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8 〜 騎士 〜

「ねぇ、魔女様? あなたの騎士は来ると思う?」

「…………」

「釣れないわねぇ。少しくらい話し相手になってくれても良いじゃない?」

「それは契約に含まれていませんので」

「ケチねぇ。この国はサービス精神旺盛って聞いていたのだけれど?」

「…………」

「まぁ、良いわ。あとは待つだけだもの。暇潰しに何か起きることを楽しみにしてるわ」

 それは予感ではなく、期待。

「…………」

 あるいは願いであり、想い。

 アリシアの両手には魔術を封じる対魔女仕様の手錠。

 これでも魔女を完封できるかと言われると不安が残るレベル。それが災厄の魔女ともなれば、安心しろというのが無理な話だ。

 しかし、だからこその『取引』だった。

 忍霧 奏の命を保証する。

 代わりにアリシア・エイトテイルは自らの時間と体を提供する。

 死なずの魔女にとっては極めてお買い得な取引だった。

「私はね、来ると思ってるのよねぇ」

 自覚はないにしても、アレはもう魔女の騎士として立派に立ち振る舞っている。たった一度の敗北で心が折れるようなモノではないだろう。

「約束は守るわ。でも、アレがそれを拒否した場合、私たちにも私たちの利益を守るためのアクションを取らなければならないの。それは分かって頂けますよね、魔女様?」

 少し前から階下が騒がしいのは気付いていた。

 あとはここまで辿り着けるかどうか。

 忍霧 奏は数刻前に致命傷を負っていた。

 あの状況で一命を取り留めただけでも奇跡と言える。

 それからたったの数刻。

 果たして彼はここまで辿り着けるだろうか。

 隣で黙秘を貫く魔女の心情を図るのであれば、きっと来ないで欲しいと願っているだろう。

 この取引はそのための取引。

 この魔女の心の扉をこじ開けた唯一の存在を守るための取引だ。

 その一方でジャンヌ・アルメリアは期待していた。

 これみよがしに配置した無数のガーゴイル。

 獲物を取り逃がして消化不良状態の猟犬。

 それらを乗り超えて、アレがここに来ることを。

 年甲斐もなくソワソワしてしまっているのを自覚する。

 ヘカトンケイルの面々は個人主義者が多い。

 ほぼ全員と言って良いくらい、魔女狩り機関のエージェントたちは団体行動に向いていない。

 もちろん、ジャンヌだってそうだ。

 それでも行動する時はツーマンセルが基本。

 魔女、それもメイギスと相対する際、一人ではできることに限界があるというのが理由である。

 言いたいことは分かるが、気の合わない相手と連れ合うのはたった数日とはいえ、苦痛だ。

 従順なら可愛がっても良いと思うが、反抗的なペットの相手は面倒極まりない。

 よって、今向かってくるソレがどちらであるのか。

 ジャンヌはとても楽しみにしていた。

「さて、どちらかしら――」


 屋上にはいつもよりも強い風が吹いていた。

 先客は二人。

 魔女狩り機関のエージェント、ジャンヌ・アルメリア。

 そして、原初の魔女、最悪にして災厄のメイギス、アリシア・エイトテイル。

「ようこそ、無能の反逆者。こんな状況ではあるけれど、歓迎するわ」

 ジャンヌが嬉々として両手を広げる。

「そういえば、ウチの狼炎とは会ったかしら? 一応、君との再戦を楽しみにしてたんだけど」

「斬った」

 運が良ければ助かるだろうが、それを教えてやる義理もない。

「あとはお前だけだ」

「ありがとう。これでようやく、楽に動けるわ」

 そう言うと、ジャンヌは徐に大鎌を振った。

 ザッパ――

 そして、ゴトン――、とアリシアの首が屋上に転がった。

「な――」

「あら、ごめんなさい。少し溜まっていたモノで」

 まるで蟻でも踏み潰すかのように、ジャンヌはアリシアを狩った。

「――――ッ!」

 ガギャ!

 奏の短刀をジャンヌは大鎌で受け止めた。

「これは疾い。まだ回復しきっていないはずなのに、さっきよりずっと疾いじゃないの」

「うるせぇ。お前だけは絶対に許さん!」

「まぁ、落ち着きなさい、なっ!」

 一瞬で眼前に迫った奏を、ジャンヌはあっさりと弾き返した。

「大丈夫。これから、良いモノが見れるんだから、ちょっとくらい落ち着いてちょうだい」

 一人、魔女の首を落として、ジャンヌは冷静だった。

 そして、それはすぐに証明される。

 奏が次の一歩を踏むよりも先に、ソレは顕現した。

 巨大な魔法陣。

 それも複数を組み合わせた複合術式。

 ベースとなる図式は時計のモチーフ。

 時刻を示す文字の場所には代わりに幾つもの魔法陣が重ねられ、更に複雑な術式を形成している。

「なんだ、コレ……」

「知ってる、忍霧の? 何で彼女が原初の魔女と呼ばれているのか」

 魔術の歴史は世界の歴史。

 この世界に別次元の世界が重なったのが始まりだ。

 それから六百五十年。

「つまり、この魔女はその当時から存在していたというわけ。もちろん、魔女として」

 その生涯の中で、当然、数々の迫害、差別にも遭遇してきただろう。

 多くの魔女はその中で討伐されてきた。

 ウィッチとメイギスの区別ですら、確立されたのはたった百年ほど前のことでしかない。

「その秘密の一つが『コレ』――」

 展開された魔法陣が淡く輝きながら、針を回す。

 まるで刻を遡るように。

 生命の法則を、因果を捻じ曲げる。

 転がっていたアリシアの首が動き出す。

 違う――

 それは巻き戻っているという表現が正しかった。

「美しい――」

 うっとりとその言葉を口にするジャンヌ。

 不自然な軌道を経て、あるべき場所に戻るアリシアの顔。

 その軌道に引っ張られるように、周囲に飛び散っていた血液までもが彼女の体へと集まっていく。

 大鎌を彩っていた鮮血も、剥がれるように消えていく。

 術式が発動し、完結するまでたったの数秒。

 魔法陣が消えた中心部で、彼女はゆっくりと目を開ける。

「アリシア!」

「見られて、しまいましたか……」

 今し方、首を切り落とされたばかりの彼女は全てを諦めたようにため息を吐く。

「災厄の魔女。別名を死なずの魔女。これまで、彼女がヘカトンケイルの監視下に置かれた回数は三回。実に、その期間は約百八十年ほど」

 そして――

「その歴史は魔術の発展の歴史」

 その意味を理解して、奏はゾッとする。

「人体、実験……」

「察しが良くて助かるわぁ」

 魔術だって万能ではない。

 今でこそあらゆる分野で魔術は必要不可欠となった技術だが、そこに至るまでには様々な過程を経ている。

 その一つには人体実験も当然、含まれる。

 本来、その大部分は公募だったり、犯罪者だったりで行われる――はずだ。

 ただ、それを彼女はたった一人で無制限に賄える、賄えてしまう。

 それがどれほど人道的ではなくても、だ。

「感謝しているわ、忍霧の。あなたのおかげで、世界の魔術レベルはまた数段跳ね上がる」

「……狂ってる」

「知ってるわ――」

 先手を打ったのはジャンヌ。

 大鎌による横薙ぎの一閃。

 疾く、鋭い一撃は重く、狼炎の戦斧にも引けを取らない。

「――っ!」

「ふふっ、良いわね。狼炎を斬ったって言うのは嘘じゃなみたいね!」

 身の丈ほどもある大鎌を繰るにもかかわらず、ジャンヌの速さは圧倒的だった。

 一撃の重さはもちろんだが、それ以上に大鎌という特殊な形状を生かした絡め手が奏を翻弄する。

 気配は読める。

 だが、その気配の明後日の方向から斬撃が来るのだ。

 背後に気配があるのに右側から。

 斜め前に感じたと思ったら斜め後方から。

「どうなってんだ……」

「ふふっ、頑張らないとさっきの魔女様みたいに首がなくなっちゃうわよ?」

「ちっ――」

 冗談めかして聞こえるが、このままではジリ貧だ。

「まだまだ。嵐撃――」

 風が疾る。

 だが、魔術は奏には意味をなさない。

 しかし、疾る風は奏へと向かわない。

 標的はそのすぐ傍。

 そこで風が爆ぜる。

「がっ――」

 確かに魔術自体は奏に意味を成さない。

 だが、それによって生じた事象は別である。

 そう、例えば魔術によって弾き飛ばされた瓦礫の礫とか。

 銃弾さながらの勢いで弾かれた礫があらぬ角度から奏を襲う。

「さぁ、どうするの、魔女の騎士様?」

 風が疾り、ジャンヌが大鎌を振るう。

 前後左右、三百六十度からの襲撃が奏を追い込んでいく。

「勘は良いみたいねぇ。狼炎が負けるのも納得だわ。でも、それだけね。それだけじゃ無駄死によ、忍霧の」

 いちいち言い方が癪に触る。

 しかし、眼前の強敵による指摘は至極正しい。

 このままでは何も成し得ない。

「奏! もう良いですから! 私なら、大丈夫ですから!」

 惨状に耐えかねて、アリシアが普段なら絶対に出さない声量で声を上げる。

「何だよ、珍しく饒舌じゃねぇか」

「だって、そんな――っ!」

 出血が多いのは自覚している。

 学園に来るまでの間に増血剤で補っているとはいえ、血が足りてないのは間違いない。

「本当、今日は驚かされてばっかりだ。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったよ」

「後悔しているのかしら? 今ならまだ見逃してやらなくもないわよ?」

「冗談。ここで逃げるくらいなら最初から来ねぇよ」

「奏っ! どうして、どうして、そんな……」

 アリシアは今にも泣き出しそうだった。

「そんな顔すんなよ。良いじゃねぇか、一人くらいこういうヤツがいても」

 アリシア・エイトテイルはメイギスである。

 原初の魔女。

 最悪にして災厄、死なずの魔女。

「お前が本当に悪い魔女で、メイギスだってんなら、いちいちこんなことで泣きそうになったりしないだろ。何で自分の身を差し出してまで、オレを助けようとするんだよ。そんなヤツがメイギスであってたまるか――」

 そんなことよりも、他でもない魔女狩り機関を名乗るこの大鎌使いの方がよっぽどの悪者じゃないか。

 人の命を盾に、死なないだけの彼女の命を弄ぶ。

 そんなヤツが正義の味方であってたまるものか。

「例え歴史がお前をメイギスだって謳ったとしても、オレはそれを信じない」

 今、覚悟を見せなくて、いつ見せるのか。

「お前は魔女かもしれないけど、メイギスって呼ばれるにはちょっとお人好しすぎるぞ?」

 自らを差し出して、他人の命を救うメイギスなんて、少なくとも奏は聞いたことがない。

 忍霧 奏には魔術の才がない。

 しかもそれは少しどころではなく、決定的に、だ。

 魔術の才が致命的に欠けた存在、ダッドトイ。

 その中でもありとあらゆる魔術の才に欠け、一切の魔術を受け付けない存在であるオールダッド。

 奏は自他共に見ても、間違いなくオールダッドだった。

 ただ、一点――

 一点だけ、忍霧 奏にはオールダッドとして誤りがある。

 それは体内に流れる魔力量。

 この魔力量という点においてのみ、忍霧 奏は一流の魔術師に劣らない。

 それは究極の宝の持ち腐れ。

 どれだけその内に膨大な魔力を内包していようとも、奏にはそれを外部に出力するための才能が完全に欠如していたのである。

 そう、『外部』に出力することができないだけ。

「ふぅ……」

 魔術とはその大多数が、自らの魔力を外部に出力することで発動する。

 ただし、あくまでも大多数であって、全てではない。

 その一つが身体強化魔術である。

 術式と呼ぶのもおこがましい、魔術を嗜む者であれば十人が十人、意識せずとも使える基礎中の基礎となる魔術である。

 それは詠唱も必要とせず、術式を理解する必要もない。

 自らの中に流れる魔力を自身に浸透させ、身体能力を強化する。

 ただそれだけの技術。

 オールダッドと蔑まれる奏ではあるが、ただ唯一それだけは行使が可能だった。

「循環――、浸透――、構築――」

 たったそれだけの魔術であっても、体が軋む。

 彼の特異体質が、自身の体の中を駆け巡る魔力の流れを拒むのだ。

 傷口が広がり、血が吹き出す。

 身体への負荷が大きすぎるため、音からも使用は禁じられていた。

 基礎の基礎と呼ばれ、魔術とも言えない魔術を行使するだけでこの体たらく。

 情けないにも程がる。

 それでも――

「行くぞ――」

「良いわね。やっぱり君、面白いわ」

 今、この瞬間を乗り越える一歩を踏める。

 二人の姿が、消える。

 ジャンヌの大鎌が、寸前まで奏がいた場所を薙ぎ払い、コンクリートが弾け飛ぶ。

 ガンッ――

 その背後で、屋上にあった貯水タンクがひしゃげていた。

「やっぱ慣れねぇな、コレ」

「へぇ、そこまで早くなるのね」

「安心しろ。まだ慣らしだ」

「はっ! それはそれは!」

 ジャンヌの高揚が伝わってくる。

 強者との戦いを喜ぶバーサーカーっぷりは魔女狩り機関のエージェントならでは。

「濡れてきちゃうじゃないっ!」

 風が疾り、コンクリートが抉れ飛ぶ。

「つっかまえ、た!」

 風の銃弾を囮に、奏の背後を獲ったジャンヌが大鎌を振り下ろす。

 ドガン――ッ!

 だが、それも彼を捕らえ切れず。

 屋上の床を噛み砕くに留まる。

 一進一退の攻防に、魔力を封じられているアリシアには二人の姿を追うことができない。

「良い! 良いわよ、忍霧の!」

 ジャンヌの振るう大鎌に、奏の速さが拮抗を見せる。

 ただ、それではまだ足りない。

 更にもう一段――

「ふっ――」

 ギアを上げる。

 忍霧流歩武術――無為。

 身体強化を併用した上での歩武術。

 コントロールの難易度は跳ね上がるが、それ以上に踏み込めるテリトリーは拡大される。

 その距離が大きく離れていても、今の奏であれば一瞬にして間合いに踏み込める。

「おぉ――っ!」

 一瞬でジャンヌとの距離を詰め、姫守を振る。

 柄で防がれるも、そこにこれまでの余裕はもう存在しなかった。

 大鎌を振るうジャンヌにとって接近戦は鬼門だった。

 だが、ジャンヌはソレを器用に旋回させ、奏の猛攻を防ぎ、いなす。

 一合、二合、三合――

 撃ち合う度にリズムは加速する。

 そのリズムは誰のモノか。

 忍霧流歩武術――流川舞。

 超高速で大地を踏み抜くリズムに、二つの影が舞い狂う。

 それでもジャンヌは強引に自らのリズムを割り込ませてくる。

「は――っ!」

 どんな時でも自らのリズムを踏めるのは強者の証。

 ただ、それは奏も同じこと。

 忍霧流歩武術――流葉舞。

 流れるリズムが常に自分だけのモノとは限らない。

 それを乗り切るのもまた強者。

「噛み砕け――ッ!」

 構築魔術が周囲の空間を丸ごと破砕する。

 反撃に転じる瞬間へ、奏の一歩は強引に割り込んだ。

 忍霧流歩武術――酩酊流転。

 一歩を踏み、撒き散らされる弾丸の嵐を駆け抜ける。

 両者の間に生まれた距離は数メートル。

 一拍を呑む刹那、視線が交錯し、両者が確信する。

「嵐哮ォ――ッ!」

 放たれたのは風の咆哮。

 超々圧縮された極小の竜巻。

 無理やり軌道を生み出された暴風は大地を喰み、無数の散弾を内包しながら獲物へと突き進む。

 魔術自体は意味を成さずとも、それによって生じた無数のコンクリートバレットは間違いなく致命的。

 それでも逃げるわけにはいかない。

 ここが、分水嶺――

「オォ――ッ!」

 一歩を踏む。

 大地を踏み抜く。

 運命なんて、世界なんて知ったことか。

 いつだって、未来は自らの足で踏み出したヤツのモノだ。

 忍霧流歩武術――鏡花水月。

 水鏡に映った宙の月の如く、その姿は天から地へと移り行く。

「閃け、姫守――」

 風と共に短刀が夜黒を絶つ。

「がっ――――」

 夜風に鮮血の香りが混じっていた。

「アァアアアアアアアアアア――――――――ッ!」

 絶叫を夜空に響かせたのはジャンヌ・アルメリア。

 そして、その傍に転がるのは彼女の大鎌とソレを握りしめていた右腕。

 大量に零れ落ちた赤い血の池に、右腕は溺れていた。

「はぁ、はぁ……」

 とはいえ、奏の方も満身創痍だった。

 ジャンヌの放った竜巻による散弾の嵐を無傷で潜り抜けることはできなかった。

 決死の覚悟で死地を超えてなお、たったの一太刀を浴びせるのが精一杯。

 それでもまだ眼前の敵は戦意を失うことはなかった。

「殺す! 殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスッ! 殺してやる! 殺してやるぞッ! この無能のゴミがぁッ!」

 ジャンヌの右肩から溢れる出血量は卒倒してもおかしくないレベル。

 だが、激昂した彼女にはそんなことはどうでも良かった。

 それすらも凌駕する圧倒的殺意。

「大人しく引いてくれる気はなさそうだな……」

 継戦は免れないらしい。

 満身創痍ではあるものの、だからと言って武器を手放す理由にはならない。

 どちらかが事切れるまで。

「いいえ。大変申し訳ありませんが、ここで終幕とさせて頂きます――」

 突如、気配が現れた。

「――――ッ!」

 いつの間にか、彼女はそこにいた。

 不自然なまでの白。

 黒と真逆であるにも関わらず、それを全て呑み込んでしまいそうな真白な髪。

 全てをソレに合わせた白基調のメイド服。

「ご無礼を、忍霧 奏様。私、ジャンヌ様の侍女を務めさせて頂いております、ストラ・カンタービラと申します」

 淡々としかし、礼儀正しく、ストラは奏に向かって深々と頭を下げる。

「何だよ、あんたも魔女狩り機関のエージェント様か?」

「一応は……」

 静かにストラは返答した。

「しかし、ご安心ください。本日、私はあくまでもお嬢様を回収に訪れたに過ぎません。忍霧様とエイトテイル様については、いかような指令も承っておりません」

「その言葉を信用しろって?」

「そうして頂く他。現状、ソレを証明する術を私は持ち合わせておりませんので」

 言いながら、ストラは自らの白を汚すのも厭わず、血に濡れた主の右腕と大鎌を拾い上げ、ジャンヌの傍へと歩み寄った。

「ストラ、貴様ッ!」

「大変申し訳ございません、お嬢様。しかし、このままでは、お嬢様のお身体にも後遺症が残ってしまいます。急ぎお戻り頂き、治療をお受け頂きたく存じます」

 怒れるジャンヌにも引かず、媚びず進言する様は侍女としての彼女の貫禄を感じさせる。

 その視線を真っ向から受け止めながら、ストラはまま視線を返す。

「「…………」」

 数秒の沈黙。

「クソがっ。帰るわよ、ストラ」

「ありがとうございます。お嬢様」

 渋々の了承を引き出すと、ストラはようやく微笑を浮かべる。

「開門――」

 キーワードを引き金に構築魔術が発動する。

 空間が裂け、深淵のような深い闇の空間が口を開く。

「忍霧の、魔女は貴様にくれてやる。せいぜい余生を満喫するといいわ」

「待て、ジャンヌ!」

 せっかくの好機をここで逃すわけにはいかない。

 軋む体に鞭を打ち、体を動かそうとする奏の前には、ストラが有無を言わさぬ圧力で立ちはだかる。

「大変申し訳ありません、忍霧様。本日はここで幕をお引き頂けますようお願い申し上げます」

「ぐっ――」

 血で汚れたストラはただそこに立っているだけである。

 それでも、奏は一歩を踏み出すことができなかった。

 今の奏にはストラ・カンタービラの実力が推し量れない。

 ジャンヌとはまた異なる底知れない狂気が彼女にもあったのだ。

「ご了承頂き、ありがとうございます。忍霧様」

 微笑を浮かべたまま、彼女は再び恭しく一礼する。

「それでは、失礼致します」

 ジャンヌとストラは二人、深淵に沈む。

「閉門――」

 言葉と同時に、闇は何事もなかったように消える。

「奏――ッ!」

 そして、一瞬の静寂の後、満身創痍の彼の胸に一人の魔女が飛び込んできたのだった。

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