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気づいてしまった

翌日、つまり三日目。仕事から帰ると、やはり前日と同じようなやりとりをした。


「迎えは?」


「まだです」


それを聞いた私は、江戸から何の連絡も寄越して来ないことに腹立たしさを覚えた。気が利かない。戻って来られないなら来られないで、報告しろってんだ。迷子預かって協力してんだし。帰って来たら文句言おう。江戸の基準では普通かもしれないけど、平成の世じゃ連絡もなしに帰って来ないのは1日だって心配なんだから。



けれどさらに翌日、文句を言う気満々で帰宅した私を出迎えたのはやっぱり留守番中の里ちゃんで。さすがに苛立ちを不安が上回った。


四日目の私を辛うじて支えていたのは、里ちゃんの前で不安な顔を見せちゃいけないという自制心だけだった。



「お帰りなさい!」


「ただいま。…迎えは、まだ…?」


「はい。今日も誰も来ませんでした」


「そっか、ちょっと時間がかかってるのかな」



感情が表情に出ない自信はある。里ちゃんには大丈夫、気づかれていないはず。とりあえず貼りつけた笑みを見せ、夕飯の支度をする。けれど頭の中はもう不安でいっぱいだった。どうしよう。何があったんだろう。いさぶ本人に何かが起きたのなら、旦那が使いを寄越して知らせてくれるはずだ。じゃあ、じゃあ…町全体に何かあった? どうしよう。どうしよう。



里ちゃんがシャワーを浴びている隙にパソコンを開く。江戸時代・災害・戦乱。おぼろげな知識を総動員して手当たり次第に検索する。安政の大地震…大丈夫、もう過ぎてる。戊辰戦争…まだだ、大丈夫。火事? まさか。それともひょっとして――ああ、想像はどんどん悪いほうにふくらんでいく。まさかまさか。時を超えるひずみ自体が消滅したなんてことは…。



ぞくり、と、した。



相当思い詰めた顔をしていたのだろう。部屋に戻ってきた里ちゃんが、神妙な顔つきで私の真正面に正座をした。



「お姉さん」


「…あ、出てたんだ。気づかなくって」


「ほんとのこと教えてください。本当は何かあったんじゃないんですか?」


「え…」


「夕飯をほとんど食べていなかったから、心配事があるのかなって。毎日、迎えが来なかったかって聞くし。本当は伊三郎さん、もっと早く戻ってくるはずだったんじゃないんですか?」


「……」



Whatで問われれば、シラを切ることは得意だけど。イエスかノーかで問われてしまうと私は嘘をつくことができない。彼女には隠したかったけど、すでに不安を与えてしまっているのなら、正直に伝えたほうがいいだろう。



「じつは、本当なら次の日には戻って来てたはずなの。けど一日、二日なら遅れることもあるかもって思って言わなかったんだけど。さすがに三日も音沙汰がないなんて、何かがあったとしか思えなくって」


里ちゃんの顔が青ざめた。


「あたし…このまま帰れないんですか…?」


「大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫」



何よりも自分に言い聞かせる。大丈夫、大丈夫。黙りこんでしまった里ちゃんは、その日はほとんど口をきかなかった。



翌日、彼女を一人にするのを案じながらも仕事に向かう。私の頭の中は、仕事中も不安でいっぱいだった。いさぶが江戸に向かったのが月曜の夜。連絡のないまま金曜日になってしまった。今日も帰って来なかったらどうしよう。


――そうだ。


どうしよう、気づいてしまった。

いや、気づいたのが遅いくらいだ。

どうして今まで気がつかなかったんだろう。

私はなんて、なんてのん気だったのだろう。



私からは、会いに行くことができないんだ。


彼が来てくれなければ、私は何もできない。連絡を取ることすら。ただただ、彼の帰りを待つしかできないんだってこと、気づかなかった。


こんなふうに突然いなくなられたら、彼の存在を示すものなんて何もない。布団に染みついた香りだっていつか消える。



どうしよう

どうしよう

どうしよう



彼と出会って想いが通じてから、再会できるまでの間に半年あった。そのときももちろん会いたくて苦しかったけれど、もしかしたら夢だったかもしれない、妄想だったかもしれないと、まだ思うことができた。でも今は違う。今はもう、その肌を知っている。彼の体温を、匂いを覚えてしまった。もう、なかったことになんてできない。


なんて脆いものの上に、私たちの関係は成り立っていたんだろう。




そして夕方、早々に帰宅してこわごわとドアを開けると。



――誰もいなかった。


里ちゃんまでいない。迎えが来て無事に戻ったのだと、それが最もあり得る可能性だったはずなのに、私にはそれを思いつく余裕がもうなくて。


彼女の存在自体がいよいよ私の妄想だったか。彼女だけじゃない。何もかも、私が作り上げた妄想だった?



ぷつん、と張り詰めていたものが切れる音がして。私は立ち上がれなくなってしまったのだった。

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