第34回:俺の身体が、少しずつ「人間」をやめていく
聖女ミリアとの不愉快な茶会を終え、俺は自室の洗面所に駆け込んだ。
鍵を閉め、冷たい水を顔に叩きつける。
鏡の中に映るのは、かつての「美形だが性格の歪んだ王子」ではなく、どこか生気を欠いた、異質な存在へと変貌しつつある男の姿だった。
(……はは、マジかよ。これ、コスプレじゃ済まないぞ)
俺は震える手で、自身の右側の前髪を掻き上げた。
そこには、皮膚を突き破るようにして、硬く黒い角の「芽」が突き出している。
指先で触れると、心臓の鼓動に合わせるようにドクドクと不気味な熱を持っていた。
【システム通知:魔王変異の進行を確認】
【変異率:十六パーセント】
【身体的特徴:魔角(幼体)の表出、魔紋の刻印】
【ペナルティ:右半身の不完全な感覚消失、および体温の低下】
俺の右腕には、血管に沿うようにして赤黒い幾何学模様が浮かび上がっていた。
これが画像で確認したプロットにあった「人間をやめていく」という現象の正体だ。
痛みはない。むしろ、右半身が自分のものでないような、ひどく遠い場所にあるような感覚。
試しに右手の指を動かそうとすると、零コンマ数秒のラグが生じる。
(身体がシステムに同調しすぎてる。……デバッグアイを使いすぎた代償が、これか。……まあ、いいさ。どうせ最後は、彼女に斬られるための役職なんだからな)
俺は鏡の中の自分に向かって、ひどく歪な、だがどこか満足げな笑みを浮かべた。
王都の権力者として贅を尽くした暮らし。
だがその裏側で、俺の細胞は一つずつ、この世界の「バグ」を制御するための回路へと書き換えられている。
ふと、デバッグアイを起動し、遠く離れたエリザベートの様子を伺う。
彼女は俺が「全自動ベーカリー」に書き換えた亡霊からパンを貰い、少しだけ頬を緩めていた。
その隣で、レティシアも無邪気に笑っている。
(……可愛いな。あんな風に、いつまでも笑わせてやりたかったよ。……兄様としてな)
一瞬だけ、込み上げてくる感傷。
だが、すぐに俺はそれを心の奥底へ封じ込めた。
今の俺は、彼女たちを救うための装置であり、最後には倒されるべき、救いようのないクズの魔王でなければならない。
「ヴィンセント様、中に入ってもよろしいかしら?」
扉越しに、ミリアの甘ったるい声が聞こえる。
俺は即座にデバッグアイの権限を使い、自身の「外見データ」を一時的に偽装した。
【パッチ適用:一時的な外見偽装】
【内容:変異部分の不可視化、および正常な肌色の模倣】
鏡の中の角と紋章が、霞のように消えていく。
代わりに現れたのは、いつも通りの、傲慢な王子の顔だ。
「……勝手に入ってくればいいだろう。……俺は今、あいつが絶望する姿を想像して、あまりの愉悦に顔を洗っていたところだ」
俺は扉を開け、入ってきたミリアを冷ややかに見下ろした。
ミリアは俺の首筋に鼻を寄せ、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「……あら? ヴィンセント様、なんだか少し、身体が冷たくなっていませんこと?」
「……フン、興奮しすぎて血の気が引いただけだよ。……それよりも、次の策はどうなっている? あの街にはまだ、動ける人間が残っているんだろう?」
俺は彼女の細い腰を引き寄せ、無理やり会話の主導権を握る。
変異率が高まれば、いずれ偽装も効かなくなるだろう。
その前に、彼女を俺の心臓まで辿り着かせるための「道」を完成させなければならない。
(食えよ、ミリア。俺の体温も、人間性も、好きなだけ食い尽くせ。……その代わり、彼女には一欠片も触れさせない)
俺は自分の右腕の感覚が完全に消え去るのを感じながら、ミリアの耳元でさらなる「悪巧み」を囁き続けた。
【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:一千六百五十】
【魔王変異率:十六パーセント】
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次回お楽しみに。




