つながる
「なんだ、また迷い子になったって?」
「またとは何だ! …なに? 心配してわざわざ出迎えてくれたの?」
へっ、と義兄が小憎らしく鼻で笑う。
「まさか。志緒に心配させないように、アンタの迷い子をまだ伝えてねぇんだよ。家に入る前に首尾を聞いとこうと思って待ってたんだ」
「この過保護めが」
「そいつぁ全速力で茶屋へ走ってったその男に言うんだな」
軽口を叩けば悪口が返ってくるのは、わたしと義兄のいつものやり取りだ。ん? 聞き捨てならない台詞が聞こえたぞ。しかし後ろのいさぶを振り返ろうとすると、頭を押さえられてしまった。ええい、顔を見せろ! もがく私を尻目に、頭上で男同士の会話が始まる。
「仕事は片付いたか。放り出して悪かったな、壮一郎」
「まあ何とかな。おぅ、お前もご苦労だった」
義兄がねぎらいの声をかけたのは、後ろに控えていた若者くんに、だ。しかしその顔を見て、義兄は目を細めた。
「なンだお前、やけに顔が赤いな。茶屋に行っただけで興奮してんのか」
「ちち、違います」
慌てる若者に、いさぶが意地悪な顔で何事かをささやく。すると彼はさらに真っ赤な顔で悲鳴をあげた。
「そ、想像なんてしてません!! 断じて!」
「何の話だ?」
いぶかしがる義兄に、ため息をつく私。
「まあ、想像なんぞしようものなら儂と壮一郎、二人分の制裁が待ってるからな」
「……何の話だ?」
鋭くなる義兄の目付きに、悲鳴がさらに高音になる。
「だからっ!できませんでしたっ!」
「もう、いい加減にしなさい!」
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「まあ、それじゃあうちの子と間違えて着いていった相手が、小松さまの弟さんだったの?」
志緒を交えた夕飯の席で、これこれしかじかと本日の顛末を話して聞かせた。茶屋云々ってところは濁したものの、弟というのを聞いた志緒は、目を輝かせた。
「ご縁だわね」
「そう、なるのかな」
「やっぱり何かこう、お顔立ちだとか雰囲気だとかが似ていたから、警戒をしなかったの?」
そうね、ちょっと似てたかな。なんて、相づちを打とうとしたところに小憎らしい茶々が入る。
「なに薫のことだ。何も考えずにほいほい着いてったんじゃねえの? おメェ、思い込みだけで行動しそうだもんな」
くっそう…否定できんわ! お行儀悪く箸をくわえて悔しがることしかできない。
と、志緒が義兄に向けてしみじみとつぶやいた。
「妹の、ダンナ様の、弟さん……。ねえ、家族が増えてくわね。もう家族が増えるなんてこと、ないと思ってたから。不思議」
「俺たちは珍しく“一人っ子”同士の夫婦だったからな」
「……うれしいわね」
ああ、そうだ。私こそ、この歳になって今さら家族が増えるなんて、思ってもみなかった。それがどう。姉ができて、その夫と娘がいて。自分にもだだだんな様ができて…そのお母さんに会って、弟に会って。そうやって、つながっていくんだ。
「あれ?」
「どうした?」
「あ、いやなんでもない…かな?」
なんだろう。なんだかものすごく大事なことを忘れていたってことに気づきかけて…なんだろう。すり抜けて行ってしまった。ええと…。
「ねえ、それで二人は祝言はどうするの?」
志緒の問いかけに、いさぶと顔を見合わせる。
「うー…ん、ちゃんと決めてはないんだけど。向こうで写真撮るだけでもいいかなって、私は思って…る」
いさぶをちらちら見ながら答えると、まあそうしたいなら構わんよ、とでもいうような優しい笑顔を見せられてホッとする。だってやっぱり、ねえ。落ち着かないし…どのみちお互い両親呼べないわけだし。けれどそれを聞いてがっかりしたのは、なぜか志緒だった。
「えぇ!? 祝言あげないの?」
「なに? 出たかった?」
志緒は唇に指をあて、何事か思案していたが、
「……父がね」
話し出したのは、こちらにいる私の実の父のことだった。今まで顔を合わせたのは2回ほど。恨みもないかわりに思慕の情もない。そんな相手だったのだけど。
「私が着た白無垢を、かおに貸してやれって。そう言うの」
「白無垢を…?」
あの人、が? すると志緒はフフっと思い出し笑いをした。
「七緒はまだ当分着ないだろうからって。これ以上箪笥の肥やしにする気かって」
「照れ隠し」。オマケのようにつぶやかれて、どうしたらいいかわからなくなる。少し前まで縁なんて無かった“父親”の、不器用な心遣いに。
「七緒は一生着ねえよ」
ふてくされた義兄の声。
「あら、一生お嫁に行けなくてもいいっていうの?」
ツン、とした志緒の声。
「嫁になんざ…ああ、薫みてえな嫁かず後家になるのも困るか」
私の反論を待つ義兄の表情。
ああ、もう。
つながる。つながっていく。
ポン、と頭に手を置かれ、いさぶの声がした。
「お借りしようか。あちらで写真を撮るときに着たらいい」
うん。うん。頷くしかできない。家族って、つながっていくものなんだ。私の両親がいさぶの両親になって、いさぶの弟が私の弟になって――
「あっ!」
「今度はなんだ!?」
思い出した! 大変なことを忘れていた。
「ねえ、帰りにお奉行の旦那のお屋敷に寄ってもいい?」
勢い込んで尋ねる私に、今からか?と、いさぶがいぶかしげな顔を見せる。
「もう遅いぞ。今日じゃなきゃいかんのか」
「もう外歩けない時間?」
「歩けなかないが…暗いから足下があぶない。忘れ物なら、儂がひとっ走り行ってくるが」
そうじゃないの。私が、行かなきゃ意味ないの。べつに今日じゃなきゃいけないわけじゃないんだけど。思い出しちゃったらもう落ち着かないのだ。
「ひずみくぐりゃあ一瞬じゃねえか」
漬け物をつまみながら義兄が口を挟んでくる。つまり、一回東京に帰って、すぐまた今度は旦那の屋敷にひずみを開ける、と。狙った場所にピタリと穴を開けられるといういさぶになら、それができる。なるほどねーと手を打ちかけたところに、しかしいさぶの低い声に遮られた。
「あれはそういう使い方をするもんじゃない」
あ、すみません…。
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結局わがままを聞いてもらい、旦那の屋敷に着いたのは、江戸では少し遅い時間だった。晩酌も終わり、もう寝ますって感じの旦那があくびをしながら出迎えてくれる。
「なンだこんな時間に。帰ったんじゃなかったのか」
「遅くにすみません。薫が…」
「薫が?」
こちらを向かれ、私は畳に膝をついた。男二人が目を丸くする。顔立ちが似ているわけではないけれど、ちょっとした表情の動きや癖が似ている二人。私はそっと深呼吸をすると、旦那の目を見て両手をついた。
「申し上げたいことがあります」