番外編・こっちでもやきもち。
お久しぶりです。前話「やきもち」のさらに番外編です。
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その、少し前のこと。「夫婦げんかがしてみたい」なんていう、愛する嫁のかわいいおねだりに応えるため、俺は手当たり次第の言いがかりをつけて、志緒に怒鳴りつけていた。
「色目なんぞ使いやがって」
「そっちこそどうなのよ!」
言い争いながら思う。こんなふうに、言いたいことをポンポンと言える間柄になれたのだなあ…それはうれしい、が。だんだん薫に似てくるようで、それは嫌だ。
同じようなことを思ったのだろうか。はじめ真っ赤な顔をして怒っていた志緒が、次第に笑みを深くしていく。
「お前……言ってることと顔が合ってないぞ」
呆れて指摘すれば、からりと笑われる。
「なんだかうれしくなっちゃって」
……こんなにかわいい女が他にいるだろうか。そういや今夜は娘が留守だったな。久々の夫婦水入らずか。
「続きは家だ。もう帰ろうぜ」
「じゃあ、かおにお礼を言っていきたいわ。どこに行ったかしら」
言われて部屋を見渡せば、所在なげに伊三郎が座っているのに気がつく。いたのか。目が合うと、呆れたため息をつかれた。
「なんだそういうことか。薫ならとうに飽きてフラフラ行ってしまったわ」
探してくる、と部屋を出て行く伊三郎を見送り、改めて嫁に聞く。
「ところでお前、ケンカがしてみたいってのはわかったが、それでどうしてこんなことになったんだ?」
「だって。あたしが少しわがまま言ったくらいじゃあ、怒ってくれないでしょう? だから小松様に、かおの所へ連れて行ってくださいってお頼みしたの。それぐらいの無茶をすればさすがにケンカになるかなって。けど小松様って頑固なのね。それはできません、の一点張り。それで言い争ってたら、旦那が見かねて提案してくださったの」
……。わかってねえな。そりゃあ、多少のわがままでは怒ったりしない。けどなあ。そこで伊三を頼るってのが気に食わねえ。しかもなんだ? あいつと言い争ってたって? そんなもん、俺だってほとんどしたことがないってのに。
ふと、先ほどの薫との会話を思い出す。俺に対しては、耳をふさぎたくなるほど開けっぴろげなのに、「好きな人の前では恥じらう」のだという。…ためしに嫁の耳元に囁いてみる。
「今夜は七緒いないんだろ? 久しぶりだな、二人っきりになれるのは」
「……」
表情を観察すると、これは照れているときの顔。そうだよな、恥じらうよな。薫も伊三の前じゃこんな顔すんのか。てことは、いやいやまさか。薫が俺に対するみたいに、志緒も伊三に?…いやまさか。あんな開けっぴろげなことを? いやいやいやいや。
「小松様、どうしたかしら」
「その名を言うな!」
嫁の口から伊三郎の名前が出たことにとっさに反応して、自分でも驚くような大声が出てしまう。
「…と、すまねえ」
慌てて謝るが、すでに志緒は真っ赤な顔で。
「まだそんなことを言ってるの!? そんなにあたし、信用ならない? 疑われても仕方ないことしたけど、でも」
「いい、やめろ」
できればあのときの話はこんなふうに持ち出したくない。
「やっぱり気にしてるのね」
「だからやめろって」
「なに、まだやってんの?」
そこへ酔っ払いののん気な声が口を挟む。よし、いいところに来た。助けろ薫! しかし「けっこうけっこう、大いにやんなさい」などと、どこから見てんだかわからない目線で物を言い、さっさと帰って行ってしまった。もういい、とにかく帰ろう。せっかくの夫婦水入らずの夜を、これ以上無駄にはできない。
「俺たちも帰ろう」
「帰りません」
……な、なんだとぅ!?
「勝手にしろ!」
立ち上がり、帰りかけると、いつの間にいたのか、旦那がニヤニヤしてこちらを見ていた。
「儂は構わんが……知らんぞ?」
その笑みに、ぞーっとする。いやいや、破天荒とはいえ常識のない人ではない。危険なことは何もないはず…だ、が。
「あたしは構いません」
そんな志緒の声を聞くと、いっそう焦りが募る。冗談じゃねえ。ガッと手をつかみ、有無を言わさず連れ帰ることにする。
「とっとと帰るぞ。四の五の言わずについてこい」
強引に手を引きながら、さてどうやって機嫌を直してもらおうかと思案していた俺は、後ろで満面の笑みを浮かべた志緒が、旦那と目配せをしていたことには気づかなかったのである。
「きゃ」
家への道を、ぐいぐいと引っ張って歩いていたが、志緒が足をもつれさせ、ハッと我に返る。
「ああ…すまねえ」
「ゆっくり歩いてくださいな。ね、こんなふうに二人で歩くの初めてじゃない?」
「そうだったかな。…って、なんだ、いつの間に機嫌直したんだ」
ふふ、と笑い、志緒はつないでいるのとは反対側の手で、俺の袖をつかむ。
「こんな気持ちで歩くのは、初めてよ」
どんな気持ちだって? 俺は変わらないよ。ずっと前からね。
「ねえ、せっかくだから少し散歩して帰らない?」
「…俺は一刻も早く家に帰って二人っきりになりてえな」
「……」
無言は照れている証拠。しばらくこの空気を味わいながら、黙って歩く。そして辻にさしかかった。そのまま帰るなら、まっすぐ。遠回りするなら、右へ。もう少し歩きたいという嫁に応えて右へ曲がろうとすると、志緒は立ち止まってついてこない。
「少し歩いて帰るんじゃないのか?」
「…あたしも早く帰りたくなっちゃった」
「……」
すぐにでも抱き上げ、走って帰りたくなるのをグッとこらえる。そうだな、こんな気持ちで歩く時間を、もう少し味わってもいい。
じゃあまっすぐ、けれど少し、ゆっくり帰ろう。
来週から第三部の投稿開始予定です。
週一回くらいのペースで一気に投稿したいと考えてますので、よければ見にいらしてください。