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第二部 序章

「おかえり」



「ただいま」



待ちに待った、待ってていいのか迷いながらも、待ち焦がれた再会。私は菜箸を手にしたまま、玄関先に立ち尽くした。



もっとよく顔を見せて。触らせて、確かめさせて。ううんやっぱりまずは、その顔がしっかり見たい。



じぃっと目を見つめると、侍も同じように私の目を……あれ? そらした?



「上がってよいか?」



「あ、ああハイ。もちろんどうぞ」



「…部屋の感じが変わったな」



「前はコタツ布団があったからね。はい、麦茶」



調理の火を止めていそいそと茶を出し、扇風機を侍に向けてやる。ああ、その無防備な背中に飛びつきたい。けれど視線をそらされたことが私にブレーキをかける。



「すまんな。…ちょっと座ってくれるか。話したいことがあるのだ」



「は、はい」



もそもそと対面に座ると、侍はやはり目を合わせなかった。



「その…何から話したものか…」



「なに…?」



まさかよくない話…?侍の大きなため息に、一気に不安が募る。ちょっと何! 感動の再会でしょ!



「お前な…いくら家の中とはいえ、服ぐらい着ろ」



……は?



「着てるじゃん」



「そんなものは服とは言わん」



侍的に、キャミソール&短パンは半裸も同然らしい。まあ、確かに? これで宅配の受け取りには出られないけれど。真夏の部屋着なんてこんなもんだ。クーラーかけるの嫌いだし。



「目を合わせてくれないのは、そのせい?」



「どこを見てよいかわからんわ」



「別にどこだって見りゃあいいのに…」



ぶちぶち言いながら、手近にあったパーカーを羽織る。もう、びっくりさせおって…私は苛立ちに任せてチャックをジャッとあげた。これでどうだ。



「はい、お話どうぞ!」



「なぜそこで拗ねる」



「拗ねとらん!……なんか、嫌われちゃったのかと思って不安になったんだよ…」



甘えた顔をすれば途端に侍の眉が下がる。そうそう、これこれ。相変わらず簡単だのう。



「で? こっちに住めることになったの?」



「うむ、正式には来月からの配属なのだがな。お前さんとは久々の再会でもあるし、本格的に移住する前に一度会ってこいと旦那が言ってくださったのだ」



「そっか…いろいろ準備もあるしね」



「うん、それでな」



そこで言葉を切ると、スッと侍の座高が上がった。彼が正座をしたことに気づいた私は慌てて同じように正座をする。



「こちらに来たら、お前さんと暮らしたい。儂と一緒になってくれ」



来た。

ついに、来た。

じわ

じわ

じわ、とこみ上げる。



いやさ、そういう話も出るかなとはもちろん思っていたけどさ、まさかこんな初っぱなからとは思わないじゃない。目の前でそんな緊張した面持ちをされたらこっちまで緊張しちゃう。へ、返事だ返事。待て待て。今まばたきをしたら涙が落ちる。



けれど侍が私の頬を撫で、あえなく涙は決壊した。



「…待たせてしまったな」



その手を上から包み、私はひとつ、深呼吸をした。



「答える前に、教えてほしいことがひとつあります」



侍がさらに居住まいを正す。



「言ってくれ」



「名前、なんていうの?」



ぽかん。彼がしたのはまさにそんな顔。



「……言ってなかったか…?」



聞いてませんとも!



=====

10日後にまた来る、と言い置いて、侍は慌ただしく帰って行った。手料理は食べてもらえたけど、スキンシップはし損ねた。



一緒に暮らすのならば、その前にきちんとしたかったのだと、侍はそう言ってくれた。私の両親にも挨拶をしようとしてくれたのだけど、それはこちらに来てからにしてほしいとお願いした。まずは私の脳みそが追いつく時間が欲しかったのだ。だってこんなふわふわしたままじゃ、母親の怒涛の追及に勝てないもの。




会社のデスクで企画書を作成している途中で、前夜のやりとりを思い出し、ふと「小松」と打ち込んでみる。



小松伊三郎いさぶろう、と侍は名乗った。



「小松の三男坊ということでな、ずっと“小三、こさん”と呼ばれておった。きちんとした名前では久しく呼ばれておらんな」



「私は“こさん”とは呼べないや」



私の中で“こさん”といったら人間国宝・柳家小さん師匠である。そんなもん、呼び捨てなんぞできん。



「どう呼ぶ?」



うわ、期待の目。



「こさぶ?」



…何もそんなに悲しそうな顔をするこたないじゃないか。



「じゃあ、伊三いささん」



あ、嬉しそうな顔になった。まあでも、実際には脳内でしか呼ばないだろうな。1対1で会話してたら名前呼ぶこともあまりないし、それにどうも私は男の人を名前で呼ぶのが照れくさくて苦手なのだ。けれど私自身は名前で呼ばれたかったりして、てへ。



「そういえば、私の名前って知ってる? その…今のじゃなくて。あっちで、生まれたときの」



「ああ、それも聞いてなかったのか」



そんな話をするタイミングもなかったし。第一、名前をつけてもらえてたんだかどうかもアヤシいもんだ。



「かお」



「えっ」



「果緒、と書く」



そう言って、彼はテーブルを指でなぞった。



「果緒…」



「お前さんの着物にな、“かお”と縫い取りがしてあったそうだ。それを見て薫と名付けたのだと、母上が言っておられた」



まったく。そんなエピソード、私でも知らない。本人より詳しいってのもどうだろうかと思うけど…けどまあ、好きな人が母親と私の名前の由来を話している。そんな光景を想像するのは、なかなか悪くなかった。私の名前は薫、という。子どもの頃は“かお”と呼ばれたりもした。だからその音に違和感はない。むしろ彼がそれを口にしたとき、うっかりドキッとしてしまったくらいだ。



けど。



私はパソコン上の「小松」の字を消し、かわりに「果緒」と打った。うん、この字面はやっぱり自分のものって感じしないね。



そして、その上に双子の姉の名前を打ってみる。伊三さんが教えてくれたのは、「志緒」という字。



志緒

果緒



並べてみて、私はあることに気がつく。



志を果たせ、か──。



それはなんだか……小学生のころに忘れた宿題を今ごろになって指摘されたような。そんな気分にさせたのだった。




=====

夏の夜は明るい。軽く残業をしてもまだ、明るいうちに家に帰れる。なんてステキ!



9日後には伊三さんが来る。布団は土日に干すとして…夏用の掛け布団を買わないといけないな。とりあえずすぐに使うものだけ買っておいて、あとは一緒に買いに行こう。



朝から何度もくり返した計画を頭の中にまた並べながら、駅の改札を抜ける。ええ、浮かれていますが何か?



時計を見るとまだ19時前。夕飯を買うか作るか思案しながら駅前を歩いていると、ふと、人の流れがおかしいことに気づいた。



「…なんかのロケとかじゃない?」「いや罰ゲームでしょ」「それありえなくない?」



きゃはは、と笑いながら通り過ぎていく女子高生の声に顔を上げ、通行人が遠巻きに避けて歩いている、その空間の中心を見やる。



……。



私は天を仰いだ。



かみさまかみさま。

私には何か憑き物が憑いているのでしょうか?



そこにいたのは、つるりとした月代の、紛うことなきお侍様。明らかにキョドっている様子を見るに、どうやら「迷子」のようだ。



…侍を引き寄せる力とか、そんなのいらないっての。はァ。けど、



(…ほっとけないよね)



ふー。ひと息吐いて気合いを入れ直し──私はその人のほうへ近づいていった。

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