第23回:絶望の中に、わずかな希望の光が見えた
レティシアを「厄介払い」という名目で王都から追放して、数日が経過した。
王宮の薔薇園で、俺は聖女ミリアが奏でる竪琴の音色を聴かされていた。
彼女の指先が弦を弾くたび、甘ったるい魔力が空気中に霧のように広がり、俺の脳をじわじわと麻痺させようとしてくる。
「ねえ、ヴィンセント様。レティシア様がいなくなってから、この王宮もずいぶんと『静か』になりましたわね。……ふふ、あんな騒がしい小鳥、いなくて正解でしたわ」
「……ああ、全くだ。耳障りな鳴き声が消えて、ようやく君の音楽に集中できる。……最高だよ、ミリア」
俺の返答は、もはやオートモードだ。
視線の半分はミリアに向け、残りの半分は脳内のデバッグウィンドウに全リソースを割いている。
(……来い、繋がれ……。レティシア、もう目的地付近に到着しているはずだ)
デバッグアイ、遠隔同期。
視界の端に、北の地の吹雪がモノクロの映像となって浮かび上がる。
そこには、俺の想定を上回る絶望的な光景が広がっていた。
【警告:ターゲット(エリザベート)のバイタル低下を確認】
【状態:極度の疲労、魔力枯渇、低体温症(進行度:中)】
【周囲エネミー:氷原の亡者×20以上】
(……嘘だろ、エリザベート!?)
画面の中のエリザベートは、膝をつき、錆びた剣「バルムンク」を杖代わりにしてかろうじて体を支えていた。
レベルを上げたとはいえ、休みなしの逃走劇と、ミリアが差し向けた執拗な「魔物の増援」が彼女の体力を限界まで削り取っていたのだ。
さらに悪いことに、彼女の背後は断崖絶壁。
二十体以上のグールが、青白い吐息を漏らしながら、獲物を囲い込んでいく。
『……ここまで、なの……? あんな男に……ヴィンセントに復讐もできずに……』
彼女の唇が、震えながら俺の名前を紡ぐ。
その瞳から光が消えかけ、グールの一体が鋭い爪を振り上げた。
(やらせるかよ! 俺の胃に穴が空こうが、脳が焼けようが……ここで彼女を終わらせてたまるか!)
俺はミリアの竪琴に合わせて優雅に拍手をするフリをしながら、思考を極限まで加速させた。
システム・ディレイ、零コンマ零五秒。
俺の全MPを「座標データ」と「物理演算」のハックに注ぎ込む。
(ターゲット:エリザベートの足元の『雪壁』。……項目:耐久値。……ゼロに書き換えろ! さらに、その下の空洞へ繋がる『不可視のルート』を強制解放!)
脳内に凄まじい衝撃波が走り、鼻の奥で何かが弾ける感覚がした。
【警告:ワールドデータの整合性エラーを検出】
【判定:第一王子の『破壊的な気まぐれ』による地形崩壊として処理。強制適用】
画面の中。
グールの爪が彼女に届く直前、エリザベートの足元の地面が「偶然」にも陥没した。
彼女は短い悲鳴と共に、雪の斜面を滑り落ちていく。
その先には、俺が事前にデバッグで「発見」しておいた、王家離宮へと続く古い隠し通路の入り口があった。
『……っ、あ……。ここは……?』
エリザベートが暗い石造りの通路に転がり込む。
同時に、入り口を塞ぐように巨大な氷柱が「偶然」落下し、追っ手のグールたちを遮断した。
【危機回避成功:エリザベート、セーフティーエリアに侵入】
(……ハァ、ハァ……。やった……。……これで、一息つけるはずだ)
だが、安堵する暇はなかった。
その隠し通路の奥から、松明を持った小さな影が駆け寄ってくるのが見えた。
『お姉様!? エリザベートお姉様なの手!?』
レティシアだ。
彼女は俺から託された「暗号化された指示」を読み解き、吹雪の中を最短ルートで突き進み、この隠し通路でエリザベートを待っていたのだ。
『……レティシア? どうして……貴女が、こんなところに……』
『お兄様に……ヴィンセントお兄様に追い出されたの! でも、お兄様が言ったわ。ここに、お姉様を助けるものがあるって……!』
レティシアがエリザベートを抱きしめる。
そして、離宮の地下に隠されていた、俺の私財を注ぎ込んだ最高級のポーションと、身体能力を永続的に底上げする「伝説の秘薬」を彼女に差し出した。
『お兄様は……あんなに酷いことを言ったのに……。……いいえ、お姉様、騙されないで。あの人は、本当に最低なクズだわ! ……でも、お姉様にこれを届けるために、私をわざと追い出したの……』
エリザベートが、渡された秘薬をじっと見つめる。
彼女の瞳に、憎しみとは別の、戸惑いと「熱い何か」が宿る。
【対象:エリザベート】
【状態:全回復、ステータス超上昇】
【思考:……ヴィンセント様。……貴方は、私に何をさせたいの? ……憎ませて、守って……。……いいわ、望み通り、貴方を殺す力を手に入れてあげる】
彼女が秘薬を一気に飲み干す。
その瞬間、バルムンクの錆が剥がれ落ち、太陽のような光を放ち始めた。
(……よし。……これで、彼女は俺を倒せる『勇者』に一歩近づいた……)
現実の世界。
俺は口元から溢れ出した血を、ティーカップで隠しながら飲み干した。
胃の中がズタズタになり、内臓が悲鳴を上げている。
「ヴィンセント様? なんだか、急に顔色が真っ白ですわよ。……大丈夫?」
ミリアが、竪琴の手を止めて俺の顔を覗き込む。
「……ああ、あまりにも……君の曲が素晴らしくてね……。……感動で、少し目眩がしただけだよ、ミリア」
俺は血に濡れた歯を見せて、最高に醜悪で、最高に幸福そうな笑みを浮かべてみせた。
絶望の吹雪の向こうに、確かに希望の光が見えた。
その光が、いつか俺の心臓を貫くその日まで。
俺はこの地獄で、最高の悪役を演じ続けてやる。
【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:百】
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次回お楽しみに。




