泣きながら
朝、目が覚めた。ごそごそと携帯を探って時間を見る。やだなあ、土曜日なのに会社に行くのと同じ時間に目が覚めちゃった。二度寝だ二度寝。携帯を置いてゴロリと寝返りを打つ。
むぎゅ。
うん? むぎゅ?
ああ、そうそう。今はいさぶがいるんだった。ずっと一人で寝てたから、いっつも距離の取り方間違えちゃうんだよね。もうちょっと下がらないと寝返りが打てないんだ。
……って。違う。
彼はいないんだ。帰ってこないんだった。今日は帰ってくるかなあ? いつまで待ってたらいいのかなあ?
「さみしいよぉ…」
涙が出そうになって、グッと丸まる。
ん? 丸まる、はずが、おでこがなんか壁に阻まれた。壁に頭突きをしてみる。柔らかいな。手でペシペシとはたく。ん? あれ? そうか、帰って来たんだっけ。帰って……
「!!!」
ハッと目を開けると、面白いものを眺めるような目でいさぶが頬杖をついていた。
「おはよう」
「お、おはよ…夢じゃなかったんだ」
「ああ」
彼の胸元に置いていた手を、改めてじっと見つめた。
「昨日はしつこくしてごめん」
片時も離れずくっついていたのだ。ピッタリと。もちろん寝るときも腕にくるんでもらった。今朝になって落ち着いてみると、ちょっと昨日の私はおかしかった気がする。なんか申し訳ない。
「いや、儂だって奥さんに4日も会えなかった訳だからな。おかげで補給できたよ」
「…足りた?」
そっと見上げると、ニッと笑うだけでそれには答えないけれど。その優しい目にじわじわと満たされる。よかった。よかった、よかった。目の前の胸板を叩く。感慨深く、何度も。そして冷静になると、奉行の旦那への怒りが改めて湧いてきた。胸を叩く手にもだんだん力がこもってくる。
けれどそんなのはものともせず、いさぶは私のおでこに手を乗せると、
「熱は下がったな」
「…ね、江戸に連れてってくれない?」
「江戸へ?」
グーを作って見せてみる。
「私からも、旦那に一発」
「……そうだな。案外、儂の拳より効くかもしれん」
そうと決まれば! 早速起き出した私を、しかしいさぶが押し留めた。
「待て。具合はもう平気なのか?」
「えー、何ともないよー。だって不調の原因が解消されたんだから」
「しかしなあ……」
もう、心配性だなあ。昨夜の自分を棚に上げ、唇をとがらせる。そうか、こう言えばいいのか。私は再びグーをしてみせた。今度は両手で。
「伊三さんの顔見たら、元気になっちゃった」
「……」
あれ、布団に逆戻りでスカ? 大きな手のひらで顔を覆ってパタリと脱力したいさぶに、呼びかける。
「おーい」
「こっちの熱が上がるわ」
うん? 私まで布団に逆戻り? 抱き込まれ、顔を覗きこまれる。近づく顔に目を閉じかけて、
「いや待てよ?」
待て、をかけると、至近距離で彼が大人しく止まった。
「これ、たぶん止まんないぞ?」
無言で“待て”を続けるいさぶ。ちょっと! その色っぺー伏し目は何だ! だってこのままいったら、そんなもんキスだけじゃ終わらない自信が満々なのだ。今はちょっと、やめといたほうがいいんでないかと思うのだ。
「……だ、だってこれから江戸に行くんじゃん。その、いたしたあとで旦那に会うのはちょっと気恥ずかしいというか…」
うわー! 伏し目のうえに唇を開くな!! やんのかコラ! そりゃ私だってやぶさかではないけれども…。
「……っ」
「……」
「ま、いっか?」
私のそんな“ヨシ”の合図に、彼の口の端が少し上がり、私は目を閉じる。そして彼は、4日分の熱いヤツを存分にくれたのだった。
=====
はぁ、と息がこぼれた。
「……接吻だけのつもりだったんだがな。ねだられちゃあ断れん」
なななな、そうだったんだ! 恥ずかしすぎる。慌てて胸板を押し返そうと、両手を当てた。
「あ、ごめん、その気がないんだったらいいの」
しかし難なく腰を抱き寄せられ、密着すると、耳元で熱い息とともに吐かれた。
「その気はある」
……ほんとだ。
何をもってそれを判断したのかはまあ、置いといて。
二度と会えなかったらどうしようかと怯えていたその人に。二度と触れられなかったらどうしようかと、眠れないほど焦がれたその胸に。素肌で触れたらどうしようもなく涙があふれてきて。
泣きながら抱かれたのは、初めてだった。
=====
シャワーを浴びて部屋に戻ると、すでに昼近くになっていた。急いで朝食を済ませ、出かける準備を整える。
「お待たせ。さ、行こう」
いさぶに声をかけ、玄関に向かおうとすると、後ろから肩をはたかれた。
「? 何かついてた?」
首をひねる私に、「いや、別に」と目を泳がせながら、いさぶは先に玄関へ向かう。はて、何だろう。きょとん、とその背中を追うと、
「さ、行くぞ」
そう言って手を伸ばしてきたいさぶの笑顔にぞくりとした。それはヤバいくらいに色気に満ちあふれていたのだ。
ちょっと! いくらスッキリしたばかりだからって、フェロモン垂れ流し過ぎだってば! そんな色っぽ過ぎる状態で人前になんて出せません。払わないと。その色気をちょいと払い落としてから出かけなサイ。
思わず彼の肩をササッと払い……ハタ、と気がついた。
ちら、と彼を見上げると、
「ま、そういうことだ」
赤い顔で目を逸らされてしまった。
フェロモン垂れ流しカップルというわけか。だから人に会う前にいたすのは控えようって言ったのに! もういい。とっとと行こう、江戸へ。奉行の旦那に言ってやりたいことがあるのだ。
いさぶの隣りに並び、腕をつかむ。そう。旦那に言っておかねばならない。今度のことで、気がついたことを。