第40回:俺は世界を敵に回して、君を愛する
1部完結です!
王宮の玉座の間。冷たい大理石の床に倒れ伏した俺は、全身の骨が軋むような激痛の中で、ゆっくりと目を開けた。
視界の右半分は依然としてノイズに覆われているが、脳内に直接表示されるシステムウィンドウだけは、残酷なほど鮮明に光り輝いていた。
【対象:エリザベート】
【クラスチェンジ:『没落令嬢』から『復讐の勇者』へアップデート完了】
【フラグ進行:メインシナリオ『魔王討伐』がアクティブになりました】
「……ハ、ハハ……。やったぜ。……ついに、勇者が誕生した……」
口の端から流れる血を左手で拭いながら、俺は床に転がったまま乾いた笑いを漏らした。
十歳の妹に心の底から憎まれ、最愛の婚約者からは殺意の対象としてロックオンされる。
普通の人間なら精神崩壊間違いなしの最悪な状況だが、この狂った世界において、これ以上の「グッドエンドへの布石」はない。
「素晴らしいわ、ヴィンセント様。……ああ、本当に、素晴らしい見世物でした」
足音が響き、俺の目の前にミリアが歩み寄ってきた。
彼女は床に這いつくばる俺を見下ろすこともなく、ふわりとしゃがみ込むと、俺の血に濡れた頬を両手で包み込んだ。
そして、その赤い瞳を細めながら、恍惚とした表情で俺の唇から零れる血をペロリと舐め取った。
「あの小娘が絶望し、貴方を拒絶して泣き叫ぶ顔……。そして、あの女の目に宿った昏い殺意。……貴方の魔王としての初仕事は、これ以上ないほどの満点ですわ。私の心が、こんなにも満たされているのですから」
「……ククッ。当然だろう、ミリア。……あいつらが泥水を啜りながら、復讐の炎だけで生き延びる姿を想像するだけで、俺の胸は熱くなる。……これほどの快楽は、他にはない」
俺は麻痺して動かない右腕をそのままに、左腕だけで上体を起こし、傲慢な笑みを貼り付けた。
内心では(妹の涙で俺のHPはもうマイナス圏内だよ! 頼むから誰か俺を癒やしてくれ!)と号泣しているが、絶対に悟られてはならない。
「ええ、そうですわね。……ヴィンセント様、貴方のその右目、本当に綺麗。世界の全てを憎み、壊そうとする魔王の瞳ですわ」
ミリアは俺の右目に宿る赤い燐光に指を這わせる。
彼女の指先から伝わる絶対零度の冷気が、俺の脳をチリチリと焼いた。
「これからは、この王都そのものを『魔王城』へと造り替えましょう。……あの方たちが這いつくばってここまで辿り着いたとき、最高の絶望で出迎えてあげるために」
「……ああ、賛成だ。罠を張り巡らせ、魔物を配置し、あいつらの骨の髄まで恐怖を刻み込んでやる」
俺はミリアの細い腰を抱き寄せ、その言葉に深く同意した。
もちろん、俺が配置する「罠」とは、エリザベートのレベルを効率よく上げるための『経験値稼ぎ用ボーナスステージ』のことであり、「魔物」とは彼女の装備を強化するための『高級アイテムドロップ係』のことである。
ミリアの目を盗んで、王都の防衛システムを「勇者接待用ダンジョン」に書き換える作業が、これからの俺のメインタスクだ。
(……過労死まっしぐらだな。睡眠機能が消去されていて本当に良かったぜ)
俺はミリアを玉座の隣に立たせ、自分は痛む身体を引きずって、ゆっくりと王座に腰を下ろした。
魔王変異率、十九パーセント。
身体侵食率、二十パーセント。
右半身の感覚はなく、味覚も消え、疲労を感じる機能すらバグに侵食されている。
俺の肉体は、もう人間と呼ぶにはあまりにも異質になってしまった。
玉座から見下ろす王都の景色は、ミリアの魔力によって空が赤黒く染まり、まるで地獄の底のような様相を呈している。
かつて俺が、エリザベートと一緒に「いつかこの国を豊かにしよう」と語り合った、あの美しい街並みはもうどこにもない。
(……ごめんな、エリザベート。レティシア。……俺は、最低のクズ野郎だ。お前たちの思い出も、故郷も、全部ぶち壊してしまった)
俺は左手で顔を覆い、誰にも見えないように深く息を吐き出した。
けれど、後悔はない。
ミリアというシステムそのものの「バグ」を消し去るためには、この世界を一度盤面ごとひっくり返す必要があった。
正義の王子様では、彼女たちを救えなかった。
だから俺は、喜んで泥を被り、血を吐き、世界で一番醜い悪役になる道を選んだのだ。
「……待っているぞ、エリザベート。レティシア」
俺は顔を上げ、遥か彼方、彼女たちが逃げ延びた北の地下道の方角へ向けて、静かに呟いた。
ミリアには聞こえない、システムにも変換されない、俺の本当の声。
「俺は世界を敵に回して、君を愛する。……だから、早く強くなって、この俺の心臓を、その剣で貫きに来てくれ」
俺の右目が、一層強く赤い光を放つ。
俺の残された命(HP)が尽きるのが先か、彼女たちが玉座へ辿り着くのが先か。
勘違いと吐血とシステムハックにまみれた、死に物狂いの勇者育成ゲーム――第二部(最終決戦)が、今、静かに幕を開けた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
2部開始までは少しお時間いただきます。
次回お楽しみに。




