を親御様と考えてな」



…つまり。親御様公認の結婚詐欺というわけだ。



守ってくれようとしたのはわかった。優しさとか、誠実さとか。そこに嘘がないのもわかった。けど、私のほしいものがまだ出て来ない。



「それで…嫁になってほしいって?」



少しずつ、核心に迫る。知りたい、けど聞きたくない。



「結果的にお前さんを騙すことになってしまったが、安心しろ。お前さんの幸せは儂が守るからな」



…違和感をまたひとつ覚える。



「ふーん。嘘だったんだ」



私がそうつぶやくと、侍は辛そうな表情を見せた。惚れてない、とはまだ言われていない。でも惚れてないことにしようという意志は伝わる。そこ、明確にしたい。けど聞きたくない。



「それで私の幸せを守ってくれるって? 私の幸せが何かなんて、知ってんの?」



そうだ、違和感の原因はどこか他人事なその言い方だ。口調にだんだんイラつきが出てしまう。



「それが自分にあるとか、考えもしないの」



「…儂ではお前さんを幸せにはできん」



……っ。



出た! お前もか。ああお前もか! 自分の中で何かが切れた。



「自分じゃ幸せにできない、なんていかにも謙遜してるみたいな体のいい言葉だけどさ。それって人の幸せを願ってるふりして自分が責任負いたくないだけなんだよ」「私の幸せは私が決める。守ってもらう必要も、助けてもらう必要もない」「今さらハシゴを外されたってもう遅いんだよ」「もう好きになっちゃったんだよ!」




……言葉にも3秒ルールってものがあって。けど言葉の場合はルールがもっと複雑で。言い過ぎた、と思った言葉を回収したかったら、早すぎても遅すぎてもだめなんだ。



言ってることめちゃくちゃだ。もう引っ込められなくなってしまった。言い方間違えた。言いたいことはほんとはそうじゃなかったのに。



心配しなくても私は自分の人生を気に入ってるから、もう自分を責めないでって。ちゃんと私は幸せだよって。話を聞いてる途中までは、それを伝えようと思っていたのに。


ダメだ。もう撤回のタイミングを逃した。ああいたたまれない。きっと気まずい表情をしているであろう侍の顔が見られない。私はコートをつかみ、席を立った。



「待て、どこへ行く」



「…ちょっと」



「こんな時間にひとりで出歩いたら危ない」



「もううるさい!」



毎度おなじみの、言い逃げであります。でも、そうやって優しいこと言うのもやっぱりカチンと来るじゃん。だってそれ、愛じゃないんでしょ?



こんな時間って言ったって、駅前に出れば遅くまで明るい。どこか深夜営業の喫茶店にでも行って泣こう。



腰を浮かせた侍に、追って来るなと威嚇しつつ、私は家を出た。

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