2 〜 魔女狩り機関 〜
学園の卒業資格を満たしてもしばらく講義を受け続ける者は意外と多い。
それは冒険者に様々な方向性が見られるからだ。
魔物や賞金首を狩るハンターという道がもっともポピュラーではあるものの、他にも未発見の動物や植物を探す者や遺跡の探索に力を入れる者、はたまたそれらの知識を活かして地域の発展に活かそうとする者など、その可能性は枠に囚われない。
そんな可能性は学園側から提示されることはもちろん、生徒からの要望で外部から専門家を招くことも珍しくない。
その結果、歴史を重ねるにつれて、講義の数は雪だるま式に増えて行った。
今では受講できる講義の数はゆうに三百を超える。
通う生徒の中には冒険者としてのライセンスが目的ではなく、講義を制覇するために通っている者もいるとか。
それにより基本的に一つひとつの講義で使用する教室は比較的狭く、大教室で行われるのは必修科目くらいだ。
今日、奏が一限目から受けている講義もそんな玄人よりの講義の一つ。
薬草学を受ける生徒の数は十にも満たない。
しかしながら、その講義の満足度は非常に高い。
基礎的な薬草はもちろん、食用に適した草花をはじめ、その栽培方法まで非常に幅広い知識を学べる講義である。
奏の母親である唄のような薬草学を専門的に学びたいという者はもちろんだが、将来的に世界中を飛び回ることを視野に入れている生徒が積極的に受けるこの講義は、まさしく唄からの勧めで受講することにした講義だった。
実際、受けてみても内容は非常に為になるものであったし、何よりも話が面白い。
強いて難点を挙げるとすれば、この講義は基本遅刻NGであるということ。余程の理由がなければ、一度の欠席で単位を落としてしまうということくらいだ。
人気がないのにはもちろん、その厳しさというのもある。
しかし、それ以上に現代の技術事情の影響の方が大きいと奏は思う。
即ち、魔術である。
現代の技術の大半、否、ほぼ全てに今は何かしらの魔術が応用されている。
それは医療や農業といった方面でも同様だ。
特に医療分野における魔術の躍進は凄まじく、薬を使用する場面は大きく減った。
簡単な怪我程度であれば、初級の回復魔術で十分だし、解毒だって問題なく行える。回復に特化した魔術師であれば、手術が必要な怪我でさえも治癒が可能だ。
要するに薬草学は魔術の発展に反比例して急激に衰退していった学問なのである。
今ではその主な方向は健康や予防といった方面に需要が伸びている。
しかし、それでも需要が完全になくなることはない。
なぜならば、魔術の使用は有限だからだ。
使用するには当然、大なり小なりの魔力が必要だ。
そして、その魔力は人により上限があり、高位の魔術になればなるほど当然、必要な魔力量も大きくなっていく。
費用対効果はもちろん良い。
消費されるのは使用者の魔力のみだ。
しかし、効率面を見れば、魔術も万能ではない。
例えば、一人の術士に対して、怪我人が百人もいたとしたら。
仮にその怪我が下位の回復魔術で治癒できるとしても、半分もいかずに術士の魔力は尽きるだろう。
それこそ、四分の一でも対応できれば十分だろう。
もちろん、無理をすればより多くの治癒を施すことは可能だ。
しかし、それは術士の体に大きな負担を掛けることとなり、結果として魔力の回復を大きく遅らせることになる。
結果、全員を治癒するのにより大きな時間を要することとなってしまう。
もし、その数日で怪我が悪化してしまったら。
もし、その翌日に更に多くの怪我人が出てしまったら。
突発的な状況下において、魔術という技術は極めて弱いこともある。
他にも遺跡やダンジョンを長期に渡って探索する時など、薬草学の知識・技術が役にたつ状況は意外と多いのだ。
もちろん、実際に回復用のポーションや魔力回復薬を常備しておくのは常識だ。
それでも、不慮の事故によりそれらが使えない状況下になる可能性は否定できない。
万が一、億が一つの可能性を排除するための技術。
その最たるモノが薬草学なのである。
「おはようございます、みなさん」
担当する講師は白髪の老人だ。
しかし、その背筋はピンと伸びており、声には衰えを感じさせない力強さがあった。
「それでは今日は前回の続きから――」
講義は効率よく進められていく。
板書は行わず、黒板には事前に用意された映像が映し出される。それをノートに書き写しているのを見ながら、老師は講義のポイントを丁寧かつ的確に説明していく。
特に大事な箇所は全員の手を止めるように促してくれるのもこの老師が人気の理由だ。
この講義のレベルは非常に高く、その分試験も難しい。
それだけにきちんと履修し、単位を取得することができれば、すぐにでもその知識は最前線で生きてくる。
奏にとって、この講義の知識は是が非でも欲しいモノだ。
本当なら初期の内に履修したかったのだが、講義の難しさからある程度落ち着いたこのタイミングでの履修となっていた。
学園で受けられる講義の中には内容が難しすぎて、受講するタイミングが冒険者ライセンスを取得してからになるモノがいくつかある。
薬草学も漏れなくその一つ。
そして、そういった類の講義は基礎ではないがゆえに、必要な者にとっては有益だ。
現時点でも既に奏は何度もこの講義で得た知識に助けられている。
「はい、では今日はここまで。また次回、一週間後に」
講義はいつも通り、静かに事務的に終わる。
しかし、この講義、いつも終了時間が五分前倒しで終わる。残りの五分は質問を受け付けており、用事がない場合は退室してしまってももちろん構わない。
板書の映像もそのままにしているので、板書を写し終わってない場合は引き続きノートを取ることも可能だ。
今日の内容については、ある程度見知っていた内容でもあったので、奏は老師に挨拶をして早々に退室する。
次の講義の前に少し行っておきたい場所があるのだ。
学園の事務棟には簡易のギルドが用意されている。
簡易というのは、本来のギルドとは異なり、ある程度厳選された危険度の依頼が並んでいるという点だ。
薬草採取といった基礎的なモノをはじめ、初級レベルの魔物の討伐などがこれにあたる。
午後からは野外での実技演習になるため、並行して受けられるモノを受けておこうという算段だ。
依頼を確認していくと、まだ早い時間ということもあり、依頼の数は潤沢だ。
「お、あった――」
薬草学の復習も兼ねて、最低でも採取系の依頼を一つは受けることにしている。知識ももちろん大事だが、現場にて得られる経験に勝るモノはない。
「あとは……」
討伐系の依頼もいくつかは受けておきたい。
これもやはり鍛錬や模擬戦とは異なり、実際の戦闘で得られる経験がメインだ。
とはいえ、こちらについて言えば、物足りないというのが正直なところ。
まだ祖母である音との模擬戦の方が遥かに鍛錬になる。
正直、ないよりはマシといったレベル。
しかし、正規のモノよりも少ないとはいえ、報酬が出る。
貰えるモノは貰っておいた方が良い。
「ま、こんなもんかな」
依頼票をボードから剥がしたら受付に提出して、依頼の受領は完了だ。
演習は午後からなので、それまでは少しばかり暇がある。
昼食にしてはまだ時間も早すぎる。
「さて、どうするか……」
図書館で適当に本でも読むか、それとも昼寝でもするか。
「あら、誰かと思えば、奏じゃない」
思案していると、見知った声に呼び止められた。
腰まで伸ばされた黒髪は美しく、ポニーテールでまとめられている。スラリとした長身はブーツで更に高く、奏と並び立つと五センチは彼よりも高い。
革のジャケットにジーンズという出立ちは快活な彼女の印象にとてもよく似合っていた。
櫻美 鞍刃。
奏の幼馴染にして兄弟弟子である。
そして、彼女がいるということは――
「今日もお目付役ご苦労様、紅人」
「まぁ、これが仕事だからな……」
そして、鞍刃の少し後ろに控えているのが、櫻美 紅人。
彼もまた奏の幼馴染にして兄弟弟子である。
ちなみに同じ櫻美の性ではあるが、彼女たちは姉弟ではない。そのように育てられてきてはいるが、紅人は櫻美家の養子だ。
今は鞍刃のお目付役として彼女の秘書のような役割を果たしている。
その役職について、彼自身不満はないものの、気苦労はどうにも絶えない。
「鞍刃がここにいるってことは、また組の用事を放り出してきたのか?」
「まぁな……」
サボりがちな彼女がここにいるのが何よりの証拠。
そして、それに付き合わされる紅人というのがいつものパターンだった。
「親父さんが泣いてるのが目に浮かぶな……」
「実際、家を飛び出す直前に盛大にやり合ってきたところだからな。今頃、親父殿は泣いてると思うぞ……」
「うわぁ……」
鞍刃はこの地域を治める櫻美組の一人娘だ。
そして、組長である彼女の父親は彼女を溺愛している。
それはもう組員の誰もが呆れるほどに。
もちろん、その事実は奏も知っているし、組長とも顔見知りだ。
それだけに彼等の気苦労は想像に容易い。
「お前なぁ、良い加減もうちょっと親父さんの気苦労も考えてやれよ……」
「だって、パパがさぁ!」
言い出したら止まらない愚痴の嵐。
鞍刃の後ろでうんざりしながら首を振る紅人の顔を眺めながら奏は色々と諦める。
結局、鞍刃の愚痴は昼食時を過ぎるまで続いた。
さっぱりとした顔をしているのは当の鞍刃だけ。
奏も紅人もこれからの実技演習を前にどっと疲れた気分である。
「そういえば知ってるか、奏。何でも今、この学園に魔女狩り機関の査察が来てるらしいぞ?」
「ヘカトンケイルが?」
魔女狩り機関――通称、ヘカトンケイル。
それは魔女を管理するための国際機関。
所属するのは国籍問わず、ただ強者である者たち。
魔女狩りという物騒な名が付けられているのはひとえに魔女の力がそれだけ強大であるからだ。
即ち、ウィッチとメイギスの存在。
ウィッチであれば、その存在は容認できる。
実際、ウィッチはこの世界の発展に多大なる貢献を見せている。
問題はそのもう一方、メイギスの存在だ。
ただでさえ絶大な魔術を駆使する魔女等が人々に牙を向けたら――
その結果は言うまでもない。
引き起こされるのは厄災。
街一つで済めばまだ良い方だろう。
どころか、国一つが堕ちてもおかしくはない。
魔女にはそれを容易に実現するだけの力がある。
ウィッチを管理するというよりは、メイギスの対処が魔女狩り機関――ヘカトンケイルの本懐とも言える。
何しろ魔女には変わり者が多い。
ウィッチとして素直に登録を了承する事例の方が稀だ。
そのため、現存する魔女の数は百四十三名ではあるが、実際には遥かに多くの数が存在すると言われている。
ある者は一般の魔術師として街に溶け込んだり、ある者は人知れぬ場所に自らの工房を構え、世捨て人のように生活しながら、自らの魔術を追求しているとか。
実際、魔女はどこに潜んでいるか分からない。
だからこそ、魔女狩り機関の査察は唐突だ。
今回もそういったイベントの一つだろう。
もっとも、当の魔女狩り機関側が歓迎されるかと言えば、そういうわけでもない。
彼等、彼女等もまた、全てが正義の味方のような存在ではないからだ。
査察に訪れた街々での揉め事は正直よく耳にする。
まだその辺の荒くれ者の方が与し易い分、遥かにマシだろう。
「何事もなく終わってくれれば良いんだけどなぁ」
「まぁ、なんかあったら私がぶん殴ってやるわよ!」
「お嬢はただ憂さ晴らしがしたいだけでしょ……」
「ヘカトンケイルより、お前のが危なっかしいな……」
学園一のトラブルメイカーが目の前にいるせいで、いまいち危機感に欠ける。
「何よ、なんで私がそんな事件でも起こすような言われ方されないといけないのよ」
「いや、実際その通りだろ」
「日頃の行いを振り返ってください」
「あんたたちぶん殴るわよ!」
トラブルメイカーの幼馴染を持つ身にもなって欲しい。
なまじ実力がある分、その辺の鉄砲玉よりも厄介だろう。
ちなみに櫻美組はそっち系の組織ではあるが、地域の人々から慕われている任侠である。
人によっては彼等を自警団として認識している者もいるかもしれない。
実際、彼等は夜の見回りや地域のお祭りなどの警邏も担っていたりするので、あながち間違ってはいない。
忍霧家も櫻美組とは家族ぐるみの付き合いがあり、音や奏は定期的に武術の指南も行っている。
「本当、もうちょっと親父さんの苦労を考えてやれよ?」
大体それで泣きつかれるのは奏なのである。
そして、その被害を受ける筆頭が紅人だ。
「それだけムシャクシャしてるなら、実技前に少しばかり発散させてやるよ」
「良いわね。久しぶりにやりましょうか」
「何で上からなんだよ、お前は……てか、お前もうちょい道場に顔出せよ。婆ちゃん怒ってたぞ」
「うっ……」
定期的に櫻美組には指南を行っているが、それ以前に鞍刃と紅人はそもそも道場の門下生である。
毎日とは言わないまでも、せっかくなら定期的に練習には出て欲しい。
というより出ておかないと、その反動が大きい。
「ただでさえ前回婆ちゃんにしこたましごかれたのに、次はあんなんじゃ済まないぞ?」
実際、前回は音と奏の二人がかりで延々と模擬試合を繰り返すことになった。
気絶しても水を顔にぶちまけて心身共に鍛え直すという名目のお説教は、ほぼ丸一日を費やした。
言わずもがな、付き合わされた奏はいい迷惑である。
「というか、こっちは迷惑以外の何物でもないからマジで勘弁してくれ」
奏にもプライベートがあるし、やりたいこともあるのだ。
「別に良いじゃない。一日くらい……」
「そう思うなら一日くらいちゃんと稽古に来いよ……」
それに実際は一日どころの話ではない。
何日もサボり続けた結果がアレだということを分かって欲しいものである。
「せっかくだし、婆ちゃんの代わりに稽古つけてやるよ」
それで帳消しとまではいかないまでも、多少はマシになるだろう。多分……
堪能する地獄が一日から夕餉前くらいまでには短くなるかもしれない。
それに鞍刃との模擬戦は奏にとっても良い鍛錬になる。
それくらいのレベルで鞍刃は強い。
正直、かなり才能があると思う。
それはきっと音の目から見てもそうだろう。
でなければ、わざわざ丸一日という時間を彼女には使わない。
奏はともかくとして、音の時間はそれほど安くはない。
鞍刃こそ、いまいち理解してないようだが、武の道を歩み続ける者であれば、それがどれだけ貴重な体験であるかは容易に理解できるだろう。
それも基礎のレベルではなく、模擬試合という形で。
何なら対価を支払ってでもと願い出る者がいてもなんらおかしくはないレベルだ。
その価値があると思うからの対応なのは間違いない。
もう少しその辺を理解して欲しいものである。
もっとも、思うだけで、口には出さないのだが。
出したら出したで、調子に乗るのが鞍刃という人間だ。
兎にも角にも少しばかり痛い目にはあっといた方が良いと思う。
実際の音ならきっと「ボコボコにしてやんな!」と言うような気がするが、そこは聞かなかったことにしよう。
「その上から目線も今日までよ!」
「はいはい」
毎度本気でそう言ってるのだから面白い。
毛頭、負けるつもりは微塵もないが。
奏にも忍霧流の師範代としてのプライドがある。
簡単に勝ちを譲るほど、その一勝は安くない。
「婆ちゃんの代わりにボコボコにしてやるよ」
修練場申請さえすれば誰でも自由に使うことができる。
もちろん、実技演習でも模擬戦は行うが、それだけでは物足りないという生徒たちがよく利用するのである。
奏も顔見知りの生徒に声を掛けられて使うこともあるが、どちらかと言うと鞍刃や紅人と使うことの方が多い。
それは今日のように鞍刃が稽古をサボるからで、加えてそのとばっちりで紅人も稽古ができないからである。
「どっちからやる? それとも二人一緒にやる? オレはどっちでもいいぞ?」
軽くストレッチをしながら確認する。
これは挑発とかではなく、本当にどっちでも良いのだ。
二人個人の鍛錬という点で見れば、個別に行うべきだろうが、この二人においては共闘することも珍しくない。
また、奏から見て、共闘した方が格段に手強くなるとも感じている。
「それじゃあ、今日は俺から頼む」
「オッケー」
少し悩んで、個別の選択をしたのは紅人だ。
というよりも、今の鞍刃の状況を考えるとその方が良いと判断したのだろう。
使い込まれた革製のグローブをしっかりとはめ、その感触を確かめる。紅人の戦闘スタイルは独特で、それ故に特定の武器を持たない。
徒手格闘が彼のもっとも得意とするスタイルだ。
脱力して両手を軽く上げるのが準備が整った合図。
「行くぞ――」
一呼吸の間を置いて、紅人が動いた。
初動を感じさせないナチュラルな踏み込み。
体勢は低く、相手の懐に潜り込むように。
お手本のような体捌きである。
空いている時間に基礎の鍛錬は欠かしていなかっただろう彼の真面目さが垣間見える素晴らしい動きだった。
「シッ――」
放たれたのは低空からの右フック。
狙いは奏の左脇腹。
いきなり顔面を狙うのではなく、まずは確実に一撃を当てようというのは悪い選択肢ではない。
まずは攻撃をヒットさせ、自分のペースに引き込むのは勝利するための必須条件だ。
「いいね」
しかし、相手のペースに乗らないのもまた定石。
紅人がフックを放つタイミングに合わせて、奏は滑るように大きく一歩引いた。
絶妙な間の取り方に、紅人は静止が間に合わない。
鋭い一撃は、やむなく空を切り、奏の前髪を揺らすに止まる。
「まだ!」
とはいえ、そこで止まるのは一番の悪手。
ペースはまだ紅人が掴んでいる。
空振った勢いを軸に体を旋回、そのまま足払い。
「ほっ――」
対する奏はその流れに逆らわない。
あえて重心を崩して足払いに掛かり、その勢いを利用して体を回し、側転からの着地。
一瞬の間は紅人が一歩を踏むのには十分な時間だった。
しっかりと大地を踏み締め、放たれたのは渾身の突き。
だが、それを奏は体を回転していなし、カウンターに肘打ち。
正拳突きで体が伸びた紅人のこめかみにクリーンヒット。
思わず体勢を崩すが、ここで後ろに一歩下がるのは悪手。
出すのなら前へ――
「つぁ――っ!」
崩れた体勢を逆に活かし、体を宙に投げ出しての蹴り。
思い切りよく捻った体が蹴りの勢いを増していた。
とはいえ、それも防がれるのは前提。
大事なのは止まらないこと。
歩みを踏め。
自らの体にリズムを流す。
忍霧流歩武術――流川舞。
その動きは流れる川の如く、自らの動きを相手に押し付ける。
紅人のもっとも得意とする動きだ。
とはいえ、その動きは紅人のだけのモノではない。
忍霧流歩武術――流葉舞。
川を流れる葉はその勢いに逆らわない。
流されながら、川の終着までを共に歩むのだ。
流れるような紅人の動きに合わせるように奏は彼の動きを先取りして歩みを踏む。
例えどれだけ相手のペースで事が進もうとも、それが共有されているとすれば何も恐れることはない。
繰り出される攻撃を奏は難なくいなしていく。
五手、十手と繰り出される一撃は確かに紅人が自らのペースで放ったモノ。
しかし、気付けばその流れは既に彼の手から離れてしまっていた。
自らの意思ではなく、意図しないリズムを刻み、撃たされる乱撃。
気付いた時には既に遅く、紅人の体は宙を舞っていた。
「かはっ!」
叩き付けられた衝撃で肺に取り込んでいた酸素が吐き出される。
「ま、参った……」
「「ありがとうございました」」
紅人が立ち上がるのを待って、互いに一礼。
立ち合いはものの五分程度のこと。
しかし、紅人は肩で呼吸をしているのに対して、奏は大きく深呼吸をする程度に留まる。
「まだまだだな……」
「そうでもないと思うぞ? 別に動きは悪くなってなかったと思うし」
「なら、良いんだけどな……」
師範代からの言葉としては嬉しい評価ではあるものの、幼馴染からの一言としては悔しさが勝つ。
普段、控え目な性格の紅人ではあるが、負けん気が強いところは正直好ましい。
道場一の優等生という評価は決して間違いではない。
「ちょっと自分のペースを意識し過ぎだな。もうちょい相手のペースも掴まないとな」
「あぁ、分かった」
先を取ることを意識し過ぎて、相手のリズムが抜け落ちてしまうのは紅人の悪い癖だ。
こればっかりは繰り返し意識して克服していくしかない。
経験がきっと彼を強くするだろう。
「さて、それじゃあ次はっと――」
「私の番ね!」
準備万端、身の丈ほどの薙刀を振り回しながら、鞍刃は奏に向けて構えを取る。
鞍刃の武器は音と同じ薙刀だ。
しかし、その形状はかなり特殊。
刀身だけで一・五メートルはある大物。
それでいて柄は通常の半分程度、加えて刃の背にもう一箇所持ち手が付けられている。
大刀と呼んだ方がしっくりくるような形状。
常人には重さで振り回されてしまうようなソレが彼女のもっとも使い慣れた獲物だった。
「準備は良い、奏?」
「いつでもいいぞ」
むしろ紅人との試合で温まってきたところである。
「今日こそ勝たせて貰うわ」
「じゃあオレは今日も勝たせて貰うよ」
売り言葉に買い言葉。
簡単に叩き付けられる程度にはその言葉は重くて軽い。
薙刀を上段に構える鞍刃に対して、奏は腰に待機させていた短刀を抜く。
鞍刃に定石という考えはない。
まるで刀を振り下ろすかのような構えが既に想定外。
少なくとも、音と相対する時ではそうそうお目にかかれない構えである。
「いざ――っ!」
気合いと共に大きく踏み込んでくる。
が、その距離はまだ少し遠い。
それでも彼女は構わず獲物を振り下ろした。
そして――
「――っ!」
そのまま手を離した。
約半歩の距離を一瞬で埋める薙刀。
それと同時に、彼女もまた前へ。
遠慮のない乱暴な踏み込み。
伸ばされたままの手は離したばかりの薙刀の柄、その端の石突をギリギリで掴む。
ガッ!
同時、薙刀の切先を短刀が弾いた。
完全な虚を突いた一太刀。
通常の武人では想像できない一手を繰り出してくるのが鞍刃という人間だ。
まさか初撃で獲物を投擲してくるとは、流石の奏にも想像できなかった。
加えて――
「どっ、せい――っ!」
後先を考えない大振り。
ただし、大気を無理やり切り裂くような剛腕で。
リズムもへったくれもない、暴虐無人な暴れっぷり。
それが櫻美 鞍刃という武人の戦い方だ。
常人であればたったそれだけでKOされかねない強打を、奏は短刀の刃を滑らせるようにしていなす。
大振りの一撃はかわされれば当然、隙だらけだ。
しかし、彼女はそれを無に帰する。
薙刀を振った遠心力に逆らわず回る。
軸足は踏み込んだ一歩ではなく、後ろの残身に。
そして、体を後ろに引っ張った勢いに、遠心力を上乗せして再度前へ。
より強く、我儘に大地を踏み抜く。
「うらぁあ――――っ!」
先の一撃を優に凌駕する一閃。
撃ち合えば一度で奏の短刀は粉々に砕け散るだろう。
気付けば、彼女は踊っていた。
激しい雷が打ち鳴らされるような輪舞曲。
相手をただ叩き潰すためだけの、唯我独尊の乱舞。
相対する度に奏は驚嘆する。
櫻美 鞍刃という人間の圧倒的な才能に。
忍霧流の観点からとすれば、彼女はてんでなってない。
足捌き然り、リズムの取り方然り。
全てにおいて、彼女の技術は未熟にも程がある。
それこそ紅人の方が遥かに上だ。
それでも、彼女は強い。
おそらく、境遇的にもっとも立ち会うだろう紅人との模擬戦において、彼女は圧倒的に勝ち越しているのだ。
武術という点から見れば、彼女の技術は間違いなくレベルが低い。
しかし、それ以上に彼女は自らのリズムを理解している。
論理的にではなく、本能的に。
側から見れば破茶滅茶なリズムでも、彼女の体には最適なリズムになっているのである。
破天荒にも程がある才能。
他人に理解できないロジックを本能として持っている。
間違いなく鞍刃はその領域の人材だ。
だからこそ勿体無いとも思う。
彼女が本気で武術に打ち込んだらそれこそとんでもない武人になるだろう、と。
「どうした、鞍刃。もうバテたのか?」
「――――っ!」
初めこそ奏に迫っていた刃が、気付けば捉えるには程遠いレベルになっていた。現に鞍刃の表情には分かりやすいレベルでの焦燥が現れている。
そして、指摘されることで、彼女の弱点は更に露出する。
乗りこなしていたリズムはどんどんと噛み合わなくなっていき、乗り遅れていく。
ノッている時の鞍刃は間違いなく強い。
しかし、崩れた時の彼女は目に見えて脆い。
良くも悪くもムラがある。
それが彼女の弱点だ。
人間誰しも調子の良い、悪いはある。
その時に逃げられる状況ならそれも一つの手だろう。
だが、その手が打てるだろう場面は武人としてはきっと少ない。
だからこそ、忍霧流において知ることは基礎の基礎として教えられる。
自らの得意とするリズム。
自分の理解していない癖。
何が自分の武を構成しているのか。
鞍刃はその根本的な部分が圧倒的に弱い。
そして、そういう人間は一度崩れてしまうと立て直すのは難しい。
彼女は気付いているだろうか。
今、自分が踏んでいるリズムがとっくに自分のモノではないことに。
踊っているつもりが、踊らされているということに。
忍霧流歩武術――影繰り。
人は思っている以上に視覚から情報を得ている生き物だ。
それは知らない内に本人の行動にも影響を与えている。
影繰りは自らの動作、足捌きで相手のリズムを誘導する歩武術。
一言で表せば暴れ馬を乗りこなす技である。
さぞ、鞍刃は気持ち悪かったことだろう。
しかし、止まるわけにもいかなかった。
止まってしまえば、それこそ一瞬にして奏にペースを奪われてしまう。わざわざ待って貰えるような優しい立ち合いはしていない。
鞍刃の足が僅かに止まるのを奏は見逃さなかった。
それまで後退に努めていた奏の足がようやく前を踏む。
「くっ!」
同じタイミングで前に踏み出された一歩は、その間合いを一気に詰めた。
そこはまだ鞍刃の斬撃が届く範囲。
だが、その場所は同時に、奏の短刀が繰り出される間合いとも重なっていた。
威力と力は鞍刃の方が上である。
しかし、先手を取れるのは当然、奏の短刀だ。
「ふっ!」
放たれたのはシンプルな刺突。
狙いは一点、急所となる首元。
戦法としては愚策とも取れるだろう一手。
だが、本人に技術が備わっているのであればまた話は変わってくる。
素人であればこれだけで勝敗は決するだろう一撃を、鞍刃はどうにか薙刀を持ち上げて、柄の部分で受ける。
その代償は彼女に後退という一歩を踏ませてしまった。
それは小さくも致命的な一歩。
その一歩を奏は寸分も違わずに追従する。
空いた手を構えられた薙刀の刃の腹に添えて、押した。
力はほとんど込められていない。
それでも、虚をつかれた鞍刃の体勢は本人の意思にそぐわぬ形で後退を余儀なくされる。
僅か数手で鞍刃は修練場の中心部まで押し戻されてしまっていた。
どうにか体勢を整えなければともがくほどに、彼女の動きはキレを欠いていく。
「このッ!」
どうにか繰りださした横薙ぎを奏は簡単に飛んでかわすと、そのまま蹴りを彼女の顔にお見舞いする。
気持ちの良いくらいのカウンター。
クリーンヒットした一撃にのけぞる上半身。
完全に全身のバランスを崩した鞍刃へ奏の姿が重なる。
忍霧流歩武術――酩酊流転。
よろけた鞍刃の足のリズムを、奏の歩みが更に大きく崩していく。
倒れ込むまでに要した歩みは僅かに五歩。
その間、奏が鞍刃に打ち込んだ打撃はその倍の十発。
側頭部や顎をはじめ、鳩尾から脇腹など、一撃で致命傷になり得る箇所を奏の短刀は明確に打ち据えていった。
「うっ――」
「勝負あり、だな?」
手にしていた薙刀も遠くへと弾かれる。
「立てるか?」
「馬鹿にしないで、別にどうってことないわよ!」
口だけは元気なようだが、体がそれに付いてこない。
何とか膝が地面から離れたものの、顎を撃ち抜かれた影響でどうしてもふらついてしまう。
「まぁ、無理するなよ。しばらくは立てねぇよ」
午後からの実技演習は考慮してはいるが、お灸を据えるという意味も込めて強打を打ち込んである。
まだしばらくはまともに動けないはずだ。
「お前はサボりすぎだ、鞍刃」
「むぅ……」
「技術にムラがありすぎるし、全ての動きが雑。せっかくの良い個性と技術が全然噛み合ってない。紅人を見習ってせめて基礎くらいはちゃんと練習しとけ」
サボりへの苦言も一言そえて模擬試合は終了。
取り急ぎ、ウォーミングアップとしては十分だろう。
昼からの実技演習に向けて準備は万端だ。
「あとは問題のヘカトンケイルがどうなるか……」
現状、学園に来ているのは間違いないだろうが、まともな情報が何もない。
特段、引っかかっているのは他でもないアリシアのことだ。彼女のいつもの冗談を間に受けているわけではないが、彼等の思考は過激なことが多い。
濡れ衣とはいえ、疑惑の目が向けられてしまっては、良い結果にはならないだろう。
「まぁ、なるようになるか……」
しかし、アリシアのサボる技術は間違いなく一流だ。
それこそ鞍刃など遥かに凌ぐレベル。
よっぽどのことがない限り見つかることはないだろう。
ただ、心配事ではあると同時に少し楽しみでもあった。
色々と良からぬ噂も多々あれど、ヘカトンケイルは実力派揃いだ。そんな猛者たちと手合わせできる機会なんてそうそうない。
実力を肌で感じられるなんてまたとない機会だ。
そう思ってしまうのは仕方のないこと。
音にはまだ敵わないとはいえ、奏は客観的に見ても強かった。
それこそ鞍刃や紅人を容易に圧倒できるレベルでは。
二人も決して弱くはない。
総合的に見れば強者の側に分類されるレベルだし、櫻美組内においてこの二人以上の実力者は数えるほどもいない。
それでも、物足りないと感じているところはある。
音にも口を酸っぱくして言われている。
「あんたは危機感が足りないねぇ」、と。
奏としても自覚はある。
それこそ今朝も言われたばかりだ。
ただ、こればっかりは自分でもどうしようもない。
何度も戦った中で、確かに死を感じる瞬間はあった。
それでも物足りない。
圧倒的に足りないのだ。
ヒリつくような刹那が。
死の淵に触れるような感覚が。
本来ならそんな領域に踏み込む必要はないのだと思う。
それくらいには十分に実力もあるだろう。
けれども、奏にはそれが必要だった。
今より一歩先に進むためには間違いなく。
武人としての渇きはかく、深淵を望む。




