第4回:銀髪吊り目美少女は俺のどストライクでした
ミリアとの地獄のような朝食を終え、俺はようやく自室という名の「デバッグルーム」へと帰還した。
扉を閉め、鍵をかけ、背中でその重厚な木材を押し付けるようにして深々とため息をつく。
(……死ぬ。死ぬぞこれ。精神の摩耗が激しすぎる。ブラック企業の連勤どころか、二十四時間体制で魂を削り取られてる気分だ)
俺はふらつく足取りで、部屋の隅にある等身大の鏡の前に立った。
鏡の中には、黄金の髪を完璧にセットし、冷徹さと高貴さを煮詰めたような顔をした美青年が映っている。
第一王子、ヴィンセント。
この端正な顔の裏側で、俺は今、自分を呪っていた。
(見てくれよ、この『悪い男』のテンプレみたいなツラ。こんな顔で、あんなに可愛いエリザベートに『消えろ』なんて言ったのか? 前世の俺なら、あんな美少女が相手なら一秒で平伏して靴を舐めてる自信があるぞ)
俺は呪縛が解けている今のうちに、デバッグアイを全開にした。
視界がデジタルなノイズに包まれ、いくつものウィンドウが展開される。
俺が探すのはただ一つ。エリザベートの現在地と、その「ビジュアルデータ」だ。
「……いた。よし、同期完了。座標確認、北緯三十七度、東経百二十……。馬車は順調に進んでるな」
俺の視界の隅に、小さな小窓が投影される。
そこには、簡素な護送馬車に揺られるエリザベートの姿があった。
窓から外を眺める彼女の横顔。
銀糸のように細く、月光を反射して輝く髪。
少し吊り上がった形の良い目は、冷たさと強さを同居させているが、今はその端に消えない悲しみが張り付いている。
そして、キュッと結ばれた薄い唇。
(……ああ。尊い。尊すぎる。なんだこの造形美。前世の俺が何百万円課金しても手に入らなかった『最高レアリティ』の輝きがそこにある)
ぶっちゃけて言おう。
エリザベートは、俺の性癖を具現化したような存在だった。
俺は前世から、いわゆる「クーデレ」や「氷の令嬢」といった属性に弱かった。
高嶺の花であればあるほど、その花が自分だけに一瞬見せる綻びに命を懸けるタイプだった。
ゲーム『深愛のユートピア』をプレイしていた時も、俺の推しは聖女ミリアではなく、常に敵役であるエリザベートだった。
彼女のバッドエンドをすべて網羅し、そのたびにモニターの前で血の涙を流したあの日々が、今、憑依という形で俺の現実になっている。
(しかも、これ。見てくれよ、このステータス画面の下の方にある備考欄……)
【対象:エリザベート・フォン・アルトワ】
【嗜好:実は甘いものが好きだが、公爵令嬢としての矜持で隠している】
【特技:刺繍(ヴィンセントの誕生日に贈るために、密かに三年間練習していた)】
「……っ、うわあああああああ!」
俺はデスクを拳で叩いた。
何だその設定、殺す気か! 萌え殺す気か!
あんなにツンツンしていて、俺のことを「ヴィンセント様、もっと王族としての自覚をお持ちください」なんて厳しく叱っていた彼女が、裏ではこっそり俺のために刺繍を練習していただと?
しかも、俺が昨日投げ捨てたあの言葉の数々を、彼女はどんな気持ちで受け止めたんだ。
(地獄だ。ここは地獄だ。俺がクズ王子になればなるほど、エリザベートの可愛さが爆発し、俺の罪悪感も銀河系を越えていく)
だが、見惚れている時間はなかった。
デバッグアイが、彼女の馬車の異常を知らせる警告灯を点滅させたからだ。
【警告:路面の摩擦係数が異常上昇中】
【事象:馬車の車輪が泥濘に嵌まる確率、八十五パーセント】
画面を見ると、彼女を乗せた馬車の行く手に、昨晩の雨でできた深い泥溜まりがあるのが見えた。
御者は魅了された兵士だ。乱暴に馬を操っており、泥を避ける様子もない。
このままだと馬車は立ち往生し、彼女は野宿を強いられることになる。
「させない。そんなことは絶対にさせないぞ! エリザベートの真っ白な肌を、蚊に刺させるわけにはいかないんだ!」
俺はデバッグ画面に指を叩きつけた。
「デバッグアイ、権限行使! 座標付近の『土壌密度』を一時的に変更! 泥濘をコンクリート並みの硬さに書き換えろ!」
【事象への干渉を開始……。MPを十消費します】
【書き換え成功。路面状態:『舗装道路(擬似)』に固定】
画面の中では、馬車が泥溜まりに突っ込む直前、地面が不自然にカチカチに固まった。
馬車は何の衝撃もなく、滑るように泥の上を走り抜けていく。
エリザベートが不思議そうに窓の外を覗き込んだ。
(よし! ナイスだ俺! これで彼女の靴が汚れる心配もなくなった)
俺は快哉を叫んだが、その直後、凄まじい疲労感が襲ってきた。
デバッグスキルは便利だが、今の俺のレベルでは、ほんの少しの数値を弄るだけでMPの半分近くを持っていかれる。
おまけに、ミリアに常時MPを吸われ続けているのだ。今の俺は、穴の開いたバケツで必死に水を汲んでいるような状態だった。
ハァ、ハァ、と荒い息をつきながら椅子に座り込む。
すると、視界に新しいウィンドウがポップアップした。
⭐︎初回ボーナス 事象干渉による自動レベルアップ
【レベルアップ:デバッグアイ Lv.2】
【新機能解放:属性改変(小)】
【現在のシステム・ディレイ:0.05秒】
「……ディレイが、増えた?」
俺は目を見開いた。
昨日までゼロ秒だったディレイが、コンマ零五秒に伸びている。
瞬きよりも短い時間。
けれど、それは「俺の意志」がシステムに検閲されるまでの自由時間だ。
(これだ。この時間を積み重ねていけば、いつか俺は、あの聖女の前で『本音』を喋れるようになるかもしれない)
俺は唇を噛み締めた。
今はまだ、零五秒。
「愛してる」と言うには一秒は必要だ。
「君を助けるためにこんなことをしているんだ」と言うには三秒はいるだろう。
その三秒を勝ち取るために、俺はこれから何百、何千の「悪役」を演じ続けなければならない。
その時。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
「……ヴィンセントお兄様。レティシアです。入ってもよろしいでしょうか?」
妹、レティシア。
昨晩、俺が酷い言葉を投げつけた相手だ。
俺の心臓がギュッと縮まった。
会いたい。でも、会えばまたシステムが俺に「冷酷な兄」を演じさせるだろう。
レティシアにこれ以上の傷を負わせたくない。
「……何の用だ。忙しいと言ったはずだ」
案の定、俺の口はクズの音色で応じている。
だが、レティシアは引き下がらなかった。
「お兄様にお渡ししたいものがあるのです。……エリザベートお姉様から、預かっていたものを」
その言葉に、俺の身体が弾かれたように扉へ向かった。
もちろん、表面上は「しつこい妹を追い払うため」という体裁だが、心の中では「エリザベートからの預かりもの!? 何!? ラブレター!? 呪いの藁人形でもいいから受け取るぞ!」と祭り状態だ。
鍵を開け、扉を少しだけ開く。
そこには、目を腫らしたレティシアが立っていた。
彼女は俺の顔を見るなり、小さく肩を震わせたが、それでも必死に手を差し出してきた。
その小さな掌の上には、一通の封筒と、小さな小箱が乗っていた。
「お姉様が、もしもの時はこれを私にって。……本当はお兄様のお誕生日に渡すつもりだったんです。でも、お姉様は……」
俺の手が、震えを押し殺しながらそれを受け取る。
小箱の蓋を、デバッグアイで透視した。
中に入っていたのは、青い糸で繊細な刺繍が施されたハンカチだった。
俺の瞳の色と同じ色の糸。
端の方に、いびつだが一生懸命に縫われた『V』の文字。
(これだ。ステータス画面に書いてあった、三年間練習したっていう刺繍……)
その瞬間、俺の胸に爆弾が落ちたような衝撃が走った。
このハンカチを縫っている時、彼女はどんな顔をしていたんだろう。
俺のことを想い、針で指を刺しながら、少しずつ、少しずつ。
そんな愛の結晶を、俺は、あの化け物の前で踏みにじったんだ。
「お兄様? どうしたのですか? そんなに……苦しそうな顔をして」
レティシアが不思議そうに俺を見上げた。
俺は気づいていなかった。
システム・ディレイの零五秒。
そのわずかな時間だけ、俺の顔に「ヴィンセント」ではなく、一人の「後悔に震える男」の表情が浮かんでいたことに。
【警告:キャラクター維持に失敗しています。修正を実行します】
脳を焼くような激痛が、再び俺を襲った。
俺はハンカチを乱暴に掴むと、レティシアの目の前で扉を閉めた。
「……もうよい。こんなゴミ、適当に処分しておけ」
最悪のセリフ。
扉の向こうで、レティシアのすすり泣く声が聞こえる。
俺は自室の中央で、エリザベートのハンカチを抱きしめるようにして床に崩れ落ちた。
「……ゴミなわけ、あるかよ。……俺の、宝物だよ……」
声にならない、本当の言葉。
俺は、彼女がいない冷たい部屋で、たった一枚のハンカチに顔を埋めて泣いた。
エリザベート。
君が刺繍したこのハンカチを、いつか君の目の前で、最高の笑顔で使ってみせる。
そのためなら、俺はどんなクズにだってなってみせるから。
俺の「デバッグアイ」の数値が、涙に濡れた画面の中で、ほんの少しだけ上昇した。
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次回お楽しみに。




