サムライ語る
翌朝、駅へ向かい信号待ちをしていると、声をかけてきた人がいた。
「おはようございます」
「…あ!」
時空奉行の同僚氏だ!
「お、おはようございます」
「ご出勤ですか」
「ええ…。あ、あの人に用でしたらどうぞ。そこのマンションですから」
「いえ。私は手配人の捜索ですよ。ああ、あいつから事情は聞いていますか?」
そういうと駅の方向へ並んで歩き出す。困ったなあ。私のこと、どういうモンだと思ってるんだろう。なんだかやりづらい。
「ええ、多少は。あー…このあいだ見かけた人かな? お探しなのって」
「ほう、見ましたか」
「もちろん私にはわかりませんけど、彼がそう言ってましたし。それに」
あ、今の「彼」は単なる三人称ですから!
「それに、なんだか聞き込みもしたみたいですよ」
「抜かりないですな。それなら確保が遅れたことも無駄ではなかったようだ」
…会話会話。えーと。
「時間を超えた捕り物って、大変ですよね。逃亡先が果てしないわけでしょう? どうやって見つけるんです?」
すると同僚氏は少し首をかしげ、ああ、そこまでは説明していないんですね、といって教えてくれた。
「理由はわかりませんが、時の環は──あいつはひずみと呼んでいますね。時のひずみは、暦でいうと『年』の部分しか越えないのです。つまり」
つまり。同月、同日、同時間で、ぴったり150年だけ時を進めるのだそうだ。
「そうなんですか!」
「その法則も、すぐに気づけたわけではありませんがね。われわれの時代とは暦の数え方が違うでしょう?」
いわゆる旧暦というやつか。西暦もないし、確かに規則を読み解くのは難しそうだ。
「だから時を超えた逃亡といっても、潜伏先が無数に増えるわけではなくて、場が2倍に広がったというほうが正しいですね。あちらとこちら。その2つがあるだけです」
へえぇ。うまいことできてるんだ。私がすっかり感心していると、同僚氏は唐突にこんなことを言い出した。
「ところであなたはどう思います?」
「はい?」
「下手人をひずみのこちらに逃がしている者の目的は、何だと思いますか」
えぇ!? 唐突だなあ。
「うーん…報酬は得ていないようですからお金目的ではない。と言って、酔狂者の道楽と片付けては犯人に近づけませんから、それは最後の手段ですよね。何か目的があるんだと思うんですけど、逃亡の見返りに何かを請け負っているわけでもないようなので、いわゆる運び屋的なのでもないし」
要するに。
「わかりません。あなたはどうなんです?」
「なに、簡単なことですよ」
「えっ?」
「では私はこちらですので。行ってらっしゃい」
「え? ああ、どうも…」
気がつくと私は改札の前にいて、同僚氏はそのまま駅の反対側へと去って行った。
ちょっと! 朝からモヤモヤさせるなーっ!
これがまた。
手を動かしていればまだしも今日は企画会議が2本も重なっていて、思考がどうしてもそちらへ飛んでしまう。
(なに簡単なことですよ、か)
私が所属しているのは販促部。会議は自社製品のプロモーションについてのものだ。発表者の声が耳を通り過ぎていく。
「このタイミングで最も動きやすい層をターゲットとして絞り込み、そのニーズを深掘りしたのがこちらです」
ターゲット。
ニーズ。
ニーズは何だろう。下手人のニーズ? それは…捕まらないこと、だよね。でもさ、今朝の話からするとそこまでメリットなさそうなんだよな。逃げ切れる確率がそんなに上がるわけじゃないってことでしょ?…ってそれ、知ってて逃げてくるんだろうか。
(あ、これ今日帰ったら聞いてみよう)
手帳に「認知度」とメモをする。ひずみの存在、そしてそれを越えたらどうなるか。あまり知られていないのだとしたら、逃がしている能力者がうまいこと言い立てて煽っていることも考えられる──なぜ? そこまでする理由は?
「ここまで、どう思われますか?」
企画書への感想を求められる。
「そうですね。ここで言っているメリットって、われわれにとってのメリットのように感じます。お客様にとってのメリットはキャンペーンに参加して特典を手に入れることではなくて、手に入れた特典で生活の質を上げることですよね」
「なるほど。お客様にとってのメリットをもう一度精査してみます」
そう。そうなのよ。ひずみに人を逃がすことに、どんなメリットがあるってのか? そこから紐解いていけそうじゃない?
報酬は求めていないんだよね。無料プロモーションの目的は? リストの収集…次回以降の購入につなげる…口コミで認知を上げる…うーん…。わからん!
とりあえず、「認知度」の隣りに「メリット」と書き並べる。
たとえば、その人を江戸から追い払いたかったとか。でも…それだと逃亡者たち全員とそれぞれ利害関係にないとおかしい。あ、それも聞こう。「顧客の共通点」と手帳に…顧客っつーのもおかしいか。
手帳に3つメモが並んだところで、会議は終わった。
=====
「ひずみの存在は一般的には知られておらん。裏の社会では…多少の噂は広がっているかもしれんが、正確なところは伝わっていないだろうな」
「やっぱり」
「やっぱり?」
箸を運ぶ手を止め、侍が私に話の続きを促す。今日の夕飯は買ってきたお惣菜だ。一日中走り回っていたので夕飯を作る時間がなくなった、と申し訳なさそうに言っていた。
「こっちに逃げて来たってさ、住むところも仕事もないわけだし。島送りとあんまり変わらなくない? 死罪よりはずっといいだろうけど、江戸払い程度の罪だったらそっちのほうがマシな気がする」
「…江戸払いだのと、お前さんはあちらの言葉をよく知っているのう」
それはまあ。『御宿かわせみ』を全巻読破していれば、それくらい覚えようというものです。江戸払いは文字通り江戸から追放される罰だ。戻ることのできない150年後の世界に来るくらいなら、いつかこっそり戻れるかもしれない同じ時代にいるほうが、罰としては軽い気がする。
「そういうの知ってたらわざわざ来たがらないでしょ?」
「…以前は死罪を免れようと来るものだったが。たしかに最近のはそれよりもう少し軽い罪の者に広がっているな」
「それって知らないのをいいことにさ、何かうまいこと言って越えさせてるってことだよね。そうまでするメリットって何だろう…あ、メリットって」
「うん。利益とか恩恵のようなものだろう?」
…私に言わせりゃこいつのほうがよっぽど「よく知ってるのう」だ。
「そっちこそやけに詳しいけどさ、なに、どれくらいの頻度でこっちに来てんの?」
「ふむ。月に3、4回のこともあれば半年に一回のこともあるな」
仮に月一回だとしたってさ、18歳から始めて10何年だったら…私が生涯で行った表参道の回数より多い。それは詳しくもなるね。
「それは逃亡者の探索だけの数?」
「いや、迷子のほうも含めてだ。そのうち逃亡者は半分弱かの」
「ふーん…それは確かに増えてるね。いつ頃からなの?」
「おかしいと思い始めたのは…夏頃だったかの」
「その頃何かがあったのかな…うーんわかんない。どこが『簡単なことですよ』だよー」
「? 何だ、それは?」
あ。そういえば忘れてた。
「朝あの人に会ったんだ。ほら、神社で会った同僚の人」
「あいつに? あいつ何を言っていた?」
侍の眉間に大いにシワが寄る。
「えー…何だったかな」
昨日の夕飯だって思い出せないんだから、今朝の会話なんてなかなか出てこないってもんだ。
「ひずみが越えるのは同じ月日のぴったり150年だって話になって…そのあと逃亡の手引きをしたやつの目的はなんだと思うかって聞かれて、ヒトに聞いときながら『なに、簡単なことですよ』なんてまるで答えを知ってるみたいな言い方で…」
まるで知ってるみたいな。自分の発言にどきりとする。そういうこと? あの人には見当がついているってことなの?
……。
あ、熟考モードに入った。これはしばらく返事はないな。私は食卓を片付け始めた。
皿を洗いながら考える。あの同僚氏は何かを知っている。じゃあ、うちのお侍さんも何かに気づいているのだろうか。彼はまだ、私に隠していることが多分ある。
…あんまり口を挟まないほうがいいかな。
急に出しゃばってしまったような気分になり、その後はもうその話題には触れずに一日を終えた。
=====
翌日。残業を終えて地元の駅に着いたのは、21時を過ぎた頃だった。
帰宅時間は早くて19時。遅いときは22時を過ぎることもあるから、その時刻までは帰らずとも心配無用と侍には告げてある。
改札を抜け、侍に電話をかけようとケータイを取り出したところだった。
「こんばんは」
…この声。
「…どうも。よく会いますね」
私の前に立ち、笑顔を見せていたのは例の同僚氏だった。なんとも食えない笑顔に見えるのは、昨日生まれた疑念のせいか。
「探している者がこのあたりに隠れているようでしてね。ああ、同じ方向ですからご一緒しましょう。送りますよ」
えぇ〜…いいよ別に。でもまあ、ちょうどいい。気になることを聞いてみるか。私たちは並んで歩き出した。私の家までは5、6分といったところだ。用件は早めに切り出さねばならない。
「昨日の朝の話なんですけど」
「何かわかりましたか?」
「……あなたは答えを知っているんですか?」
すると彼は薄い笑みを浮かべて、昨日と同じ言葉を使った。
「簡単なことなんです」
だからそれがわからないって…! 言いかけたとき。
暗がりから人が飛び出してきた。
びくりと震える私を、同僚氏はそっと後ろにかばってくれる。
男は、先日スーパーの前で見かけた「逃亡者」だった。私たちに気づき、ぎくりとしたようだったが、同僚氏の顔を見てホッとした様子を見せた。
「あんたか! 助かった」
…助かった? それって。
いぶかる私の前で、同僚氏がスッと左手を伸ばし、男に告げる。
「助かった? なぜ?」
伸ばした左手で、宙に円を描く。
「俺に見つかるなと言っておいただろう」
空間が歪み、男がハッと目を見開く。
「あんた…役人だったのか!」
男は逃げようとしたが、ひずみの引力が働くほうが早かった。じりじりと男が吸い込まれていく…何度見ても気持ちが悪い。
同僚氏は、私が引きずり込まれてしまわないように、しっかりとつかまえていてくれる…のだけど、なにも腰を抱く必要はないんでないの!?
男の姿がすっかり消え、あたりに静寂が戻る。通行人がいなかったのは幸か不幸か──ちょっと。そろそろ腕を離してくれまいか。ツッコミどころ満載の今のやりとりに、私は身をよじりながら質問を投げた。
「一緒に行かなくてよかったんですか?」
「もう一枚手配書があるのでね」
そう言って、やっと体を離してくれる。さて。何をどう尋ねよう? なんとなく服のしわを治しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「今の人…あなたのことを知ってましたよね」
すると彼は腕を組んで薄く笑った。なんだか嫌だ。この笑顔。
「あの男をこちらに逃がしたのは私ですから」
……あまり使ったことのない表現だけれども、多分今使うのが正しいだろう。いけしゃあしゃあと!
眉間が寄っているのが自分でもわかる。そんな私を見て、彼は薄い笑みを貼り付けたまま語りだした。
「……日本橋のあたりにある商家がありましてね」
「はい?」
あまりに唐突な話題の転換に戸惑うが、なんだかシャクなのでとりあえず話を聞いてみることにした。
=====
ある大きな商家の主人に、双子の娘が生まれましてね。まだ赤ん坊の頃に、そのうちのひとりが神隠しに遭ったんです。
ところが主人は捜索願を出さなかった。もうひとりいるからいいと思ったのか──いや、その頃からもう身代が傾き始めていたのかもしれない。娘というのは何かと金のかかるものですからね、二人もいては身が持たないと思ったのか。とにかく消えた娘は亡くなったことにして、手元に残った娘に存分の金と愛情をつぎ込んだわけです。
娘は美しく育った。甘やかされた者特有の高慢さはあったが、それすら彼女の魅力になっていた。求婚するものは引きもきらず、ただ憧れのまなざしで見ていただけの者ならその何十倍もいたでしょう。
しかし、より条件のよい家に嫁がせようと父親が出し惜しみをしているうちに、面倒なのに目を付けられてしまいました。いわばやくざ者ですよ。そこの息子が見初めましてね、親父に頼み込んだ。家格はなくとも金だけはある家ですから、商家の抱えていた借金を勝手にすべて返済したうえで、縁組みを申し出たんです。娘を出すか金を返すか、とね。
当然、相当な利子をふっかけられてとても返せる額ではなかったし、娘には贅沢に着飾らせていたがもともと店のほうはもう限界でしたから、店をつぶすよりは、と娘を嫁がせることにしたんです。
ところが娘がこれに激しく抵抗しましてね。そんなやくざ者の嫁になるくらいだったら死ぬのなんのと大騒ぎをした。しかしどっちみち嫁に行かねば一家で首をくくることになる。弱り果てた父親が思い出したのが、赤ん坊のときにいなくなったもうひとりの娘です。これを探し出して、代わりに嫁にやろうと考えたんですよ。ひどい親もあったものでしょう?
嫁入り修行をさせるからとか何とかいって時間を稼ぎ、娘の捜索をあちこちに手配しました。こちらにも探索の者は来ましたね。しかし18年も経って今さら見つかるわけがない。「行方つかめず」という答えしか出ず、結局娘はやくざ者の嫁になりました。
それから十…もう17年になりますか。今年の春にその嫁が亡くなりました。弟分と密通しているところを見つかって、夫にその場で斬られたんですよ。
ところがいざ嫁がいなくなってみると、これがなんとも寂しい。自分が思っていた以上に嫁に惚れてたんでしょうな。彼は激しく後悔した。そこで思い出したのが、嫁入りのときに密かに捜索させたという双子の片割れの話です。商家はひた隠しにしていたが、当時からやくざの耳にも入っていたんですよ。
その双子の姉妹というのがもし本当にいるのなら、それを探し出して嫁にしたい。そう考えたんです。
ああそうでしょう、眉をひそめるのが当然です。顔さえ同じならいいのかってね。それは彼も考えました。双子とはいえ違う人間ですからね、本人を見て決めようと思ったんです。正式に捜索願を出すのはそれからにしようと。そこで秘密裏の依頼が私のところに来たわけです。
あちらの世界は散々探しました。あとはもうこちらしかありません。しかしそうは言ってもなかなか頻繁に来られるものじゃない。ではどうすればいいか。そうです。逃亡者がいればいいんです。手配書さえあれば大手を振ってこちらに来られますからね。
そこまで一気にしゃべり、彼はひとつ息をついた。私は聞いた内容を必死に咀嚼する。
「つまり、あなたはこちらの世界に来るために手配書が必要だった。だから下手人をこちらに送り込んだ」
「はい、そうです」
なんだろう。まだなんだかモヤモヤする。
「しかしね、驚きましたよ。本当は17年前のあのとき、娘は見つかっていたんです。こちらの世界でね。彼女を見つけた者がもみ消していたんですよ。あまりに不憫だとでも思ったのか──そいつも商家の娘に岡惚れしていたクチでしたから、本人には相手にされなくとも同じ顔をした妹なら、いつかどうにかできるとでも考えたんですかね」
「じゃあ、その探しているお嬢さんはもう見つけたんですか」
「ええ。あとは連れて帰るべきか見極めるだけです──ああ、あいつには黙っていてもらえますね?」
「え?」
「この件が片付けばあいつがこちらに残る理由はない。いってみれば不法滞在になります。あなたも困るでしょう?」
……やっぱり嫌だ、この男。
「それならどうして私に話したんです?」
「協力を仰ぎたかったんですよ。あいつが真相に近づかないようにね」
そんな……。
「あの人に話すかどうかは私が決めます」
にやり、だって。いちいち癇に障る。
「困りましたね。あいつに知られては邪魔をされる」
「どうして? あの人だって掟破りをしかけたわけだし、弱み握ってんだからうまくやりゃ使えるでしょうが」
そこで初めて彼の表情が崩れた。一瞬目を丸くしたと思うと、盛大に吹き出す。
「ハッ。面白いことをいいますねあなたは。しかしね、残念ながらダメなんですよ。あいつは娘の消息を揉み消した張本人なんですから」
マンションまでのわずかの距離を走って帰った。オートロックの鍵がうまく入らずイライラする。エレベーターのボタンは連打だ。とにかく一刻も早く帰りたかった。
乱暴にドアを開け、家に飛び込むと侍が慌てて玄関に出迎えてくれる。
「どうした? 電話をくれていたか。すまん、気がつかなかった」
私は黙って首を振る。
彼の姿を見てホッとしたせいか。さっきまでの話に感じた怒りのせいか。彼の過去に触れてしまったこと、他に好きな人がいたらしいってこと、足がむくんでブーツが脱げないこと。もういろんなことがぐちゃぐちゃになって溢れ出して。
心配して近寄ってきた彼のお腹にギュッと抱きつき、そのまま私は泣き出した。
「どうした!? 何かあったのか。だから必ず連絡しろって…大丈夫か? ん?」
優しく頭を撫でてくれるが、私は何も答えられない。胸の中で唱える。大丈夫、大丈夫。
この人が言わないことは、私からは聞かない。大丈夫、大丈夫。
「大丈夫」は、大丈夫じゃないときにだけ登場する口グセだってこと。わかってる。でも大丈夫。
だって彼、私がもう大丈夫って言うまでずっと頭を撫でていてくれたもの。
少し落ち着いた私は、ポツリと彼に告げた。
「またあの人に会った」
彼が強張るのがわかる。
「…どこまで聞いた?」
彼が静かに尋ねる。私は静かに問い返す。
「どこまであるの?」
返事は聞けなかった。