平穏の刻
「ええと、…応仁の乱って、いつ頃のことになるの?」
放課後。
訪ねて来た由樹乃がいうのに、黒城海将補が首を傾げる。
黒城海将補として戻るには、十九才の年齢に戻ってしまった外見もありはばかられる為、しばらくは本多家の客人としていることになった黒城なのだが。
その時間を利用して黒城から、由樹乃にはよくわからない闇や魔といってものについて、こうして放課後にきて訊いたりしているのだが。
客人として黒城には、本多家の広い庭の一角に建つ庵が与えられている。
一軒家ほどではないが充分に広い。此処へ来るには庭を通り、枝折戸と竹垣の境を経てくるから、知らなければ庭にあるとは思えないほどである。
――やっぱり、御本家って、へん。
一応、その反対側にある庭の一角に建つ古い家が由樹乃達の住む離れなのだが。それに関しては棚に上げることにしている由樹乃だ。
それにしても、広い庭という範囲で既に済ませていいのかという話まである非常識な広さの庭である。
先に、その話題が出たときいて気になっていた由樹乃が問うのに、黒城が穏やかに微笑んでいう。
「ああ、しらないか。随分と前のことになるからな。しかし、学校では習わないのか?」
穏やかに微笑んで由樹乃の疑問に対して問う黒城海将補に。
「えと、…その、日本史をとってなくて」
「そうなのか?本多の家からすれば、遺物や何かも多いだろうに。むしろ、それが憶えやすくていいのではないのか?」
「だから、かな。何となく、日本史だと家のことも色々いわれちゃうし、つい避けちゃって。勉強しなきゃだめよね?」
「―――まあ、他のことで済むのならそれでもいいのではないか?そもそも、本多の巫女としての役目と歴史を習うことはそれほど関係はないだろうからな」
「そっか、…。実はさ、この間、篠原君達と会って、そこでこの前、その話題が出たっていうものだから。篠原くんが何かしたのに、応仁の乱?とかに関して、黒城さんが感心してたって。それで、どのくらい前になるのかなとおもって、――何百年?」
「それくらいだ」
穏やかに微笑んで黒城がいう。
「丁度いいかもしれないな。あの頃の話は、闇や魔についてきみに教えるには」
「そうなの?」
「そうだ。あのときは、いまよりももっと闇が濃かった。わたしが目覚めたとき、既に世は闇に犯され、戻ることのできない位置にあった」
しずかに、黒城が語り出す。
目覚めたとき。
暗黒と、闇が浸す世の理を。
そのとき、すでに遅いとわかったのだ。
本多の巫女が残滓と、蝶の舞うようにうつくしくやわらかな微笑みが。
身を起こした黒城に、わずかにでも残る加護をあたえようというようにして、その儚い蝶は舞い。
涼やかな音色とともに、蝶の姿が消えていくのを。
―――ありがとう、と礼をいう黒城に。
いいえ、というようにして。すでに守りの力を持たない巫女が、微笑みを残してきえていくのを見送っていた。
その刻をおもいだす。
深い感謝とともに。
「私が当時、安全に目覚めることができていたのも、そのときの巫女が眠りをまもっていてくれたからだった」
「眠ったり、するんだ?」
「ああ、…大体は、先に大きな封を行なった後は眠りに就く。そうして来たのだが、先のときだけは例外になった。…だから、あの頃も一度眠りに就いて、必要とされるときまでを眠っていた。――だから、目覚めたときにはもう世に満ちた闇は単に常の封呪では治まらないことはわかっていた。残念なことだが」
「それってつまり、本当は普段は寝てて、必要になったら起きるっていうこと?いまが例外なの?」
黒城が頷く。
「だから、今回は随分と周囲に無理をさせている。私が本来ならば、こうした姿のままであまり長いこと同じ処にいては迷惑がかかるのだが。―――さて、――そうだね、話を応仁の乱の頃に戻そうか」
「はい」
素直に頷く由樹乃に微笑む。
「私は、世が闇で満ちてしまっているのを知った。それはもう手遅れで、仕方の無いことだった。闇を魔を産み出すものはそのときの人であり、それを防ぐことはわたしにはできない」
「―――人が、闇を生むの?ああいう破れ?とかから出てくるんじゃなくて?」
不思議そうにいう由樹乃にうなずく。
「破れ、の向こう側にあるのは世が産み出した闇と魔だ。此の世から溢れ落ちた魔が、零れた闇が幾重にも重なり合い、破れの向こうで姿を持つ。或いは、人ののぞんだ姿となる。―――闇は、由樹乃、人が生みしものにすぎない。その大本は人が造るのだから」
「人が、――闇を、つくっちゃうの?どういうときに?どうして?」
「それは、単純なことから生まれる。闇は、人が憎み、恨み、或いは単に食べるものがなくて飢え、或いは病に苦しむだけのことでも、澱のようにして生まれてくる。それらは重なり、苦しみ、増え、…――多くの怨嗟が積み重なるときに、闇と魔は簡単に生まれ落ちる。あの時代は、それが特に多かった」
「…苦しんでる人が、多かった、の?」
黒城がうなずく。
「あの時代、あの世では政が殆ど行なわれてはいなかった。本来、執政が或いは将軍というものが、世を守り人が飢えぬようにして、病が広がることがないように、祈りを捧げ政を行なう。それがしかし、あの頃の執政達にも政の頂点を司る者達にも、いかにも何ひとつ無事行なわれてはいなかったんだ」
「――――そんな、ことが」
「あったんだ。残念だが、―――そして、世に闇と魔が満ち、暗黒が世を包んだ。そうして、―――あの乱が起こってしまった」
残念そうにいう黒城を由樹乃がみつめる。
「闇と魔が満ちたから、争いが起こったの?」
「そう、―――あのとき、今の世にも伝わる有名な言葉が残っている。
…―――何故、乱が起こったか、わからないという言葉が」
「わからない、…」
黒城が当時の闇を見るように、しずかな声で続ける。
「そうだ。わからなかった。当時、誰も何故、乱が起きたのか理解しているものはいなかったろう。しかし、それが」
黒城海将補が言葉を切る。
遠い過去にみた何かを見据えるようにして。
「応仁の乱としては十一年か。しかし、その後、この国に続いた戦乱の時代を数えれば約百五十程」
「150年?それって、」
「家康殿が没して、戦国が終わったとすれば大体はそのくらいにはなるな。目覚める以前から、乱は幾つか既に起こっていたようだから、それを数えれば、おそらく二百八十年、約三百年ほども戦は続いていたという説もあるそうだ」
「三百年も戦ってたの?」
由樹乃がびっくりしていうのに、黒城が苦笑する。
「そうなるな。尤も、わたしはそのうち僅かなときしか知らないのだが。このとき、先に目覚めていたのは鎌倉の政が破綻して、あらたに室町に秩序が生まれたころになるか。―――」
由樹乃が、黒城海将補をじっとみつめる。
「そのときの封を手伝ってくれた巫女が、後のわたしの眠りに寄り添い護ってくれていた。…――わたしは、おかげで目覚めたときにその場で把握することができた」
「うん」
真剣にみる由樹乃に微笑む。何処か哀しいようなしずかな微笑みで。
「あの刻は、間に合わないことだけがはっきりとわかった。…――当時、わたしに出来たことは、少なくとも応仁の乱として始まった、原因も主導したものも不明な戦、戦を乱を起こすためにだけ起きた乱を、なんとか治めることだけだった」
「…――治まったの?」
「かたちだけは」
残念そうに黒城海将補が云う。
「乱としては、約十年、―――だが、先にもいった通り、人の間に生まれた闇は、その重ねが重ねを生み、闇と魔を強く乞い、重なり合う闇はより深く消えぬものとなっていった。戦が常にあり、人が常に争い、嘆きと野に死体の満ちる世が長く続くことになったが。…―――」
「黒城さん?」
「ああ、すまない。当時、だから、わたしに遣りようは他になかったのかと、いまもたまに考えることがあるんだ。そして、先の話題だが、―――。とても力の強い、法力の少年にあってね。かれがあの世にあれば、戦は起きず、闇は祓われ、―――魔は浄化され封呪の必要もなく、応仁の乱は起きはしなかったろうとおもってね。その話を聞いたんだろう」
そういう黒城海将補に、由樹乃が瞬く。
「…―――篠原くん、そんなすごいんだ?」
「そうだな。普段はとてもにぎやかな少年のようだが」
うんうん、と無言で由樹乃がいくどもうなずく。
正直いって、篠原守を知る人物なら、かれがにぎやか、なんてものではないことには同意しかないだろうとおもう。
それに、黒城海将補が首をかしげて。
「かれは、坊主になるのがいやで、医者になるといっていたが。勿体ない話だが、本人の志望というのなら仕方が無いのだろうな」
黒城の発言に、医者と坊主って――比べたらそういうことになる?とつい疑問に思う由樹乃だが。
――医者と坊主って、普通は逆のような気がする?
あ、でもお坊さんは宗教だから別?とか。
考えると段々わからなくなってきたので考えるのをやめることにした。
「ああ、それ?有名よね。成績はいいから、医者になるのも合格ストレートだろうけど、…。あの性格なんだよね、…」
ちょっと遠い目になっていう由樹乃に、黒城海将補が微笑む。
「そうか。賑やかで面白い少年だとおもったが」
「にぎやか、…賑やか、…うん、間違いないよね、…。うーん、学校は違うけど、藤沢さんと篠原くんのコンビは有名だものね。正反対だけど」
「学校が違っても知られているくらい有名なのか。君達の年代では、学校が違えばあまり交流などがないものかと思っていたが」
楽しそうにきく黒城海将補に、不思議そうに由樹乃が見返す。
「学校とか、そういえばいったことあります?」
「いや、ない。だから、興味はあるが。同年代だけを集めて学問をするなど、奇妙な仕組みだとおもっている」
「奇妙って、…そうかもしれないけど。…寺子屋とかも、昔は年齢なんてばらばらだったんだっけ?」
面白そうにいう黒城に、由樹乃が首を傾げながらあやしい知識でいうのに笑う。
「く、黒城さん?」
楽しそうに笑う黒城海将補に、驚いて見返すと。
「いや、…すまない。寺子屋か、…そういう仕組みも近代になって出来たのだったな。わたしはどうも、やはり、―――いまのような平和で不思議な仕組みの時代に起きているのが本当に不思議なことだとおもうよ」
本当に楽しそうにいう黒城海将補に、変な人だなあ、と思いながら由樹乃が返す。
「そりゃあね?変な時代かもしれないけど、…平和って悪くないでしょ?」
「ああ、勿論だ。とてもわるくない」
微笑んで、とても楽しそうにいうから。
「そう、なんだ?まあその、楽しいならいっか?」
「由樹乃どの?」
首をかしげてからいう由樹乃に、黒城が訊ねるようにみる。
それに、思い切り笑顔になって。
「黒城さんが楽しいならいっか、って!散歩いく?黒城さん」
「そうだな」
穏やかに微笑んで黒城が座を立ち。
由樹乃が先導して、本多家の広すぎる日本庭園に出る。
「…ほんと、散歩のしがいがある庭だよね?」
「探索しがいはあるな」
楽しそうにこれもまたいう黒城を隣に、由樹乃が気合いを入れる。
「よし!今日はこの庭のあっちの方の限界に行こう!」
「限界と云うが、多分、あちらの方は山に続いているとおもうぞ?」
「…―――何処まで広いの、この庭、…」
借景として美しい山をみて、由樹乃が考えて。
そして、出た結論は。
「黒城さん!じゃ、これから晩ご飯に間に合うくらいの処まで、行ってみましょう!」
「…晩ご飯か?」
驚いて、それから。
「く、黒城さん?」
由樹乃が心配になるくらいには、どうやらつぼにはまってしまった黒城が笑いから抜けられなくなってしまって。長身を二つ折りにして、声をおさえて笑っている黒城海将補に、どうしていいかわからなくなって由樹乃が見守る。
「あの、本当に、大丈夫ですか?黒城さん?」
「…――ああ、いや、…――しかし、ごはんか、…」
実にたのしそうに笑っていて、すこしくるしそうなくらいだけど。
――ま、いいかしら?本当にたのしそうだし?
「…あのですね?」
「ああ、すまない、うん、…」
つぼにはまった黒城はしばらく復帰しそうにない。
そんな黒城を隣に、白砂青松の庭をながめて。
きれいな緑に無駄に広い庭だけど。
黒城さんがこれだけ楽しそうにしているなら。
それならまあ、何がどうでもいいか、とおもう由樹乃である。
こんなくだらないことで、笑っていられるとしたら。
それもまた、平和でいいってことかもしれないよね?と。
――それにしても、黒城さんのつぼって、わからない、…。
結局、夕飯が出来て呼びに来られるまで、黒城海将補が笑いやまず。
――ほんとうに、本当にわかんないよね?黒城さんって、と。
おもう由樹乃がいるのだった。
そして、ようやく笑いやんだとおもったら。
「いや、逞しいのは好きだ」
とか、わけのわからないことをいわれたり。しかも、まだ笑いながらとか。
――いいんだけど、うん?
まったく、困った人だよね、黒城さんって、とおもう。
そういうことを、まったく不意打ちで、無意識にいっていたりとするのだから。
そんなことをいったりするから。
なんだか、歴代の巫女達がおもったことがちょっとわかる気がする、とかおもいつつ。
――まったく、と。
闇と魔が溢れ出で、乱の始まりと。
戦の世が永く終わりの見えぬほどに続いた世から。
応仁の乱という、何故起きたかすらわからぬ乱。
それが、いまはなく。
それこそが、平穏で平和という世であれば。
黒城さんが、すこしでも。
楽しかったり、笑ってすごせたら、いいよね?
応仁の乱なんて、いつおきたかわかんないくらい前のことだけど。
そのとき、できなかったことを忘れられるようならいいのにね、と。
いま、せめて。
すこしでも、たのしかったらいいな。
そう想いながら、―――。
でもまあ、なんだか放っておいても楽しそうだけど?とか。
そんなことをおもう。
漸くなんだか、笑い止んできた黒城海将補。
十九才になって、いろいろ若返りすぎなんでは?とおもう由樹乃と。
二人、いまは互いを隣として。
しばし、平穏の刻を。
本多家の無駄に広い広すぎる日本庭園で。――――
平穏の刻
了




