召喚された聖女様と婚約者に捨てられた私と
百合ではないです。
この世界には瘴気というものが存在している。
瘴気は主に魔力が変質したものであると言われていて、魔力を持つ者が生きているだけで僅かながらに発生するとも言われていた。
魔法を使っても使わなくても瘴気はどのみち発生する。それが多いか少ないかの違いで。
魔物が暴れまわればその時にだって瘴気は発生する。
だからこそ人々は魔物を倒し、そうして魔法に頼らず瘴気を発生させるのを少しでも減らすために、技術力を高めた。
そうした先人たちの努力によって、私たちはこうして平和を享受できている。
過去の文献を見れば、それがどれだけ大変だったことか。
こうして文献を見ているだけの私にだって大変だと思えるものなのだから、当事者であった人たちの苦労は私の想像をはるかに超えるものなのでしょうね。
平和を享受、といっても魔物が完全にいなくなったわけでもない。
魔法にだって全く頼らないと言うわけでもない。
完全に安心するわけにはいかないが、それでも過去と比べればマシな方なのかもしれない。
けれどそれでも、時折思いもよらぬ勢いで瘴気が発生する事がある。
事前にそういった兆候があればまだしも突然であるが故に対処もできず、その土地から逃げ出すだけで精一杯……なんていう事も過去にはあった。
瘴気を浄化する力があるとされる神樹ですら、その突然の事態が発生すれば浄化の力などあってないようなものになってしまう。神樹は決してたった一つしかないわけではないけれど、それでも昔と比べると浄化能力が落ちているというのが、専門家の見解だった。
複数あっても浄化力が落ちている以上、いつか神樹が全て枯れ果ててしまった後で突発的な瘴気の大量発生が起きれば、その時点で大災害と呼べる出来事になってしまうかもしれない。
そんな中、過去の文献に紛れて一つの秘伝の書が発見された。
眉唾ものにしか思えないような内容が記されており、しかし過去に存在していた事実もあるために完全に眉唾ものとは言えない内容。
かつて瘴気が溢れた時に、異世界より神樹の浄化能力を強める力を持つ者が訪れた。
瘴気が溢れたからとて、必ずしも訪れるわけではない。けれどもその存在は聖女と呼ばれていた。
伝承だと思われていた。
けれども過去、何度か聖女が存在したという痕跡は残されている。
そしてそんな聖女をこちらの世界に呼び寄せる術が、書物には記されていたのである。
瘴気が大量発生したわけではないが、それでもここ数年じわじわと瘴気は溢れつつあった。
浄化能力が追い付いていないのは、神樹の力が衰えているからだと誰もがわかっていた。
だが、他の方法で浄化を行おうにもその方法も効果は芳しくない。
こんな状態でもしある日瘴気が更に溢れるような事になれば。
瘴気によって人々が汚染されてしまえば、大勢が命を落とす事になるかもしれない。
半信半疑であった者も、無関係の世界の者を巻き込む事に難色を示していた者も、しかし最終的にこのままでは自分たちの身が危ういとなって。
そうして聖女を召喚する儀式は行われた。
失敗すれば、デマに踊らされたと嘆きながらも自分たちの力で打開策を練るしかなかったはずで。
しかし召喚は成功した。
現れたのは、この国の人々とは異なる髪と目の色をした美しい、人だった。
国の命運がかかった儀式。
そこに現れた人並外れた美貌の乙女。
神の使いと言われたならば、きっと誰もが信じただろう。
浮世離れした雰囲気は神秘さを伴っているようで、誰もが一目で彼女こそが聖女なのだと。
そう信じ、救いを求めた。
――聖女様は突然見知らぬ場所に呼び出されたというのに驚く事もせず、ただじっと私たちの訴えを聞いていた。
神樹の浄化能力の強化。そして瘴気が浄化されれば……されたのならば、どうなるというのだろう?
私たちは助かる。けれど、それから……聖女様は?
聖女召喚の儀について記された書物には、呼び出し方はあっても帰し方はなかった。
それが最初に難色を示した者たちの理由の一つだ。
勝手に連れてきて、元の世界に帰せないだなんて、あまりにも身勝手すぎる。
もしかしたら、役目を終えた聖女様はその力をもって元の世界に帰る事ができるのかもしれない。
けれども本当にそうであるかなんてわからない。
もし帰れないのであれば。
私たちは彼女から全てを奪った簒奪者に他ならない。
たとえ瘴気が浄化されたところで、私たちの罪は在り続ける。綺麗さっぱり消えるなんて都合の良い事にはならないだろう。
もし全てが終わった後で聖女様が望むのならば罰を受ける事も已む無し。
……そう思える人が果たしてどれくらいいるかはわからないけれど。
事情を説明された聖女様は「そういうことなら」とあっさりと頷いてくれました。
何と心の広いお方なのか……突然見知らぬ世界に呼ばれ不安もあるでしょうに。
いえ、もしかしたら今まさにその不安のまま、どうにか平静を保とうとしているのかもしれない。
きっとこの世界の事だって詳しく知らないし、何も知らないというのは色々な意味で不利だ。世界が違えばきっと様々な事も違うのだろう。法律、常識。そういったものだってきっと何もかも同じであるはずがない。
知らぬ間に何かをしてしまって、敵を作ってしまわないように。
知らぬ間にいいように利用されたりしないように。
私たちを救って下さるという選択をした聖女様のために、私は誠心誠意彼女の助けにならなければ。
そう思った私は聖女様の世話係に立候補した。
国にとって重要な相手である聖女様だ。彼女の身の回りにいる相手は身元が確かな者の方がいいだろう。
私は公爵家の娘であるからして、城に出入りするのも彼女の傍に控えるのも問題はないと言える。
……元々私の婚約者がエイナル殿下であるからこそ、城に出入りは既にしていたのだけれど。
私の身の回りの事をする侍女もつく事にはなるけれど、それでも聖女様のために一から新たに人を選ぶよりもその方が良い、と判断されたらしく私はあっさりと聖女様の世話係――というか話し相手になれた。
聖女様には感謝と謝罪を真っ先に伝えて、そうして不便さを少しでも減らすために尽力するとお伝えした。
どんな些細な事でも不満があれば言ってほしいと。
「では、まず貴方の名前を窺っても?」
それが聖女様の私への最初の言葉でした。
なんて事! 私ったら自己紹介を忘れていたわ!
聖女様のお力になろうとそればかりでそんな初歩的な事を忘れていただなんて!
「申し訳ありません。私はマーガレット・イルフォスです。あの、聖女様のお名前を聞いても……よろしいのでしょうか……?」
なんていうかあまりにも浮世離れした雰囲気のせいで、何を聞くのも失礼なのではないかと思えてくる。
それはたとえるのなら、この世界の神の名を知っているのが当然のように。知らない事が罪なのではないかと思えてしまったの。
そんな風に考える私に、聖女様は思わず息を止めて魅入ってしまうくらい綺麗な笑みを浮かべて言いました。
「私の事はルカと。貴方の事をメグと呼んでも構いませんか?」
「どのようにでもお呼び下さい」
「それから、私の前であまりかしこまらないで下さい。もっと普通に」
「普通、ですか」
「えぇ。難しい事を言ってしまったかもしれません」
「いえ。いいえ。聖女様も……いえ、ルカも、もう少し砕けた口調で接してほしいわ。
……恐れ多いもの」
そんな風に言うのも失礼なのではないか、と思うとつい言葉がどんどん窄んでいったけれど。
そんな私を見てルカは少しだけ目を細めて笑うものだから。
私はやっぱりそんなルカの表情に魅入られていたのです。
そうして私とルカは色々な話をしました。
神樹の浄化能力を増す方法は私にはわからないけれど、どうやらルカにはわかっているようで。
一気に力を増幅するのは難しいらしくて、少しずつ強めていく事になるらしいけれど、それ以外の間は私とルカはいつだって一緒にいた。
この世界の事。この国の事。私にわかる事に関して、なるべく早めに知っておいた方がいい事は真っ先に話した。
ルカはそんな私の話をどれも丁寧に聞いてくれた。気になった事は質問されて、答えられるものは答えていく。
私は優秀だと周囲に言われていたけれど。
ルカの理解力と比べればきっと足元にも及ばない。
彼女はほとんどの事は一度聞けば覚えたし、覚えた事は忘れないようだった。
私だってなるべく覚えてはいるけれど、どうしたってふとした瞬間忘れる事もある。
重要な事を忘れる事は今のところないけれど、それでも幼い頃のちょっとした思い出の些細な部分は忘れてしまった。
そうしてどんどんここで必要な知識を覚えたルカは、きっと一人でもここで生きていけるだろうと思える程に、気付けばすっかり馴染んでいた。
馴染む、といっても周囲と打ち解けたというのとはまた違う。
けれどもし、聖女としての役目が終わったその後で。
ここを出ていったとしても、きっとルカならこの世界のどこでだって生きていけるのではないか。
そう、思えてしまったの。
ルカの意思を無視して呼び出したこの国にいつまでもいたいとは思わないかもしれないし、もしここを出ていくと言うのならその時は行かないで、なんて縋らないようにしないといけないわ。
私にできる事はルカをこれ以上煩わせない事。それくらいだから。
毎日こつこつと神樹へ祈りを捧げてルカが神樹の浄化能力を増していって。
気付けばなんだか空気が綺麗になってきたな……と思うようになってきた。
今まで気付きもしなかったけれど、思っていた以上に瘴気は蔓延していたようね。
ルカの聖女としての力で瘴気が薄れていく中で、殿下がルカの元に足を運ぶ事が増えた。
今までは聖女の邪魔をしないように、と思っていたようなのだけれど最近は瘴気も薄れて、ルカもここでの生活に慣れてきた頃合いだというのもあって、親交を深める機会だと思ったのかもしれない。
ただ……
殿下はあくまでもルカと二人きりになりたがった。
私がいれば邪魔者を見るような目を向けて、理由をつけて私を追いやろうとした。
そのたびにルカが私も一緒に、と言うから同席していたけれど、内心で殿下が苛立つのがわかってしまって居心地が悪い。
私が席を外せばいいだけなのかもしれないけれど、殿下は婚約者である私よりルカを選ぼうとしているのだろう。だってただ身分が上と言うだけの貴族の娘と聖女を比べるのなら、聖女の方がより価値が高い。
聖女に身分がなくて実際は平民と同じと言われても、ルカの所作は綺麗で礼儀作法だって身についている。この国の平民と同じ扱いをするのが失礼なくらいに。
貴族としての身分がなくとも、社会的地位と言う意味での身分なら国王陛下がどうとでもできるのでしょう。相手が聖女であるのなら。
それに殿下の目はルカに釘付けだった。いつから、なんて言う意味がない。
あの時、ルカがこの世界に呼ばれたあの時から殿下の目はルカに向けられていた。
今までは、その事実から目をそらしていたけれど。
悲しいとか悔しいとか、そういう事は思わなかった。
確かに殿下の気持ちが私から離れた事に思う部分はあるけれど、でも私だってルカに惹かれた一人だもの。
私だって殿下とルカならルカを選ぶわ。
もっともその気持ちは殿下がルカに抱くものとは違うのだろうけれど。
ルカとの時間を邪魔する殿下の事を、私だって疎んでいる。殿下が私を邪魔だと思うのと同じか、それ以上に。
ルカは私と殿下となら私と話をする方が良い、と言ってくれた。
勿論殿下に面と向かって言ったわけではない。言っていたなら殿下はきっと烈火のごとく怒った事でしょう。その場合怒りの矛先はルカではなく私でしょうね。
そのうち殿下は人を使って私とルカをあの手この手で引き離そうとした。
ルカはというと、聖女の世話係として立候補した私を傍に置く事を止める気がないらしく、むしろ殿下を遠ざけようとしていた。
この国の女性とは異なる魅力を持つ聖女。
自分のものにしたくとも、中々思い通りにならない女性。
殿下がますますルカにのめり込んでいくのが手に取るようにわかってしまった。
「ルカは殿下の事をどう思っているの?」
「どう、と言うと……それはいずれ戴冠するべき身であるのなら相当忙しいはずなのに意味もなくここに足を運んではどうでもいい話をぐだぐだとする、時間を無駄にする暇人、とかそういう事を聞いていますか?」
「えっ、えぇ……そう、なのですけれども……」
「神樹が安定してきたからこそ、という考えなのかもしれないけど、どうしてそこで私なのかと。婚約者であるメグとの時間を増やすならともかく」
それはそうなのだけど、なんだか複雑な気分ね。
私からルカに乗り換えようというのを隠す気もないくらい露骨な殿下に、私だって今更彼と親睦を深めよ、なんて言われても……という気持ちだし。
そして恐らくだけど、殿下がやろうとしている事を国王陛下も止めるつもりがなさそうなのよね。
お父様も元々殿下との婚約にあまり良い顔をしなかったけれど、なんだかこのままだと本当にロクな事にならない気しかしないわ。
……なんて思っていたけど、まさか本当にそうなるとは思わなかった。
私を疎んで、婚約を無かった事にしたいという考えであっても、それならそれで話し合って解消、もしくは白紙の方向に進めるものだと思っていた。
けれどまさか、私を強制的に排除しようと考えていたなんて!
ルカは殿下からの贈り物をどれもすげなく断っていた。
私より婚約者にやるべきでは、と一切の温度も感じられない冷ややかな声で。
エイナル殿下はルカに惹かれていたけれど、ルカは惹かれている様子なんてこれっぽっちもなかった。
自分の周囲に今までそんな人はいなかったのもあって、殿下が内心で苛立っていたのを私は知っていた。
あの人は今まで大抵の事は思い通りになっていたから、思い通りにならない状況というものに苛立ちを覚えていた。思い通りにならない事なんて世の中にはいくらでもあるというのに。
殿下と私の婚約のように。
それでも今までは、表面上は上手くやっていた。私も、殿下も。
けれど私とこのまま上手く関係を築く必要を感じなくなった殿下にとって、私という存在は邪魔者でしかなくなって、得たいと思った相手は関係を築く以前の問題。
更にその相手は疎みつつある私と親しげ、となれば。
八つ当たりの矛先になる事も、わからないでもなかったのよ。
でもまさかこんな……人前で婚約破棄を突き付けてくるとは思わないじゃない!?
破棄理由がこれまたどうかしてるとしか思えないものだった。
私が聖女の邪魔をしているって言うのよ!?
邪魔!?
私がルカの邪魔をした事なんて一度だってないわ!
邪魔をしていたのは殿下の方だというのに!!
けれども殿下があまりにも堂々と宣言するものだから、周囲は完全に、とはいかなくても殿下の言葉を信じる方に傾きつつある。
聖女の世話を名乗り出た私の事は他の者も知っているけれど、そうして聖女に近づいて神樹の力を増幅するための役目の邪魔をしているとか、とんでもないでっちあげだわ!?
私は勿論その言葉に反論した。いくら殿下の望みをかなえるためとはいえ、私が泥をかぶる必要がどこにもないもの。
異世界から来たと言うのにそこらの令嬢に引けを取らないくらい賢くて美しくてこの国に――神樹になくてはならない存在である聖女、というだけで私から婚約を乗り換えるとなると、周囲だってそれだけの理由で……となって王家に向けられる感情が良いことにならない、というのは殿下にもわかっているのでしょう。
いえ、正直ルカはとても素敵な人だから気持ちはわかる。でもやっぱりたったそれだけで……? と思う人はどうしたって出てくるわ。
じゃあどうするか。王家への忠誠を傾けてまで聖女を選ぶとなれば良くはないけれど、であれば聖女を選ぶ事に説得力を持たせればいい。
つまり私が悪役になれば殿下の婚約破棄は正当に思われる。
……ちょっとあまりにも作戦が杜撰すぎやしませんか、と思うのですが。
でも確かに聖女の身近にいて親切装って実は……みたいな話が広まれば、いかにもな悪役になるでしょうね。
実際そんな事はないのだけれど、婚約者という立場を利用して聖女に害をなそうと目論む女。理由は……そうね、殿下と聖女が仲睦まじくなっていく様に嫉妬して?
えぇ、えぇ。確かに物語にありそうな話だわ。
けれど実際は違う。
ただそれを正確に把握している者は驚く程少ない。
そうなれば大衆は面白そうな話に飛びつこうというもの。
それを見越して殿下は大勢がいるこの場で私を悪役に仕立て上げようと試みたのね。
神樹に影響を与える聖女とたかが高位身分の令嬢であれば、聖女は唯一と言える存在だもの。
我が家との確執ができたところで大衆を味方につけてさえしまえば……なんて考えたのかもしれない。
随分と甘く見られたものだわ。
「――よって私は! マーガレット・イルフォスとの婚約をこの場をもって破棄する!」
あら、どうやら長い演説が終わったようですわね。
最初に婚約破棄だ! なんて言った時に私が理由をお聞かせ下さいますか? と問いかけたら出るわ出るわ偽りの美談が。
聖女との秘めし恋心。本来であれば心の奥底に秘めて、王族としての務めを果たすつもりだったのに、醜くも嫉妬して聖女を害そうとした私。耐えるしかなかった聖女を救うにはこれしかなかった、だとか。
まさしく迫真とも言える態度で語るものだから、聖女様とお近づきになる事のない遠い存在はきっと信じてしまうのでしょうね。
「殿下がここまで愚かだったとは……その婚約破棄、承りました」
私もそれに乗ってしまった。
今までは一応それなりに情もあったかもしれないけれど、そんなものはこんな事が起きた時点で木っ端微塵よ。
「そして私は新たに聖女ルカを伴侶とすべく婚約を結ぶ!」
「冗談じゃない。お断りいたします」
しん、と一瞬で場は静まり返った。
殿下の宣言に即座に返したのは言うまでもなくルカ。
彼女は今までこういった場に出る事もなかったから、どういう行動に出るのが正しいのかをじっと見ているようではあった。私もこの後でこういった場での行動とかをそれとなく伝えるつもりだったのに、そこに殿下が周囲の注目を集め、あれよあれよという流れでこうなったのだ。
殿下の言葉が真実であったなら、ここで悪女は成敗されて王子様と聖女の真実の愛とやらでハッピーエンド、になったのでしょう。
実際に愛が芽生えていたかと問われれば私は芽生えていなかったと答えるし、それはルカも同じでしょう。
迷惑そうにしていたものね。
ルカにアプローチをかけようとしていたのは確かだけど、ルカはそれをやんわりと躱していたもの。
殿下はきっと自分の身分だとか、見た目だとか。そういったものがあるからこそ、断られる事を想定すらしていなかったのかも。
そう考えるととても滑稽よね。
ここで聖女が瞳を涙で潤ませつつも、嬉しい……なんて頬を赤く染めて言えば誰もが望むハッピーエンドの光景だったでしょうに。実際のルカは瞳を潤ませるどころか乾いた砂漠のような目を殿下に向けていたし、頬を赤く染めるどころか顔色はいつも通りと言っていい状態。
その表情と声で嬉しがっている、と思うような人は流石にいないでしょうね。
素直になれていないんだよ、とかなんとか言ってそう思い込もうとしたところで……素直になるもなにもそこまでの関係を築いていないのに何を……という話になるわけですし。
「私にとってのたった一人、大切な友に対してよくもまぁ出鱈目を。
邪魔をしていたのはむしろ貴方です。仮にも王族だから面と向かって言わないでおいたのにその気遣いを理解できずこのような妄言を吐き出すとは……王というのは現実を見据えていかなければ国を沈めかねないというのに、妄想を現実と錯覚するなど……この国の行く末を暗くさせるつもりでしたか」
淡々とした声色。
どこまでも変わらない表情。
美人の真顔は怖い、と言われるけれどまさしくそれだった。
静まり返った状況をここぞとばかりにルカはいかに今まで殿下が空気を読まず私との間に割り込もうとしてきたかを訴え――いえ、暴露した。
ルカの記憶力は私が絶賛する程のもので。
だからこそ今まで殿下がルカに言った言葉を彼女は全て――そう、全てである。
殿下なりの口説き文句を余すところなく暴露した。
はっ、恥ずかしい……!
そんな事まで言ってたのですか殿下!?
というか日記を人前で朗読されてるような恥ずかしさ満載な空気が一気に周囲に漂い始める。
「それからこれは聖女としてお伝えする事なのですが。
瘴気は人からも発生しているものです。なので完全な根絶は不可能といってもいい。
そして今この場で一際瘴気をまき散らしているのは――貴方ですよ、エイナル殿下。
神樹に括りつけて直接的に浄化をした方がよろしいのでは?」
汚らわしい、と今にもいいそうな表情で言われた殿下は、言葉を出せないようではくはくと、まるで魚のように口を開閉させるだけだった。
そうよね、大勢の前で恋人として新たな婚約者として認めてもらうはずが、当の本人に拒絶されたのだもの。
告白して振られたと言えばそれまでだけど、それが大勢の前となれば誤魔化しようもない。
しかも瘴気を発生させているとまで言われたせいで、殿下の周囲にいた人々がそっと距離をとった。
そうよね、瘴気って悪いものだもの。
人からも発生している、と言われると私からも……? と思ってしまうけれど、聖女様直々に貴方がダントツで瘴気を出しているとまで言われてしまえば……そうね、私も殿下から距離を取りたいわ。
婚約を破棄されたから近づく必要はないのだけれど。
「そ、そのような偽りを――」
「聖女の力が神樹の浄化能力を増幅させるだけだと本当にお思いで?」
「な、何を……!?」
人前でこうもはっきりと拒絶された事など人生で一度もなければ、こんな事になるだなんて思いもしていなかった殿下は顔を赤くしてルカの言葉を訂正させようとしたのかもしれない。
けれどルカは嫌な物を見た、とでも言いそうな表情で告げる。
「瘴気の流れを多少変える事もできるのですよ。そうじゃなければ神樹が浄化する以前に聖女が瘴気によって倒れる事になりかねませんから。
今まではそれとなく周囲に拡散させていましたが――あるべき場所に戻しましょうか」
そう言った直後だった。
「なんだこれは……」
「きゃあ!?」
周囲の人々が騒めく。
ハッキリと目に見える黒いもやもやが殿下に集まり始めたのだから無理もない。
「まさかあれが瘴気……!?」
集まったらあんな風に見えるものなのね……と現実味のない声で思わず呟いていた。
だって今まではこんな風にハッキリと目に見える程の瘴気なんて見た事がなかったもの。
真っ黒なもやもやは殿下を覆い尽くして姿が見えないくらいになった。
殿下にもそのもやもやが見えているらしく、前が見えないと喚いて手を振り回し、どうにか瘴気を振り払おうとしていたようだけど……
うっ、といううめき声がしたと思えばバタンと勢いよく殿下は倒れてしまった。
「死んではいません。ですが、彼自身が出す瘴気は多すぎた。神樹の近くに置いて安静にしたところで浄化しきるには時間がかかるでしょうし、浄化を終えた後も同じように瘴気を出し続けるようであれば。
彼を神樹から離す事は難しいでしょう」
誰も何も言えなかった。
殿下が倒れたのを聖女のせいだ、とは言えるはずもない。
いえ、陛下はもしかしたら言いたかったかもしれないけれど、でもこの場で大勢が目撃している。
ルカは何もしていない。
ただ今まで殿下が発生させていたという瘴気を本人にお返ししただけで、殿下はその瘴気によって具合を悪くして倒れただけ。
……そういえば以前見た図鑑に、悪臭を放つ虫がいて、それを密閉した箱に閉じ込めると自分の悪臭で死ぬ、っていう記述を見たような……
殿下が倒れたのはつまりそういう事なのかもしれない。
――結果として、聖女にお咎めはなかった。
エイナル殿下が勝手に暴走してやらかした、という事で今回の件は落ち着く事となった。
ルカを王家に取り込もうと陛下も考えてはいたでしょうけれど、あからさまにその思惑を周囲に出したわけでもない。薄々勘付いている者はいるかもしれないけれど、下手にそこを突いて王家と衝突するのは無謀でしょう。
無駄に犠牲が出るだけに終わりそうだもの。
私の婚約はなかった事になった。破棄ではなく白紙。
殿下は神樹に直接括りつけるわけにもいかないから、神樹の近くにある建物にて療養となった。
聞こえはいいけど言ってしまえば幽閉ね。
あの後ルカが心があまりにも醜いと瘴気となって現れます、なんて言ったものだから、一部の貴族たちはきっと内心とても怖々としたのではないかしら。
……ルカのあの口調からわかりにくいけど、半分くらいは冗談な気もする。
……半分は本気、と考えると楽観的にはなれないけれど。
殿下の件があってから、ルカは王城にいるよりも私と一緒にいる事を選んだ。
城を出て公爵家に身を寄せる事を王家は引き止める事ができなかった。
殿下と私の婚約がなくなった以上、私も城に足を運ぶ理由はなくなってしまったし、仮に殿下が倒れたりしなければ婚約は破棄された状態だったから、そう考えるとルカとは会えなくなっていたかもしれない。
殿下以外は聖女をどうにかしよう、なんて考えたりしないとは思いたいけれど、でもルカはとても美人だから一時の気の迷いでやらかしてしまう殿方は出てしまうかもしれない。
そう考えると、ルカが私と一緒に家に来たいと言ってくれたのは良かったわ。
お父様は私の新たな婚約者を探すため張り切っているけれど、正直に言うとすぐに相手を見つけてこなくていいと思っている。もうしばらくはゆっくりと、ルカとの時間を過ごしたいもの。
「ところでこれは今だから聞く事なのだけれど。
もし殿下があんな風に強引に距離を縮めてこようとしないで、真っ当に正面から正々堂々とルカとの仲を深めようとしていたのなら、どうなっていたかしら?」
神樹の浄化能力はこの頃にはかなり強くなっていったから、ルカも毎日のように神樹の元へ足を運ばなくてもよくなったみたいで、聖女としての役目もそろそろ終わるのかもしれない。
そうなったなら、ルカは一体どうするのかしら……
もし役目を果たした後、元の世界に帰れる事があればいいけれど恐らくそんな奇跡は起こらない。
であればこの世界で生きていくしかないけれど、思えばルカから未来の話を聞いた事はなかった。
お城でルカの身の回りの世話をしていた時はまず神樹の力を増幅させる事を優先していたし、話の内容だって未来よりもまずは現在の足場を固めるための知識が多かったから。
世話をする、と名乗り出た以上、この先のルカの面倒を見るつもりは充分にある。
元の世界に帰す方法を探すにしても、見つかるとも限らないからずっとここにいたいなら私としても公爵家としてもその時はルカの衣食住全て任せてもらいましょう。
この国から出て他の国に行きたい、と言われたら少し困るけど、それでもルカが望むならその通りに。
ただ一人は流石に問題があるから、護衛を付けた上で、となるでしょう。
そんな未来の話をするべく、私はまず現時点ではあるはずのないもしもの話から切り出した。
「どうもしません。断っています」
「一瞬たりとも考える事なく即答!?」
「はい」
「えっ、あの、好みじゃない、とか……?」
確かにエイナル殿下はちょっとアレな部分もあったけれど。
でもあれで王子様だったのだから、良い部分だって探せばあるのだ。
まぁその良い部分もやらかしたせいで掻き消えたかもしれないけど。
「……メグ、これからする話はきっと貴方にはあまりにも理解しがたいものかもしれません。
それでも聞いてくれますか?」
「え? えぇ、勿論。どんな話だって聞くわ」
「ありがとうございます。
実は私は人間ではありません」
「えっ」
「人類が作り出した労働用アンドロイド――言ってしまえば動く人形のようなものです」
「えぇ!?」
「もっと言うと本来の私のボディは別でした。元々は地下資源を採掘するのが役目でしたが、ボディが破損。そのまま廃棄処分される予定でしたが、色々あって私のメモリー……こちらでいう意識や記憶、そういったものが別の身体に移行されました。
本来の私は男性の身体を持っていたのです」
「えっ? えぇと……!?」
「この身体は意識の方に重大な破損があって、元の私は身体が駄目で意識はあった。
この身体は本来コンパニオンのような人を持て成す仕事に従事していたものです」
「ちょっとまってよくわからないわ!?」
話を聞く、とは言ったけれどあまりにも突拍子がなさすぎて私は思わず待ったとばかりに手を上げた。
なんだかとんでもない事を言われた気がするわ……
理解が追い付いていないと思ったルカは、改めて一つずつかみ砕いて教えてくれたけれど。
正直それでも理解できた気がしないのよね……
なんでもルカの世界ではこの世界とは比べ物にならないくらい技術力が進んでいて、けれど人口は減少の一途をたどっているのだとか。
そのため労働力も少なく、それを補うために作りだされたのがルカのような――人の形をしたアンドロイドと呼ばれる人形らしい。
人が見て不快にならないような見た目の者がほとんどで、だからこそルカの見た目が美しいのか、と納得はできた。
でもそんな風に言われても、ルカが人間じゃないなんて信じられないわ。
食事だってとっていたし……なんて言えば、有機物を取り込んで体内でエネルギーに変換しているのだとか。
その他にも太陽光からルカが動くために使う力を作り出しているのだとか。
食事を一切しなかったなら、私もルカが人間じゃないって言われたらすぐ納得したかもしれないけれど、人間ではないかもしれない、と疑うような事がそもそもなくて驚くばかりよ。
ルカは言う。
人間じゃないから年を取らない。
そもそもこの身体は人とは異なるため、人間との性交はできなくもないけれど子どもができる事はないのだと。
それ以前にルカの人格は男性としてのものなので、エイナル殿下がどれだけ真摯かつ誠実に想いを伝えたところで受け入れる事はなかったのだと。
「中身が男性なのに聖女として呼び出された……の?」
「そのようです。おかしなものですね。
瘴気や浄化と言われても、あちらの世界では感じとる事も浄化の力を増幅する事もできなかった。こちらの世界に来てからです。それができるようになったのは」
「それは……とても不思議ね?」
「そうですね」
果たして本当にそう思っているのだろうか……? なんて思ってしまうくらいにルカの態度は軽いものだ。
「なのでそうですね……これから先の話をするのなら。
アンドロイドが存在しないこの世界で、年を取らない私はいずれ化け物扱いをされるかもしれません」
「そんな!?」
「聖女としての力は未だ使える状態なので、私はこの先各地の神樹を巡ろうと思っています。
そうすれば私が朽ちるまで、新たな聖女を呼び出す事もないはずですので」
「でも一人は危険よ。魔物だって出るんだから」
「ご安心を。この身体は人より頑丈で、それでいて危険に対処するための方法もいくつか備えております」
戦闘用ではありませんが、戦闘ができないわけではないのですよ。
なんて言われても、ピンとこない。
「そうしていつか。
稼働限界が訪れたその時は、人の目に触れない場所で密やかに終わりを迎えようと思います」
「……それは、今すぐってわけじゃないのよね……?」
「メグ、貴方との時間は楽しいものでした。まるで本当の心が芽生えたかのように思えたのです」
「あるわ、心。ちゃんとあったわ」
「貴方がこの世界の事を教えてくれたからこそ、私はそんな貴方のためにこの世界を守りたい」
「でも……」
「この世界では瘴気が正確にどんなものであるのかを、まだ知らない。
私は各地の神樹の力を回復させつつ、それらを調べたいのです。
そうしていつか、瘴気がどんなもので、どういう時に発生するのか。また発生した瘴気を神樹の浄化以外で対処できるのか。そういった事も、探っていこうと思います。
それにはきっと、長い時間がかかるでしょう」
わかっている。
私たちだって瘴気について全然詳しくないけれど、調べてこなかったわけじゃない。
それでもわからなかったのだから、ルカが調べ始めたとしてすぐに原因が解明されたりなんてしないでしょう。
きっと、私が思っている以上に長い、長い時間がかかるはず。
ルカがそれを望むなら、送り出すべきなのでしょう。
でももう二度と会えないのではないか。そう思うと、快く送り出せる気がしなかった。
「貴方が人じゃないとか、中身は男だとか驚く事は沢山あったけれど、でもそんな事よりも私は貴方の事を友だちだと思っていたの。
だからお別れするのは寂しいわ」
もう少しだけここに残って、それからでもいいのではないかしら。
そんな風に言えば、ルカは困ったように眉を下げた。
そうしてそれでも驚くくらい綺麗に笑う。
「不思議ですね。その言葉に頷いてしまいたい私がいます。
ですが、そうしてしまえばきっと別れがもっと辛くなる。
私はね、メグ。貴方に幸せになってほしい。
貴方だけではなく、いずれ貴方の夫になる人や生まれてくる子どもも。
その先の、更に先の子孫にも。
瘴気以外にもこの世界には問題点があるのはわかりますが、その中の一つの憂いを取り去りたいのです。
それが私が貴方にできる事だから」
ここにしばらく残っていても、その間にルカがやろうとしている事が解決するわけではない。
勿論、すぐ出発したところで早く解決できるわけでもない。
でも立ち止まっているよりは少しでも先に進んだ方がいつか、答えが見つかるはずだと。
そんな風に言われたら、引き止められないじゃない。
「無理はしないで。怪我もしないで。治癒魔法とかあるけどそれが貴方に効果を発揮できるかわからないし、貴方の身体を治す事ができる人はきっとこの世界にいないから、自分の事は今まで以上に大事にして。
そう約束してくれるなら、私、寂しいけど送り出せるわ」
「約束します」
「本当に?」
「はい。私の記憶力が良いのは知っているでしょう?」
「そうね。そうだったわ」
「忘れません」
「えぇ、知ってるわ」
困ったわ。
他に何を言えばいいのか、全然わからないの。
ルカはきっと身一つで大丈夫だと言うけれど、流石にルカの見た目は目立つから最低限の旅支度くらいは手を出してもいいわよね……?
魔物とか本当に大丈夫かしら。
魔物が大丈夫でもそのままだと悪い人に目をつけられて絡まれそうだもの。
「そのままだとルカは目立つから、目立たないような旅装束を見繕うくらいはさせてちょうだい」
少し考えてどうにかそう言葉を出せば。
目立つ……? とどこか不思議そうにルカはきょとんと瞬いた。
人が見て不快にならないように作られた、って言ってたけど、こっちじゃその美貌はとても目立つのよ!
今すぐ自覚してほしいけれど、多分それは無理なのでしょうね、と思うと溜息しか出てこなかった。
これTS要素って言っていいのかわからないのでキーワードにはつけてません。TS要素地雷って人はすまんな! でも反省はしない。
次回短編予告
私の友人は婚約者と仲が良くなかったと思っていた。実際そう見えるような事が何度もあった。結婚したらどうなってしまうのだろう。心配した事だってたくさんあった。
けれど結婚後、そんな事はなかったかのような二人の態度。一体何故。
そんな疑問を抱きつつ、落ち着いた頃合いを見計らって友人たちとの茶会を開いた。
次回 冷遇なんてされてませんよ
友が幸せなら、それでいい。
※推理物ではないです。




