第13回:デバッグアイで覗く、エリザベートの現在地
聖女ミリアという名のバケモノに、精神力(MP)だけでなく、朝の貴重な時間までもが削り取られていく。
隣では第二王子のカイルが、かつての凛々しさはどこへやら、ミリアの機嫌を取るために道化のような真似をして笑いを取っていた。
その光景は、俺にとっては何よりも不快な喜劇だったが、俺自身もまた、その喜劇の一員として、彼女の耳元で甘い言葉を囁き続けなければならない。
(……はぁ。カイルの奴、あんなにハイスペックな騎士だったのに、今やミリア専用の愛玩動物だな。見てるこっちが恥ずかしくて死にそうだ。早く自分の部屋に戻らせてくれ。俺には世界を救うための、もっと重要で孤独な『趣味』があるんだよ)
ようやく「公務」という名の監視から解放され、自室の重厚な扉を閉めた瞬間、俺は鍵をかけ、部屋の四隅にデバッグスキルによる「不可視の結界」を張り巡らせた。
ベッドに倒れ込む余裕さえない。俺はすぐさまデスクに向かい、網膜に展開される青いノイズの海へと飛び込んだ。
「デバッグアイ、出力最大。座標同期、対象エリザベート……。見せてくれ、俺の希望の光を」
視界がデジタルな幾何学模様に覆われ、やがて一組の映像が空中に結像した。
それは、王都から遥か北。冷たい雪が舞い始め、魔物の遠吠えが地平線を揺らす絶望の地、国境付近の廃屋だった。
(……いた。エリザベート、俺の最高レアリティ美少女)
画面の中のエリザベートは、俺が「ゴミ」として投げつけさせた、あの最高級の魔導外套を羽織っていた。
表面上はボロボロの古布に見えるよう偽装しているが、その内側では強力な保温魔法が作動し、彼女の白い肌を極寒から守っているはずだ。
彼女は廃屋の隅で、小さな焚き火を囲んでいた。
銀色の髪は少し乱れているが、その美しさは損なわれるどころか、過酷な環境に置かれたことで、より一層、鋭利な刃物のような輝きを増している。
(ああ……。やっぱり最高だ。あの、すべてを拒絶するような冷たい瞳。それでいて、指先が微かに震えているのを見逃さないぞ俺は。強がっている彼女を、裏側から全力で甘やかしたい。この欲望、これこそが俺のMPの源泉だと言っても過言ではない)
エリザベートは、俺が仕込んだ「廃棄処分品」の保存食を、大切そうに少しずつ口に運んでいた。
彼女のステータス画面をスキャンする。
【対象:エリザベート】
【空腹度:二十パーセント(改善傾向)】
【体温:三十六・五度(安定)】
【状態:警戒、混乱、そして……微かな『疑念』】
疑念。
彼女は気づき始めている。あまりにも自分に都合よく「ゴミ」が捨てられており、あまりにも自分を襲う魔物が「弱い」ということに。
俺は昨晩、彼女の周囲のエンカウント率を下げ、さらに出現する魔物の攻撃力を一律で九十パーセントカットするパッチを当てておいた。
今の北の地は、エリザベートにとっては「少し散歩の難易度が高い公園」程度の危険度になっているはずだ。
(よしよし、いい傾向だ。彼女が『世界の違和感』に気づけば、それが俺への不信感を解く鍵になる。……だが、まだレベルが足りないな。もっと、もっと劇的な『バグ』が必要だ)
その時だ。
エリザベートの背後の壁が、不自然な震動を見せた。
デバッグアイの警告ログが、真っ赤な文字で視界を埋め尽くす。
【警告:イレギュラー個体の接近を検出】
【名称:スノー・オーガ(変異種)】
【レベル:二十五】
【属性:氷結】
【判定:現在の対象のスペックでは、生存確率五パーセント以下】
(なっ……!? なんだよそれ、聞いてないぞ! このエリアの平均レベルは十五のはずだろ! なんで初期エリアに中ボス級が湧いてるんだよ!)
おそらく、聖女ミリアが俺の監視を潜り抜け、直接「排除コード」を送り込んだのだろう。
彼女は俺に資産没収の権限を預けたものの、エリザベートが生きていること自体が我慢ならないらしい。
画面の中では、巨大な氷の棍棒を手にしたオーガが、廃屋の壁を粉砕して侵入しようとしていた。
エリザベートが飛び起き、護身用の短剣を構える。
だが、その手は寒さと恐怖で、目に見えて震えていた。
二十五レベルの変異種。今の彼女にとっては、文字通りの死神だ。
「やめろ……。そんなところで、俺の推しを死なせてたまるか!」
俺はデスクを叩き、デバッグアイ Lv.2の新機能『属性改変(小)』を起動した。
MPが急速に吸い取られ、視界が白黒に反転する。
システム・ディレイ、零コンマ零五秒。
この刹那の時間に、俺はオーガのステータスにハックをかけた。
(攻撃力を下げるだけじゃ足りない。属性だ。こいつの属性そのものを書き換えてやる!)
【試行:属性書き換え [氷結] → [発熱]】
【判定:難易度『高』。成功率、十二パーセント】
(ふざけんな、俺の愛を舐めるなよ! 成功率なんて数値、俺が上書きしてやる!)
俺は脳が焼けるような熱さを感じながら、強引に「確定」のコマンドを叩き込んだ。
鼻からツゥ、と熱い液体が垂れる。鼻血だ。
だが、構わない。
【書き換え成功。属性:氷結 → 発熱(超高温)】
画面の中の変化は劇的だった。
エリザベートを押し潰そうとしたオーガの巨体が、突如として真っ赤に熱を帯び始めた。
雪山に適応した氷の怪物が、内側から数千度の高熱を発し始めたのだ。
オーガは悲鳴を上げる暇もなく、自らの熱によって足元の雪を蒸発させ、自重で地面に沈み込んでいく。
エリザベートが目を見開いて呆然と立ち尽くす前で、オーガはまるで溶けたバターのようにドロドロになり、そのまま自滅した。
【戦闘終了。対象の経験値を獲得】
【レベルアップ:Lv.10 → Lv.11】
(……ハァ、ハァ……。やった、やったぞ。……属性を逆転させれば、存在そのものが矛盾して崩壊する。デバッグの基本だろ、これくらい)
俺は椅子から転げ落ちそうになりながら、自分のステータスを確認した。
MPはほぼゼロ。視界にはひび割れたようなノイズが走り、意識が遠のいていく。
だが、画面の中のエリザベートは無事だった。
彼女はオーガの死骸の跡に残った「熱」に当たりながら、自分の手を見つめていた。
【対象:エリザベート】
【思考:……何が起きたの? 魔物が、勝手に燃え尽きた? ……まるで、誰かが私を守っているような……。……まさか、ヴィンセント様……? いいえ、あんな酷いことを言った人が、そんなはず……】
(そうだ、エリザベート。それでいい。……疑え。世界を疑え。……俺がお前を愛しているという事実に、いつか辿り着いてくれ)
俺は薄れゆく意識の中で、彼女が再び焚き火のそばに座るのを見守った。
その時、部屋の扉が乱暴に叩かれた。
「ヴィンセント様! ミリアでございます。……あら、お部屋の中に、なんだかとても『焦げた』ような匂いがいたしますわね? 何をしてらっしゃいますの?」
(……ゲッ、嗅ぎつけやがったか、バケモノ。……属性改変の余波か)
俺は慌てて鼻血を袖で拭い、表情を冷酷な王子のものへと固定した。
一歩、間違えれば即座に処刑される、薄氷の上の二重生活。
だが、俺の心は不思議と穏やかだった。
エリザベートは生きている。
彼女のレベルが上がった。
それだけで、俺の命を削る価値はある。
「……何でもないよ、ミリア。少し、不要な書類を燃やしていただけだ。……さあ、入っておいで。君の顔が見たかったところだよ」
俺の声は、自分でも驚くほど甘く、そして偽りに満ちていた。
デバッグアイの経験値が、静かに、けれど確実に加算される。
【スキル:デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで:残り600】
俺は扉を開け、再び「地獄の日常」へと戻っていった。
エリザベート。次に君を救う時は、もう少しスマートにやってみせるから。
今はただ、俺の愛という名のバグに、守られていてくれ。
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次回お楽しみに。




