第20回:追っ手の騎士団を「迷子」にするデバッグ
俺の胃壁に穴が空きかけたあのアポストル戦から数日。
吐血の跡を魔法で強引に消し、顔色の悪さを「あまりの愉悦による不眠」という設定でミリアに納得させた俺は、今、作戦会議室という名の地獄に立っていた。
目の前には、この国の誇り高き近衛騎士団の精鋭たちが並んでいる。
だが、その瞳に宿っているのは忠誠心ではなく、聖女ミリアへの狂信的な情熱だけだ。
彼らの首筋からは、例のどす黒い触手がドクドクと脈動しながら伸びている。
「ヴィンセント様、これ以上あの方を野放しにはできませんわ。ゴーレムを壊すなんて、きっと何か卑怯な手を使ったに違いありません。……ねえ、今度こそ息の根を止めてくださる?」
ミリアが俺の肩に顎を乗せ、甘えた声で囁く。
彼女の指が俺の喉元をなぞるたび、殺菌消毒液でも浴びたくなるような不快感が走る。
「……ああ、もちろんだよ、ミリア。あんな女、これ以上生かしておいても君の不快を煽るだけだからな。近衛騎士団、第一、第二中隊を投入する。……逃げ場のない雪原で、徹底的に追い詰めてやろう」
俺の声は、処刑を宣告する冷酷な執行官そのものだった。
心の中では、「お前ら、絶対に行かせねえからな! エリザベートは今、レベルアップ直後で疲れてるんだよ! 休ませてやれよ!」と絶叫している。
だが、ミリアの監視がある以上、出撃自体を止めることはできない。
それなら、やり方は一つだ。
(デバッグアイ、同期。……ターゲット、出撃する騎士たちの『ナビゲーション・ロジック』に介入を開始しろ)
俺は思考の海に潜り、騎士たちの頭上に展開される不可視の「経路探索」のコードを書き換える。
普通、この世界の人間は五感や地図を頼りに動く。
だが、この乙女ゲームという土台の上にある世界では、モブキャラである騎士たちの移動は「ポイントAからポイントBへ最短距離で移動する」というシステム的な処理に依存している部分が大きい。
(ロジック上書き。条件分岐に無限ループを挿入。……特定エリア内での『北』の概念を、五分おきにランダムに変更しろ)
脳がジリジリと焼けるような感覚。
零コンマ零五秒のディレイを限界まで使い、俺は騎士たちの脳内にある「方向感覚」という名の座標軸をめちゃくちゃにハックした。
【警告:大規模なロジックエラーが発生中。NPCの行動に著しい矛盾が生じます】
【判定:第一王子の『疑心暗鬼』による過剰な策謀として処理。適用します】
(いいぞ、システム。俺が性格のひねくれた策士だと思っていればいい。……さあ、迷子のお時間だぞ、エリート騎士諸君!)
翌日、王都を出立した騎士団は、意気揚々と北の雪原へと向かった。
俺はミリアと共に、いつもの遠視の水晶球を眺める。
水晶球には、デバッグアイの補正によって、吹雪の中を右往左往する騎士たちの滑稽な姿が映し出されていた。
「……あら? ヴィンセント様。あの方たち、何をしていらっしゃるのかしら? あそこ、さっきも通った道ではありませんこと?」
ミリアが不思議そうに眉を寄せる。
水晶球の中では、百名近い重装騎士たちが、同じ大岩の周りをぐるぐると回っていた。
「……フン、雪山での行軍には慎重を期しているんだろう。敵を油断させるための偽装工作かもしれない。流石は俺が選んだ精鋭たちだ、無駄な動きが多いように見えて、実は精神的な圧力をかけているのさ」
俺の口からは、自分でも何を言っているのか分からないデタラメな擁護が飛び出す。
実際には、彼らの脳内ナビは今、「北へ行け」という命令に対して、足元の岩を一周回ることを「北への最短ルート」だと認識させられている。
一時間後。
騎士たちはまだ岩の周りを回っていた。
三時間後。
隊長らしき男が地図を広げ、逆方向(南)を指差しながら「こっちが北だ! 突撃!」と叫び、王都の方角へ全速力で走り出した。
「ヴィンセント様……。あの方たち、戻ってきていらっしゃいませんこと?」
「……いや、これは『包囲網』だ。一度大きく迂回して、背後から急襲する作戦に切り替えたんだろう。……あいつら、意外と頭を使うようになったな」
俺は冷や汗を流しながら、必死にクズの言い訳を並べ立てる。
水晶球の隅、俺のデバッグアイの映像には、エリザベートが焚き火を囲んで優雅にスープを飲んでいる姿が映っていた。
彼女の周囲数キロメートル以内には、一人の敵も存在しない。
俺が騎士たちを全員「迷子」にして、王都周辺をマラソンさせているからだ。
(……よっしゃ。これでエリザベートの休憩時間は確保できた。……騎士たちが疲弊して全滅するまで、このまま走り回らせてやる!)
だが、長時間の広範囲ハックは、俺の肉体に限界を超えた負荷を与えていた。
胃の痛みが、もはや火炎放射器で内側から炙られているような激痛へと変わる。
「……ぐ、ぅ……ッ」
俺は思わず、手摺りを掴んで身を震わせた。
目の前がチカチカと点滅し、内臓がひっくり返るような感覚が襲う。
「ヴィンセント様!? やはりお顔色が……」
「……あ、あはは! ……いい。いいぞ、ミリア。……騎士たちの、あの無様な迷走ぶりを見ていたら……可笑しくて、……笑いが止まらなくてな……ッ!」
俺は激痛に顔を歪めながら、狂ったように高笑いしてみせた。
実際には笑いどころか、今すぐ気絶して寝込みたいレベルだ。
ミリアは俺のその「狂気」を見て、満足そうに微笑んだ。
「まあ、ヴィンセント様ったら。……騎士たちの失態をそんなに楽しまれるなんて。うふふ、本当に残酷な方」
彼女は俺の背中に手を添え、その冷たい指先で俺の心臓の鼓動を確かめるように撫でた。
その感触が、デバッグで削れた俺のMPをさらに吸い取っていく。
(……食え。……好きなだけ、俺の苦痛を食っておけ。……その隙に、エリザベートは次の目的地へ向かう準備を整える……)
視界の端で、エリザベートが立ち上がり、錆びた剣「バルムンク」を鞘に収めるのが見えた。
彼女の瞳には、かつての絶望はもうない。
自分の運命を切り拓こうとする、強い光が宿っている。
【対象:騎士団(追撃隊)】
【状態:重度の疲労、混乱、方向喪失】
【判定:作戦継続不能。数時間以内に撤退を開始する確率、九十五パーセント】
(……勝った。……今回も、彼女に指一本触れさせずに守り抜いたぞ)
俺は意識が朦朧とする中で、心からの快哉を叫んだ。
胃の穴は、後でなんとかデバッグ修復する(できるかは不明だが)。
今はただ、彼女が安全に、一歩でも先へ進めることが、俺のすべてだ。
【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:二百五十】
俺は、血の味がする唾液を飲み込み、ミリアを抱き寄せて次の「悪巧み」を語り始めた。
地獄の時間は、まだ終わらない。
けれど、エリザベートの歩む道の先には、俺が少しずつ、少しずつ、光を灯し続けてやる。
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次回お楽しみに。




