第25回:聖女「殺しちゃえばいいじゃない」 俺「ヒエッ」
王都へ戻る馬車の揺れは、今の俺にとっては拷問に近い。
座席に深く沈み込みながら、俺は必死に胃から逆流しようとする不快感を飲み込んでいた。
隣では、聖女ミリアが窓の外を眺めながら、退屈そうに指先で俺の腕をなぞっている。
その感触は、冬の凍土のように冷たく、毒蛇の鱗が這うような粘り気のある不快感を伴っていた。
彼女の機嫌は今、静かだが確実に「沸点」へと近づいている。
「ねえ、ヴィンセント様。私、なんだかとても不思議なのですわ。騎士団は迷走し、巨人はまるで風に吹かれた紙細工のように爆散し……まるで世界そのものが、あの方に味方しているみたい。そうは思いませんこと?」
ミリアの声はどこまでも甘く、それゆえに鋭利な刃物のような殺気を孕んでいた。
俺は冷や汗をハックして強引に止めながら、精一杯の「クズ王子」らしい軽薄な笑みを顔に貼り付ける。
「……ま、まさか。そんな偶然、あるわけがないよ、ミリア。きっと、北の地の魔物が想定以上に弱体化していたか、あいつが何か卑怯な魔導具でも隠し持っていたんだろう。あんな女に、加護なんてあるはずがないさ」
俺は必死に言葉を紡ぐが、ミリアは俺の顔を見ようともせず、赤い瞳をさらに細めた。
「もう、言い訳は聞き飽きましたわ。兵士も魔物も、リソースの無駄遣い。ならば――もっとシンプルに、プロを送り込めばいいだけのことですわね」
ミリアがその薄い唇を釣り上げた瞬間、俺の網膜だけに展開されているデバッグアイが、凄まじい勢いで警告ログを走らせた。
【警告:メインシナリオの強制書き換えを検出】
【事象:聖女ミリアによる暗殺ギルドへのリソース割当】
【ユニット:一級暗殺者、影の爪、三名】
【ステータス:攻撃力特化、不可視化スキル保有、対魔障壁完備】
【予測:対象エリザベートの生存確率、十パーセント以下に急落】
(……ヒエッ!? ガチの暗殺者かよ! 今までみたいな、調整のしやすい見かけ倒しの巨人とは次元が違うぞ!)
俺は内心で絶叫した。
プロットによれば、ここから第4章の開幕だ。
ミリアはしびれを切らし、これまでの魔物による自然淘汰という建前を捨て、確実に息の根を止めるための刺客を放つことを決めたのだ。
「殺しちゃえばいいじゃない、そんな女。ねえ、ヴィンセント様もそう思いますでしょう?」
ミリアがようやくこちらを向き、俺の顔を覗き込んできた。
その瞳の奥にある真っ赤な本質が、俺の返答次第でいつでも俺の精神を食い破れるよう、準備を整えているのが痛いほど伝わってきた。
「……アハ、アハハハ! そ、そうだねミリア! 流石は君だ、最初からそうすればよかったんだ! ……あ、あの女の首が届くのが楽しみだなぁ。楽しみすぎて、なんだか少し、気分が悪くなってきたよ……ヒエッ」
俺はわざとらしく情けない声を出し、震える手で口元を押さえた。
冷酷なクズを演じる一方で、こうした臆病なバカという側面も見せておかないと、ミリアの支配欲を完全には満たせない。
彼女は、俺が自分に怯えながらも執着しているという構図を好んでいるからだ。
「うふふ、ヴィンセント様ったら。本当に血を見るのが苦手なのですから。いいわ、貴方は城でゆっくり休んでいてください。あとの掃除は、私の影たちがやってくれますわ。貴方はただ、吉報を待っていればいいのです」
ミリアは満足げに俺の首筋をなぞった。
だが、その言葉は同時に、俺が直接現場に介入することを禁じる「城からの移動制限」という名の鎖だった。
(城から動けない制約、ここで来たか。現場に行けないとなると、デバッグの精度も落ちるし、MP消費も跳ね上がる……。クソ、難易度設定がバグってやがるぜ)
俺は馬車の座席に深く体を沈め、視界の隅でデバッグアイの計算を再開させた。
胃の痛みは限界を超え、意識が遠のきそうになる。
だが、ここからがデバッガーの本領発揮だ。
物理法則を弄り、因果をねじ曲げ、どんなプロの刃もエリザベートには届かせない。
例えどれだけ遠く離れていようと、俺がこの世界の理を握っている限り、彼女に指一本触れさせはしない。
(待ってろよ、暗殺者ども。お前らの一撃必殺、全部バナナの皮で滑る程度のギャグシーンに書き換えてやるからな)
俺は、誰も見ていないところで、血の混じった唾液を飲み込み、不敵な笑みを飲み込んだ。
【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:十】
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次回お楽しみに。




