第11回:第二王子、陥落。スロットの埋まりが早すぎる
毒スープの朝食という名の拷問を終えた俺は、ミリアに連れられて王宮の訓練場へと足を運んでいた。
日差しが照りつける屋外は、本来なら爽やかなはずなのだが、隣から漂ってくる「腐った蜂蜜」のような甘すぎる香りのせいで、空気そのものが粘ついているように感じる。
俺の心臓は、デバッグアイが表示する精神汚染アラートのせいで、朝からずっと不整脈気味だ。
(……ああ、クソ。胃薬が欲しい。それか、このバケモノの顔面を三時間くらい無言で殴らせてくれる権利をくれ。無理なら、せめてエリザベートの等身大抱き枕を支給してくれ。癒やしが……圧倒的に癒やしが足りないんだよ、このクソゲー)
俺の内心の絶叫とは裏腹に、俺の顔は最高に不遜で、最高に「女に骨抜きにされたクズ」の表情を完璧に維持している。
エスコートされる俺の手は、ミリアの細い腰をしっかりと抱き寄せ、彼女の言葉一つひとつに「ああ、そうだね、ミリア」「君の言う通りだ」と無感情な全肯定を繰り返していた。
訓練場では、金属のぶつかり合う音と、荒い吐息が響いていた。
そこでは、俺の弟である第二王子が、近衛騎士たちを相手に剣を振るっていた。
第二王子。名はカイル。
俺とは正反対の赤髪で、裏表のない直情径行な性格。ゲーム『深愛のユートピア』では、熱血騎士系攻略対象として高い人気を誇っていた。エリザベートに対しても、兄の婚約者として真っ直ぐな敬意を払っていたはずの、この国の良心とも呼べる存在だ。
(……カイル。お前、昨日の夜まではまだ『微かな抵抗感』をステータスに出してたよな? 朝は流石に酷かったが、もっと頑張れよ、脳筋。お前のその自慢の筋肉は、バケモノに脳ミソを弄らせるために鍛えたんじゃないだろ?)
俺はデバッグアイの出力を上げ、カイルのステータスを注視した。
【対象:第二王子カイル】
【状態:軽微な魅了(深度:中)】
【支配スロット:空き(予約状態)】
首の皮一枚で繋がっている。
カイルは剣を振るうたびに、ミリアからの「愛の視線(侵食波)」に抗うように、無意識に魔力を放出して精神を防御していた。
だが、その守りも限界に近かった。
「まあ、カイル様! なんて素晴らしい剣捌きかしら。私、見惚れてしまいますわ」
ミリアが、両手を頬に当てて可憐に声を上げた。
その瞬間、彼女の背中の影から、どす黒い触手がドリルさながらに回転しながら伸び、カイルの背後に回り込んだのが見えた。
もちろん、周囲の人間には見えない、デバッグアイ限定の光景だ。
(マズい……! あいつ、一気に決めるつもりか!?)
カイルが動きを止めた。
ミリアの声を聞いた瞬間、彼の鋼のような肉体に、一瞬の「隙」が生じる。
それを見逃すようなバケモノではない。
触手の先端が、カイルのうなじにある『魔力回路の接合部』に、無慈悲に突き刺さった。
「カイル様、貴方のその強さは、何のためにあるのかしら? ……そう、私を守るため、でしょう?」
ミリアの声が、魔力的な重圧を伴って訓練場に響く。
カイルの瞳から、光が急速に消え失せていく。
彼の頭上で、デバッグアイのウィンドウが狂ったように点滅を開始した。
【警告:対象の精神構造の書き換えを開始】
【侵食率上昇:三十、六十、九十……百パーセント】
【判定:支配完了】
ガチャン、という、物理的な錠前が閉まったような音が、俺の脳内に響いた。
【支配スロット状況:5/7】
【Slot 5:第二王子カイル(侵食率:100パーセント)】
「……ああ、ミリア様。私の、私の女神。私は、貴方のためにこの剣を捧げます」
カイルがその場に跪いた。
先ほどまでの鋭い眼光は消え失せ、その瞳には俺と同じ――いや、俺以上の、盲信的な熱狂が宿っている。
俺は、その光景を冷や汗を流しながら見つめていた。
(……うわあ、落ちた。秒で落ちたよ。俺の、数少ない『正気の身内』が、また一人消えた。しかも今の台詞、なんだよ。『私の女神』って、お前、普段そんなキャラじゃないだろ。見てるこっちが恥ずかしくなるレベルの激甘ポエムを、真顔で吐きやがって)
カイルはミリアの元へ歩み寄ると、彼女の靴に口づけをせんばかりの勢いで跪き、その手を求めた。
ミリアは「うれしい、カイル様」と微笑み、俺の腕を抱いたまま、空いた方の手でカイルの頭を優しく撫でる。
その構図は、一人の少女に傅く二人の王子。
はたから見れば、恋の鞘当てに翻弄される美しい兄弟の姿に見えるだろう。
だが、俺の視界では、二人の王子の首筋から伸びた触手が、ミリアという巨大な捕食者の胃袋へと繋がっている絶望の図案だった。
(……これで、五人目か。国王、騎士団長、魔導軍総帥、俺、そしてカイル。……王国の武力と権力の八割が、完全にこいつの手中に収まったわけだ)
ミリアは、満足げに喉を鳴らした。
彼女の「満腹度」が上昇し、支配スロットの空きが残り二つになったことを示すインジケーターが、不気味に赤く光る。
彼女が次に狙うのは誰か。残された有力者は、第三王子と、そして……。
「ねえ、ヴィンセント様。カイル様も、ようやく私たちの『家族』になってくださいましたわ。ねえ、とっても素敵なことだと思いませんか?」
「ああ、そうだね、ミリア。カイルもようやく、真実に目覚めたようだ。これでこの国は、さらに君の愛で満たされることになるだろう」
俺の口が、定型文のような賞賛を吐き出す。
心の中では、カイルの顔面を引っ叩いてやりたい衝動に駆られていた。
カイル、お前、その幸せそうなツラはやめろ。
お前が吸い取られているのは魔力だけじゃない。お前のこれまでの人生、努力、エリザベートへの淡い初恋、それらすべてが今、このバケモノのデザートとして消化されてるんだぞ。
「ヴィンセント兄様、申し訳ありません。私は今まで、ミリア様の素晴らしさを理解できていなかった。……兄様が、あんなエリザベートとかいう古臭い女を捨てた理由が、今なら分かります。ミリア様に比べれば、あんな女は路傍の石も同然だ!」
カイルが、俺に向かって爽やかな笑顔で、最悪の罵倒を口にした。
……あ。
こいつ、今、言っちゃいけないことを言ったな。
(……おい、脳筋。その名前を、その汚れた口で出すなよ。……路傍の石? エリザベートが? ははっ。笑わせるな。お前、彼女がどんなに苦労してお前の勉強を見てやったか、忘れたのか? お前が剣を握り始めた時、最初の手入れの仕方を教えてくれたのは誰だったと思ってるんだ)
俺の胸の奥で、どす黒い怒りが鎌首をもたげた。
システムによる感情抑制を突き抜けて、俺の拳が震える。
だが、俺はその怒りを、即座に「嫉妬」という偽装データへと変換した。
「……ふん。カイル、分かっているならいい。だが、ミリアへの愛を競うというのなら、弟であっても容赦はしないぞ。彼女の第一の僕は、この俺だ」
俺はミリアを引き寄せ、独占欲を露わにするような仕草でカイルを睨みつけた。
カイルは「望むところです!」と挑戦的に笑う。
……よし。これでいい。
ミリアは、俺たちが自分のために争う姿を、何よりも好む。
彼女にとって、俺たちはもはや人間ではなく、より美味しい感情を産出するための「家畜」なのだ。
ミリアがクスクスと笑い、俺たちの間で楽しそうにステップを踏んだ。
「まあ、二人とも。喧嘩はいけませんわ。私は、貴方たちのどちらも同じくらい愛していますもの。……うふふ、なんだか、とってもお腹が空いてきましたわ。ねえ、ヴィンセント様。今日の午後は、もっと楽しいことがしたいですわ」
(午後は楽しいこと? 勘弁してくれ。俺のMPはカイルが落ちた時のショックで、もう底を突いてるんだ。これ以上吸われたら、マジで俺の中身が消えて、ただの『ヴィンセント』に上書きされちまう)
俺は、絶望的なステータス画面を横目で確認しながら、それでも優雅にミリアのエスコートを続けた。
五つ目のスロットが埋まったことで、王都の空気はさらに淀み始めている。
だが、俺はまだ諦めない。
俺は視界の端で、エリザベートの様子をチラリと確認した。
彼女は今、北の国境にある廃村に到着していた。
俺が昨日、事務的にハックして「放棄予定」に変更した避難所だ。
そこには、俺がこっそり手配した『予備の薪』と『一週間分の保存食』が、目立たない場所に隠してある。
(カイルは落ちた。次は第三王子か、あるいは国王の退位か。……シナリオは加速している。でも、俺がここで『四番目の枠』に座り続けている限り、ミリアの支配は完全じゃない。……待ってろよ、聖女様。お前の胃袋がはち切れるくらいの毒を、俺がこれからたっぷり注いでやるからな)
俺は、跪く弟の頭越しに、冷徹な殺意を込めてミリアの背中を見つめた。
もちろん、その殺意は「激しすぎる愛」というラベルで、システムによって完璧に書き換えられていたけれど。
【スキル:デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで:残り700】
レベルが上がるたびに、俺の心は削られていく。
それでも、俺はこの『詰みゲー』をハックし続けてやる。
エリザベートの笑顔を取り戻す、その一瞬のためだけに。
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次回お楽しみに。




