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思い込む

ふわふわに蒸しあがったうなぎに箸を入れる。こりゃたまんねえ。大将、アンタの店は150年後にも繁盛しているよ、と店の主をねぎらってやりたくなる。


この四日間で落ちた体力が一気に回復していくのを感じながら、しばらく夢中で食べ進めていたが、そういえば、と、いさぶに相談しようと思っていたことを投げかけてみた。



「宿に? うちを?」



そう。もうちょい広いところに引っ越して、江戸から来た人たちの定宿を構えたらどうかと考えたのだ。私のそんな提案に、いさぶは眉をひそめた。



「引っ越したいというのは反対せんし、実際こんどのように人を泊めることもあるだろうが……ハナから宿として構えるというのはなあ」


「あれ、賛成されるかと思った」


「確かにそういう場所があればずいぶん役に立つと思うがな。しかし入れ替わり立ち替わり人が出入りすることになるわけだろう?」


「まあ、そうなるねえ」


「それは遠慮したいな。新婚家庭ですることじゃない」



……な、何を言うのこの子は! 意外な発言にびっくりしつつも、彼に聞こうと思っていたもうひとつのことを思い出す。



「私たちって、さ。もう夫婦だったんだ?」



これには彼のほうがびっくりした顔を見せた。



「なんだと思ってたんだ!?」



いやさ、だってほら、約束はしたし両親に挨拶もしたけれど、じゃあいつからかって言われたら明確な区切りはないわけで。そういえばいつから夫婦なのかなって思ってさ。


なんてことをもじもじと語る私に、いさぶは呆れたため息をつきながらも「まあわからんでもないか」と言ってくれた。



「儂は、共に住み始めた日に夫婦になったつもりでいたけどな」



……それは、文字通り一緒に暮らし始めた日だからというわけではなくて。その日が私たちの初めての日だったからだろう。その、つまり、初めて体を重ねた日。彼が伏し目がちに恥じらっているのがその証拠だ。それは言葉にするととんでもなくこっぱずかしいことなのだけど、それだけの気持ちを持ってあの夜をくれたのだということは、とても 幸せなことに思えた。



「なら、祝言でも挙げるか」


「っしゅ、」



祝言ですとな!? 言葉を継げない私に、いささか照れた面持ちでいさぶが続ける。



「うん…儂もな、考えてはいたんだ。けじめ、とまで言っては大げさだが、きちんとせねばとな」


「それが、祝言…?」



うん、と頷いてから、いさぶは少し困った顔を見せた。手はまた湯呑みをいじり出している。



「ただなあ…こちらで挙げるとなると、父上・母上にご列席いただけないというのがな……」



驚いた。そんなことまで考えてくれていたのか。



「うちの親は…式を挙げさせたいっていうより、どっちかっていうと花嫁衣装を見たいってほうが大きいだろうから…向こうで写真でも撮れば十分だと思うけど…」



けど。いさぶの気持ちはうれしいんだけれども。こんな完全アウェーの中でコスプレ姿を晒すことにあまり乗り気になれないのも正直なところだ。返事に詰まってしまう。


ああ、でも。

さっき彼が言った「けじめ」という言葉がふいに頭を走った。



「伊三さんが、仕事のお仲間とか上役の方々にきちんとお披露目する必要があるってんなら、従うけど…」



そう。それも妻となる者の務め、だよね。夫の仕事のためならコスプレのひとつやふたつ!


しかしいさぶの返事はそうではなかった。



「いや…ふつうの役人ならばそうもあろうが、うちの場合はそう堅苦しいものはない。旦那が虚礼の類いを面倒がる人だからな。そうではなくてだな…」



なんというかな…と、相変わらず湯呑みをいじりながら



「お前さんの白無垢姿を儂が見たいというのももちろんあるが」



ちょっともじもじと、上目遣いで



「要するに見せたいのさ。そこいら中に見せびらかしたい。自慢の嫁を」



なっ……!!



「…そんなのっ」



照れまくりの私に、してやったりという顔で茶をあおるいさぶ。くそ。



「そんなの、私だってしたい。伊三さんの自慢」



いさぶがちょっと気遣わしげに眉根を寄せる。彼の痛いところを突いてしまっているからだ。私が向こう――つまり私の暮らしている平成の東京で、大っぴらに彼を伴侶として紹介できないでいるということ。



「――だから、里ちゃんがうちに来たときに、"伊三さんのここがカッコいい"談義で盛り上がったのはほんとに楽しかったわぁ」


「な、」



今度はいさぶが動揺する。



「あんなにカッコいい人が旦那様だなんて、うらやましい!――そうだよね、カッコいいよね、あの人――カッコいいなんてもんじゃないですぅ――わかるわかる! ね、どこがいちばん好き? 私はね、やっぱり……」


「そ、そんなことを話しとったのか」



そ、そうか、いや、それならばよいのだが…せわしなく目を泳がせ、手にした湯呑みをあおる。けれど中身はもう空っぽで。あわてて箸をとるけれどもうなぎはとっくに食べ終えていて。行き場をなくした箸をカチカチと鳴らす。


…照れてテンパってるいさぶ、久しぶりに見た。そのあと私がゆっくりとうなぎを食べ終え、お茶のおかわりをもらうまで、いさぶの照れ隠しのカチカチは続いたのだった。



=====

旦那へのお土産に包んでもらったうなぎを持って、屋敷へ戻る道すがら。声をかけてきた人があった。



「ちょうどいい所で会った。伊三を呼びに行くとこだったんだ」


「あら、壮サマ」



義兄――こちらにいる私の姉・志緒の夫でいさぶの同僚でもある壮一郎だった。



「テメェがその名で呼ぶなっての」



じろりと私をにらむ義兄に、いさぶが問う。



「何かあったか?」


「ああ、さっきの探索のことでな…」



二人が話し込み始める。そういや彼らに土日はないんだった。いさぶだってこっちに来たらこっちの仕事をしなきゃいけないのだ。



ついつい、といさぶの袖を引いた。



「ん?」


「お仕事でしょ? 私、先に屋敷に戻ってるから行って?」


「一人で帰れるのか?」



ちょっと! いくら私が方向音痴といってもすぐそこじゃんか。



「そしたら薫、志緒に会いに行ってやってくんねえか。ついでに夕飯も食ってくといい」



義兄の申し出を受け、いさぶを見ると、うなずいてくれたのでその話に乗ることにする。



「うちから迎えのやつを行かせるから、旦那のところで待っててくれ」


「えー、わざわざいいよぉ。一人で行けるって」



お迎えとかお供とか、どうにもこそばゆいので断ろうとしたのだけど、しかしそれは二人から全力で却下されてしまった。



「方向音痴は自覚してるんだろう?」


「こっちで迷子になったら金輪際帰って来れねえぞ」



へーい。私の帰巣能力をまったく信用していない彼らは、結局屋敷が見えるところまで送ってくれてから探索に出かけて行った。


屋敷では、旦那が部下の人と仕事の話をしていたので、声をかけずに台所へ行く。おみやげのうなぎをしまい、その旨――一応「上」ってことも加えて――と、このあと志緒のところへ行くことを紙切れに記した。


さてお迎えが来るまでどうしたもんかな。手持ちぶさたに玄関を掃いてみたりして。いつものおばあさんが今日は不在で、いつも取り次ぎなんかをする用人のおじさんも、おばあさんの湯治にお供していて不在で。


だからお客さんを出迎えたのが私だったのは、今日に限っての偶然だったのだ。



「ごめんください」


「はい!」



少し年下、くらいの男性だった。なんだろう、どこかで見たような……数秒、凝視してしまった私に、先方もまた、少し驚いたように私をじっと見た。



「あの…?」


「ああ、失礼。こちらに薫さんとおっしゃる方は…?」



この家に私を訪ねて来る人なんていない。だから、名を呼ばれた時点でこの人が義兄の家から来たお迎えの人だと思い込んでしまったのだ。



「はい! 私です。すみません、わざわざ。すぐに荷物を持って来ますね」


「は? いや…」


「はい?」


「あ、いえ」



その人が戸惑っていることにも気がつかず。よく見りゃ侍の格好をしている人が、使い走りをするわけないってことにも気がつかず。



中学生の頃、待ち合わせの駅と間違えて、地下鉄をひとつ手前の駅で降りてしまったことがある。それに気づかずに、来ない友だちを小一時間待ち続けた。その間、駅名は何度もアナウンスされていたのに、自分が待ち合わせた駅にいると思い込んでいたから。


つまり、もともと私にはそんな素地があったわけで。



迎えに来てくれたのだと思い込んでしまったその男性に、誘われるままについて行ってしまったのである。



思い込みには気を付けないと、ね…?

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