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誤解ですっ!

背中は汗でぐっしょりだった。



(早く脱いで拭いたほうがいいんだけど…)



しばらくさすっていると、次第に指先に温かみが戻ってきた。呼吸が落ち着いたのを見計らって、顔を覗き込む。



「大丈夫…?」



「取り乱してすまん」



「私も驚かせてごめん…どう? 落ち着いた?」



落ち着いたのならちょっと体を起こしてくれないかな。そろそろ腕がしびれてきたし、電気もつけたい。部屋の中を浮かび上がらせているものは今、窓から入る街灯の明かりしかない。



若侍の体を起こそうと力を入れると、



「まだじゃ」



そう言って、私の膝を枕にごろりと横になった。



「おい、コラ」



「刺客に追われていた」



しかく?



資格、視覚…刺客!?



「殺されかけた。武士たる者、剣術の心得はあったつもりだが…多勢に無勢でな。堀端に追い詰められ、斬られる、という瞬間に、堀に飛び込んだのだ。そうしたら」



「ここに着いたんだ」



「うん…追っ手はこちらには来ていないようだが…」



「誰があなたの命を狙ったの? 犯人に心当たりはある?」



「さてな」



「ふつうはないよねえ」



「いや。俺の周囲は敵しかおらぬ。心当たりがありすぎて誰が首謀者かわからぬわ」



「そんな…!」



そんな物騒な子には見えない。むしろ育ちのいい感じ。…そうか。お家騒動、後継ぎ問題。家督の奪い合い──するとこの子の敵は。



「家族…? 家族に狙われてるの?」



「あれを家族と呼ぶならな」



身近な人に命を狙われ、追われてここへ来た。なるほど先ほどの緊張も殺気も頷ける。



詳しく聞いてあげたいんだけど。その前に起きてくれねえかな。膝枕なんて、いさぶにだってしたことないっての!!


「…話聞くからさ、ちょっと起きろ」



おでこをぺちぺちと叩くと、うるさげに払いやがった。



「まだ動悸が治まらん」



「嘘をつけ! てかさ、早く脱がないと風邪引くよ」



むくり。起き上がったその顔色は、この暗さではよく見えない。



「…っおなごが脱げなどと言うでない!」



ガチャリ。



ドアが開く音が聞こえたのはそのときだった。



いさぶだ!



うちに来る可能性のあるのは彼ぐらいだ。だから私は、我知らず顔をほころばせた。だって本当なら来週まで会えないはずだったんだもの、会えるのは素直にうれしい。



一気に熱が上がった私は、隣りの若侍のことをほんの一瞬、忘れた。ぺたぺたと廊下を歩く音がして。



大柄のシルエットが電気のスイッチに手を伸ばす。



パッと明るくなった室内には、やっぱり私の好きな人。



「伊三さん!」



「……」



伊三さんは、お、いたのか、というような軽く驚いた顔から、一瞬だけ険しい顔つきになり──それからは一切の表情を抑えた。



「何奴…!」



硬い声が耳元でして、私は自分の置かれている状況に初めて気づく。



それは突然の来訪者から私を守ろうとしたのだろう。若侍は私の肩を引き寄せ、反対の腕で私の前面を庇っていた。



つまり、

私は、

この若者に、

抱きしめられていたわけで。



「ちち、ち、違うの! 違う! 違うんだよ!」



どちらに対して何を釈明しようというのか、もう自分でもわからない。まずどっちの誤解を解くのが先決?



が。慌てる私を優しい一瞥で黙らせ、伊三さんは若侍に向かって膝をついた。



「手前は南町奉行所引田勘右衛門様付、小松伊三郎と申す者でござる。富樫越前守頼義様御嫡男、頼光様にあらせられますか?」



…なんて言ったの? まったくヒアリングできまへん。辛うじて聞き取れたのは、いさぶの名前と「ナントカのかみ御嫡男」。てことは、やっぱり相当なご身分の若様だったんだ。



「…いかにも、頼光であるが。役人が何の用だ」



ひっじょーうに訝しげな若様に対し、いさぶは頭を下げた。



「お迎えにあがりました。ご無事でようござった」



「あれ? それじゃあ捜索願が出たの? 思ったより早かったな」



「今朝方早くにご家中の方より使いが参ってな。やんごとなき方なので、総動員であちらとこちらをお探ししたのだが──まさかこちらにいらしたとは」



じゃあやっぱり、うちにいてもらって正解だったんだ。よかった!



「よかったね、早く帰れて」



「帰らぬ」



……ん?



「若様、今なんと」



「帰らぬ」



「ちょっと、なんでよ」



「おぬし、家中から余の捜索願が出たと言うたか。家中とは誰じゃ?」



!そうか! その使いは若様の命を狙う一味な可能性もあるんだ。



「伊三さんこの人、家の人から命を狙われてるの。刺客に襲われてるときにこっちに来たんだって」



私がそう説明すると、



「誠にござるか」



いさぶは若様に問うた。



「ぺらぺらと喋るな! こやつが敵の手先ではないという確証はないのだぞ」



これは若様から私への言葉。



「この人は敵じゃないよバカ!」



これが私から若様への言葉。



「これ、失礼だぞ」



で、いさぶが私を諫めて



「ゴメンナサイ」



と私が謝る。



…えーとつまり、若様はいさぶより強くて、いさぶは私より強くて(…とも限らないけど)、私は若様より強い。簡単にいえばジャンケンのような、複雑にいえばエッシャーのような。私たち三人にはそんな関係が出来上がっていたのだった。




とりあえず、腰を落ち着けてじっくり話したほうがよかろうと判断し、私は若様にシャワーと着替えを命じた。その間に夕飯を作ることにする。



私が野菜を炒める隣りで、いさぶが洗い物を始めた。本当なら至福の光景なのに、妙な緊張感が拭えない。



…謝ったほうがいいよねえ。←何にも悪いことしてないのに?←人間関係を円滑にするために必要なクッションだと思えばいいさ!←そうそう、故意でなくとも嫌な気持ちにはさせたわけだし。



「若様がいらしたのはいつだ?」



「えっ。あ、会ったのは昨日の夜。だから昨日はうちに泊めた。ごめん…いや、やましいことはないんだけど、何かその…」



モゴモゴと口ごもる間に洗い物を終えたいさぶは、手をふきながら言った。



「疑ってなぞおらんよ。それはお前さんの顔を見ればわかる」



「顔?」



「儂を見て、うれしくてたまらないという顔をしておったわ」



……。否定も肯定もできず、黙って塩をふる。



嫉妬されるのは鬱陶しいし、疑われるのは悲しいけれど、勝手なものでまったくヤキモチを妬かれないというのもこれまた寂しかったりなかったり。



(案外あっさりしてんだな…)



表情を盗み見ようとしたとき。若様が風呂場から出て来られた。



「かおる、腹が減った」



「…お前は遠慮ってもんがねーのか」



「これ! 若、ご無礼つかまつった」



ああややこしや…!




夕食後、若様は語り出した。



俺の母上は、父上の正室だ。俺は嫡男で、弟がおるが、これは側室の子だ。俺は生まれたときから跡継ぎとして育てられてきた。しかし昨年、がらりと事情が変わった。



「…母上が亡くなられた。それから義母の発言権が一気に大きくなったのだ」



「ご自分のお子様に跡を継がせようとなさった…?」



「あからさまには言わぬがな。俺のアラを探そうと必死な様子は誰もが気づいておったわ」



しかし、と若様は続けた。



身の危険を感じるようになったのは最近のことだ。まさかそこまでは、と思っておったが、甘かったようだな。けれどあそこまでハッキリと襲われたのは昨日が初めてだった。



「回りは敵だらけ、って言ってたけど…その側室さんの他には?」



「家老はあちら方だな。他も、大概の者が義母の味方についておる…母上のご実家はあちらに比べて力がないから」



「では信頼できるご家来はおられますか。他の方に知られぬように接触してみますが」



「…側用人の…柳沢康二郎に話をしてくれ。その者は信用できる。俺の教育係だ。俺はその者に育てられた」



「承知いたした」



「こちらに連れては来れまいか」



若様の申し出に、いさぶが難しい顔をする。横で聞いていた私にも、それが少し難しい要望であることはわかった。けれど。



「人伝てでは、信じられんのだ…」



若様が疲れたようにつぶやく。そのやるせなさが、胸に痛い。



「それは少し…難しくはありますが、事情が事情ですからなんとか…」



うん、と若様が頷く横で、うんうん!と私も強く首を振った。そうできますように、という願いを込めて。



「お前さんは明日も仕事か?」



いさぶが唐突に私に聞いた。



「…?うん。いつも通り」



ふむ、と立ち上がる。



「ならば朝までに戻る。若をお一人にはさせられぬからな」



……うん。



お仕事だものね。私じゃなくて若様を守るのが仕事だものね。私を信用してるんだよね、私が若い男と夜を過ごしても平気だってのは。



若様に挨拶をして部屋を出て行く背中を、少々恨めしげに睨む。…ん?



時を超えるためには、ひずみを作ってそれをくぐる。うちの中でひずみを作ってもいいのに、むしろそうしたほうが、人に見られずに済むのに。いさぶはわざわざ家の外に出ようとしている。



ほんの一瞬、私に視線をくれた。



……っ!



私はとっさに立ち上がり、送ってくる、と若様に言い置いて、いさぶを追いかけた。

役職などはもちろんフィクションにてございます…。

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