第1回:目が覚めたら絶世の美女を罵倒していた
新作始めました。
今流行りの?悪徳令嬢追放ものです…!
「――いい加減にしろ、この悪徳の象徴め! 貴様のような薄汚い女、もはや我が婚約者ではない! 今この瞬間をもって、婚約破棄を言い渡す!」
怒声がシャンデリアの輝く大広間に響き渡った。
あまりの怒鳴り声に、自分の喉がビリビリと震えるのを感じる。
……待て。今の声、俺か?
俺の声なのか?
視界が急激に明瞭になる。
脳を直接かき回されるような酷い眩暈と、他人の人生が濁流のように流れ込んでくる不快感。
パチリ、と意識のピントが合った。
目の前には、一人の女性が立っていた。
夜の帳をそのまま紡いだような銀色の髪。凍てつく冬の湖を思わせる、鋭くも美しい青い瞳。凛とした鼻筋と、震えるのを必死に堪えている薄桃色の唇。
純白のドレスに身を包んだ彼女は、床に膝をつき、周囲の貴族たちの嘲笑を一身に浴びていた。
(……え、めちゃくちゃ綺麗。嘘、何この美少女。銀髪、吊り目、最高にドタイプなんですけど)
語彙力が消滅した俺の脳内は、目の前の美女への賛辞で埋め尽くされた。
だが、現実は残酷だった。
俺の意識とは裏腹に、俺の右腕は彼女の顔を指差し、口は勝手に次の暴言を紡ぎ出そうとしている。
いや、止まれ。止まってくれ俺の口。
こんな美少女を罵倒していい理由なんて、この世のどこにも存在しないはずだ。
「聞こえなかったのか、エリザベート! 貴様の罪状は明らかだ。聖女ミリアへの数々の嫌がらせ、果ては暗殺計画まで……。言い逃れはさせんぞ!」
違う。俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「さっきはごめん、ちょっと大きな声出しちゃったけど、とりあえず一緒にお茶でも飲んで君の魅力を三時間くらい語らせてくれないかな?」と言いたいんだ。
なのに、喉の奥からせり上がってくるのは、粘り気のある悪意に満ちた言葉ばかりだ。
その時、視界の端にパチパチとノイズが走った。
半透明のウィンドウが宙に浮き上がる。
「……何だ、これ?」
周囲の人間には見えていないようだ。
そこには、俺がかつてやり込んだ乙女ゲームのデバッグモードに酷似した画面が表示されていた。
【ログ:イベント「断罪の夜」進行中】
【対象:エリザベート・フォン・アルトワ】
【状態:絶望(深度:大)、婚約破棄確定】
【プレイヤー状態:第一王子ヴィンセント(憑依:覚醒)】
【スキル:デバッグアイ Lv.1 起動】
ヴィンセント。第一王子。
その名を聞いた瞬間、記憶のパズルが音を立てて繋がった。
ここは、俺が死ぬほどやり込んだ乙女ゲーム『深愛のユートピア』の世界だ。
そして俺が今憑依しているヴィンセントは、物語の序盤でヒロインである聖女に唆され、長年の婚約者であるエリザベートを追放する、典型的な「噛ませ犬」のクズ王子だった。
ゲームのシナリオ通りなら、俺はこの後エリザベートを国外追放にし、聖女に溺れ、最終的には闇に落ちて魔王と化し、強くなったエリザベートに討伐されて死ぬ。
待て待て待て。死ぬのは嫌だ。
それに何より、こんなに可愛い子に殺されるのも嫌だが、彼女を泣かせるのはもっと嫌だ。
「ヴィンセント様……。私は、そのような身に覚えのない罪で断罪されるほど、落ちぶれたつもりはございません」
エリザベートが、震える声で反論した。
その瞳には、かつての婚約者への情愛と、信じていたものに裏切られた深い傷跡が見て取れる。
ああ、ごめん。本当にごめん。俺も今、自分の口が勝手に喋っててパニックなんだ。
俺は必死に身体の自由を取り戻そうとした。
謝るんだ。今すぐ土下座して、「全部冗談だった、ちょっとしたドッキリだ」と叫ぶんだ。
だが、身体が動かない。
まるで透明な糸で操られているかのように、俺の腕は隣に寄り添う「聖女」を引き寄せた。
「ふふ、ヴィンセント様。そんなに怒らないでください。エリザベート様も、きっと魔が差しただけなのですから……」
鈴を転がすような甘い声。
隣にいたのは、ふわふわとした金髪をなびかせた、いかにも「守ってあげたい」と思わせる可憐な少女――聖女ミリアだった。
ゲームのヒロイン。全プレイヤーが彼女の味方をするはずの存在。
だが、俺の「デバッグアイ」が捉えた彼女の姿は、全くの別物だった。
【名称:精神寄生体】
【状態:捕食準備中】
【支配スロット:4/7 埋設済み】
【Slot 4:第一王子ヴィンセント(侵食率:ERROR)】
背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走った。
聖女じゃない。こいつ、人間ですらない。
ミリアの背後には、周囲の人間には見えないであろう、どす黒い霧のような触手が何本も伸びていた。
そのうちの一本が、俺の首筋に深々と突き刺さり、ドクドクと何かを流し込んでいるのが「見えて」しまった。
魅了。
ゲーム上の設定だと思っていたそれは、実際には対象の脳をハックし、自我を書き換える恐ろしい寄生行為だったのだ。
周囲を見渡せば、国王も、騎士団長も、魔導軍の総帥も、全員の首筋に同じ触手が繋がっている。
彼らの瞳は一様に虚ろで、ミリアの言葉一つひとつに熱狂的な拍手を送っている。
唯一、その触手が届いていない人間がいた。
床に膝をつくエリザベートだ。
彼女のステータスをデバッグアイで確認する。
【名称:エリザベート・フォン・アルトワ】
【パッシブスキル:不変の魂】
【効果:あらゆる精神干渉を無効化する】
なるほど。だからこいつは、エリザベートを排除しようとしているのか。
自分の魅了が効かない「バグ」である彼女を、この国から追い出すために。
そして、俺という駒を使って彼女を徹底的に痛めつけ、その絶望をエネルギーとして喰らうために。
(……ふざけんな)
怒りが湧き上がってきた。
俺の初恋(三分前)の相手を、こんな化け物の食料にされてたまるか。
だが、依然として俺の身体はミリアの支配下にある。
思考は自由だが、出力が制限されている状態だ。
「ミリア、君はどこまで優しいんだ。こんな女、庇う価値もないというのに」
俺の口が、ミリアの頬を撫でながら甘い言葉を吐く。
うわ、気持ち悪い。自分の声なのに吐き気がする。
ミリアは勝ち誇ったような笑みをエリザベートに向けた。その目は全く笑っていない。爬虫類のような、冷酷な観察者の目だ。
「エリザベート・フォン・アルトワ! 判決を言い渡す。貴様を本日をもって国外追放処分とする。二度と我が国の土を踏むことは許さん!」
決定的な言葉が放たれた。
大広間にどよめきが広がる。
エリザベートは、絶望に顔を歪めた。
一筋の涙が彼女の頬を伝い、床に落ちる。
その瞬間、俺の胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
(待て、行かせるな! 今すぐ抱きしめて「行かないでくれ」って言え!)
必死に抗う。意識の海の中で、俺は自分の身体を操る「システム」に体当たりを繰り返した。
一瞬だけ、指先がピクリと動いた。
視界のデバッグ画面に警告が出る。
【警告:役柄に反する挙動を検出。修正プログラムを実行します】
激痛が走った。
だが、その痛みの隙間に、わずかな「空白」が生まれた。
ほんの数秒。俺が俺自身の声を出せる、奇跡的なデバッグタイム。
「エリザベート……!」
俺は、去ろうとする彼女の背中に向かって、必死に声を絞り出した。
エリザベートが、驚いたように振り返る。
その瞳に、一筋の希望が宿ったように見えた。
(言え! 「愛してる」でも「嘘だ」でもいい、彼女を救う言葉を!)
だが。
「……貴様の面など、二度と見たくない。とっとと失せろ、この出来損ないが!」
口から出たのは、システムによって強制変換された、最悪の罵声だった。
エリザベートの瞳から、光が完全に消えた。
彼女は深く頭を垂れ、「……承知いたしました」とだけ、枯れた声で答えた。
彼女が兵士に連行され、大広間の重厚な扉が閉まる。
周囲からは歓声と嘲笑が上がり、ミリアは俺の腕に満足げに身体を預けてきた。
(……ああ、クソ。やってくれたな、システム)
俺は、笑みを浮かべたままの顔の内側で、奥歯を噛み締めた。
最悪のスタートだ。
婚約者は去り、俺は世界で一番のクズ王子として歴史に刻まれた。
隣には国を滅ぼそうとする化け物がいて、俺の首にはその触手が繋がっている。
だが、まだ終わっていない。
俺の手元には、この不条理な世界の裏側を覗き見る「デバッグアイ」がある。
見てろよ、ミリア。それからこのクソったれな運命。
俺は絶対に諦めない。
俺のドタイプなエリザベートを、あんな悲しい顔のままで終わらせてたまるか。
たとえ世界中の人間に憎まれる魔王になったとしても、俺は裏側からこの物語をハックし、君を救い出してやる。
俺は、ミリアの肩を抱き寄せながら、心の中で中指を立てた。
デバッグ開始だ。
まずは、この首筋に刺さった気持ち悪い触手をどう引っこ抜くか、そこから考えさせてもらおうか。
扉の向こう、エリザベートが消えた通路を、俺は冷徹な王子の瞳で見つめ続けた。
その視線の端で、新しいシステムメッセージが静かに明滅していた。
【ミッション開始:エリザベートを生存させ、ハッピーエンドへ導け】
【現在の生存確率:0.01パーセント】
「……ふん。上等だ。ゲームなら、難易度が高い方が燃えるってもんだろ」
俺は、誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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次回お楽しみに。




