番外編・やきもち。
後半、若干甘めでございます。
「お願いです!」
「無理です。できません」
「どうしてもですか!」
「どうしても、です」
「…けち」
「なんとでもおっしゃい。できないものはできない──泣き真似は通じませんよ? 騙されるのはあなたの亭主くらいです」
「っ…小松さま、あなた“かお”の前でもそんな態度なの? よくもまあこんなに冷たい人と添ったものだわ」
「薫はこんな無茶は言いませんよ。わがままを言ったところで、せいぜい2回も諭せば引っ込めます」
「わがまま? 私の頼みはわがままですか!」
「他に何だっていうんです!」
そんな言い争いを二人はしていたらしい。部屋に入ったとき旦那の目に入ったのは、ほっとして助けを求めるような顔のいさぶと、キッとして別な意味で助けを求める志緒だったそうだ。
「なんだ騒々しい。…ほう、珍しい組み合わせだな」
「旦那、志緒殿が薫のところへ行きたいと申すのです」
「ほう。そりゃまたどうして」
旦那が志緒に問うと、志緒はしどろもどろになる。
「それは、かお…薫にも会いたいですし、えーと…そう、どんな暮らしをしているのかも見てみたいですし」
「だから言っているでしょう。薫に会いたいならこちらに連れて来る。薫が行ったり来たりできるのは元々こちらの生まれだからで、志緒さんをあちらへ行かせることはできません」
「小松さまはずっとこの一点張りなんです!」
すかさずいさぶが諭せば、志緒も負けじと言い返す。二人とも、あまり感情を表に出すタチではない。少なくとも旦那の前では、声を荒らげるのは珍しい。旦那はついにいつもの面白がるような顔になって
「おかしいなあ。それだけなら亭主にねだりゃあいいことだ。伊三みてえな頭の固いのに頼むこたないだろう。志緒、お前さん本当は何がしてえんだ」
核心をつかれ、志緒が口ごもる。
「私…は、その…」
「構わねえよ、話してみな」
またもや旦那の“話させ上手”が発動した。少し迷ったのち、意を決して志緒は明かしたそうだ。
「私……夫婦げんかをしてみたいのです」
あっけに取られたいさぶの耳に、旦那の大爆笑が聞こえた。
「ひゃー、いや、面白え。お前さんといい、薫といい、どうしてそうも突飛なことを思いつくもんかな。亭主たちは振り回されっぱなしってわけか」
じろりと睨むいさぶを意に介さず、旦那はひらひらと手を振った。
「いいだろう、一枚噛もうじゃねえか」
「旦那!」
「もちろん、あちらへは行かせらんねえよ? そうだなあ…」
ちょいちょい、と手招きをして、いさぶと志緒の耳に旦那が告げた計画。それが数日後──つまり今、私が着物を着てカツラをつけて、志緒のコスプレをしてここに座っている理由なのだった。
=====
ここは、志緒の家。義兄との夫婦の部屋。背を向けた後ろから、障子が開いて閉まる音がした。
「七緒、あちらのご両親に預けたって?」
「お帰りなさいませ…たまには七緒を寄越せ、ってうるさいもんだから。今夜は預かってもらいました。あたしもたまに、壮さまと二人になりたかったし…」
志緒はいつもダンナのことを“壮さま”と呼んでいるそうだ。壮一郎さん、という名前らしい。夫婦の間でしか使わない呼び方。そんなものまで仕込まれて、私は今ここにいる。まあ、ちょっと楽しんではいるけれど──壮さまが近寄ったのがわかった。後ろからグッと抱き寄せられる。お、エマージェンシー!
「へえ、じゃあ今夜は──」
至近距離で覗き込まれ、寸前で唇が止まる。壮さまの声が一気に低くなった。
「…何してんだ、オメエ」
「あれ、もう志緒と私、間違えないんだ。成長したじゃん」
「阿呆、色気が違わあ。だからオメエ何してんだって」
「つーかまず腕離せ。顔近い」
体勢を立て直し、私たちは向き合う。事情を説明しようとしたが、
「といっても、私も詳しく聞いたわけじゃないんだけどね。志緒が家を出たいっつって、旦那が私を寄越したの」
「志緒が──何だって?」
ニヤリとせずにはいられない。この人からかうの楽しいんだ。
「アンタとね、夫婦げんかがしてみたいんだってさ」
で、志緒を家出させるから、代わりに志緒のフリをしてこい。そんなことを旦那に言われたのだった。壮さまはやれやれといったため息をつく。
「っとに…うちの奥さんの発想はわかんねえな。俺がなんかしたかと思ったぜ」
私はからりと笑って義兄を誘った。
「とりあえずさ、せっかくだから飲みに行こうよ。アンタと飲むのキライじゃないんだ」
「素直に好きだって言え。ついて来な、アンタの好きそうな店に連れてってやるよ」
=====
私たちが居酒屋にくり出していたころ、いさぶと志緒は旦那の屋敷で茶を手に談笑していた。
「まあ、かおったらそんなことまで小松さまにさせているのですか! よく愛想を尽かされないものだわ」
ちょ、コラなんの話だ。…まあいい。志緒は私のことを「かお」と呼ぶ。薫のかお、ではなくて、生まれたときの私の名前が「果緒」だったから。
「…かおは、呆れていたでしょうね。また面倒をかけてしまいました」
「なに、あれは楽しんでますよ。ご亭主と酒でも飲んでくると言っていました。あの二人は何のかのといって、ずいぶん気が合うようですからね」
「まあ、そんなことおっしゃって。小松さまはお妬きにならないの?」
「相手があの男ですから。まず何も起きないでしょう」
「あら、どうしてですの? うちの旦那様には魅力がないかしら」
「そうではなくて…あれだけあなたにぞっこんでしょうが」
もちろん志緒には否定できない。照れ隠しのへの字口になる。
「…けれど、私はそれがわからなかったのです。十七年も。ほんとに、ばかだったわ」
「……」
「けがの功名、というには大怪我すぎましたけれど、それでも私たちにとっては必要な痛みだったかもしれません」
「しかし、まさかあんなに甘ったるい亭主になるとは思わなかったでしょうな」
しんみりと語る志緒に、いさぶはわざと茶化して空気を明るくする。そうですよ、カタブツだの何だのと言われるけれど、冗談くらい言うんですよ。うちの伊三さんだって。
「本当ははじめっから甘ったるかったんです。他の男と比べたらすぐにわかりましたわ」
「ほぅ、それはどういう──」
言いかけて、止まる。志緒と義兄の間に起きたことのひととおりのあらましは、私からいさぶに伝えてあった。つまり、夫の気持ちを確かめるために他の男に身を預けたというトンデモエピソード。それのどこで夫の愛情に気づいたのか、なんて。尋ねれば答えはきわどい説明になるはずで。
「いや、失礼…今の質問は忘れてください」
「あら、私こそおかしなことを…」
いさぶと志緒は真っ赤な顔でうつむきあう。そうそう、ほんとはそれが正しい姿。それなのに私たちといったら!
=====
いさぶが額の汗を拭っていたころ、私と義兄はもうすでに出来上がっていた。
「でね、志緒のことなんてまるで考えない、自分の欲優先みたいな抱かれ方だったんだって」
「やめてくんねえかその話」
「だからさ、志緒はすぐにうわー違う!って思って、やっぱりよしましょうって言ったんだって。そしたら相手の男が、ここまで来て今さらやめようったって無理ですよ、姐さん、って」
「ホントやめてくんねえかなあその話!」
カン!と、ぐい呑みを机に叩きつける。まあまあ、最後まで聞きなさい。
「アンタが乗り込んできたのはそのすぐあとだったって。安心しな、大したことされてないから。せいぜい胸触られたくらいじゃないかね。ああ、着物は脱がされたか」
「お前らは…そんな赤裸々なことまで話し合ってんのか」
呆れ顔の義兄に、肩をすくめてみせる。そりゃあ、私たちが普通の姉妹だったらこんなこと話したりしなかったろう。私と志緒の、この近くもなく遠くもない距離が、口を軽くさせるのだ。だからこんなことまで志緒は教えてくれた。聞いたままに口真似をする。
「もう一瞬でわかったわ。だってね、あの男ったら何もしないで急に事に及ぼうとしたのよ? みんなするもんだと思ってたけど、“あれ”は壮さまだけだったのね。壮さまはね、いっつも私を──」
「ばかコラやめろ言うなその先言いやがったら二度と伊三の顔を見れねえと思え!!」
へーい。さすがにやりすぎたか。……壮さまはいっつも、丹念に志緒を撫でてくれるのだそうだ。愛しげに、頭を思う存分に撫で上げてから、ゆっくりと横たえるのだという……つーかそこまでされて何を疑うというのだ! 世間知らずにも程がある!!
「いいと思うよ、アンタのそのクセ」
「あん?」
「志緒から聞いたとき、ちょっとうらやましかったもん」
「……誘ってンのか?」
「1ミリも。一匁も!」
ニヤニヤしながら義兄は近寄ってくる。
「いいじゃねえか、あの堅ぇのをひとつ妬かせてやろうぜ」
「えー、伊三さんちゃんと軽く妬いてくれるよー。適度にエロいし」
私がそう言うと、つまらなさそうな顔になって元の位置に戻る。
「なんだあいつ、そうは見えねえけどな。本性現したのか……ああ、」
何か思い出したらしい義兄は、またもやニヤニヤしだす。今度は何だ。
「理無い仲になったら変わるってことか。どうだ? 俺がやったブツは役に立ったか」
お義兄さまがくださったものとはつまり、アレ。
「ええもうおかげ様で、大いに活用しております」
なんて答えると相手が赤くなるようなモノ──要するに避妊具のことである。
「……お前には恥じらいってもんがねえのか!」
「えー、好きな人の前では恥じらうよー」
「へえ、そんなら伊三には見せない顔を俺には見せてくれてるってワケか」
目を細めながら近寄ってくる。めげないね、おたくも。面白いので私も同じような表情を作って返す。ちょっと甘えるような、顔。
「そうなの。だから──」
こらえろ、笑い。
「だからたぶん、今ごろ志緒も同じことしてると思うよ」
「……」
ちッ、と義兄の舌打ちが聞こえた。うひゃひゃ、と大笑いする私。義兄は残った酒を一気に飲み干し、立ち上がった。
「さて、行くか。志緒は旦那の屋敷だな?」
「迎えに行くの?」
しかし義兄は鼻で笑う。
「迎えに? 冗談じゃねえ、叱り飛ばしに行くんだよ」
「叱…なんで!? ケンカがしてみたいなんて、かわいいおねだりじゃんか!」
「だからだよ。そんなかわいいおねだり、叶えてやらずしてどうする」
…つまり、わざわざケンカをしに行ってあげるってこと?
「アンタって…たまにいい男だよね…」
「いつもだ。そら、行くぞ。おい!勘定!」
=====
私たちがそんな口説きコントで遊んでいたとき、志緒は私の想像どおりのことを口にしていた。
「本当に、こんなこと旦那様には言えないのですけれど」
「ええ」
「私、旦那様にはもう二度と会えないものだと思っていました。かおのおかげで、またこうして一緒になれたのです」
「そうらしいですね」
「お産のときに連れて来てくれたのですけれど、そのときは私も夢中で。ひと眠りして、夜中に目が覚めたときに、初めて実感しました。旦那様が枕元に座っていて、私が手を伸ばしたら握り返してくれて」
──本物?
本物だよ。
──夢じゃない?
夢じゃないよ。
──もう、いなくならない?
ならないよ──
「私、声をあげて泣きました。言葉が足りなかった私たちは、かおがいなければずっとあのままだったでしょう。私たちの幸せは、かおの上にあるのです」
「薫の、ですか?」
「ええ。だからかおには本当に幸せになってほしいから──小松さまにも感謝しているんです」
思いもかけない志緒の告白。しかし、いさぶが返したのはこんな言葉。
「同じですよ」
「え?」
「志緒さんが嫁入りを嫌がって、薫の探索があったから我々は出会えたのだし──それにまあ、あの男が薫をつけ回したり出生をバラしたりしたこともきっかけにはなったわけだから、一応あっちにも感謝をしておきましょうかね──つまり」
「はい」
「つまり私たちの幸せも、志緒さんの上にあるのですよ」
「小松さま……」
志緒の目が、少し潤んだ。いさぶが優しく微笑む。
ちょうどそのときだった。スパン!と戸が開き、義兄と私──ま、要するに酔っ払いが2人、部屋に乗り込んだのだ。
「おいこら、志緒! 亭主以外の男に色目使うたあどういう了見だ!」
「あら旦那様。……色目ですって?」
「しらばっくれるな。たった今、伊三の野郎にぽうっとなってたじゃねえか」
「ひどい! 言いがかりもいいところだわ。自分はどうだってのよ。お気に入りの“かお”と差しつ差されつで、さぞおいしいお酒だったでしょうね!」
「それこそ言いがかりじゃねえか。薫が誰のお気に入りだって?」
「小松さまに聞いたわ。あちらで散々かおの後を付け回してたって言うじゃない」
「なんだとぅ!」
……はいはい。あほくさ。ケンカするのはいいけど、他人をネタにしないでほしいもんだ。もう放っといて帰ろうよ、と袖を引いたら、いさぶはハラハラして志緒たちの夫婦喧嘩を見守っている。大丈夫だって、あれデモンストレーションみたいなモンなんだから。え、最後まで見るのぉ?
すっかり飽きた私は、屋敷の中を勝手に探索する。喉かわいたし、トイレにも行きたいし。そして何より……
「いた!」
旦那発見! 居室だろうか、くつろいだ姿で書物を読んでいる。
「おう、来たのか。あいつらはどうした?」
「志緒の望み通り、ケンカの真っ最中です」
世話の焼ける、と笑う旦那がカッコいいったら!
「旦那、私と一杯おつきあいいただけませんか?」
「へえ。お前さん、行けるクチか…もう行ってきたって顔だな」
私はえへへと笑う。
「はい。壮さまと軽く。旦那とも、一度ご一緒してみたかったんです」
私はわりと年上にかわいがられる。懐にうまく入り込む性質があるんじゃないかと思うんだけど──はたして旦那も嬉しそうに乗っかってきてくれた。
「よし。とっておきのを飲ましてやる」
いそいそと取り出したのは、え!? 押し入れから? 旦那秘蔵の名酒を手ずからついでもらい、ちびちびとなめながら、すでにほろ酔いの私は好き勝手にしゃべる。
「でも、ちょっと、羨ましいです。私と伊三さんはまだ、あんなふうなケンカはできないから」
言いたい放題にしても大丈夫っていう信頼関係が育っていないと、怖くてあんな言い争いはできない。
「お前も伊三も、相手を思ってこらえるタチだろ。そりゃあ波は立たねえだろうが、いつか溢れっちまうぜ?」
「そうですね。小出しにしてかないと」
旦那は自分の杯に2杯目をついだ。
「伊三もなあ…あいつ、あんまり欲しいモンを欲しいって言わねえからな。ため込んでなきゃいいが」
「たしかに、何でも私に合わせてくれるから…ガマンさせちゃってるのかな。けどちゃんと、適度に妬いてくれますよ」
へへ、と照れながら言うと、旦那は嬉しそうに笑った。
「へえ。伊三のあのわかりにくい主張を感じ取れるか…伊三の惚れたのがお前さんで良かったよ。嫁がせて正解だったな」
旦那ったら、そんな嬉しいことを! 私は涙腺がゆるむのを感じながら、ツッコミを入れる。
「花嫁の父、ですか?」
と、旦那が少し心配そうな顔になった。
「本物の花嫁の父の反応はどうだった。ご両親に挨拶に行ったんだって?」
「はい。父も母も、犬まで、うちの家族は伊三さんが大のお気に入りです。私がいないところでも連絡取ったりしてるみたいですよ」
「そうか、それは良かった」
旦那がしみじみと、喜びを噛みしめるような表情を見せる。それを見ていたら、なんだか私も嬉しくなってきた。ほかほかと、なんだか気持ちいい。つーか、眠い。
「……儂は構わんが、知らんぞ?」
おかしいな。旦那の声が頭上から聞こえる。まあいっか。旦那も構わないって言って…る、し…。
しばらくののち。
「旦那、薫を見ませんでした、か…」
部屋に来たいさぶが見たのは、旦那のあぐらを枕に爆睡する私。
「ほれ、亭主が迎えに来たぞ」
「うー…ん…帯がきつい…」
「それをほどくのは儂の役目ではないわな」
カッカッカ、と笑う旦那の膝から、いさぶは無言で私を抱き起こす。私にとっては枕が膝から胸に変わっただけだ。ムニャムニャ。ため息をつくだけのいさぶに、旦那は杯を渡す。
「妬いたときは妬いたって言え。薫も喜んでるぞ」
「……」
いさぶはグッと一杯飲み干すと、杯を返し、私の頬をぺちぺちと叩いた。
「そら、帰るぞ。起きろ」
「おー…苦しい」
帯をなんとかゆるめようとするも、酔っ払った手では固い帯はなかなかほどけない。帯にかけた私の手を、いさぶが押さえた。
「ここは旦那の部屋だ。着替えるのは別の部屋だろう。ほら立て、行くぞ。帯だけほどいてやるから自分で着替えろ」
「エロ〜」
「口はいいから足を動かせ」
んー、と伸びをして、立ち上がる。おじゃましましたあ、と旦那に手を振ったら、ひらひらと振り返してくれた。ふらふらと歩く背後で、こんな声が聞こえた。
「おぅ、伊三」
「はい?」
「限度はあるぞ」
ん? 振り向くと、すっごい楽しそうな顔の旦那と、苦虫を噛み潰したいさぶがいた。
「何の話?」
「いや、別に」
肩を押され、着替えの置いてある部屋に向かう。
「志緒たちは?」
「ああ、そうか。それで呼びに来たんだった。お前さんに挨拶してから帰りたいってんで待ってる。着替えの前にそっちだな」
なんだろう。微妙にテンパり気味な気がするけどいさぶさん? まあいっか。私たちは方向を変え、志緒たちの待つ部屋に向かう。
「ねえ」
「ん?」
「私たちも、あんな感じでケンカできるようになろうね」
ため息が聞こえた。そして。
「望むところだ。ネタはあるからな、早速帰ったらやるとしよう」
おー…これはアレですかな。世に言う地雷ってやつですかな?
「泣くかも」
「どうぞ」
うーん、まあいっか。帰ったら即寝てしまえ。いや待てよ? 酔いが覚めてから怒られるのとどっちがマシかなあ。そうだ、聞くだけ聞いて、よき頃合に甘えてごまかすか。ごめんね伊三さん、怒んないで。とかなんとか袖口つまんで上目使えばイチコロだべや。
なぜだか私の頭の中では、その予定はケンカではなく説教にすり替わっていて。手短に終わらせてイチャイチャする方法を、回らない頭で考えていたのだった。
=====
「…ごめんなさい。反省します」
家に帰るや、そこに座れと命じられた。ほら、敵だって説教する気まんまんじゃんか。しかし口答えなんてできません。だって酔っ払った挙げ句に旦那の膝で寝ていたことを指摘されて、酔いの覚め始めた頭に記憶がよみがえってしまったのだもの。うわー…やっちまった…。平身低頭、反省の意を示す。で、こっからどうやってイチャモードに持ち込むって? ムリだろそれ。今日は大人しくしとくか。
「で、あいつは? 志緒さんとお前を間違えなかったか」
「あいつ?」
ああ、壮さまのことか。…って。今の今まで私の目を見て説教を垂れていたいさぶが、今は目をそらせている。ひょっとして。
私はいさぶの元ににじり寄り、背後に回って背中から抱きしめてみせた。顔を覗き込むと──やっぱり。「妬いてますができれば知られたくありません」って顔。旦那の件は純粋にただ叱ってくれただけで、本当は義兄に対する嫉妬心が苛立ちの理由なんだ。
私はわざと唇を寸前まで寄せて、
「私、背中を向けてたからね、こんなふうにされて、顔を覗き込まれたけど。これくらいの距離で気づいてたよ。だから大丈…」
夫。までは言えなかった。火がついちゃった彼の唇に、ふさがれてしまったから。
「それで? 無防備に二人きりで酒を飲んでどうだった」
「ん……口説かれ、た…伊三さん妬かせてやろうって…」
息を切らせながら、わざとそんなことを言って煽ってみる。と、思った通り、いさぶの唇と手は熱を増した。
「それでぽーっとなって、あんなに酔ったわけか」
「違…う」
違うけど、もうどうでもいい。このままゆだねてしまおう──床に倒れ込んだとき。スッと頭に浮かんでしまった。とっさに両手でいさぶの胸を押し、距離を取る。
「なんだ…?」
「志緒、初恋の相手なんでしょ?」
いさぶが眉根を寄せる。
「さっき二人でいて、や、やっぱりちょっとドキドキしたり、した?」
「……」
眉間のしわが徐々にほどけていくのを、半べその私は気づかない。
「もし今日のが逆の立場だったら、ちゃんと志緒と私、間違えない?」
ああもうダメだ。何言ってんだ私。いいや、酒のせいにしちゃおう。言ってしまおう──。
「志緒と同じ顔だから、私を好きになったの?」
言ったそばから後悔する。なんてことを。なんてことを! いたたまれなくて顔を覆おうとしたら、その手をつかまれた。
「心外だな」
「ごめんなさい…」
涙声で謝ると、いさぶは私の上からゴロリと横に転がった。肘をついた手に頭を乗せ、反対の手で私の涙を拭ってくれる。
「壮一郎はなんと言っていた?」
「色気が違うからわかるって…」
「うちの奥さんのほうが色っぽいけどな。そうだよ、誰が惚れた女を間違える? それに志緒さんが初恋ったって……お前がテレビ見てキャーキャー言っとるのと同じようなもんだわ」
涙を拭った手で、ついでに鼻をキュッとつままれる。私は鼻声で問う。
「じゃあも゛うな゛んとも゛思ってな゛い?」
「いや、大切な人だ」
……よっぽど悲壮な顔をしたのだろう。ニッと笑って今度は額をつつかれた。
「大切な奥さんの、大切な家族だからのう」
もう。安心した私は泣くまいとするのをやめた。そんな私の頬をまたなでながら、いさぶはつぶやく。
「顔はなあ…志緒さんに似てるから、ってんではないわ。こういう顔が好きなのだ」
「……」
私は甘えるように両腕を天井に伸ばす。すると、身を起こした彼はそこにすっぽり収まってくれたので、そのまま背中にギュッと腕を回した。そして彼の鎖骨の下あたりに額を寄せる。
「やっぱまだムリだ、ケンカ」
「急ぐこたぁない。お前さんの泣き虫とやきもちやきを治してからだ」
「やきもちやきって! 妬いてたのはそっちじゃんか」
「妬かせたのはそっちだな。儂は妬かせるようなことは何もしとらん」
うーん、反論が浮かばない。もういいや。
「反論はないのか?」
「もういい。それよりこっちがいい」
そう言って彼の両頬に手を添えると、呆れたように、けれど優しく笑って応えてくれた。さっきの激しいのとは違う、優しくて、甘いやつ。
ぼんやりした頭で、旦那の言葉を思い出していた。伊三は欲しいものを欲しいって言わねえからな。そう、彼はいつも私の気持ちに合わせてくれる。ガマンしてない? ため込んでない? さっきみたいにぶつけてくれていいんだよ──たまになら。
解放された唇で、息を弾ませながら私は言った。
「いさぶぅ…私、ん、私…」
「うん」
いさぶは他の場所を攻めるのに夢中だ。
「わ、たし、これからも、ちゃんと、いっぱい、やきもち妬かせるからね…」
「…うん?」
いさぶが私の胸元から顔を上げた。やめちゃわないで。無意識に彼の後頭部に手を添え、髪をくしゃりとする。
「いっつも私に合わせてくれるから、たまには、さっきみたく気持ちを吐き出してほしいって思って、だから」
「ああ、そうか…うん。…うん?」
首を傾げているいさぶの顔をガッとつかみ、唇をねだる。ああもうどうだっていい、そんなこと。だってそうでしょう?
あとはもう、夢中で。酔いだって覚めたんだかひどくなったんだかわからない。
さっき言ったこと、うそじゃないよ。私の言うことばっかり聞かないで、たまにはわがまま聞かせて。
──けどその理由のなかに、妬いた彼に攻められるのも悪くないから、なんてのがあるってことはもちろん内緒なのです。
すみません、性懲りもなく番外編ばかり…。本人は楽しんでおります(笑)