第29回:毒薬を栄養ドリンクに書き換える作業
北方平原の「戦場ピクニック」を無事に終えたエリザベートたちに対し、ミリアの忍耐はついに限界を迎えていた。
王宮の私室に戻った彼女は、もはや猫を被ることも忘れ、どす黒い怨念を煮詰めたような顔で魔法の水晶を睨みつけている。
「……あり得ませんわ。あんなデタラメ、許されるはずがありません。魔物が避ける? 陽光が差す? 神の加護だなんて、そんな安い奇跡、私が認めません」
ミリアの背後で、俺は椅子の肘掛けを強く握りしめていた。
身体侵食率が上昇した影響で、視界の端が時折バグったように色彩を失う。だが、ここで気を抜けば、俺の意識そのものがシステムに飲み込まれる。
「……ミリア。焦ることはない。運というのは、使い果たした時が一番無様な死を迎えるものだ。……ところで、君が用意した『次の余興』は何かな?」
俺は冷酷な笑みを浮かべ、彼女を煽る。
ミリアは口元を歪め、引き出しから小さな、虹色に輝く小瓶を取り出した。
「ふふ、ヴィンセント様。暴力が効かないなら、慈愛で殺せばいいだけのことですわ。……これですわ。『聖なる涙』。表向きは傷を癒やす秘薬ですが、その実、魔力回路を内側から焼き尽くし、魂を泥に変える最凶の呪毒ですわ」
ミリアは、離宮付近に潜伏させていた隠密の侍女に、この毒を「王都に残った支援者からの差し入れ」として届けさせる手はずを整えていた。
(……呪毒だと? 今の満身創痍のエリザベートがそんなもん飲んだら、即座にロスト確定じゃねえか!)
俺は内心で戦慄しながら、デバッグアイを起動した。
遠隔視の映像。離宮の影で休息をとるエリザベートとレティシアの元へ、一人の女が近寄っていく。
女は涙ながらに「ヴィンセント殿下からお二人を守るよう命じられました」と嘘をつき、毒入りの水筒を差し出した。
「お兄様が……? あのお兄様が、私たちを……?」
レティシアが困惑しながら水筒を受け取ろうとする。
エリザベートも、疑いながらも渇きと疲労で判断力が鈍っていた。
(今だ……! レベル二権限、パッチ・アップグレード。物質の定義データを強制置換する!)
俺はミリアの隣で、意識を毒薬の液体データへと集中させた。
本来、液体の中身を書き換えるのは、座標を動かすよりもはるかに難易度が高い。だが、今の俺には「パッチ」がある。
【デバッグアイ:パッチ・アップグレード実行】
【対象:水筒内部の液体(聖なる涙)】
【項目:属性、効果、味覚データ】
【内容:『最凶の呪毒』から『超高濃度・魔力回復栄養ドリンク(マカ・ジンセン配合)』へ仕様変更】
【追加仕様:飲用時、一時的に全ステータスを二倍にし、メンタルを『超ポジティブ』に固定する】
脳が沸騰するような激痛。
視界が真っ赤に染まり、耳から生暖かい液体が流れるのを感じた。
システムが「存在しないアイテムへの変換」に対して、俺の存在を消去しようと猛烈な負荷をかけてくる。
【警告:アイテムデータの不整合。変換コストがプレイヤーの生命力を超えます】
【判定:続行。……完了。液体データを『ヴィンセント特製・超回復汁』として恒久化しました】
画面の中。
レティシアが先に水筒を口にした。
潜伏していた侍女が、心の中で「死ね」と毒づくのが見える。
しかし、一口飲んだ瞬間、レティシアの顔が真っ赤に上気し、瞳に異常なまでの輝きが戻った。
「……っ!! な、何これお姉様! なんだか……力が、力が溢れて止まらないわ! 世界が輝いて見えるわ!」
「えっ……? レティシア?」
エリザベートも驚きながら一口飲む。
その瞬間、彼女の背筋がピンと伸び、バルムンクが共鳴するように光を放った。
「これは……凄い。疲労が消えるどころか、血管の中を純粋な魔力が駆け巡っているみたい。……ヴィンセント様。貴方は、本当は私たちに何を期待しているの?」
彼女たちのバイタルが、グラフを突き抜けて急上昇していく。
侍女は「なぜ死なない!?」と混乱し、そのままエリザベートの放った威圧感に圧されて逃げ出していった。
一方で、俺の様子を見ていたミリアは、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
「……なぜ……。なぜあの毒を飲んで、あんなに元気になっていますの!? あれは飲んだ瞬間に絶命するはずですわよ!」
「……ククッ。アハハハハハ!!」
俺は喉を鳴らして笑った。
口からも耳からも血を流し、見た目はもはや瀕死の重病人だが、その瞳には狂気的な愉悦を宿らせる。
「……面白い! 実に面白いぞ、ミリア! 君の『毒』は、あの女の『悪運』によって、最高の『薬』へと昇華されたらしい! あいつはもう人間じゃない、運命に愛されすぎたバケモノだ!」
「ヴィンセント様……貴方、また血が……」
「気にするな! あいつが強くなればなるほど、俺がそれを壊した時の快楽が大きくなる……! ああ、楽しみだ、楽しみだなぁミリア! 次はどんな地獄をプレゼントしてやろうか!」
俺は血に濡れた手で自分の顔を覆い、激しく肩を揺らす。
実際には、胃が焼けるような痛みでのたうち回りたい気分だが、この「悪役」の演技を止めるわけにはいかない。
ミリアは、血まみれで笑い狂う俺の姿に、恐怖を通り越して陶酔したような視線を向けた。
「……ヴィンセント様。貴方は本当に、私と同じくらい壊れていますわね。……ええ、いいわ。毒が効かないなら、次は逃げ場のない場所へ追い込んであげますわ」
ミリアが俺を抱きしめ、血を拭いながら耳元で囁く。
俺はその冷たい抱擁を受け入れながら、デバッグアイのログを確認した。
【デバッグアイ:経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:一千九百】
【身体侵食率:七パーセント】
(……ハ。毒薬を栄養ドリンクに変えるなんて、我ながら無茶したぜ。……でも、これで彼女たちはまた一歩、俺を殺すための力を手に入れた)
俺は薄れゆく意識の中で、バルムンクを構えて吹雪の中を駆け出すエリザベートの姿を見守り続けた。
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次回お楽しみに。




