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番外編・サムライと新生活

いさぶとの生活が始まった。



朝目が覚めると彼の顔がある──ということは、ない。なにしろあちらさんは日の出とともに起床する。私が起きる頃には素振りのひとつも終えていて、シャワーを浴びてやけにサッパリとした笑顔で「おはよう」なんて言ってくるのだ。こっちは寝起きのくっつきそうな目をしてるってのに。



「あっつうー…」


「観念して起きたらどうだ」


「うーん…」



真夏の朝だ。いやもう10時だけど、休日の10時はまだ朝のうちだし…まあどっちでもいい、とにかく暑い。のそりと起き出し、シャワーを浴びる。私の寝起きの悪さと、それを別に直すつもりのないことをわかっていて、いさぶは起こさずにいてくれる。というか、私に構わず自分の仕事を進めている。二人暮らしは思っていたより窮屈なものではなかった。



「おはよ。今日は? 仕事?」



そう。江戸には現代のような七曜日はないわけで。当然、週休みたいな考えもない。これもまた思っていたより、私たちの生活リズムはずれていた。あんまり二人でゆっくり過ごす時間がないというか──うん、それでいい。よかった。だって時間なんかあったら落ち着かないもの。つまりはその──



ちらりといさぶを見る。目がいくのは顔ではなくカラダのほうだ。…かっこいいなあ、あの腕。なんで今まで平気だったんだろう。超好みじゃん、あれ。そう、つまり、いさぶがただの居候だったときには何てことなかったことが、体を重ねてしまったらもう、平常心でなんていられなくなってしまったのだ。どうすんだこれ。



「今日はこちらにいる」


「あ、そうなん、だ」


「顔が赤いぞ。のぼせたか」



ぎこちない笑みを返し、朝食を用意する。



「自分の分だけでいい?」


「ああ、もう食べた」



…やばい。その笑顔。早く慣れなきゃ。この生活。だって一生興奮しながら暮らしてくわけにいかない。

いやけどさあ? 言ってみりゃつきあいたてみたいなもんじゃん? どうせそのうち冷めるって。今は甘くしときゃいいじゃん。

うーん、けどもたないよ、心の臓がさあ。つーか、いさぶはどうなんだろう。なんかどっしり構えてる感じはするけど。



そんな会話を脳内で続けながら、卵を割ってかき回していると、いさぶがトイレにでも行くのか、後ろを通った。通り過ぎざま、私の肩をぽん、と叩く。ん?と顔を上げると、そっと近づく唇。それはもう自然に口づけをして、何事もなかったかのように通り過ぎていった。あ、アメリカンか!



例えるならこんな感じ。改札口を通るときに定期券をピッとするように、私のそばを通るときはチュッとしていく。な、何様だてめえ!! 慣れるんだろうか。こんな生活。



「ああ、そうだ。今度3日ほど留守にする」


「へえ。どの日?」



壁のカレンダーを見ながらいさぶに尋ねる。旧暦が併記してあるやつを買ってきたのだ。いさぶが指したのは赤い日。ちょうど三連休だ。



「大きな祭りがあってな。人手が足りないってんで駆り出されるんだ。スリだの迷子だのがわんさと出るからな」



そうか、連休の間いさぶがいないのか。じゃあ、どっか行ってこようかなあ。京都とか…? いや、国内ならいさぶと行ける。ここは海外だろう。3日で行けるところ…。



「それでな、ついていてはやれないが、何ならお前さんも」


「決めた、ソウル行こう!」



…あれ? なんか言いかけてた?



「ん?」


「うん?」



キョトンと見つめ合う私たち。互いに言葉を補足しあうと、つまりいさぶは私に、江戸の祭りを見に行ってはどうかと言ってくれたのだ。自分は仕事があるから、志緒とでも一緒に。



うーん、それも面白そうではあるけれど。いさぶがいないのならば、せっかくだから海外に行きたい。だって、パスポートを持てないいさぶとは、国内旅行や江戸旅行は一緒にできても、海外旅行は絶対にできないんだもん。なら、いないときに行っちまえってわけさ!



「ソウルというのは?」


「ああ、韓国。えーっと、伊三さんの時代では朝鮮、か」



するといさぶが目をむいた。



「外国か!」



ハイ、そうですが? 私は考えをオブラートにくるんで伝えた。ほら、この人敏感だから。私が同じ時代の男性ではなく、江戸から来たいさぶと一緒になったことで、少しでも不自由にならないか、気にかけてくれているのだ。先日、両親のもとに挨拶に行ったときに、はっきりとそう言っていた。



…思い出してしまった。両親への挨拶だなんて、あれほど照れくさいもんはない。いや拷問だったよホント。



「そうか…いや、そうだな…今は、外国旅行も安全なのだろう?」



心配ご無用。そんな垂れ下がった眉をされるような危険なところへは行かない。



「韓国くらいなら一人で行っても全然」


「一人で行くのか!?」



あー…海外一人旅は刺激が強かったか。小野妹子くらいの衝撃だろうか。いや、あれは団体旅行だな。大黒屋光太夫みたいな感じ? おろしや国?



いさぶが眉根を寄せて考え込んでいる。心配は心配だけれど、それで私のやりたいことを制限するのが嫌で、自分を納得させようと必死なのだろう。悪いことしちゃったかな。けれどここで「やっぱりやめる」なんて言って解決することでもないし。第一、いさぶがどんなに心配しようと、この先ずっとソフト鎖国だなんて耐えられない。



いさぶの心の葛藤をいさぶに任せて、私は朝食を食べながら、先ほどちらりと思い出した両親との対話をなぞることにした。



=====

私たちが実家に両親を訪ねたのは、いさぶがこちらに住み始めて最初の土曜日。「一緒に住むことになったから挨拶を」とだけ伝えてあった。事後報告になってしまうことをいさぶがとても気にしてくれたので、両親にもそこは強調しておく。



「やあ、久しぶりだね」


「いらっしゃい。さ、どうぞ」



両親が出迎えてくれる。私が想像していたほどの喜色満面ではなかった。こっちも緊張してんのかな。隣りからはいさぶの緊張が伝わってくるし…動じない人かと思ってたけど、彼の中ではここは正念場のようだ。どうもです。ああ、私まで胃がきゅうっとなってくる。



両親がソファーに座るなり、いさぶが床に座った。そ、そうか、最敬礼か。慌てて私も隣りに正座をする。



「ご挨拶が遅くなりましたが、薫さんと一緒になることをお許しください」



き、キター! どへー! どんな顔してろってんだ。うわー無理! とりあえず神妙な顔の顔マネをしながら両親の返事を待つ。コラ、犬、来るな。寝てれ。



「うん…」



しかし返ってきたのは鈍い返事。ちょっと、はじめは焚き付けてなかったっけ? 今さらいちゃもん? すると母が口を開いた。



「アンタ、会社はどうするの?」


「会社? なんで? 辞める理由ないけど?」



両親が目を合わせる。そして父が聞いてきた。



「一緒に住むっていうのは江戸じゃないのか?」



今度は私といさぶが目を合わせる番だった。そうか。私が江戸に行ってしまうと思って元気が無かったんだ。



「ううん、そうじゃなくて」


「私がこちらで仕事ができるようになったのです」



いさぶの仕事のことと、私のマンションにそのまま住むのだという説明を聞いて、少しほっとしたような顔をする。けれどまだ、どこか浮かない。今はよくてもいつかはあっちに行ってしまうんでしょう──? そんな問いが聞こえてくる。そこはまだ、私たちも話し合ってはいないところで。



するといさぶが、こんなことを言い出したのだ。



「私は薫さんと夫婦になりたいと思っています。けれどご承知の通り、この身はこちらの世には存在しない身。ご親戚にもご挨拶できないでしょうし、子どもも持ってよいものか、これから二人で考えていかねばなりません。薫に、本当なら持てたはずの普通の所帯を持たせてやることが、私ではできないのです」


「伊三さん…」


「申し訳ありません。それがわかっていながら、なお一緒になりたいというわがままをお許しください。…初めてお目にかかったとき、父上は私に、薫を連れ帰りに来たのかとお尋ねになりました。そうではないと、薫を江戸へは連れて行かないと申し上げたのは、今も変わりません。私は事情があって両親とは縁を切っております。私が仕えるべき両親は、これからは父上、母上、お二人です。私に親孝行をさせてください」



…す、



すごい。

すばらしい。

すてき。

すきだ!



お母さんなんかぼうっとなっている。こらこら、私の男だぞ。そりゃあね、いつかは話し合おうと思ってた。終いの住処を東京にするのか江戸にするのか。ただ、それはずっと先のことで、少なくとも両親が元気なうちは近くにいてあげたいと思っていたのだ。それをわかってくれていたなんて。どこまで私を惚れさせる気だ。



私が江戸に行かないことを知り、両親が途端に明るくなる。やっぱりさみしかったんだね。



「気にすることないわよ。ほっといたら普通の所帯なんて持てっこないんだから。伊三郎さんには感謝感謝。ほら、食べて食べて」



母の軽口をじろりとにらむ。父はいそいそと酒を用意している。犬はいさぶの膝からどかない。大歓迎だな、おい。



まあ、ともかく──喜んでくれてよかった。



江戸土産を渡すと、それ以上の手土産を持たされた。なんか、貰い物の缶詰めとか、わざわざ買ってきたパンとか。今食べているスープもそうだ。



さて、私の回想は終わり。思い出したらまたうっとりしてしまったよ。目の前で眉根を寄せたままのこの侍に。



「韓国ってさあ…」



いさぶが顔を上げる。



「私好きなんだよね。ご飯はおいしいし、マッサージとかあるし。もうね、ツヤっツヤになって帰ってくるから楽しみにしててよ」


「……まあ、安全だというなら、気をつけて行ってこい」



よし! そうと決まればさっそく申し込みだ。仕事を片付けたいといういさぶを家に残し、私は旅行会社に足を向けた。



パンフレットを物色していると、母からのメール。



『一人旅は心配をかけますよ、母を誘ってはどうですか』



なんだ。透視か。エスパーか。慌てて電話をかける。



「アンタ、また一人で韓国行くんだって? 伊三郎さんが心配して聞いてきたのよ。安全なところなのかって。治安は問題ないけど、心配なら母を誘うように言ってくださいって言っといたから」



言っといたから、じゃない! 母娘旅はやぶさかではないが、一人は一人の楽しさがあるのであって。しかし日程を告げると、その日は予定があると一蹴されてしまった。どないやねん。



まあ、とにかくわかったことは──いさぶと私の親の仲がいいってこと。これ以上の幸せなんてある?



いやいや、けれど人生は貪欲に。きっと幸せはまだ序の口だ。



旅行の申し込みを済ませ、ガイドブックなぞを見つくろい、夕飯の材料を買って帰る。普段は和食中心だけれど、今日は海外の話が出たのだから、夕飯も海を渡ってもらおう。何のことはない、カレーだ。今や立派な日本食。



スーパーの袋を両手に下げ歩く。帰ったらきっと、私から袋を受け取ってこう言ってくれるんだ。



──こんなに重たいものを買ったのなら、迎えを呼べ。



ガイドブックを見せながら韓国の説明をすれば、こうだ。



──ツヤツヤになって来るって? 違いがわからんといかんから、今の肌を確認させろ……ほぅ、これ以上ツヤツヤになって帰ってくるのか。それはいかんな。やっぱり行かせないほうがいいかな……。




なんてね! なんてね!! 男ができたって妄想族は健在だ。しかし往来でするもんじゃない。前方から呆れた声が聞こえてきた。



「何をニヤついて歩いとるのだ」


「あ!」



実物の登場に一気に赤くなる。買い物をしていく、とメールを打っておいたので、迎えに来てくれたらしい。ごまかすように両手に下げていた袋のひとつを渡すと、ふたつとも受け取ってくれた。



「ずいぶん重たいな。こういうときは呼べよ?」


「う!うん…今日はね、カレー。根菜が多いから重たくなっちゃった」


「ふうん、初めて食べるな」


「びっくりするかもしれないけど、今日みたいな暑い日にはおいしいと思うよ」



スーパーの袋を持って歩く帰り道も、もう寂しくない。もっと贅沢をしたくなって、いさぶの手から袋をひとつ奪い返す。空いた手を、つなぐ。ギュッと握り返してくれる。



「旅行、手配してきたのか?」


「うん。ああ、お母さんは予定があるっていうからやっぱり一人旅だよ。本買ってきたからさ、どんなところか一緒に見よう」


「……」



返事がないと思ったら、いさぶは耳元に顔を寄せてきた。



「なあ、それ以上艶っぽくなられちゃ困る」


「…!」



ときに、現実は妄想を超える。この甘さに私が慣れる日は来るのだろうか──いや、慣れてしまうほうが怖い。これが当たり前になってしまったら、無くなったときにきっと不安になる。本当はそれが平常なのに、もう飽きられたんじゃないかとか、愛が無くなっちゃったんじゃないかとか、自分に自信がないからきっと思ってしまう。



「ねえ、あんまり甘やかさないでよ」


「甘やかしてるか?」


「初めは甘くなるのは当然だけど、冷ますなら徐々にしてよね。急に無くされるときっと愛情が無くなったとか思って不安になるような面倒くさい女だから私。そうじゃなきゃ最初から甘いことしないか、それか一生し続けるかだね」


「…難しいのう」


「ごめん…」


「まあとりあえず、今は甘やかな気分になるのは我慢できん…お前さんもそうだろう?」



む。ご明察の通りです。いさぶはポンポンと私の頭を叩いてくれた。



「儂のことで不安になったらすぐに言え。そんなものは消してやるから」



ほら。だからそれが甘いんだって。けど、まあ、いっか。そうだね。先々の不安のために、今のこの気持ちを我慢することはない。せいぜい甘くしてやるぜ!



「受けて立つ!」


「…は?」



さあ、帰ろう。帰ったら覚悟するんだな。

いさぶのセリフに出てくる「夫婦」は、「ふうふ」ではなくきっと「めおと」です。


さ、うちもカレーにするかな。

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