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婚約破棄された公爵令嬢は、偽りの魔王を討ち果たす ―クズ王子に転生した俺、世界を騙して君を救う―  作者: ぱすた屋さん


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第32回:君が生きているなら、俺は悪役でいられる




 宿場町での暗殺者たちが「集団スラップスティック・コメディ」を演じて全滅した翌朝。

 王宮の空気は、鉛のように重く、そして冷え切っていた。

 ミリアは昨晩から一言も発さず、自室の窓際に座り、真っ赤な瞳で北の空を睨み続けている。


 その背後で、俺はガタガタと震える右手を、左手で必死に押さえつけていた。

 デバッグアイの使いすぎによる身体侵食率。それがついに十パーセントの境界線を超えたのだ。


【警告:身体侵食率が10%に到達しました】

【ペナルティ:味覚の喪失、および右半身の不規則な麻痺が発生します】

【判定:プレイヤーの人間強度が低下。システムとの同調率が上昇中】


(……味覚の喪失、か。まあ、今の俺にはミリアが用意する毒入りの高級菓子なんて、砂を噛むようなもんだ。丁度いいさ)


 俺は口の中に広がる無機質な鉄の味を無視し、努めて優雅な動作で椅子に座り直す。

 ミリアがゆっくりと振り返った。その顔には、隠しきれない焦燥と、ぞっとするような暗い熱が同居していた。


「ヴィンセント様。私、決めましたわ。……あの方を殺すのは、もうプロの暗殺者でも、魔物でもありません。……この国の理そのものを書き換えて、あの方の居場所を根こそぎ奪ってあげますわ」


「理を書き換える……? ククッ、面白いことを言うな、ミリア。具体的にはどうするつもりだ?」


「辺境の街……あの方が今向かっている場所に、流行病の『バグ』を流し込みます。あの方が辿り着く頃には、その街は死体であふれ、あの方自身も動けなくなる。……物理的な幸運が通じない、概念的な死。……素敵だと思いませんこと?」


(……最悪だ。こいつ、ついにゲームのシステムそのものを汚染し始めた。聖女の権限を使って、街一つをパンデミックの地獄に変えるつもりか)


 俺は心臓が早鐘を打つのを感じた。

 ミリアの提案は、第四章の終わりを告げる「最終的な絶望」の宣言だった。

 だが、俺の唇は勝手に、醜悪な笑みの形を作る。


「いい、最高だミリア! 街ごと腐らせるなんて、流石は俺の女神だ。……あいつが、救いを求めて辿り着いた先で、死体の山を見て絶望する。……想像しただけで、下腹部が熱くなるよ」


 俺は激しく咳き込みながら、膝を叩いて笑い続けた。

 実際には、デバッグアイで街のデータをスキャンし、ミリアが流そうとしている「疫病コード」の流入経路を必死に解析している。


(……汚染が来る。なら、俺はその街の地下水道や井戸のデータに、事前に『浄化パッチ』を仕込んでおかなきゃならない。……また、命を削る作業になるな)


 ミリアは俺の狂った笑い声に満足したのか、ふらふらと近づき、俺の膝の上に腰を下ろした。

 彼女の冷たい腕が俺の首に回される。


「ヴィンセント様。貴方は本当に……私を裏切りませんわね。……あの方が死ぬその時まで、貴方は私の隣で、この不浄な世界を一緒に眺めていてくださるわね?」


「ああ、約束するよ。……エリザベートが死ぬその瞬間、俺は世界で一番大きな笑い声を上げてやる。……それこそが、俺が彼女に贈る最期の言葉だ」


 俺の声は、どこまでも冷酷で、一切の迷いがなかった。

 ミリアは陶酔したように俺の胸に耳を当て、俺の不規則な鼓動を子守歌のように聴いている。


(……そうだ、ミリア。俺は世界一のクズだ。お前の言う通り、彼女を絶望させるための駒に過ぎない)


 俺はデバッグアイの視界を、遥か北の辺境へと飛ばした。

 そこには、俺が送った「栄養ドリンク」で力を取り戻し、泥にまみれながらも一歩一歩、前へと進むエリザベートの姿があった。

 彼女の隣では、レティシアが必死に彼女の背中を支えている。


 エリザベートの瞳は、もはや折れることのない意志で輝いていた。

 彼女のステータス画面には、かつてなかった「勇者」の文字が微かに点滅し始めている。


(……エリザベート。……君が生きている。ただそれだけの事実が、今の俺がこの地獄で悪役を演じ続ける唯一の燃料だ。……君が俺の心臓を貫きに来るその時まで、俺はどれだけでも醜く、どれだけでも残酷に、この世界をバグらせ続けてやるよ)


 俺は、麻痺し始めた右手の指先で、ミリアの美しい髪を優しく、そして執着に満ちた手つきで撫でた。


 視界の隅で、経験値のログが静かに更新される。


【デバッグアイ:経験値を獲得】

【レベルアップまで残り:一千七百五十】

【身体侵食率:10%(味覚喪失・右半身麻痺確定)】


 物語は、「魔王への招待状」へと加速していく。

 俺の身体がどこまで持つかは分からない。

 けれど、俺が完全に「人間」を辞める前に、彼女をこの世界の理を壊せる唯一の存在へと仕立て上げてみせる。


 俺は誰もいない心の奥底で、たった一人に向けて、最高の愛を込めた呪いを吐いた。


(……早く来いよ、エリザベート。俺を殺して、この狂ったゲームを終わらせてくれ)


 暗い執務室に、一人のクズ王子の笑い声だけが、虚しく響き渡っていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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