第2回:俺の口が勝手に「国外追放」と言い放つ
断罪劇という名の公開処刑が幕を閉じ、煌びやかな大広間には余韻のような冷たい空気が流れていた。
エリザベートが兵士たちに連行されていった扉を見つめながら、俺の右腕はまだ隣にいる聖女ミリアの腰を抱いている。
……正直に言おう。今すぐこの腕を切り落として洗浄機に放り込みたい気分だ。
(おい、離れろ化け物。俺のパーソナルスペースを侵食するな。お前のその甘ったるい香水の匂い、デバッグアイで見ると『精神汚染物質』って表示されてるんだよ。臭いんだよ!)
心の中では絶叫し、中指を百本くらい立てているのだが、現実は非情である。
俺の顔は蕩けるような甘い微笑を浮かべ、喉からはうっとりとした声が漏れ出している。
「ようやく、あの目障りな女がいなくなったね、ミリア。これで私たちの邪魔をする者はいなくなった。君の輝かしい未来に、泥を塗る者はもういないんだ」
うわああああああああ!
何だ今の声! 脳が溶けそうなほど甘ったるい!
俺か? これが俺の出した音なのか?
自分の発言なのに、全身に鳥肌が立って止まらない。
システムによる『ヴィンセント』としてのロールプレイ補正、恐るべし。
「まあ、ヴィンセント様。そんなに喜んでいただけるなんて、私、本当に幸せです。……でも、エリザベート様も、きっとすぐに反省してくださいますよね?」
ミリアが俺の胸に顔を埋めて、上目遣いで言った。
可憐だ。世が世なら国民的アイドル間違いなしの可愛さだ。
だが、デバッグアイを起動している俺の視界には、彼女の頭上に浮かぶ不気味なステータスが刻一刻と変化しているのが見える。
【個体名:ミリア(精神寄生体・幼体)】
【状態:栄養摂取中(対象:第一王子の愛執・優越感)】
【満腹度:45パーセント】
栄養摂取、だと……?
こいつ、俺が吐いた甘い言葉や、周囲の人間がエリザベートを嘲笑した時に生じた「負の感情」を、物理的に食っていやがる。
ミリアが満足げに吐息を漏らすたび、俺の首筋に突き刺さった見えない触手がドクドクと脈動し、俺の生命力か精神力のようなものを吸い上げている感覚がある。
このままでは、俺はこの化け物の「餌」として枯れ果てて死ぬだけだ。
「さあ、ミリア。夜も更けてきた。君を部屋まで送り届けよう。大切な聖女を、こんな冷たい場所にいつまでもいさせるわけにはいかないからね」
俺の脚が、意志に反して優雅に一歩を踏み出す。
エスコートの仕方も完璧だ。前世の俺なら絶対に不可能な、洗練された王族の立ち振る舞い。
まるで自分という存在が、巨大な着ぐるみの内側に閉じ込められているような感覚。
操縦桿を握っているのは俺じゃない。この世界の「シナリオ」という名のプログラムだ。
大広間を出て、静まり返った廊下を歩く。
壁に並ぶ肖像画の歴代王たちが、俺のことを「この愚か者め」と蔑んでいるような気がしてならない。
ミリアを彼女の豪華な客室まで送り届け、ようやく解放されるかと思ったその時だった。
「――お兄様!」
背後から、幼い、けれど鋭い叫び声が響いた。
俺の身体が、これまた優雅な動作でゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、十歳ほどに見える少女だった。
燃えるような赤髪を二つの結び目にまとめ、豪華なドレスの裾を振り乱して走ってきた彼女。
俺の妹であり、この国の第一王女、レティシアだ。
(レティシア……!)
俺の記憶が、彼女の情報を呼び起こす。
彼女はエリザベートを実の姉のように慕っていた。
幼い頃、母を亡くした彼女に、礼儀作法から勉強、果ては遊び相手まで務めていたのが、他ならぬエリザベートだったのだ。
レティシアの大きな瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
彼女は俺の目の前まで来ると、小さな拳を握りしめて俺を睨みつけた。
「お兄様、今すぐ、今すぐエリザベートお姉様を連れ戻して! お姉様が暗殺なんてするわけないわ! あんなに優しくて、お兄様のことを誰よりも大切に思っていたお姉様が、どうしてあんな酷い目に遭わなきゃいけないの!?」
レティシアの声が震えている。
その必死な訴えに、俺の心臓が激しく脈打った。
そうだ。その通りだ、レティシア。お前の言うことが百パーセント正しい。
俺も今すぐ城の門まで走っていって、彼女を乗せた馬車を身体を張って止めたい。
そして「全部ドッキリでした! さあ城に帰ってお茶にしましょう!」と叫びたいんだ。
(ああ、クソ、今すぐ抱きしめてやりたい。ごめんな、レティシア。兄さんは今、ちょっと化け物に脳をいじられててな……)
俺は、彼女の小さな頭を撫でてやろうと、手を伸ばそうとした。
だが、その瞬間。
視界に真っ赤なシステムメッセージが乱舞した。
【警告:メインキャラクターとの関係性に齟齬が発生しています】
【修正:冷酷な第一王子としての振る舞いを選択してください】
【罰則:強制介入を実行します】
「ッ……あが……」
脳内を直接火で炙られるような激痛。
あまりの熱さに、意識が飛びそうになる。
そして、俺の意志とは正反対の言葉が、氷のように冷たい響きを持って唇から漏れた。
「……うるさいぞ、レティシア。子供が政治に口を出すな」
嘘だ。今の俺の声か?
冷酷、無関心、そして微かな嫌悪。
そんな感情を完璧にブレンドした、最悪の兄の声。
レティシアが、目を見開いて絶句した。
彼女が知っているヴィンセント兄様は、厳しいけれど妹想いの、誇り高い騎士のような人だったはずだ。
そんな兄から向けられた、あまりにも汚らわしいものを見るような視線。
「お、お兄様……? そんな、どうして……。お姉様が……あんなに悲しそうな顔をして……」
「しつこいと言ったはずだ。罪人は裁かれた。それだけのこと。これ以上その名前を口にするなら、お前も同じ場所に送ってやろうか?」
俺の口、止まれ! それ以上言うな!
妹まで脅してどうするんだ!
心の中でどれだけ叫んでも、俺の表情はピクリとも動かない。
それどころか、俺はレティシアを無視して、再び歩き出した。
背後で、レティシアが床に泣き崩れる気配がした。
(クソ、クソクソクソ! 何なんだよこの世界は! 俺はただ、可愛い婚約者と仲良くして、可愛い妹を可愛がりたかっただけなのに!)
自室に戻るまでの廊下が、永遠に続くかのように長く感じられた。
ようやく豪華な自室の扉を閉め、召使いを全員下がらせたところで、ようやく俺は床に膝をつくことができた。
ハァ、ハァ、と荒い呼吸が漏れる。
ようやく「自由行動」が許可されたらしい。
身体を縛っていた透明な糸が、スッと消えたような感覚。
俺は這うようにしてデスクへ向かい、そこに置かれた『国外追放命令書』の控えを手に取った。
そこには、俺自身の直筆で、エリザベート・フォン・アルトワの名前と、彼女が今日中に王都から追い出されることが記されている。
「国外追放……。今から馬車に乗せられて、北の国境まで連れて行かれる。そこから先は、魔物が徘徊する未開の地だ」
ゲームの知識が、最悪の結果を脳内に展開する。
エリザベートは、公爵令嬢として育てられた。サバイバルの経験なんてあるはずがない。
しかも、彼女は精神を無効化するスキルはあっても、戦闘スキルが特別高いわけではない。
このまま放り出せば、三日と持たずに路傍で果てるか、魔物の胃袋行きだ。
「助けなきゃ。でも、俺が直接動けば聖女にバレる……」
俺は震える手でデバッグアイを起動した。
自分自身のステータスを詳細に解析する。
【プレイヤー状態:ヴィンセント】
【現在進行中フラグ:『聖女への献身』】
【制約:ヒロイン(ミリア)への敵対行動不可、メインシナリオの改変不可】
がんじがらめだ。
俺が兵を出して彼女を護衛させることも、追放を中止することも、システムが許さない。
無理にやろうとすれば、またあの激痛が走り、強制的に「悪役」へと戻されるだろう。
だが。
俺はデバッグ画面の隅にある、小さな数値に目を留めた。
【システム・ディレイ:0.00秒】
これは、俺の意志が身体に伝わってから、システムがそれを「修正」するまでの猶予時間だ。
今はゼロ秒。つまり、何かをしようとした瞬間に修正が入る。
だが、このデバッグアイのレベルを上げれば、このディレイ時間を延ばせるのではないか?
一秒、いや、コンマ数秒でもあれば、システムにバレずに「何か」ができるはずだ。
「……待ってろ、エリザベート」
俺はデスクの上の羊皮紙に、ペンを走らせようとした。
彼女への謝罪。そして、これから向かうべき安全な場所への地図。
だが、ペンを持った手が、ガタガタと震えだす。
【警告:対象への利益供与を検出】
【修正:内容を『呪詛』に変更します】
俺の意志を嘲笑うように、ペンが勝手に動き出す。
「元気でいてくれ」と書こうとした文字が、「地獄へ落ちろ」という残酷な罵倒へと書き換えられていく。
「ッ……ああああ!」
俺はペンを床に叩きつけた。
ダメだ。直接的なメッセージは、すべて検閲されてしまう。
言葉はダメだ。手紙もダメ。
俺という存在を通したあらゆる表現が、システムという巨大なフィルターにかけられ、汚物に変換されてしまう。
俺は窓の外を見た。
王都の門へ向かうであろう馬車の明かりが、遠くに見えた。
彼女は今、あの中で一人で泣いているのだろう。
俺を恨み、世界を呪いながら。
(……いや、違う。言葉がダメなら、システムそのものを騙せばいいんだ)
俺は再びデバッグアイの画面を開き、膨大な「世界の数値」の中から、一つの項目を探し出した。
【対象:エリザベート・フォン・アルトワ、現在地:座標 35.12, 139.44】
【周囲のエンカウント率:標準】
【敵対個体の平均レベル:15】
俺は、その「エンカウント率」という項目を指でなぞった。
これならどうだ?
彼女に直接「頑張れ」と言うのはロールプレイ違反だが、彼女の周りにいる魔物の出現率を弄るのは、単なる「環境データの調整」ではないのか?
俺は祈るような気持ちで、その数値を引き下げようとした。
指先が、目に見えない抵抗にぶつかる。
だが、Lv.1のデバッグアイが、微かな光を放った。
【事象への干渉を試行中……。成功率5パーセント】
パシッ、と静電気が走ったような衝撃。
数値が、ほんのわずかだけ、書き換わった。
【周囲のエンカウント率:標準 → 低減(極小)】
「……っ、できた!」
これだけでは、彼女が救われるわけではない。
だが、少なくとも今夜、彼女を乗せた馬車が魔物の群れに襲われる確率は、わずかに下がったはずだ。
俺は汗だくになりながら、窓枠を掴んだ。
これが俺の戦いだ。
愛する女を罵倒し、世界中からクズと蔑まれながら、裏側で数値を弄り回す。
かっこよさの欠片もない。ヒーローとは程遠い、卑怯で孤独なハッキング。
でも。
俺は、あの美しい銀髪が魔物の血に染まる未来だけは、絶対に書き換えてみせる。
「見てろよ、クソシステム。俺のゲーム愛を、……オタクの意地を、舐めるなよ」
夜の王宮で、俺はたった一人で「世界の裏側」への挑戦状を叩きつけた。
まだLv.1だ。できることはゴミみたいな数値の改変だけ。
それでも、俺はここから這い上がる。
聖女の喉笛を掻っ切り、エリザベートの隣に戻るその日まで。
その時、俺のステータス画面に、新しい通知が届いた。
【スキル:デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで:残り99】
「……道のりは長いな、おい」
俺は苦笑し、再びデバッグ画面の海へと没頭していった。
一睡もするつもりはない。
彼女が国境を越えるまでの数日間、俺は一秒も欠かさず、彼女の周囲の「運命」をデバッグし続けてやる。
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次回お楽しみに。




