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甘やかな

あー泣いた。久しぶりに派手に泣いた。すっきりしたのはいいけれど……いさぶが戻る前にこの泣きはらした目をなんとかしないとならんな。



しかし旦那は、鼻をかむちり紙はくれても目を冷やす手ぬぐいは貸してくれない。これじゃ泣いたことがバレちゃうじゃんか。



案の定、いさぶと連れ立って戻ってきた義兄は私の顔を見るなり言った。



「旦那、なに人の女泣かしてんスか」



ほらバレた! 陰で泣いてるなんて感じ悪いじゃんちょっと。



「なに、自分の女も泣かしてやれねえ奴がいるからな、ほんの仕置きよ」


仕置き、だあ?



何かい? いさぶを懲らしめるためにあんなに私を泣かせたってのか!



しかし私の形相をものともせず、旦那は耳をほじりながら義兄に報告を促した。



「富樫様のお屋敷につれて参りました。道々柳沢氏が申していたことによると、彼の単独行動だったようですね。ご家老に引き渡したときの驚きようといったらありませんでした」



「ふむ……富樫家がどんな沙汰を渡すかによるが、あるいは側室派へもよい戒めとなるやもしれんな」



「ええ。若様もそのあたりはご承知のようで、殿様ともご相談のうえ処分を決めるとおっしゃっておいででした」



そっか……若様にとってはここからが正念場だね。でもあの子ならきっと大丈夫。と、思うけど。そういえばきちんとお別れできなかったなあ…つーかあの話、フェイドアウトでよかったんだろか。



「ああ、薫」



「はい?」



「若様が近い内に時間を作ってくれとおっしゃってた。アンタに礼をなさりたいんだと。話したいこともあるそうだ」



……話したいこと。



「あー…じゃああさってなら。それか若様が落ち着いてからがよければ、日にち指定してくれたら休みとるし」



「ん、伝えとく。アンタんちに置きっぱなしの荷物を明日お返しする算段だから、そんとき聞いてみるわ」



うちに置いてある荷物……ってことはいさぶが持ってくんだよね。てことは、このあとちゃんとうちに来るよね? そういえばまだ、いさぶの顔を見れていない。それに気づいたとき、横で旦那がうぁーと大きな伸びをした。



「よし、あとはお武家の領域だ。われわれ町方は預かり知らぬところ。皆ご苦労だったな。さ、帰った帰った」



よっこいせ、と立ち上がり、首をボキボキ鳴らしながら言う。



「伊三、オメエもあとは明日でいい。おぅ薫、お前さんもご苦労さん。さっきの話忘れんなよ」



そうしてこちらに挨拶する隙も与えず、自室に引っ込んでしまわれた。



「しかしなあ。さっきの若様はホントお気の毒だったよなあ」



義兄のつぶやきに、改めてふり返る。



「ショックだったよねえ…」



「そらなぁ、『子どもの信頼裏切って!』だもんなあ」



……ん? そのセリフは。



「私ぃ!?」



「そりゃそうさ。惚れた女からああもハッキリ子ども扱いされるなんざ、お可哀想に。なあ?」



いさぶに同意を求めた義兄につられてそちらを見る。パチリと目が合うと、気まずげにそらされた。くそ。



「そもそもアンタさあ。若様のご無事を確かめる前に伊三の身を気づかうってなあどうかと思うぜ」



「……そうだったっけ?」



私が首をひねると、義兄はカーッと大げさに天を仰いだ。



「無意識はいっとうタチが悪い。そういや伊三も真っ先に薫だったしなあ。俺ぁ若様がお気の毒でもう見ていられなかったよ」



あーそうですかはいはい。調子にのる義兄を適当にあしらいながらも、先ほどの光景を思い出す。そういや、そうだな。怒られたことばかりが頭に残っていたけれど。



ちら、と彼を見る。そういえばすごく私を心配してくれた。安心したように抱きしめてくれて、それから若様に無事を尋ねたんだ。



……心配、させちゃったんだなあ。



さっきの抱きしめられた腕を思い出して、なんだか泣きそうになる。それをこらえると私の顔は自然としかめっ面になった。すると



「おっ。そら」



義兄がこっちを指差し、いさぶに何やら耳打ちをしだす。ちょっとなにさ? やんのかコラ。



にらんでやると、いさぶは困ったような何とも言えない顔で──若干口元がゆるんでいるような──ともかくこわばっていた顔は柔らかくなって、



「帰ろうか」



腕を伸ばしてくれた。



=====


家に帰ると、時計は10時半を差そうとしていた。思ったより早く帰れたな。これならちょっと残業したくらいの時間だ。



「お茶でも入れようか。ってか、夕飯まだだったね」



「ああ、儂はむこうで軽く食べた。用意しておくから風呂を浴びたらどうだ」



…なんだそれ。急に何の優しさだ。



「いいよいいよ、先にどうぞ」



しかし火にかけたやかんのお湯も沸かないうちに、あっという間に風呂から出てきたので、そのままやかん番を引き継いで私もシャワーを浴びる。髪を拭きながら出て行くと、適温にぬるまった麦茶が用意されていた。その脇で、いさぶは若様の着物を畳み直している。



「若様の荷物はこれだけか?」



「うん、着物と脇差しだけ」



冷凍のスパゲティをレンジにかけ、適当な紙袋をいさぶに渡してやりながらふと、



「おみやげかなんか入れてあげなくていいのかな」



実家の母親のようなことをつぶやいてみる。



「何か差し上げるとしても直接お会いするときに渡すほうがよかろう」



それもそうか。って。待てよ…? 今私たち、何事もなかったかのように会話をしてないか? ダメダメ、今日のわだかまりは今日のうちに解消しとかなきゃ。



私はいさぶの対面に座り、ひとつ深呼吸をした。



「あのね」




ん?と居住まいを正してくれる。



「さっきはずいぶん心配させちゃったけどね、ぜったいに守ってくれるって思ってたし。でも伊三さんは若様を助けなきゃいけないから、そのじゃまをしないようにって思って若様にくっついたんだよ」「ひずみに飛び込んだのは、とっさに考えられなかったってのもあったけど、伊三さんがあっちにいたから何かあっても大丈夫だってどこかで思ってたし」「もともと若様をうちに置いたのも、伊三さんが探しに来ると思ったからうちにいてもらっとけばラクになるかなって。だから」



ふー…。そこまで一気に言って、息をつく。だから、えーと、なんだろう。あーまたやってしまった。オチを決めずに話し出しちゃって述語が迷子になるの、よくやっちゃうんだよね。会議の席でこれやるとヘコむんだこれが。



「だから、考え無しにやってるわけじゃなくて、ちゃんと考えてるし。それが正しいかどうかは別だけど……うーん」



ピー



言葉に詰まったところでタイミングよくレンジが呼び立ててくれた。立ち上がった私の背中でいさぶがつぶやく。



「やはり、儂といるとお前さんには無茶をさせてしまうのだな」



…だから何? だから一緒にいるのをやめる、なんてまさか言わないよね。私は部屋の入り口に立ちはだかった。



「そうだよ。あなたのためにって思っていろいろ無茶して余計世話をかけちゃってそれでまた落ち込むんだよ。だから、だからちゃんと側にいてよね」



言い捨ててキッチンに逃げ込む。恥ずかしくって顔なんて見れない! 私の赤面をさらに煽ったのは、部屋からかすかに聞こえたいさぶのつぶやき。



「そうだのう……今さらやめろと言われてももう手放せないしの」




今さら手放せない、だって。どうしよう、今のこの顔見せられない。私はスパゲティを手に立ち尽くす。



「……どうした?」



なかなか戻らない私に声をかけてくれる。だって、きっとひどい顔。真っ赤で、泣いちゃってて。ああ、けど旦那は目の前で泣いてやれって言ってた。ほんとに? いいの?



意を決し部屋に戻った私の顔を見て、いさぶが一瞬ギョッとする。私はそのまま対面に座り込んだ。目に涙をためて、しかめっ面にへの字口で。



いさぶは優しい顔になり、テーブル越しに私の頬をなでて涙を拭ってくれた。



「泣かれるのはつらいが、泣くのなら我慢せずにそうして泣いてくれたほうがいいな。さっきのように、儂がいないところで泣かせるよりずっといい。あれはこたえた」



……やっぱり。旦那の屋敷での明らかに泣きはらした顔には気づかれていたか。



「ごめん。泣いたりしたら困らせると思ったんだけど」



「いや、半分は儂が悪い。そんなふうにこらえさせてしまって……もう半分は、旦那だろ」



「うん、あの人泣かせるのうまい」



「何をされた?」



「優しくされた」



「……」



いさぶの盛大なしかめっ面に、もうこらえ切れず噴き出してしまう。やっと笑った私に、いさぶもまた笑顔になる。そして──ちょいちょい、と手招きをしてきた。



「なに?」



ポンポンと自分の隣りを叩く。そっちに行けってこと? そりゃあ、くっつきたかったのは正直なところだ。ところだけれど、急に言われると照れくさい。素直になれず、またへの字口になってしまった私に、しかしいさぶは嬉しそうにつぶやいた。



「……あいつの言う通りだの」



「なに?」



帰り際の義兄の耳打ちを思い出す。あいつ何吹き込みやがった?



「いやいや」



しらばっくれる彼に眉間のシワを深くすると、それを見てますます笑みを深める。ちょっとほんとに何なのさ!!



「いやなに……そういうふうに口がへの字に曲がっているときは、照れてるか甘えてるかのどちらかだ、とな」



な、

な、

な、



「そんなこと言いやがったのかあいつ!」



まあまあ、とニコニコしながら宥めてくる。



「ほんとに怒ってるときだってあるんだからね!?」



うんうん、だって。もう……けど、まあ、あれか。こっちがイライラして八つ当たりしたとしても勝手に喜んでもらえるんだとしたら、こちらとしても好都合かもな。



気を大きくした私は四つん這いでいさぶのもとへ近づき、彼の膝をポンポンと叩いて開かせると、その隙間に自分の体をスッポリと納めた。アコガレの、いわゆる“後ろから抱っこ”だ。



広い胸に寄りかかると、腕を回して抱きしめてくれる。そうそう、これこれ。



「これ、いっぺんやってみたかったんだ。アコガレ」



「この体勢が、か?」



あまり気乗りしなさそうな声に、首をひねって顔を見上げ、聞く。



「あんまり好きじゃない?」



「顔が見えん」



……。再び頭を胸にもたれかけさせる。



「でも密着度は高いよ」



返事がないのは照れている証拠か。私の胸の前で交差されている彼の腕を、さらに上から包み込む。そうだ、これに、この腕に私はずっと焦がれていたんだ。



「そういえば、再会できてからやっとだね。こんなふうに二人でゆっくりできるの」



「そうだな」



「まだちゃんと味わってなかった」



「うん」



彼が、私の首筋に顔をうずめた。



温もりがここにある。ただそれだけでこんなにも心強いんだ。ずっとずっと欲しかった。やっと手に入れた。これからは、この腕をなくさないための努力をしないといけないんだな。



「お願いがあるんだけど」



「うん」



「今日は、一緒に寝てもらっていい?」



「……うん!?」



「今日はやっぱりいろいろ怖かったし。一緒にいてくれたら安心して落ち着いて寝られる気がする」



「こっちは落ち着いて寝られるかのう」



「ん?」



「いやいや」



そうして冷めかけたスパゲティを食べてから、私はいさぶの腕にくるんでもらい、すっかり安心して眠りについたのだった。私を胸に抱いたいさぶが、眠れていたかどうかは定かではない。

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