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番外編・サムライのまどろみ

完結したあとも感想をいただけて、うれしい限りです。間が空きましたが、久しぶりの番外編です。


第一部の回想が入ってきます。覚えてらっしゃらないかもですが、ただイチャイチャしてるだけでなんもないので大丈夫です!

どだい、男女の惚れたハレたに理由などないものだ。しかし、惚れた瞬間がいつだったかはわかる。薄く、降り積もるように少しずつ重なっていた思いが、形を成した瞬間。頭の中でカチリと、扉の鍵が開く音がしたのは、間違いなくあのときだった。




「あのね、なんか黙ってるのもアレだから言うけど」



「うん?」



「聞いたの。旦那に。叔父さんだってこと」



「ほう」



それはつまり、生家を勘当された経緯も知ったということか。



昨夜から腕の中にあるその髪を無意識に撫で続けながら、胸元で響く声に耳を傾ける。真夏とはいえ夜明け前のこと、密着していてもまだ辛くはない。むしろ汗ばんだ体に扇風機の風が心地よく──何よりちっとも離す気になれない。やっと手に入れたこの肌を。



「聞いてる? ……寝ちゃった?」



「聞いとるよ」



頭に頬を寄せると、くすぐったそうに身をよじるその仕草。



「それでね、そのことについての私からの意見はないんだけどね。ただ、私が知ってるってことを伊三さんが知らないっていうのはどうかなって思ったから」



いささん、ね。澄まして呼んでいるが、ふだん胸の内ではそうは呼んでいないのだろう。感情が高ぶると出てくる「いさぶ」という呼び名。初めて聞いたときは正直面白くなかったが、昨夜のように鼻にかかる声で「いさぶぅ」と甘えて来られるのは、あれは悪くない。



いさ、いさ、いさぶぅ…



昨夜何度も聞いたその声を思い出し、髪を撫でていた手を腰に下ろす。そのまま抱き寄せると、こちらの沈黙をどう受け取ったのか、不安げな顔が目に入った。言わなきゃよかったかな。余計なこと言っちゃったかな。嫌われちゃったかな。またそんなことでも考えているのだろう。



「……いつかお前さんが言っていた通りだ。辛かったときがまったく無かったわけではないが、その結果としての今があるのだと思えば、今までのすべてがひとつも無駄ではなかったと思うよ」



そう。彼女がこの腕の中にいることを感謝こそすれ、何を恨むというのだ。



なるほどいつぞや彼女が言っていた通りだ。これまでの歩みの果てに今を手に入れられたのだと、そのどれかひとつでも欠けていたら出会えなかったのだと思えば、これまで我が身に起きたことすべてが愛おしくなる。



「よかった…」



安心したようにつぶやくと、彼女は目を閉じた。心地の良いまどろみから人を起こしておいて、自分は言いたいことだけ言ってさっさと寝ようとする。その気まぐれなところも。



「…そういえば言ったねえ、そんなこと」



そう、あれは当時住んでいた裏店に彼女がひと晩だけ泊まったときのこと。私は私の人生を気に入っている。今までしてきたことのすべて、ひとつも無駄じゃなかった──そう言い切った彼女の言葉が、それまで何年もの間抱えてきた重苦しい罪悪感を、一瞬でほどいたのだった。



「あれで惚れちゃった?」



「どうだったかな」



──違う。“その瞬間”はそこではない。扉が開いたのは、そのもう少し前。



=====

日本橋小町の妹とは思えないほど地味な身なりだった。



赤ん坊の頃に神隠しに遭った娘を探せ。そう命を受けて探し出した娘は、濃紺の上下に白い靴下。あとから聞けばそれが決められた制服だったというが、辛うじてメガネの縁が赤かったことを除いてはまったく色味に欠けていて──姉のほうはにぎやかな紅い友禅に身を包んでいるというに。



可哀想だな。



それが彼女を初めて見たときの正直な感想だった。ところがその一瞬あとだ。後ろからかけてきた友人と思しき娘に肩を叩かれ、振り向くと──。



花が咲くように、という例えはああいうときに使うのだと思う。彼女の顔からパァっと笑みがこぼれ、それはもう、嬉しくてたまらないといった表情を見せたのだ。彼女にあんな笑顔をさせるものが、こちらの世界にはある。どうして連れて帰れよう?



今考えれば、17年も放置しておきながら自らの都合で連れ戻そうとした彼女の生みの親のほうが勝手なのであって、あの状況で江戸へ連れ帰るという選択には無理がある。もしも旦那に相談していたら同じ行動を指示してくれていたかもしれない。自分の過ちはあのとき彼女の発見をもみ消したことではなく、それを一人で処理したことだと、今ならわかる。



けれど当時は必死だった。自分に備わったおかしな力──親に疎まれ、捨てられる原因となったこの力が、人を助ける手立てになるというのだ。初めて自分を認めてもらえた。仕事を全うすることで自らの存在を許してもらえるのだと、そう思っていた。だから──



あのとき彼女を連れ帰らなかったことに、必要以上に罪悪感を引きずってしまったのはそのせいかもしれない。



あのときから、彼女の笑顔が免罪符になった。彼女が笑っていさえすれば、自分のしたことが許されるような気がして、すがるように彼女の姿を見に通った。いつしか、彼女の笑顔そのものが自分の心の安寧になっていた。



とにかく彼女に笑ってほしい。そればかりを考えていたから、幸せになってほしいと思った気持ちにも嘘偽りはない。けれど自分が彼女をどうこうしようなどとは露ほども考えなかった──本当に。



彼女の恋人に軽い嫉妬を覚えたことは事実だが、自分は彼女に対して罪を犯した身だと思っていたから。「惚れた」だの「嫁にしたい」だのと言ったのも、そばにいるためだ。適当にあしらってくれると思っていた。まさか、



まさか彼女がそれを望んでくれるなんて。そんなこと考えもしなかった。共に過ごした数日間で彼女に惹かれ始めていたことは否定しない。しかし自分では駄目だ。いけない。抑えねば。



戸惑い。そしてじわりとこみ上げる喜び。それを抑える罪の意識。それを上回る喜び。



そうして、ひずみに落ちた彼女を探してひと晩中江戸の町を走り回っていた間も、自分の気持ちを確定させるには至らなかった。



それがどうだ。



翌日の夕方になってようやく再会した彼女は、こちらの姿を認めると。



──ああ。



それはそれは嬉しそうに、パァっと花が咲くような笑顔を見せたのだ。あのとき見た、あの笑みだ。それを自分にも見せてくれるのか。自分にも、彼女にその笑顔をさせることができるのか。



かちり。



音が聞こえた。ずっとずっと、ひょっとしたら母親に捨てられたあの日からずっと、閉じたままでいた胸の扉の鍵が開く音が。一瞬ののち、彼女が泣きそうな表情を作る頃には、もう腕の中に抱きしめていた。



それから会えない時間が続き、待っていてくれるものかと恐る恐る半年ぶりの彼女に会いに行った日も、やはりあの笑みで出迎えてくれた。



いつもいつも、彼女はその笑顔でこちらの不安をきれいに取り去ってくれる。そればかりか自信を持たせてくれる。そばにいてよいのだという自信を。



もっとも最近は、怒った顔や拗ねた顔も悪くない、と気づいたのだが──今のこの無防備な寝顔も。この先も、まだ見たことのない姿を見せてくれるのだろうか。



「よろしく頼むよ、奥さん」



パチリと彼女の目が開いた。



「…何て言ったの今」




「お目覚めですか、奥さん」



「お、おくさん…!」



ひえー、だか、どへー、だか、よくわからん擬音で呻くその声も。



「儂はもうひと眠りする」



そう言って目を閉じれば、ずるい、ひとのこと起こしておいて、とぺちぺち叩いてくる。その心地よさもまた。



そう、彼女を成す大概の要素を気に入っている。すべて、とは言わない。なにせ彼女との暮らしは始まったばかりなのだから。これから新しい発見が、まだまだ待っているのだ。




……?



腕が軽くなる。彼女が身を起こしたらしい。髪がこちらの顔にかかるのを感じ、気配に目を開ければ、間近に彼女の顔。ひじをつき、こちらをしげしげと眺めている。



さも愛しげなその眼差しに見とれ、思わず手を伸ばすと、ハタリとはたかれた。



「寝てて。もう少し見てたいから」



──まったく。やっぱり気まぐれだ。



黙って目をつむると、彼女の手が頬に触れてきた。その温かさも。彼女の指が眉を確かめる。その感触も。鼻を通り、口に触れる。そしてヒゲをいじりだし──



「えぇい、寝られるか!」



彼女の細い手首をつかむと、うひゃひゃ、と笑って寝転がる。と、今度はキュッと眉根を寄せた。



「やっぱり慣れないや」



「何が」



「なんか、こういう、甘い生活?みたいなの」



幸せが落ち着かないとは可哀想な子だのう。



「それなら仕方がないな。時々苦いのも混ぜるとするよ」



そう言って手を離し、ごろりと寝返りを打つと背中で彼女の悲鳴が上がった。



何それ何それーっ。こういうときに背中向けられるのがどれだけ切ないかわかんないの!?



経験がないからわからんのう。そうかそうか、お前さんは経験があるのだな。誰かの背中を切なく見やった経験が。面白くないなあ。うん、それは面白くないぞ。



しばらく返事をせずにいると、背中をべちべちと叩く手が止まり、静かになる。



そのまままどろみかけたとき。かすかに鼻をすする音がした。



──またまた。



そうやってすぐに人を惑わせる。しょうがないな、騙されてやるか。しかしふり返ると彼女は慌てて背中を向けた。強引に顔を覗けば、




「何を泣いておる」



「な、泣いてない泣いてない」



違う違う、うわーウザくてごめん! どうしようどうしよう。などと慌て出す彼女を眺める。



ふだんは気が強いのに、たまにこうして折れやすい。背中を向けただけでさみしくて泣き出すなんぞ、ふだんの姿からは誰も想像つくまい。面白い。うん、これは面白いぞ。



まだ何か呻いている彼女の鼻をキュッとつまむと、ピタリと止まる。思わず吹き出すと、こらえていた彼女の涙がぽろりとこぼれた。



「…今のはわからん。なぜ泣く?」




「えー、ほっとしたんだよ〜」



涙を流しながらの笑顔も新しい発見、か。やれやれ本当に。



「お前さんを見てると飽きんのう」



「なんだそれ」



まだ知らない彼女の姿が、きっとたくさん待っている。うん、これからの暮らしはなかなかに楽しみだ。



さてとりあえず、夜が明けるまで時間はまだまだある。奥さん、どうしますか──?



しかしそれを問う前に先を越された。



「どうしますか、もう寝ちゃいますか……旦那様?」



……。



「わっ、ちょ、んー…」



こりゃあ寝られませんな、奥様?

ね、なんもなかったでしょ? ……ウソです。すみません。



現在執筆中の「ほおずき、ぱん」という作品は、「サムライ・ラヴァー」と同じ世界の話です。まったくの別作品ですが、サムライの登場人物がどこかで出てくる予定。よろしければこちらもお楽しみください。

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