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お江戸、再び

「戻った…な」



「来ちゃったね…」



なんだかよくわからないままに、若様と私は江戸の町で途方に暮れることになった。私にとっては二度目の江戸。前回は真冬の夜中だったから人っ子一人いなかったけれど、今は夏の宵の口だ。表通りからは賑わう江戸っ子たちの声が聞こえる。



「ここ、どこかわかる?」



「いや、何か目印になるものがないと…」



私たちがたどり着いた場所は、どこかの店の裏。幸い人目にはつかない場所だった。…とはいえ。



「この格好で人前に出たら、怪しまれるよねえ」



「だろうな。しかし、出て行かんことには始まらぬ。行こう」



お、なかなかの行動力でないの。そうだね、しれっとしとけばそういうもんだと思ってもらえるだろ。



「どうする? 私さっき旦那のところへ行けって言われたけど。若様のお屋敷に向かうほうがいいのかな」



「屋敷が今どうなっておるのか、先に確かめられればよいが……先ほどの男は信用できるのか?」



「男? どっちの? 私といたほう?」



若様に頷かれ、私は首をひねった。信用……していい、よねえ? 即答できないところがなんともはや。



「敵ではない、よ。あの人ね、私の姉の旦那。だからまあ、とりあえず私に危害は加えないと思うけど……さっきのは何考えてたんだか私もわかんないや」



ああ、この奥歯に挟まったものをなんとかしたい。



「そうか……では、何か誤解があったのであろうな。旦那というのは?」



「小松の伊三さんとかさっきの義兄さんとか、そのあたりのお役人を束ねてる人。だから若様の捜索を預かったのがそのお奉行様なんだと思うよ」



一度しか会ったことはないけれど、あの人はいろんな意味で中立というか、オレ流を貫いてるというか。



「うん、あの人は信頼できると思う」



そんなわけで、私たちはひとまずお奉行の旦那のお屋敷を目指すことにした。で、ここどこなんだろ…?



人々の視線が痛い。この装いは明らかに浮いているし、短髪も目を引くだろう。自然と俯きがちになってしまうのを止められない。



けど。そんな私の前を、若様は堂々と歩いていく。さすが経験者! つい数日前にちょんまげ月代で東京を右往左往したばかりだもんね。



「ねえ、八丁堀に行きたいんだけど、場所の見当つく?」



「うん…あそこに橋が見えるから、おそらくあちらに行けば日本橋のほうに出られると思うんだが」



どれどれ。背伸びして覗き込むと、遠巻きに見ている人々に気づいてしまった。超注目されてんじゃん!



奇異の目。面白がる目。そして、ギョッとする目。え、ギョギョ?



いかにも使い走りといった風体の若者が、私と目が合うやギョッとして踵を返し、走り去っていくのが見えた。なんだろう、若様を知っている人だろか。



「かおる、どこからなら道がわかる?」



「っえー!…と……前に行ったときはただついてっただけだから…日本橋まで行けば思い出すかなあ。自信ないや…」



呆れたように若様が立ち止まる。



「かおるが場所を知らなければ、どうやってたどり着くのだ」



「スミマセン」



だって方向音痴だもん。「だもん」じゃねえか。しかし他人に連れられて歩いた道を一度で覚えるなんて、ムリ。



「じゃあとりあえず八丁堀に向かうぞ」



「ハイ。あ、じゃあ日本橋方面から入ってもらえれば、思い出す…かも…」



ペコペコしながら若様について歩き出す。回りを見るといたたまれなくなるから、もう若様の背中しか見ない。すると、数歩進んだところで若様が立ち止まった。



「どうしたの?」



「……なんだお前は?」



用心深く発せられた声に前方を見ると、大柄の男が立ちはだかり、道をふさいでいた。



渡世人、といった雰囲気の男だ。そう、若いチンピラみたいなのではなくて、もうちょっと堤真一とかぐらいの感じ。清水の次郎長で言ったら大政だな。後ろでは、さっき目が合った若手が様子をうかがっている。さしづめこいつは森の石松か。おそらく石松が大政を呼んできたのだろう。



真っ当ではない雰囲気に若様を狙う者かと思いきや、男が注視してきたのは私の顔。



「あのー…?」



「姐さん、ではございやせんね?」



ねえさん?



「弟はいませんが…」



しかもこんな苦みばしった弟なんているはずない。ん? 待てよ……。



「志緒、志緒のことですか? わたし妹です!」



「妹御…! それで合点が行きました。お噂は聞いておりやす。うちの若はご一緒では?」



「一緒だったんですけど…なんというか、はぐれまして。あの、お奉行の旦那のお屋敷って場所わかりますか? そこへ行けと言われたんです」



どこまで知っているのかわからないけれど、余計な詮索はせずにうなずいてくれる。さすが大政!



「かおる、知り合いか?」



「ううん、初対面。義兄さんの家の人だと思う…ですよね?」



大政はクスリと渋い笑みをもらし、うなずくと、羽織っていた半天を脱いだ。後ろに控えている石松にも同じように促す。



「汚いもので申し訳ありやせんが、これをお使いください。そのお姿はちと目立ちます」



言われた通りに半天を羽織り、若様と私は大政のあとをついて歩き出す。江戸においては、どうやら私は出会い運が非常にいいらしい。現代での、やたら侍ばっかり拾ってしまう不運(?)と相殺ってとこだな。などと、ひとり納得しながら歩いていると、町並みを見渡す余裕がでてきた。



町を歩くと、床机を出して夕涼みをしている人がたくさんいる。私は大政に尋ねた。



「そちらのお若い方とさっき目が合いました。この方があなたを呼びに行ってくれたんですか?」



「ええ。姐さんとそっくりな女子が奇妙な格好をして若い男と歩いている…なんて言いやがるもんですから、とうとうイカレたかと思ったんですがね」



…うーん、やっぱり目立っていたか。ともかくも、あとからついて来ている石松をふり返り礼を言う。



「ありがとうございました。おかげで助かりました」



「とっ、とんでもねえことでございます!」



すると石松は激しく腰を折ってお辞儀を返してきた。あ然とする私に、大政が言葉を添える。



「あまり声をかけないでやってください。こいつは姐さんの信奉者でしてね。直接声をかけられるなんざ滅多にありませんから、天に昇っちまいますよ」



ハア…やるな、志緒。ずいぶんな熱烈ファンがいるじゃないの。しかしそっくりさんで昇天するようじゃいかんな。



「おぬしが我々を見た場所は、どこであった?」



「へえ、深川のはずれのあたりでしょうか」



石松の答えに、若様が考えこむ。意図を問う視線を投げると、むぅ、と唸りが返ってきた。



「柳沢は俺をどこへ行かせようとしたのかと思ってな。はじめにたどり着いた場所から推察できるかと思ったのだが」



そっか…ひずみに落ちる寸前に、義兄がとっさに行き先を変えてくれたんだった。そういや、ほんとにあれでよかったのかな。義兄と柳沢氏、どちらを信じるのがあのとき正解だったのか。まだわからないままだ。



そうこうしているうちに見覚えのある屋敷についた。大政は、石松を使って取り次ぎまでしてくれる。



「ありがとうございます。本当に助かりました!」



「いや、ご無事でようござんした。若にもご報告しておきやす。直接こちらに向かうとは思いますが」



「ええ、お願いします。あ、けど志緒にはできれば…心配するだろうし」



よしなにしておきますよ。なんとも渋い言葉と笑みを残し、大政は帰って行った。かっけぇ…。背中を見送る私に、若様が呆れたように言う。



「お前はよく初対面の男について行けるもんだな」



「なんか悪い人じゃなさそうだったし」



「まあ結果的に敵ではなかったから、人を見る目があるということか…けど不用心だ。俺のことも初対面で家にあげたしな」



それはアンタがつれてけって言ったんじゃん。まあ確かに不用心は否めないけど。でも、



「若様こそ、やんごとない方が初対面の女の家について行ってはいけませんよ」



ぐぅ。それは…信用できると思ったから…



モゴモゴとした言い訳を聞き終わらぬうちに、屋敷からじつに太平楽な御仁が姿を現した。



「お、年下つかまえて痴話喧嘩か?」



「お久しぶりです!」



「息災でおったか。こちらは富樫の若様にございますな?」



私たちを部屋に案内しながら、とくに慌てるでもなく驚くでもなく、一定のテンションで旦那は話を続ける。……なんつうか、こっちまで緊張がほどけてくる。よ、このデキ奉行!



「お前さんの兄貴をそっちにやったんだがな、会わなかったか?」



「会いました。会ったんですけど…何考えてんだか。柳沢さんにいちゃもんつけて、私に若様を守れって」



「……ほう、柳沢殿があちらに?」



かすかに目を見開く、けど、どうもこの人の場合、驚きではなく面白がってるように見えてしまう。



「小松が来られないということで、商売人に頼んで私を迎えに来たのだと申していました。それをかおるの義兄という男は何やら怪しんだようで」



若様の説明を引き取って私も言い足す。



「伊三さんが迎えに行けないことを柳沢さんが知っているのはおかしいって言うんです」



ふむ、と旦那はあごひげをさすりながら言った。



「確かにおかしいのう。若様、小松はまさに今、柳沢殿を迎えにお屋敷に向かったところなのですよ」



どういうこと──?



「もともと夕方ごろに伺う手筈になっていたんですがね。その前にあいつ、何者かに襲撃を受けました──なに、ご心配には及びません。チャチャっとひねってやったようです」


安心させるように、私にも頷いてくれる。



「若様を狙う者が足止めを食らわそうとしてのこととも考えられる。まずはそいつらを調べ、それから報告をかねて柳沢殿を迎えにゆけと命じたんですがね。柳沢殿は、小松の来訪を待たずして『小松は来ない』と言ったわけですな? それはおかしい」



「それは──敵方が柳沢に濡れ衣を着せようとしたか…」



「あるいは柳沢殿自身が敵か、ですな」



な……!



「何を申されるか!」



激昂する若様に対し、旦那はまあまあとなだめるように手をかざす。



「なに、私は私の部下を、若様は若様の部下を信じればよいのですよ」



つまりつまり、伊三さんを襲わせたのは柳沢氏の差し金で、だから柳沢氏は伊三さんが「行かれない」ことを知っていた、ということ?



けど……若様をオムツの頃から育てた人でしょう? それはちょっと、にわかには信じがたいな。



「とりあえず薫、今日起きたことを説明してくれるか。主観はいらん。時系列で話せ」



…なんと、私の苦手なことをお頼みなさる!



「ちょっと…待ってくださいよ? いっかい記憶を整理します」



必死にアタマの中で流れを組み立てていると、かわりに若様が説明役を買って出てくれた。



「時系列で、というのであれば私がお話しするのがよいでしょう」



「では──ああ、ちょうどいい。小松にも聞かせてやってください」



図ったように、部屋の外から「戻りました」といういさぶの声が聞こえた。



「おう、柳沢殿には会えなかったろう」



旦那の言葉に、いさぶは障子戸を開けながら



「なぜそれを──む!?」



そして固まった。ども。



「まあ座れ。さ、若様お待たせいたした」



状況を飲み込むことができないいさぶが、私に助けを求める視線を送ってくる。うーんけどたぶん、私の支離滅裂な説明を聞くより若様の話を聞いたほうが理解が早いと思うよ。なので私はただ黙って、あれを聞け、と若様を指差した。



というか。それよりも私はいさぶのケガが気になる。チャッチャと片づけたって言ったって、無傷ではないんでしょう?



気遣わしげにいさぶの顔を覗きこむと、大丈夫、というように優しく微笑み返してくれた。



…あら? 私たちも目と目で通じ合えるようになってきた? わたし心はおしゃべりですが何か? ちょっとうれしくなっていると、若様の話を聞けと、今度はいさぶに指を差されてしまった。へーい。



==========

今日、私は朝から図書館に行っていました。書物を読みふけっていたら、柳沢が迎えに来たのです。刺客がこちらに来たようだから今すぐ江戸に帰れ。小松は事情があって来られないというので、かわりにそれを商売としている者を手配した、この者が若様を江戸へお連れします、と──。



「失礼。それは何刻頃でしたか」



別れ際に義兄が聞いていたことを、旦那も尋ねている。若様はひとつうなずくと、見事な記憶力を見せた。



「あちらの時計で、16時少し前でした。その……かおるが帰って来るまで引き伸ばせないかと思って時計を見たので…それで読みかけの本を終わりまで読ませろと言って、時間を稼いだんです」



わお。

私、照れる。

いさぶ、無表情を努める。

旦那、ニヤ〜っと笑う。

コラ旦那! 面白がるな!



「小松、お前が襲われたのは何刻だ?」



ニヤつきを隠しもせずにいさぶに問う。



「は、そうですね…八つすぎでしたか」



八つ。3時のおやつっていうくらいだから、ちょうど15時すぎってことか。それじゃあ柳沢氏が若様を迎えに行ったのとあまり変わらない。



「小松が襲われたことを知ってから手配したのであれば、到着がちと早過ぎますな」



「何者かが、小松を襲わせると同時に柳沢に虚偽の連絡をしたのだとしたら」



「うむ、その可能性も考えられます。続きをどうぞ」




「…それから、まあ本をもっと読みたかったのは事実なので、そのあともだいぶ読みふけりました。しびれを切らした柳沢に催促をされたのが18時すぎ。観念して図書館を出たのが18時半頃でしたか。柳沢と合流したところで、迎えに来たかおると行きあったのです」



「そうそう、それで私が柳沢さんと話してたら、お義兄さんがいちゃもんつけだして。で、まあ……現在に…至るわけです」



ことばを濁したのは他でもない。改めて振り返ったら自分、考え無しにも程があるんじゃない? こりゃあ、無鉄砲だとまたいさぶに叱られそうだ。案の定、いさぶは聞き流してくれなかった。



「こら待て端折るな。それでどうしてお前がここにおるのだ」



「それはー…柳沢さんは若様に、私から離れてひずみへ逃げろと言ったんだけど。義兄さんが、若様を離すな、お守りしろって」



「それで?」



「それで、まあ、あれだわよ」



「かおるが俺の手を引いて、その穴に飛び込んだのだ」



ああ若様。バラしちゃうの? ちらっと伺うと、いさぶが眉間のしわを深くし、旦那が笑みを深くしていた。旦那が愉快げに問う。



「薫、お前さんどうしてひずみに飛び込んだんだ?」



「え〜…」



ちらっといさぶを伺う……ハイ、逃げられまへん。



「柳沢さんの言うことと、義兄さんの言うことと、どっち聞いたらいいかわかんなかったもんだから。あいだを取りました」



「おっ…ま」



お前は!といさぶが発しかけた小言を遮って、カッカッカッと旦那の高らかな笑い声が響いた。



「いや面白え。面白えじゃねえかお前ェさんよう」



…お粗末さまでございます。いさぶの顔は見れません。



「でー、そんなわけでひずみに飛び込んだんですけど。直前に義兄さんが、なんか力を加えて行き先をずらしてくれたみたいなんです。柳沢さんが若様をどこに帰そうとしてたのかはわかりません」



「やはり、柳沢を疑われますか?」



若様が旦那に問う。挑むような目つきだ。



「ふむ。どちらとも取れますな」



当然、旦那は臆するでもなく受ける。そして、おう、といさぶに顎をしゃくり、いさぶが「は」と短く答えて部屋を出て行った。



なんだなんだ、この流れるような見事なアイコンタクトは!



「なんですか今のは」



ん?と廊下を伺いながら、



「捕らえた奴らにカマかけて来いってな。ところで薫、お前さんこの後も協力する気はあるか」



? そりゃあもちろん。こんな中途半端なところで帰るなんてできない。ただ…明日の始業時間までに会社に電話一本入れられさえすれば。



旦那は廊下を覗き込み、いさぶがいないことを確かめてから、声を潜めて私たちに提案をしてきた。柳沢さんの正体を暴く、あるいは疑いを晴らす方法を。



──薫を使う。伊三には内緒だぜ?

身分としては旦那より若様のほうが上なんですが、旦那もそこそこの役職&年齢なので、若様は丁寧語を使っています。

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