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おかえり、サムライ

私は今日一日のめまぐるしい出来事を侍に説明してやった。なかなか理解が追いつかないようだが、まあそれが普通の反応だろう。



「まあ要するに、丸く収まったわけだよ」



「うむ…」



わかったようなわからないような顔で、一応頷いてくれる。それを見届けて、私はもっと大事なことを切り出した。



「それでね、あなたにいろいろ話したいことがあるんだよ」



私の、私たち姉妹のことについて。あなたが自分を責めることはもうないんだってこと。



「うん、じゃあ帰ろう」



そう言って差し出してくれた手。そうだね、一緒に帰ろう。けれどその手を握ろうとしたら、慌てて引っ込められてしまった。なんだ、おぼこじゃあるまいし。行き場をなくした手をわきわきしながら侍を見上げると、彼の視線は私を通り越している。彼が居住まいを正した理由は後方の人影にあったようだ。



「お、見つかったのか」



振り返ると、苦み走ったいい男、っていうんですか? いかにも仕事のできる上司といった風貌の、激シブな武士がいた。



「旦那、ご心配おかけしました」



旦那? てことは、お、お奉行さまだー! お奉行さまは私と目線を合わせて、



「大変な目に遭ったな。怖い思いはしなかったか?」



「は、はい」



こ、この人かっこよすぎる。こんな上司がうちの会社にもいてくれたらいいのに。いや、こんな素敵な人にダメ出しなんかされたら立ち直れないかも。



「おう、お前お嬢さんを送り届けたらすぐに戻ってこい。処分を言い渡す」



「しょ、処分…?」



思わずつぶやくと、神妙に頷いている侍のかわりにお奉行さまが答えてくれた。



「無断で帰還を延ばしたこともあるし、何よりあちらの人間を誤ってひずみに落としたというのは前代未聞じゃ」



「あ、でも…」



もともと私はこちらの者ですし。そう言おうとして思いとどまる。待てよ? それを言ったら彼の過去のことも知られてしまうな。口ごもる私をどう受け止めたのか、お奉行さまは優しくも厳しく諭してくれた。



「お嬢さんがよいと言ってもな、これは組織のけじめだからの」



「…はい」



たしかに。それが掟ならば、私が口を出すべきではない。ん? そうすっとあのツンデレ夫はどうなるんだ? まああいつは前科のひとつやふたつものともせんだろう。お尋ね者の父親になるくらいならとっとと罰を受けて身をきれいにするに違いない。



「じゃあ行くか。着替えてから行くなら部屋を借りようか?」



私の着替えの入った風呂敷包みを抱え直して侍が言う。そうか、着物を返しておいてもらわないといけないな。いやいや慌ただしかったわ。やれやれ。



「…あ」



待てよ。大事なものを忘れてないか?



「待って…待ってください!」


去りかけたお奉行さまが耳を傾けてくださる。



「どうした?」



非常識だってことは重々承知。けど!



「今すぐ帰らなくてはいけませんか」



「何かあるのか」



恥ずかしくて侍の顔が見れない。



「あの、申し上げにくいのですが」



「言うてみよ」



「あの…私…」



ああもう、ほんとすみません!



「江戸見物をしたいのです!」



あ、



呆れられたとしても仕方がない。けれど八方丸くおさまったのなら、せっかくのこの機会を無駄にしたくはないのですよ!



さすがデキる上司。お奉行さまは1ミリも動じずにおっしゃった。



「おう、お前」



「はい」



「明日中に俺ンとこへ来い」



「ハッ」



…てことは、明日まで猶予をいただけたということで。



「ああありがとうございます!」



屋敷に帰っていくお奉行さまを頭を下げて見送っていると、呆れたような、半ば感心したような声でしみじみと言われてしまった。



「お前さんの考えることは想像がつかんのう」



…ごめんなさい。



=====

「……すまんな」



「いや、こっちこそなんかごめん…」



その晩、私は針のむしろに座っていた。



話はお奉行さまと別れた後で向かった蕎麦屋にさかのぼる。首尾よく滞在延長の許可をもらったものの、間もなく日が暮れるということで、見物は明日の朝からすることになったのだけど。それには今晩の寝床を確保しなければならない。蕎麦で腹ごしらえをしながらその相談を始めたのだ。



先ほど辞去してきたばかりの商家に送ってくれるという申し出を、私は全力で拒否した。あんな、いろんな意味で居づらい家でもう一泊するなんて苦行でしかないし。しかし私の返答に、侍は目に見えて困りだした。



「それではお前さんの寝る場所が…宿をとるのも安くないしのう…」



…うちには一週間ほど住まわせてあげたよねえ? 家に呼んでくれない男、てのも「信用してはいけないリスト」に入ってんだぞ。私の心中に気づいたのかどうか、侍はモソモソと言い訳を始めた。



「いや、儂のねぐらに来てもらっても一向構わんのだが…その…快適ではないぞ?」



「別に1日だけだし、わがままは言わないよ」



それでもああだこうだ唸っている彼に、私は抜き身を放った。



「だって明日まで猶予をもらったのは江戸を見たかったのももちろんあるけど、あなたと話す時間が欲しかったからなのに」



だから今夜は一緒にいたいの。なんてとこまでは行間を読めってことで。まあ8:2くらいで江戸だけど。いや、7:3くらいにしといてやろうかな。



とにかく私の攻撃は効果があったらしい。本当にひどいところだぞ、としつこいくらいに釘を刺しながらも、侍は自分の住む長家に連れて来てくれた。


「ここだ」



資料館で見るようなザッツ長家のいちばん奥が彼のねぐらだった。ギシギシと戸を開けると、ホコリっぽいというかカビ臭いというか。



「7日ぶりだからのう」



昨夜は家にも帰らずに一晩中探してくれたってことか。途端に申し訳ない気持ちになる。



「掃除、しようか?」



「しかしもう夜だし」



すると玄関先(玄関と呼べるのかわからんが)での私たちのやり取りを聞きつけ、隣りの部屋からおかみさんが顔を出した。



「あら久々のご帰還かい?」



興味津々、とお顔に書いてありますよおかみさん! 上から下まで舐めるように観察される。そうだよね、しばらく帰って来ないと思ったら女連れだもんね。そりゃあ格好のネタだわな。



「留守にしていてすみませんでした…これは妹です」



うんうん、勘ぐられるくらいならそういうことにしとこ!…って、おかみさん、その目は明らかに信じてないっすよねえ!?



「へえー…妹さんいなさったの」



「江戸見物をしたいというので田舎から連れて来たんですよ」



「ふぅーん」



「ささ、中に入んなさい。今日は一日中歩き通しで疲れたろう。ではおかみさん、これで」



果てしなく長くなりそうなおかみさんの口を遮り、部屋に入って戸を閉める。行灯に火を入れると、部屋の様子が見えた。薄い布団が隅に畳んで押しやってある。7日分のホコリを除けば、まあまあきれいにしているほうだろう。とりあえず勧められるがままに床に座ってみたのだが。



「…隣り帰ったって?」



「帰ったどころか女連れだよ。妹だって言うんだけどさ」



「まあ野暮は言うな」



…そう。こういう長家は隣近所の音が筒抜け。おかみさんの声高な話し声がよく聞こえる。ってことはこっちの会話にも耳を澄まされてるってことで。今夜の会話は明日には長家中に知れ渡っているだろう。



「…すまんな」



「いや、こっちこそなんかごめん…」



ああ落ち着かないっす…。しかし私にはどうしても言わなければならないことがあった。




「あのね」



「うん」



極力声を抑えながら、ポツリポツリと話し始める。



「さっきも言ったように、お姉さん子どもを産んでね、あのツンデレ夫とも気持ちがやっと通じ合ってね。すごく幸せそうだった」



「うん」



「私もね、私は自分の人生を気に入っているし、後悔することとか反省することとかあるけど、それの結果としての今があるんだと思えば、今までの全部がひとつも無駄ではなかったって思うんだよ」



そう。これは侍に関係なくいつも私が思っていたこと。人生にはいくつもの岐路があって、選ばなかったほうの道の先を知りたくなることは確かにある。けれどそれを欲しがったってしょうがないのだ。



「私は……私たち、は、ちゃんと幸せになったよ」



「うん…」



侍の体から力が抜けるのがわかった。さあここからだ。ここまでは、私の本心。笑顔だって心からのもの。



「だから、心配しないで大丈夫」



これだって嘘じゃない。けど、笑顔を保つのがちょっとしんどくなり始めた。



「もう自分を責めないで大丈夫。だから」



私の表情はまだ自然だろうか?



「あっちに送り返してくれたらそのあとは、私のことはもう忘れてくれて大丈夫だから」


私がそばにいる限りそのトゲが抜けないのならば。あなたに苦しい思いはしてほしくない。大丈夫。私はひとりでも大丈夫。





…嘘。いや、半分はホント。ひとりならひとりで、私はきっと生きて行ける。それなりに楽しく、それなりに前向きに。でも、叶うのならば隣りにいてほしい。強がりだってことを見抜いてほしい。



…って他人任せか? ちゃんと言わなきゃ伝わらないってこと、あのツンデレ夫婦見て学んだじゃんか! 言わなきゃ。けど、「言われたい」ってのもまた正直なところで。ああこの期に及んで何を贅沢な。こういうときに涙の一粒でも流せたらいいのになあ。



グイッ。



「わ…!」



ゴチャゴチャと考えていた私の腕が引かれて、気がつくと私は侍の腕の中にいた。



「…そんな泣きそうな顔で言うな」



この体勢では顔が見えない。左耳で彼の鼓動を、右耳で吐息混じりのささやきを聞かされる。



「儂はお前さんが笑っていればそれでいいんだ。そのために儂がおらんほうがいいなら喜んで姿を消してやるし」



待って。ギュッ、と彼の着物を握りしめる。



「儂が隣りにいることでお前さんが笑ってくれるのなら、これほど嬉しいことはない」



え…。



「惚れたと言ったのは本当だよ。いつからかなんて、もうわからん」



体をよじって彼の顔を見上げた。その優しい目に、涙がこみ上げる。ずっとひとりだった私を、求めてくれる人がいる。そしてそれは、私の好きな人。



この先ずっと一緒にいるのは無理かもしれない。でも今はそんなのどうでもいい。



ゆっくりとまばたきをすると、ポロリと涙が頬を伝った。侍は親指でそれを拭い、そのまま顔を寄せて来て。



それはとても優しく、柔らかく、温かく。



それはそれは幸せな口づけだった。




=====

翌日。私は念願の江戸見物に連れ出してもらった。足取りの軽さが隠せない。



「このあたりで名所といえば神田明神か富岡八幡かだが…」



「え、そんな今でもあるとこ見たってしょうがないよ」



「それもそうだな。しかしどこへ行く?」



そんなの。私は通りをキョロキョロしながら言った。



「その辺を歩きたい!」



初めて海外旅行をしたときのようだ。街の様子、道を行く人がただただ物珍しく、それだけで興奮できる。



なんとなくわかってくれたのか、侍はとくに賑わいの大きい道を選んで歩いてくれた。



「あれは何屋?」



「絵草紙屋だな」



店先を覗いてみる。



「こういうの手土産にしてよ、今度来るとき」



「読めるのか?」



一応大学でやった覚えはある。と、いうか、そこではなくてさ。



「…また仕事で来るときあるんでしょう?」



実家から帰ってくるときにいつも母親から言われることに似ている。



「うん」



「こっち来たらさ、ウチ寄ってよ」



「うん」



…たぶん、この人はそういう中途半端なことはしない。私なら遠距離恋愛でも薮入り婚でもいいのに、彼はきっと、きちんと一緒になる道を考えていて、それができないのならば、「私のために」離れていくだろう。だからきっと、今日別れたら、彼はもう私の元へは現れないんだろうな。そう思った。



昼を過ぎて、私たちはお奉行さまのお屋敷へ行った。彼が私の着替えを長家に取りに行ってくれている間、私は屋敷の一室で待たせてもらっていた。するとそこへ、



「おぅ、帰んのか?」



声をかけてきたのはお奉行さまだった。



「あ、ありがとうございました。おかげさまでいろいろ見て回れました」



「…帰ることにしたんだな」



…ん? なんだろうその含みは。



「親の顔は見れたのか?」



「……ご存じだったんですか!?」



お奉行さまはニヤリと笑って自分の頭をちょいちょいと指差した。



「まあここよ。おぬしの顔を見ての推測じゃ。日本橋の店の…何と言ったか、あそこの娘と同じ顔をしとる。あの店では娘が一人神隠しに遭っているはずだ」



うーん、さすがデキる男だ。デキリーマン、いやデキ奉行?さまはどっしりと腰を下ろして続けた。



「おぬしがそうだとして、それにあやつが一緒におる。初対面ではなさそうだ。たしかおぬしには17年前捜索願が出されていたな」


…はい、もうすべておっしゃる通りです。



「あの…あの人がしたことは罪になりますか…?」



「さて、これは儂の推測に過ぎんからなあ。おぬしはどうじゃ。あやつにされたことを罪に問うか?」



とんでもない!



「むしろ逆です。あのときもしこちらに連れて来られていたとしたら、それはかどわかしです」



それを聞き、ほっほっ、と愉快そうにお笑いなさると、お奉行さまは顎のヒゲをさすりながらボソリとおっしゃった。



「ここから先は儂のひとり言だがの」



「はい…?」



=====

「…そんなことができるんですか!?」



お奉行さまの「ひとり言」はトンでもない内容だった。



「時間はかかるだろうがな」



「しょ、勝算は」



ニヤリ。ニヤリですか! ああその「ニヤリ」素敵です!



「実現すればおぬしにも無関係とはいかぬかもしれんが…まあどちらにしてもすぐにどうこうなる話ではないわ。あやつもまずは処分を受けねばならんしの」



そうだ。彼には罰が与えられるのだった。遠島三年とかだったらどうしよう。



「あのー…処分、って重いんですか?」



「ふむ、どうしたものかな。何といっても前例がないからのう…大掃除も控えておるし、資料室の整理もしたいところだしな」



…それって、あの、



「バケツ持って廊下に立ってろ的な?」



それも面白いのう、と愉快そうに笑っている。まったく食えないお奉行さまだ。けどまあ、大事にならずに済みそうでよかった。これで安心して帰れるというものだ。あとはお奉行さまの「ひとり言」が実現するかどうか。これはダメ元で待つことにしよう。



それから私は、侍が持ってきてくれた自分の服に着替え、お奉行さまに挨拶をして再びひずみをくぐった。侍は私を家まで送ってくれると、うちに置いていた自分の服やら竹光やらを持ち、江戸へ帰って行った。




不思議な一週間だった。



布団、どうしよう。しまう場所ないや、圧縮袋買いに行かなきゃ。



うちの1Kは元々おひとり様サイズのはずなのに。大人がひとり増えて激狭だったはずなのに。



侍が去ったこの部屋は、なんだかガランとして見えた。




あれから季節がいくつか過ぎた。私は相変わらずだ。変わらず働き、変わらず遊び、変わらず男はいない。そして今もひとりの休日はそれなりに楽しい。



変わったことと言えば、旅行に出るときに帰る日を書いたメモを残すようになったこととか、やっぱり週末しか自炊をしないけれど、なんだか和食のレパートリーが増えたことだとか。



来るかもしれない。来ないかもしれない。けど、「来るかも」のほうが少し大きい。あのお奉行さまの「ニヤリ」はそれだけ心強かった。



お奉行さまが温めていた構想は、今の言葉で言えば「駐在員」だ。時空を超えた探索には制限が多い。現地に駐在する者がいれば何かと都合がいいだろう。それに彼を任命するつもりだ、と言っていた。夢物語だと思っていたがおぬしのおかげで現実味が湧いてきたわ、と感謝された。



時間はかかるだろうとも言っていた。反対する人も多いだろう。だから、待ってはいるけどそれだけをよすがに生きたりしない。けれどいつ来てもいいようにしている。



彼はどうやって来るだろうか。携帯電話は解約したけれど、合い鍵は預けたままだ。ある日会社から帰ったら夕飯が作ってあったりするんだろうか。それはヤだな。できれば私のほうが迎えてあげたい。まさかまたベランダから入って来ないだろうね? 冷房がキライな私はこの時期窓を全開にしているのだ。



ああでも律儀な人だから、ちゃんと呼び鈴を鳴らすかもしれないな。



ピンポーン



ほら。



ガチャガチャ



おっ、呼び鈴を鳴らした上での鍵使用か。うちの父と同じだ。私は玄関へ出迎えに行く。



ガチャリ



扉を開けたのは、愛しい人。私にはずっと言いたかった言葉があった。やっと言わせてくれるね。



「おかえり」



そしてずっと聞きたかった言葉。



「ただいま」



これからは、毎日聞かせて。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


この話の冒頭の部分は、私が先日見た夢です。なんか面白い夢だったもんで続きを見たくなって、妄想で書き上げてしまいました。


人名を出すタイミングを逃して三人称で通したら、途中からしっちゃかめっちゃかになってしまったのが反省点です。


ではまた。ありがとうございました!

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