サムライと暮らす
独女の休日は気ままなもんである。
昼起きて午後に洗濯を干し、夕方から遊びに行ったって構わない。録りだめた韓国ドラマを10話分一気に見るのも、図書館に一日中入り浸るのも自由だ。人に言うほどの趣味ではなくても土日は楽しい。
しかし優雅な休日も日曜の昼まで。夕方になると様相は一変する。
週末くらいは自炊をしようと、食材を買いにスーパーマーケットに行く。すると、いるわいるわ若夫婦&幼子の家族連れ・ベビーカーの群れ・イクメンとでも呼ばれていそうな若父さん。
ああそれらを見るにつけ、一体どこが少子社会かと問い質したくなる。少なくともわが家の周りは子どもだらけだ。
家族連れには買えないであろう高級肉を買って溜飲でも下げようと思うがそれもまた虚し。敗北感なのか劣等感なのか罪悪感なのか。なんかもうわからないけど尻尾を巻いて家に逃げ帰る。それが私の日曜日だった。
だった、のだけど。
ちらちらと横を見ずにはいられない。今日の私の隣りには侍がいる。家族以外の誰かと夕飯の買い物だなんて。つまりその、オトコと夕飯の買い物だなんて! ああ落ち着かないことこの上ない。
違うんです。まだそういう仲ではないんです。わが同胞たちに心の中で弁解をくり返す。
侍用の洋服と布団を買い込んで帰宅した両親に、二人で私の家へ帰ることを告げ──それは結婚を決めたからではなく見極めるためだ、と重々釘を刺して。でないと式場のカタログがすぐに送られてきてしまう。そして私たちは翌日曜日にうちの1Kへと帰り、こうして日用品だの食材だのを買いに来たというわけだ。
な、何が食べたいか聞いてみちゃおうかな。つきあいたてのカップルか! やめやめ、いつも通り自分の食いたいもんを食うてやる。財布は私持ちだ。
若干キョドり気味の私は、侍の様子がおかしいことに気づくのが少し遅れた。侍は遠くを行く通行人をじっと見ている。
「どうしたの?」
知ってる人でもいた? そう聞こうとして、それもおかしな質問かと思い直す。彼が知ってる人ならその人も江戸の人のはずだ……って、え!? まさか?
「いや…何もない」
眉、思いっきりしかめてるのに? ためしに聞いてみる。
「あの人、ひずみをくぐって来た人?」
「……お前さんの勘はよう働くの」
「迷子の人のほう? 下手人のほう?」
「あの様子から見ると、逃亡者のようだな」
昨日といい今日といい。そんなにうじゃうじゃいるものか。物騒な。
「おかしい…」
「ほんとだよ。しっかり捕まえといてよ時空奉行」
「いや、多すぎる」
つまり。能力者が犯罪人になるというのは稀なことだから、ひずみを越えた逃亡も、本当ならそんなにあることじゃない。
つまりそれって、
「能力者が逃亡を手引きしてるってこと?」
何かを考え込み始めた侍からは、それ以上の返事はもらえなかった。集中すると返事をしないタイプか。うちの父と同じだ。
まあいいか。仕事のことに口をはさんでもアレだしね。先に買い物してるよ、と合図をして店に入ると、侍はそのまま私のあとについてきた。
「あれ? 今の人捕まえなくていいの?」
「ああ、捕まえられん」
侍によると、万が一の誤送を防ぐために、手配書なり捜索願なりがない人の返還は禁止されているそうだ。
なるほどね。確かに「ついうっかり」で江戸にやられちゃ適わない。
「じゃ、明らかにそれっぽくても見逃さざるを得ないときがあるんだ」
「まあ仕方ないわ」
「でもさ、下手人はいいけど迷子のほうは帰してあげたくなるよね」
少し、相づちまでに時間がかかった。
「……こちらのほうが幸せに暮らせるのならば、帰さないほうがよいこともある」
……ああ、そうか。江戸時代、農村とかなら飢饉もあったろうし、口減らしもあっただろう。捜索願など出さないケースも多いかもしれない。こちらでいい人に拾われていれば、そのほうがいい場合もあるのかもしれない。
それからの侍は、先ほどの男が気になるのかすっかり無口になってしまった。いいだろう。そっとしておいてやる。
会話のないのをいいことに、100%自分の食べたいものでメニューを決めていく。しかし成人男性の食事摂取量がまったくわからない。ま、足りなかったら我慢してもらうか。食材を余らせるよりはいい。
……母だったら多めに用意して余らせるな、きっと。昨夜のハンパない夕食の量を思い出して考え直す。
あれ何だかんだほとんど平らげてたしなあ。
結局、「きもち」いつもより多めに食材を買い込み、会計を済ませた。当然ながら出て行く札がいつもより多い。
(つーか普段は札すら登場しねえわ)
これ、エンゲル係数エライことになるなあ。
でもまあいいか。
まあお金はそこそこ稼いでいるし。
たまにドカンと旅行するくらいしか使い道ないし。
いつまでいるかわかんないし。
それに何より。
何も言わずに重い荷物を持ってくれるその背中とその二の腕に、うん、お金払う価値はあるなと思ってしまったのだった。
=====
その夜。
私の緊張はピークに達していた。
夕飯を済ませ、
片付けを済ませ、
風呂を済ませ、
ベッド脇の床に布団を敷くと、私の口数がどんどん増えていくのに反比例して、彼が無口になっていく。
そりゃあ、そりゃあね。ここまでしといて「そんなつもりじゃなかった」なんて言えないことはわかってる。けど、私が意思表示をするまでは、この人なら待ってくれるんじゃないかって……いや別に強引に来るならそれはそれで悪かないけど……ってダメダメ! 大人だからって「暗黙の了解」はイヤだ。お互いの了解事項に齟齬があることに、事のあとに気づいたって遅いのだ。その痛さは経験済みだろが!
「お前さんは……」
ちょっと待って今それどころじゃない。
「はあ……」
大きなため息。ん?
「あ、ごめん何?」
「いや…お前さんは本当にあれだな」
なななな何? なんだその充血した目は。やんのかコラ。
「本当に宵っ張りだのう…」
──あ。
そうだったね。おひさまとともに生活するお江戸の人にとって11時は深夜だよネ。
「電気消すね」
「いやお前さんが必要ならばそのままにしておいてくれ。儂は居候の身だからの」
ほう、居候という自覚はあるのか。ならば明日は四角い部屋をまるく掃いてでももらおうか。
「今日は私も疲れたから。おやすみ」
正確にいえば気疲れだ。ほんとはこれからのことを話さないといけなかったんだけどね、生活のルールとか。まあいい。明日もお休みだ。
興奮で、もとい緊張で眠れやしないと思っていたのだけど、すぐそばで聞こえる寝息は案外悪くなくて。私もすぐに気持ちのよい眠気を迎えたのだった。
この人早起きなんだろうなあ、なんて考えながら。
=====
翌朝私が目を覚ますと、侍はすでに汗だくになっていた。
「…何なの?」
「おお、おはよう。いやちょっと素振りをな」
ベランダで?
刀を?
素振ったって?
すぐさま他人から見える場所で刀を振るうことを固く禁じたのは言うまでもない。ああ通報されていませんように。
そして侍は、朝食を途中まで用意してくれていた。冷めると困るものは私が起きてから、と思ってくれたそうだ。すみませんねえ。
朝食を終える頃に洗濯が終わり、後片付けを侍に任せて私は洗濯物を干す。
……生まれて初めて見た。自分ちのベランダにふんどしがはためいてるところ。独り暮らしの女子の防犯対策に、男物の下着を干すというのがあるけども、こいつが干してあったら最強だろう。
互いの仕事を終えたところでお茶を入れてひと息つくと、私は家のスペアキーを渡した。
「これ持ってて。私も明日から仕事だし、日中ないと困るでしょ」
「何!?」
あら、固まった。
「仕事とは、朝から晩までか?」
「まあ、そうだねえ。夜もわりと遅いかな」
「ずっと一緒におれるわけではないのか…」
「なななな何言ってんの!?」
侍はまた黙り込んだ。何かを考えているようだったので、そのまま次の言葉を待つ。目の端では白いものがひらひらと風に揺れている。
そうしてようやく彼が発した言葉はこれだった。
「いつでも連絡の取れるような道具はあるかのう」
……なるほど一緒に生活するならあったほうが便利か。きっずケータイからくらくホンで十分だろう。
「いいよ、買いに行こう」
「すまんな」
「まあいいけど。ね、それよりアンタのほうは仕事どうなってんの? これからどうすんの」
返事のかわりに茶をすする。あ、目が泳いでるぞ。触れられたくないってことか。しかしなあ、いい若いモンが日がな一日ぶらぶらしてたってなあ。
「好きに行き来できるんならさ、毎日江戸に働きに行ってそれで夜はうちに帰って来たらいいじゃん」
あれ? これじゃ同棲前提だな。いかんいかん。しかし侍が驚いたのはそこではなかったようだ。
「そんなこと、考えたこともなかった。面白いことを思いつくのう」
「やっぱムリかしら」
「毎日の行き来も物理的には不可能ではないがな、勝手にひずみを越えることは禁止されておるのだ」
「へえ?」
「逃亡者もしくは行方不明の者を呼び戻しに行くためだけにしか、越えてはならんことになっている。だからひずみを越えるためには手配書が必要なのだ。手配書を持たずに渡るのは厳罰の対象になる」
ふーん。ちゃんとしてんだ時空奉行。
「で、その人物が見つかった場合はその者とともに帰ることになっているし、見つからなくても三日以内に一旦は帰る。不要な長期滞在を避けるためにな」
さらりと言ったが目はさっき以上にせわしなく泳いでいる。
あれ? おととい男をひとりひずみに放り込んでたよね?
「ねえ、それじゃアンタの今の状態って……?」
「……です」
「なんて?」
ええぃはっきり言わんか!
「……掟破りです」
…って。ちょ、こらーっ!