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サムライと暮らす2

「これが話を始めるボタンで、こっちが終わるボタン。このボタンに私の番号を入れているから、私にかけたいときはこれとこれを押せばいいわけ。反対にかかってきたときはこれだけ押せば大丈夫。迷ったときはとにかく終了ボタンを押しときゃいいよ」



購入した携帯電話の使い方を説明するのに、選んだ場所は駅近くの神社。子どもかおじいちゃんにでもするような説明を人前でするのはなんだかかわいそうで、参道脇の縁石に座った。ここなら人も通り過ぎるだけだ。会話までは誰も聞かない。



「ここと、ここ、だな?」



大きな手で小さなケータイはいじりにくそうだ。ボタンの大きならくらくホンにしてよかった。



ケータイを睨んでいる彼を見ていると、その向こうでこちらを見ている男性がいることに気づいた。



誰だろう? このあたりに知り合いはあまりいないんだけど。また江戸っ子か?



その人は私と目が合うとこちらへ近づいてきたので、彼の袖をクイクイと引き、目で合図をしてみる。すると案の定、彼は驚いた様子で立ち上がった。



「おぬし…! なぜここにおる!」



「それは俺の台詞だ。お前なぜ戻ってこない?」



すわ! 時空奉行の同僚か。どうすんの? 無断欠勤でしょう?



「戻れない事情でもあるのか」



言葉の途中で視線がちらりとこちらを見たのがわかった。…違うんです! 私が理由なんだけど私は原因ではないんです。



「…すまんが先に帰っていてくれんか。こいつと話があるのだ」



ムム、追い払ったな? てか、紹介くらいしろ。同僚氏も私も、お互いぎこちない会釈しかできないじゃんか。



「じゃあ、なんかあったらそれ、ね」



彼の手にあるケータイを指し、同僚氏に軽く会釈をして、私はその場から離れた。



少し離れてからふり返ると、彼はまだこちらを見ていて、私に手なんか振ってきやがる。なるほど、私が聞き耳を立てられないよう十分離れてから話を始める魂胆か。



…しかし気になる。大いに気になる。今すぐ江戸に戻れなんていう話になったらどうしよう。買ったばかりのケータイはどうする。うちに運び込んだ布団は? いやいやそんなことより彼は罪に問われるんだろうか。



悪いこととは知りつつも。私はそっとカバンからケータイを取り出す。先ほどからずっと振るえていたケータイの画面を見ると、やはりそうだ。彼が練習のために発信した電話がまだつながっている。通話ボタンを押し、耳に当てると、途切れ途切れに会話が聞こえてきた。


「……、……?」



「ああ」



「……、……?」



「いや」



うぬぅ。彼の声しか聞こえない。そらそうか。同僚氏の声は聞こえないが、疑問文か平叙文か程度の聞き分けはつく。「今のが戻ってこれない理由か?」「ああ」「なんだオイもう出来上がってンのか」「いや」みたいなことでも話してんだろか。



「それより気になることがある」



なんだオイ、話逸らしやがったな。



「こちらに来てから見かける逃亡者の数が今までより多すぎる。やはり手引きしている者がいるな」



「……、……?」



「うむ…こちらで少し調べてみたいのだが」



「………」



「ああ、頼む」



仕事の話をする男の声ってぇのもいいわねえ。そんなことを考えていたら、いつの間にか同僚氏と別れてこちらに向かってきていた彼に背中を叩かれた。



「はい、それではまたご連絡いたします。失礼します」



とっさに仕事の電話を装い、電話の話題に触れさせる間を与えずにこちらから質問を浴びせる。



「今の人、同僚? 向こうに戻らなくていいの? 大丈夫?」



「うん、逃亡者の手引きをしている者がいるのではないかと言っていたろう? あれの探索をさせてくれと伝えてもらった」



「じゃあ規則違反にはならないですむの?」



…返事の代わりににやりとするのはどうかと思う。頭をぽんぽんと叩くなって。心配してんだぞ。



「ねえ、さっきの人に私のことなんて説明したの?」



「それよりこれの使い方が途中だったのう」



また話逸らしやがった! いやしかし、彼がケータイを見ようとしたもんだから慌てて取り上げ、さりげな〜く通話終了ボタンを押す。



「はい、もっぺんやってみて」



「こうだったな」



……とりあえず。腹に一物隠した者同士、平和に事を済ませたいという点で利害は一致していたようだ。今日はこのへんにしといたろう。




=====

共同生活を始めるにあたって、私が彼に出した要望は、

「出かけるときは必ず鍵をかけること」

「窓を開けっ放しにしないこと(私は何匹たりとも虫を家には絶対入れない)」

「朝の出勤前はリズムができているから、それを通させてほしい」

というものだった。あとは暮らしていくなかでその都度お願いしていけばいい。



一方、あちらさんが私に約束させたのはひとつだけ。



ひとりにならないこと、だった。



「どういうこと?」



「まあ物騒だからな、人目がないところへは行くな。帰りは迎えにいく」



「ええ〜めんどくさーい」



あ、傷ついた顔をした。でもいちいち迎えなんぞ待ってられん。交渉の末、帰りは駅から電話をしながら帰ることになった。ひったくり防止にはよくないが、痴漢防止にはなるだろう。



「じゃ、行ってきます」



お願いしたとおり、朝の出勤準備に口をはさまずにいてくれた彼が、私の出勤姿を見てにやりと笑った。



「ほう」



「何?」



「化粧をしているのもいいものだな。別嬪があがる」



「…行ってきます!」



朝から何だってんだ! たまらず駅までダッシュしてしまう。連休中はずっとスッピンだったし、何より初対面が寝起きだもの。



「良くなってなきゃ困るっつーの!」




ところで私は環境適応力が高い。子どものころ何度も引っ越しをしたときも、大人になってから何度か転職をしたときも。大概3日目には、ずっと前からいたような顔でしれっとしていた。



だもんで。2晩越えてなんだかすっかり侍のいる暮らしに慣れてしまっていたのだ。慣れって恐ろしい。



着替えるときは「ごめん着替えるー」と言えばくるりと後ろを向いていてくれる。



ひとりに慣れた暮らしに、人が1人増えたら煩わしいだろうと思っていたけど。案外悪くないんだな。へえ。



そして、家で待っている人がいると思うと残業も減る。いつもより二時間くらい早く帰ってきてしまった。



駅につき、約束どおり彼に電話をかける。どきどき。どーも慣れません。



「あ、今駅についたよ」



「おお、どちらの道から来る? 途中まで向かうわ」



「えーとじゃあ、弁当屋のあるほうの道で」



「よし」



会話は続いたままだ。そして私はモジモジしたまま。



「だいぶ寒いよ」



「そうだな」



「あー何か買ってくものあるかな」



「ひと通りは用意してある」



「そか、ありがと」



目をあげると、優しい笑顔の彼が立っていた。こんな生活に慣れてしまって、私は大丈夫なんだろうか。始まった途端に終わりの心配をしてしまうのは、いつか終わりが来たときのダメージを、小さくするための予防線。




「うわ。夕飯立派。毎日じゃなくていいからね。そっちだって仕事しながらなんだから」



「まあはじめくらいはな」



お魚と、青菜と、汁物。すげえ。



「で、今日は何か収穫あった?」



昨日の今日であるもんじゃない。まあ、話のきっかけ程度のつもりで聞いたんだったんだけど。



「ああ。どうやら逃亡の手引きをしている者は金を取っておらんようだ」



「…誰に聞いたの?」



「この間見かけた男をつかまえて聞いた」



こやつ。じつはすごく仕事できる人なんじゃなかろうか。この仕事の速さ。初めは無職のふりなんかしてたくせに!



「よく聞けたね」



「なに、同類のふりをしただけだわ」


ふぇ〜。それはそれは、妄想の腕が鳴る。



『ちょいとオメエさんよ、ひょっとして同類だな? なに警戒するこたねェ、俺も同じ立場よ』



『俺のことがわかるってこたぁお前さんは自分でくぐってきたクチか』



『オメエは違うのか?』



『俺ぁ頼んでくぐらせてもらったのよ』



『へえ。近ごろはそんな商売があるのか。俺もそいつで稼ぎゃあよかったな』



『いや、お足はかからねえ』



『金をとらないのか!?』



『ああ。条件はただひとつ。そいつの正体を明かさないことだ』



『それだけか』



『その代わり、お役人に見つかったらそれまでだ。二度目は助けてくれない』



『ほう…酔狂なやつもいたもんだな。よほどの金持ちの道楽か』



『さあてね。俺も素性は知らねえが、知っていたとしても言えねえしな』



『いや面白い話を聞かせてもらった。すまねえな、これでいい妓でも買いな』




…みたいな感じ?



「ちょっと待て、なんだ最後のは」



「情報提供の見返りといえば小粒を握らすでしょうが」



「阿呆、あれくらいの話で女を買えるほどの金なんぞやるものか。せいぜい酒の一杯だわ」



「小粒じゃ姐さんとは遊べないか」



「当たり前だ」



ふーん。



「…ね、そういう所で遊んだことあるの?」



「ん?」



「だから〜。女を買ったことあんの?」



ニヤニヤして聞いてみる。困らせてみようと思ったはずが、なぜだか奴は私以上にニヤニヤしだした。え、今笑うとこ?



「何よ」



「いや。女の嫉妬なんぞ鬱陶しいだけだと思っておったが、好きな女の嫉妬はかわいいもんだの」



だ、だ、だ、誰が。誰が嫉妬してるって〜!!!



ほら、まただ。

どうしようほんと。

こんなのに慣れてしまったら、私この先どうするんだろう。いつまでいるかわかんないんだよ?



「じ、じゃあさ、楽しみは何だったの? 飲むほう? 打つほう?」



「博打はせんな。酒はまあ飲むには飲むが、飲まねば夜も日も明けないほどではないなあ…よう知っとるのう、そんな言葉」



男の道楽といやあ飲む・打つ・買うが基本だろうて。



「お前さんはどうなんだ」



「うーん、本屋とか図書館とか好きだねえ。あとは休みがあれば旅行かなー」



「子どものころはどうだ」



「子どものころ? …あんまり覚えてないなあ」



「…18歳のときは、どんなことが楽しかった?」



「18歳? どうして?」



「うん、儂が初めてこの仕事をしたのが数えで18だったのでな」



「へえ」



18歳か。高校3年生…それなりに悩みはあったし、大学受験の不安もあったけど、基本的に学校が楽しくて仕方なかったな。しかし山も谷もない人生には変わりない。



「私の自叙伝だったら社会人になってからのほうが、山谷ありありで面白いよ」



「ほう? 聞かせてくれるか」



「そっちのもね」



「山も谷もないがのう」



…なんて言いながら、その夜私たちはたくさんの話をした。私は転職話を、彼は過去の捕り物話を。



楽しい。



どうすんの?



大丈夫なの?



…どうしよう。



今まで経験した恋愛の回数は少ない。大学生のときに初めて彼氏ができて、卒業してすぐの失恋を20代後半まで引きずっていて。久しぶりに人を好きになったのは今から3、4年前だったろうか。大人になってからは初めての恋だった。



大人だからか、とくに何も言わずにデートをして、とくに何も言わずに旅行をし、とくに何も言わずに家に泊まる仲になって、すぐに無かったことにされた。私は本当に好きだったんだけど、向こうはそういうつもりではなかったようで。あっという間に結婚していった。



まあ、今となってはあんなのに引っかからなくてよかった、よくぞフってくれたありがとう!と感謝の気持ちでいっぱいなのだけど、当時はとても傷ついたのだ。それを癒やしてくれたのは、ただの飲み仲間と思っていた人からの「好きだった」という言葉だった。



私という人間を否定されたような気になっていたときだったから、その言葉はとてもありがたかった。やっぱり言葉は必要だ! そう思った。



けれどその彼の告白も、よくよく聞けば過去形のもの。結婚の準備を進めているとも知らないで、彼に向き合うべきかどうかなんてひとり迷っていた。どうやら私は結婚前の青春の1ページの常連らしい。



たたみかけるような失恋──恋と呼ぶかどうかも微妙な程の──で私が心に決めたのは、この2つ。言葉が無ければ信用しない。言葉があっても信用しない。



それくらい肝に銘じておかないと、私はすぐに勘違いをしてしまう。この人私のこと好きかも。私もこの人のこと好きかも。それが勘違いだったと気づいたときの恥ずかしさといったら!



その割に、いざ付き合い始めるともうフラれることが心配で心配で、愛されてる自信なんてひとつも持てないのだ。ああ根っからの不幸体質。



…でも。

こんどは違うかもしれない。大丈夫かもしれない。私に惚れたって言ってたし、嫁にしたいまで言ってたし。勘違い要素ないよね? 信じてもいいよね?



言ってしまおうか。どうやら私も惚れたみたいだと。そうしたらもう戻れないけど、いいの?



…言うなら週末がいいよね。ほら、何かとさ。次の日が休みのほうがいいじゃん? 何かあるかもしれないし。何って、ナニだよ。え!?



「おい」



「はい!」



「顔が赤いぞ。暖房を消したらどうだ」



「そうデすネー」



ああ恥ずかしい。そこで声をかけるな。しかもなんだ、風呂上がりか。自分の色気を自覚しろ。



でも、まあ、週末っていうのは悪くない考えかもしれない。一週間暮らしてみればいろいろわかるだろうし。私たちの世代では決戦といえば金曜日と決まっているのだ!



うん、週末ね。首を洗って待っていやがれ!

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