第26回:本気の暗殺者と、やる気のない俺
王宮の執務室。俺は豪華なソファに深く腰掛け、窓から見える夕焼けを眺めていた。
傍らには、俺を監視するように聖女ミリアが座り、甘ったるい香りの紅茶を啜っている。
「ヴィンセント様、そんなにため息ばかりついて、どうなさいましたの? もうすぐ、あの方の首が届くというのに」
「……ああ、退屈なんだよ、ミリア。あんな女一人を消すのに、プロの暗殺者なんて大げさすぎる。結果が分かりきっている勝負ほど、つまらないものはないだろう?」
俺はわざとらしくあくびをしてみせた。
ミリアは「ふふ、贅沢な悩みですわね」と微笑み、俺の肩に頭を預けてくる。
だが、俺の脳内は今、オーバーヒート寸前の計算機のように熱を持っていた。
(……退屈なわけあるかよ! ミリアが放った影の爪は、レベル六十オーバーの化け物揃いだ。今のエリザベートじゃ、かすっただけで即死するぞ!)
城から動けないという制約。これはデバッガーにとって、通信遅延との戦いを意味していた。
俺はまぶたの裏側でデバッグアイを全開にし、北の雪原を走る三つの黒い影を捉える。
【デバッグアイ:遠隔観測モード展開】
【対象:暗殺ギルド・影の爪(三名)】
【状態:隠密、加速、殺気抑制】
【現在地:北方渓谷、エリザベートの拠点まで残り五百メートル】
暗殺者たちは、まさにプロだった。
無駄のない動きで雪を踏みしめ、風の音に紛れてエリザベートの背後へと肉薄する。
リーダー格の男が、毒が塗られた短刀を抜き放った。
(させるかよ。プロの技術が通用するのは、この世界の物理法則が正常に動いている間だけだ!)
俺はミリアに悟られないよう、膝の上で組んだ手に力を込める。
システム・ディレイ、零コンマ零五秒。
その隙間に、俺は暗殺者たちの足元にある特定の数値を入力した。
【デバッグアイ:物理定数ハック実行】
【対象:暗殺者Aの靴底と地面の接触面】
【項目:摩擦係数 0.8→0.00】
【対象:暗殺者Bの投擲ナイフ】
【項目:空気抵抗 標準→極大(1000%増)】
画面の中。
エリザベートの背後から跳躍しようとしたリーダーの足が、氷の上で踊るように滑った。
「――ぬぉ!?」という間抜けな声と共に、彼は華麗なスライディングを決めて、そのままエリザベートの足元を通り過ぎ、前方の木に激突した。
同時、背後から放たれたはずの暗殺者Bのナイフは、空中で目に見えるほどの抵抗を受け、まるでスローモーションのようにヘロヘロと力なく地面へ落ちた。
「……何事だ!?」
エリザベートが鋭く振り返り、バルムンクを引き抜く。
彼女の瞳には、驚きと困惑が混ざっていた。
暗殺者たちはプロゆえに、自分たちの身に起きた「異常」にパニックを起こしている。
(よし、いいぞ。次だ。お前らの得意な隠密スキルも、俺がバグらせてやる)
【項目:暗殺者Cのステルス迷彩】
【状態:明滅バグ発生(七色に発光)】
茂みに潜んでいたはずの暗殺者Cが、突然クリスマスツリーのように激しく虹色に輝き始めた。
「貴様ら……暗殺者の分際で、これほど派手な登場を企てるとは。私を舐めているのか?」
エリザベートの声には、怒りよりも戸惑いが勝っている。
彼女はバルムンクを一閃させ、虹色に光る男を叩き伏せた。
『……おかしい。私、最近運が良すぎない? 刺客が勝手に転んだり、武器を落としたり……まさか、何か呪いでもかけられているの?』
画面の中で首をかしげるエリザベート。
彼女の疑惑のパラメータが、じわじわと上昇していくのが見えた。
(……そうだよな、不自然すぎるよな。でもな、エリザベート。運がいいと思っておいてくれ。俺がこの執務室で、鼻血を出しながら必死に数値をいじってるなんて知ったら、お前の復讐心にまでバグが出ちまう)
現実の俺の鼻から、一筋の赤い液体が垂れた。
俺はそれをあくびの動作で誤魔化しながら、指先で拭う。
「ヴィンセント様、鼻血が……。やはりお疲れなのではありませんか?」
ミリアが心配そうな顔をして、ハンカチを差し出してくる。
その瞳の奥には、俺の生命力が削られていくのを観察する悦びが透けて見えた。
「……いや、興奮しているだけだ。あの方角から、死の予感が漂ってくる。……ミリア、君の放った影たちは、きっと今頃、あの女を最高の形で解体しているはずだ。ああ、楽しみで……内臓が震えるよ」
俺は震える声で嘘をつく。
実際には、デバッグの反動で胃が内側から握りつぶされるような激痛に耐えていた。
遠隔ハックは、近くにいるときよりも十倍以上のMPを消費する。
しかも、相手が強ければ強いほど、システム側の復元力が働き、俺の肉体に「修正パッチ」という名のダメージが跳ね返ってくるのだ。
「うふふ、ヴィンセント様ったら。……でも、楽しみですわね。明日の朝には、朗報が届くはずですわ」
ミリアは満足げに俺の胸に寄り添う。
俺は彼女の冷たい身体を抱き寄せながら、デバッグウィンドウの端で、さらなる追撃の準備を進めた。
(……影の爪はまだ二人残っている。……次は重力をいじるか、それともあいつらの『知能指数』を直接デバッグして、自分たちの獲物を愛し始めるように書き換えてやろうか)
地獄の執務室で、やる気のないフリをした俺の、死に物狂いのレベリング支援は続く。
エリザベートがこの「不条理な幸運」の先に、真実を見つけるその時まで、俺は一秒たりとも気を抜けない。
【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:五】
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次回お楽しみに。




