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客人

旦那の屋敷に着くと、目当てのその人は不在で。代わりに私たちを待っていたのは、意外な客人だった。



「お姉さん!」



きゃあ!と駆け寄ってきたのは、おとといまで泊めてあげていた迷子の里ちゃん。



「里ちゃん! 来てたの?」


「改めてご挨拶に来たら、お奉行様も伊三郎さんもお留守だっていうから待たせてもらってたんですけど。お姉さんに会えるなんて思ってませんでした!」


「私も会えてうれしい! 気になってたの」



話が長くなりそうなのを悟ってか、いさぶがそっと口を挟んできた。



「儂はひと回り出てくるから、ゆっくり話すといい」


「あれ、出かけるの?」


「うん、探索の応援を頼まれてな」



里ちゃんがちょっと困った顔をする。



「伊三郎さんにお礼を言いに来たのに」


「なに、元気になったんならそれで十分さ」



またカッコいいこと言っちゃって、いさぶはひらりと手を振って出かけていった。あれは女子トークから逃げたな。



「それで、お父さまとは仲直りしたの?」


「はい。こんどのことで大切さがわかったというか、わがまま言って困らせちゃいけないって」



奉行の旦那から、わざと帰れない風を装ったという種明かしは受けたのだそうだけど、



「いつ会えなくなるかわからない。だから大切にしないといけない。そういう大事なことを気づかせてくださったんですから、感謝こそすれ恨みなんて。まあ…ちょっとくらいしか」


「はは。私も文句言ってやろうと思って旦那に会いにきたんだ」



あの御仁は図らずも私にまで同じ効果を与えた。けど私の場合は少し違っていて――。



「それで里ちゃん、お嫁入りの話は結局どうなったの? 行かなくてもいいって?」



話のついで、くらいの何気なさでそんなことを聞いてみると、いいお嬢さんがクワッとコワイ顔になった。



「そうなんですよ! ヒドイと思いませんっ?」



えーと、ちょっと待て。



「嫁に行きたくないってゴネてたよね?」


「はい! だからもうわがまま言わないって決めて、素直に従おうと思ったのに。今さら手放したくないからまだしばらく家にいなさいだなんて言うんですよ!」


「願ったりかなったりじゃない」


「あんなに嫌がってたときは耳貸さなかったのに、私が決心した途端に翻して! あまのじゃくったら」



まあ…似た者父娘に見えるけどねえ。



「それでどうするの? またウチに来る?」


「んー…まあ、少し様子を見ようと…待っててくださるっておっしゃっておいでだし」



ん? ちょいと待ちたまえよ。誰か三人目の登場人物が出てこなかったか?



「待つって、誰が?」



すると里ちゃんはポッと赤くなってハニカミだした。見たことあるぞ、これ! 恋する少女だ!!



「そのー…縁談のお相手の若旦那が、昨日お見舞いに来てくれたんです。とても心配なさってて。神隠しに遭っただなんて、普通なら傷物にされたんじゃないかって勘繰られて破談にされてもおかしくないのに」


「!」



ハッとした。そうだ。若い娘さんが行方不明になんぞなったら、世間がどんな風に面白おかしく噂するかなんて、現代の比じゃないだろう。けれど心配顔の私に気づいた彼女は安心させるように笑った。



「そこのところはお奉行様がきっちり説明してくださいましたから」



当たり前だ! 自分が蒔いて育てた種なんだから。あの旦那に感謝なんてすることナイナイ!!



「それで…父が縁談をいったん白紙にしたいと言ったのを聞いて、あの方がおっしゃったんです。なに、32の独身男が33の独身男になったところで大して変わりはない。お里さんがいいと思うときに来てくれればそれでいいのだから、待ちますよ、って」


「へえぇぇぇ男前だねえ」



はい。と、ますますはにかむ里ちゃん。そうか、惚れてまったんやな? ええじゃないかええじゃないか。これにて一件落着だな。


ウムウムと、お供の手代さんとともに帰っていく里ちゃんを見送り、屋敷のなかに戻ると、いつの間にか戻ってきていた奉行の旦那に声をかけられた。



「おう来てたのか。……ちっとやせたか?」



ええ、おかげさまで。うっすら笑う私の、目は笑っていないことに気づいたはずだ。



「暇ならちっと頼まれてくれるか」


「なんです?」


「手の離せる者がおらぬでな。悪いが客間に茶を二つ頼む」


「はい。えーと…」



自分の格好を見る。こちらに来てすぐに里ちゃんとワイワイしちゃったものだから、まだ着物に着替えていなかったのだ。



「ああ…そうだな、着替えてからにしてもらおうか。いつものばあさんは今日はおらんぞ。腰を痛めて湯治に出とる。お前さんひとりで着れんのか?」


「うっ…」


いつもは手伝いのおばあさんに着付けを頼んでいたのだ。一応、覚えようとはしているのだけど。



「まあ、たぶん、なんとか」


「まあよい、私的な客じゃ。帰りがけの茶でも許してもらえるだろ。なら頼んだぞ」


「あ、旦那!」



ん?と振り向いた旦那に、緊張の面持ちで告げる。



「あとでお時間をください。お話があるんです」



すると、うへえ、という顔で旦那は踵を返した。へっ、わかってんじゃねえか。


とりあえずは着替えだ。うろ覚えのやり方でなんとかそれらしく整えてみる。お茶のいれかたについては問題ない。この時代の水回りに興味があったので、台所の使い方を教わっておいたのだ。


やっとのことで客間に運ぶと、暑さのせいか戸が開け放たれていた。よかった、和室のお作法はちょっと自信がなかったんだ。



「そういうわけですから、頼みましたよ」



女性の声だ。あれ、話が終わりかけてる? 急げ急げ。「困りましたな」と、ちっとも困ってないような声音で旦那が答え、会話が途切れたのを機に声をかける。



「失礼いたします」



お客さまは年配の女性だった。



「何を困ることがあるものですか。こちらのお役人方の妹御だとか、一人や二人いらっしゃるでしょう。面倒がらずにきちんと紹介してくださいよ……あら」



お茶を置いた私の顔を、ご婦人がのぞきこんでくる。なな、なんでスカ!?



「こちらのお嬢さんなんてどうかしら? ねえあなた、どなたかお相手はいらっしゃるの?」


「え、はい?」


「いえね、五男の嫁を探しているところなのですよ」


「これはうちの者の内儀ですよ、姉上」



返事に困って何も言えずにいる私を、そう言って旦那が助けてくれたのだけど。



「あら残念。ご主人がいらっしゃるの」



そう言ってお茶を手に取るこの女性を、旦那はいま、"姉上"、って、言った。



「あの子に合うと思ったのだけれど」



そんな風につぶやいて、優雅にお茶を口に運ぶ。



――「あれの母親は儂の姉だ」。


旦那は以前そう話してくれた。つまり、いさぶのお母さんは旦那のお姉さん。この人は、旦那の姉上。つまり。



旦那の顔を見る。私の表情から伝わったのか、その目が静かに頷いたように見えた。

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