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吊り橋

「あーもう、うらやましい!!」



風呂上がりで緊張のほどけた里ちゃんは、麦茶を手にテーブルに突っ伏した。夕飯は、いさぶに作ってもらってすでに済ませたらしい。あのイケダン様はもちろん私の分も取っておいてくれたので、温めて食べる。もぐもぐしながら、何が?と返したら、



「だって、あんなに素敵な人が旦那様だなんて!」


「そ、そう思う?」



途端にドキマギしてしまう。



「そうですよ〜素敵じゃないですかあ。迎えに来てくれたとき、ほんとにカッコよかったんですから」


「ああ、そうか。怖い思いしたんだよね」


「あたし、なんだか気がついたら知らない場所にいたんです。帰り道もわかんないし、どうしようどうしようって不安でたまらないときに、伊三郎さんが迎えに来てくれたんですけど。もう大丈夫だって。その笑顔がほんとに素敵だったんですー!」



そりゃあ! 吊り橋でいさぶに出会ったら、そんなもん惚れるに決まってる。



「だ、だよね、あの人かっこいいよね」


「なんかもう、大人の魅力っていうかー包容力っていうかー」



うんうんうん! 大いにうなずいてしまう。

打ち解けてみると、里ちゃんはとっても話しやすい子だった。いさぶの魅力を語り合える相手がいるなんて、なんて素敵! え?身内なんだから謙遜しろって? いやあそれがどうも、身内だという感覚をまだ持てていないのが正直なところでありまして。一緒に暮らし始めて親にも挨拶したけれど、式を挙げた訳でも籍を入れたわけでもなくて。実際、私たちってもう夫婦なんだろうか。それともまだ婚約者? ふと疑問に思ったりもするのですよ。



「あたしなんて、倍も年上の人のところに嫁に行かなきゃなんないんですよ!」


「そういえば、そんなこと言ってたね」


「あたしだって、あんな素敵な人と想い想われて添い遂げたいです」


「そうだよねえ…里ちゃんって、いくつ?」


「16です」


「……」



16×2、イコール。

…うーん。言うべきか、言わざるべきか。



「…里ちゃん。相手の人って、32?」


「はい」


「伊三さん、それより年上だよ…?」


「…っ」



えーっ!! という盛大な声が響く。面白いなあ、ほんと女子高生のノリだ。もし現代の子だったら「マジうけるんですけどー」みたいな感じだろうか。私の女子高生イメージも大概貧困だな。



「30代でもあんなに素敵な人もいるんだ…あたしの相手と大違いだわ」


「あれ? 相手の人のことは知ってるの?」


「うちの店と同業のお店の若旦那で、小さい頃から知ってました」


「じゃあ、人となりみたいなもんもわかるんだ。そんなにヤな人なの?」


「……そういうわけじゃ、ないんですけど…」



里ちゃんは少し口ごもると、それより、と話題を変えた。



「お姉さんは、どこで伊三郎さんと知り合ったんですか?」



お、お姉さん!? かわええ〜! もうお姉さんなんでもしてあげちゃう!



「えっと、じつは私も似たようなもんで、簡単に言うと、迷子になった私を伊三さんが探しに来てくれたって感じかな」



すると、ますますうらやましいーっ、と悲鳴を挙げられてしまった。うーん面白い。しかしこの女子高生パワーにつきあっていつまで体力続くかな…?





=====


翌日。私は里ちゃんを残して仕事に出かけた。すぐにいさぶが迎えに来るだろうと思っていたから、お昼ごはんとヒマつぶしの文庫本ーーあえて時代小説を選んで置いてきたのだけど。



少し残業をして家に帰ると、里ちゃんがパタパタと玄関に迎えに出てきた。



「お帰りなさい!」


「あれ? お迎え来なかったの?」



すると里ちゃんはきょとんとして、



「えっ? そんなにすぐに行って帰れる場所なんですか、ここ」



……そうか。江戸人の彼女にしてみれば、日帰りで行ける範囲なんてたかがしれている。ここが江戸から距離的に離れているわけではなく、離れているのは時間だということを彼女は知らないわけだから、今日一日迎えが来なかったことにも疑問は抱かないんだ。それなら、わざわざ不安にさせることもないか。


そう判断した私は、「さすがにこんなに早くは来ないかな」ともっともらしいことを言いつくろっておいた。



それにしても。

いさぶはどうしたんだろう。里ちゃんのお父さんともめてでもいるんだろうか。それならそうで、連絡くらいくれたらいいのに。まあ、わざわざ使いの人を立てるのも大仰か。ひずみをくぐれる人は限られてるわけだしな。一日くらい連絡がなくても、ドンと構えていられるようでなきゃ、お江戸の侍の女房は務まらないかあ。



なんてことを自分に言い聞かせながら夕飯の支度をしていると、里ちゃんが手伝わせてほしいと言うので、喜んで手を借りる。そうして二人で夕飯を食べていると、里ちゃんはこんな申し出をしてきた。



「あのー…昼間ただぼんやりしているのもなんですから、何かお仕事させてもらえませんか? 掃除、洗濯、お料理、ひととおりできますから」



それは殊勝な心がけだ。ま、たしかに何かしていないと退屈だろう。とはいえ明日こそいさぶが迎えに来るのではないかと思い、とりあえず掃除だけ頼むことにする。



「話聞いてて、ちょっとした大店のお嬢さんかと思ってたんだけど。家事なんてするんだね」


「たしかにうちの店は大きいです。父が一代で築き上げたもので……お父っつぁんは苦労して店を大きくしたから、私たち子どもも“働かざる者食うべからず”を教えこまれました」


「へえ……それは立派なお父様だね」



「はい」と言って嬉しそうに笑う。あれ? ここの父娘はケンカ中ではなかったか? ……ひょっとして。



「お父さんのこと、大好きなんだね」


「はい?」


「もしかしてさ、お嫁に行くのを嫌がってるのって、相手がどうこうじゃなくって、お嫁に行くこと自体がイヤなんじゃないの?」



すると里ちゃんは、バツの悪そうな顔をした。



「今までずっと、お父っつぁんのもとでぬくぬく育ってきて、突然嫁に行けなんて言われたもんで」


「……こわくなった?」


「それもあるし……なんだかお父っつぁんから、もううちにお前はいらないって言われたような気になっちゃって……」



なるほどねえ。そりゃあいくら江戸の大店のお嬢さんったって、16歳で嫁入りとなったらすぐには心の準備もできないよね。


けどな。「まだお父っつぁんのもとにいたい」なんて言やあ、その辺の父親ならイチコロだと思うけどね。こりゃあカンタンに解決しそうですぜ、伊三のダンナ!



ーーけれど。



その翌日もやっぱりいさぶは何の音沙汰も寄越さなかったのである。

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