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働く、ということ

「伊三さん」



玄関の外へ出て、いさぶの腕に手をかける。すると、



「ぉわっ」



腰を引き寄せられた。バランスを崩しかけ、思わず彼の胸に手をつく。



どどどど、どうした?



その一見スリムだけれど実はがっしりとした彼の腕は、私の肩ではなく腰にある。つまりそれだけ密着度が高いわけで。こんなこと、あまりないからどぎまぎしてしまう。



「じゃあ行って来る」



しかし彼の声は、いつも通り。



「い、行ってらっしゃい」



ぎゅ



「若様を頼む」



「うん」



ぎゅ



「あの方なら心配ない。儂からお前さんを庇おうとしたあの目は本気だ。お前さんを危険な目には遭わせるまいよ」




「そ、そうなんだ?」



ぎゅぎゅ



……聞こえる声は、ごく落ち着いたものなのだけど。その行動は思いっきり「妬いてます」って言ってない?



くり返しになりますがヤキモチというのはありすぎても鬱陶しいくせになければないで寂しいものなのでして。こんな風に示されちゃあ、



(やべ、うれしい)



私はおでこを彼の胸に預けた。その匂いをいっぱいに吸い込む。



「…自分がこんなに度量の狭い男だったとはのう」



頭上から聞こえる声に首をかしげる。狭い? 広いの間違いじゃなくて?



「お前さんもあまり若様に失礼のないようにな」



「うん…でも私にとってはただの年下の居候だしなぁ」



いさぶは苦笑した様子で、私の頭をぽんぽんと叩いた。



「まあ、若様にとってはお前さんのそういう態度が安心するのかもしれんな」



ぽんぽん、ぎゅ。



若様ごめん、大変なときに。けど私のこのひとときの幸福を、今は許して。



その夜。床についてからもしばらく眠れない様子だった若様が、ぽつりと声をかけてきた。



「かおる、まだ起きておるか?」



「うん…どした?」



「明日も仕事だから…早く休んだほうがよいな?」



「や、もっと遅くまで起きてることも多いし。眠れないならつきあうよ?」



私はごろりと寝返りをうち、体を若様のほうへ向けた。もっとも、私はベッドで若様は床に敷いた布団にいるから、声は下のほうから聞こえてくるのだけど。「俺を下座に寝かすのか」と言われたけれど、客用の布団のほうが柔らかいからと言って納得させた。その辺はウソも方便だ。私のトゥルースリーパーは誰にも渡さない。



「…かおるは、かおるの仕事を自分で決めたのか? それとも世襲?」



「世襲ではないよ。けど自分で決めたかっていうと…うーん、なりゆき、かなあ」



意外な質問に、遥か昔の就職活動を思い出す。要領が悪く、熱意も不十分だった私は就職がまったく決まらず、結局親の縁故で小さな出版社に雇ってもらったのだった。そこがまず、なりゆきというか偶然というか。



希望して入ったわけではなくてもそれなりに頑張って、縁故採用のくせに転職して、それを何回かやって今の職場に落ち着いた。それも…なりゆき、かな。



「なりゆき…志があったわけではないのだな」



こころざし、という言葉にドキリとする。



「うん…必ずしも熱意を持って選んだわけじゃない。けど、今の仕事は私に合ってると思う。ちゃんと前向きに働いてるよ」



「俺は……生まれたときから父上を継いで当主になるものと決められていて、俺もそれに何の疑問も抱かなかった。抱く余地はなかった。そこには自分の意志など無関係だから」



「うん…」



「なりたかったか、と言われると正直わからない。ただ、ずっとそうするものだと思ってきて、修練も勉強もしてきたのに突然“なるな”と言われてもどうしてよいか」



「戸惑うほうが大きい? ライバル心…えーと…渡したくないって気持ちより」



「争いを受けて立つほどの熱意はないかもしれない。もし弟自身が本当に望んでいるのなら、退いてもよい。よいが…」



ゴソゴソと寝返りを打つ。



「あいつは人の上に立つのは向いていない。それよりも補佐のほうが合っておる。あいつが付いてくれたら俺もよい当主になれるだろうと、ずっと思っていたんだ」



へえ…ちゃんと考えてるんだ。



「じゃあ、やっぱり自分が継ぎたい?」



返事までには少し、間があった。



「この程度の気持ちでやってよいものか…」



そりゃあ…さ。熱意とか夢とか、それこそ志とか、そういうものに根差して仕事をするのは素晴らしいことだ。ことだ、けど。



「多くの人は志のためにじゃなくて、食べるために働く。仕事を始める前の志も大事だろうけど、始めてからの志がもっと大事だと思うよ。まあそれも…毎日働いてると忘れがちなんだけどね」


働くことの意味なんて、自分で見つけるもの。私だって熱意があるわけじゃない。目的は、と聞かれたら、たまに行く旅行や贅沢ランチのために頑張ってるって程度かもしれない。けど仕事自体が楽しかったり、やりがいとかそういうものだって、なければ何十年も働けない。



うまく言えないけど。働くって毎日の生活の一部で、ずっと続けていくものだから。そんなに熱くも冷たくもないんだよね。



「ね、跡継ぎになるために勉強してきたって言ったじゃない? それの原動力はなんだったの?」



「なんだろうな……教育係の男がいると言ったろう?」



「ああ、伊三さんがいま会いに行ってる?」



「うん…あいつに褒めてもらえるのがうれしくて、ただそれだけを目的にしてきたかもしれんな。情けないことだが」



自嘲気味に笑う若様に、私は思いっきり否定する。



「そんなことない、おかしくないよ。褒められたいって私もいつも根底にある。あなたの仕事の場合は、よくわかんないけど直接人を治めるものでしょう? だからその人たちに評価してもらえるように、褒められるように仕事しようって考えるのは正しいと思うよ」



「そんな考え方は初めてだ…」



扶養家族もいない、自分のためだけに働いている私と、何万だか知らない領民の幸福のために働くことになるこの若様と。一緒にしてはいけなかったかな。この人が背負ってきたもの、背負っていくものがどれほどの重さか。それを奪おうとしている人たちは、そこをわかってやってんだろうか。



私はどうしようもなく、たまらない気持ちになって──軽率だった。よくなかった。私は身を起こし、腕を伸ばして、若様の頭を撫でたのだった。ただただ、味方になってあげたくて。



=====

翌朝。いつも通り目覚ましの音で目を覚ました私は、いつも通りに手を伸ばした。私は目覚まし時計ではなく携帯電話のアラームで起きているから、ケータイの置いてある場所に手を伸ばしたのだ。いつも通り。



──?



手が、動かない? そうか、まだ夢かあ………のわりにアラームがうるさい。



止め、手が、うん? あれ……?



ガバッ



「うぁあああ!!」




手を伸ばして頭を撫でた。味方につかせて、という思いを込めて。



私の手が触れた瞬間、若様はピクリとして──しばらくされるがままにしてから、私の手首を掴んできた。



「あ、ごめん」



「……」



けれど拒否かと思ったその行為は、じつは逆で。引っ込めようとした腕が、離してもらえない。



「あのー…?」



二度呼びかけたら、手首は離してくれたけど、手をつなぎ直されてしまった。



「もう寝る」



「え、ちょっと!?」




…そうだ、そうだった。結局ベッドの上と下とで手をつないだまま寝てしまったんだ。



ベチベチベチベチ、と若様の手を力まかせに叩き、ゆるんだところでわが手を取り返す。



あ、あぶねー。いさぶが来る前でよかった。



「…? 手がしびれておるな…」



よし、敵も寝ぼけておるな。起きるべし起きるべし。若様のことは放っておいて、私は出勤の支度を始めた。くわばらくわばら。




急げ、自分。とっとと出かけてしまおう。超高速で支度を整えた結果、玄関に立ったのはいつもより30分も早い時間だった。



ガチャッ



ドアを開けると、びっくりした顔のいさぶが立っていた。



「あ、おかえり」



「…出勤はこんなに早い時間だったか?」



「うん、まあ、あのー…? 走って来たの?」



真夏とはいえ、まだ気温の上がりきらない時刻。いさぶが汗をかいてやや息があがっていることに気がつき、私は問い返した。



「うん、まあ、そのー起こすには早い時間にこちらに着いたのでな、このあたりを一周」



「……いちど家に来た?」



目を合わせられなくて、足元を見ていたから、いさぶの目もまた泳いでいたことに私は気がつかなかった。



「うん?…ほれ、早く行かなくてよいのか?」



…見たんだ。見たんだ! 私と若様が手をつないで寝てるところを!! どうする? 謝る? 説明する? 見なかったことにしてくれてるのに乗っかる?



「あー…」



ガチャ



再びドアが開き、若様が顔を出した。



「おお戻って来たか。ご苦労であった」



「若、おはようございます。あちらでわかったことをご説明いたしましょう。ささ、中へ。お前は仕事にゆけ」



そして二人の侍はドアの向こうへ消えて行った。会社があってよかった。しかし夜にはこの家に帰って来なきゃいけないのか。



…今日は残業決定だな。

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