Epilogue 〜君を笑顔にするたった一つの約束〜
「ほら、手出せよ。それ外してやるから」
「あ、はい」
アリシアの両手を拘束する手錠に奏は姫守を走らせる。
パキッと音を立てて、手錠はあっけなく彼女を解放した。
「思ってたよりも柔いな。まぁ、魔術師相手ってんなら、そんなもんか」
これでようやく一安心だ。
「奏、傷は……」
「あぁ、大丈夫じゃねぇけど、まぁ、大丈夫だ」
集中の糸も切れた今、もう一度ジャンヌと戦えと言われれば正直無理だ。
今こうして立っているだけで精一杯である。
数刻前からの激闘続きで、完全に血が足りていない。
誰が見ても強がりなのは一目瞭然だろう。
「何が大丈夫ですか。もうこんな傷だらけになって――」
現にアリシアには一秒掛からずに看破される。
自らの衣服が血で汚れるのも構わず、奏の負傷具合を目ざとくチェックしてくる。
「分かった。分かったって。ほら、汚れるぞ」
「そんなことはどうでも良いんです。奏はちょっと黙っててください!」
「「あっ――」」
身体中を調べてくるアリシアを遮ろうとしたら、その重みを支え切れずに二人伴って倒れ込んでしまう。
「だ、大丈夫ですか、奏っ」
「いてぇ……」
傷だらけの体でお姫様一人を受け止めるのは重労働だ。
だが、それは大切なモノをひとまず、この手で守り抜くことができたことの証明だった。
「で? なんでお前はメイギスなんてことになってんだ?」
「そ、れは……」
「というか、お前本当に魔女なのか? いまだにちょっと信じられないんだけど……」
奏もその点においては状況証拠から確信は持っている。
しかし、それはそれで引っかかる部分もある。
メイギス、それも最悪にして災厄の魔女とまで言われているのであれば、それこそ彼女は自身の力によってヘカトンケイルを退けることができてもおかしくないはずだ。
「……少し長くなりますが」
「別に良いさ」
どちらにしろしばらく体を休めなければ動くこともままならない。
「……まず、私がメイギスとして呼ばれていることは事実です。ただ、そこに至る過程については、関わりがあるとはいえ、偽りがあります。彼の機関によって歴史的事実は隠蔽されてしまったのです」
「隠蔽?」
「もしくは捏造、書き換えられたと表現するのが正しいのかもしれませんね。要するに、私は彼の機関に罪をなすりつけられたのです。詳細については史実とそう変わりません。国家規模の超々大規模魔術の実験が行われ、その実験は失敗。結果、国は滅びた、というわけです」
その事件であれば、基礎教育を受けた者であれば、誰だって知っているくらい有名な史実だ。
その跡地は今でも人が住めるような場所ではなく、悪辣な汚染環境として防衛戦が張られ続けている。
「そして、私はその実行犯として全ての罪をなすり付けられ、登録ナンバー000のメイギスに認定されました。
最初は私も色々と冤罪を晴らすために奔走したのですが、残念ながら当時から既に機関は世界的なレベルで力を持っていました。それに対してこちらは私一人。そんな状況で情報戦を展開されてしまっては、いくら魔女であっても勝ち目はありません。また、その事件のトラウマで、私は攻撃系統の魔術を使うことができなくなりました」
例え相手が自分に対して明確な敵意や悪意を持っていても、アリシアは攻撃系魔術の術式を編むことはできない。
「なるほどね」
それならアリシアがエージェントたちに対して抵抗を示さなかったのも合点がいく。彼女にできるのはせいぜい見つからないように息を潜めることだけだったということだ。
「そして、私は逃げることを選択しました」
味方と呼べる者は誰一人として存在せず、出会った人々全てを疑って生きる生活。
しかし、それにも限界はある。
手段が、ではなく心が。
「それらを経て、私はこの呪いとも呼べる魔術を編んでしまいました」
決して誰にも愛されず。
決して誰にも殺されない術式。
「私は自分自身に、愛し、愛された者に、一万回殺されなければ死なないという呪いを掛けたんです」
「……」
術式の制約はシンプルだった。
しかし、それは人の心を持つ者には到底果たすことのできない制約だろう。
「そして、その結果はご覧の通りです」
世界最高峰の魔術研究機関とも言える魔女狩り機関によっても、その呪いは解明、解除することはできなかった。
そして、それは彼女自身によっても、だ。
誰にも殺すことのできない、死なずの魔女の誕生である。
「後悔はしています。もう遅いですけどね」
あの時死んでいればどれほど楽だっただろうか。
そう思ったことは一度や二度どころの話ではない。
「そっか……」
「なんて馬鹿なことを」と、思わないと言えば嘘になる。
もっと他に何か選択肢があったのではないかと。
だが、彼女と同じ状況に立たされた時、自分は潔く死を選ぶことができるだろうか。
彼女のようにそれでも死を恐れるのではないだろうか。
全てはたらればの話。
大事なのはこれからどうするのかということ。
「とりあえずよ。色々と探してみないか?」
「――え?」
世界は広い。
「他にも魔女は色々といるわけだろ? だからよ、他の魔女にも会ってみて、お前に掛かってる魔術が解けないかどうか話聞いてみたりとか、あと冤罪を晴らす方法を探してみたりとか」
もしかしたら奏の知らない、アリシアですら思いつかなかった良い方法が見つかるかもしれない。
「できるか、どうかは分かんねぇけどな。でもやらないよりマシだろ?」
「もし――、もし、何も解決しなかったら?」
奏の胸の上で、アリシアは震えていた。
それは逃れられない恐怖だ。
きっと彼女はもう世界中を旅してきたはずだ。
きっと何人もの魔女に、それこそメイギスにだって会ってきたはずだ。
それでも終わらなかった。
自らを終わらせることができなかった。
全てを諦めるしかなかった。
そんな彼女に奏は残酷にも、もう一度希望を持てと言っているのだ。
覚悟が必要だった。
「っ――」
アリシアにではなく、奏に。
きっと、今の奏になら、彼女の願いを叶えることができるから――
「良いか、アリシア。一回だけしか言わねぇからな」
「え……? 」
「もし。もしもだ。もし、それでダメだったら。その時はオレがお前を殺してやる――」
今日は馬鹿みたいに月が綺麗だった。
「たった一万回くらい安いもんだ。何せ、オレには魔術が効かねぇ。災厄の魔女くらい何度だって殺してやるよ」
それは誓いであり、告白だった。
「だからこれは、その証明だ――」
たった一度だけの宣誓。
姫守を月光にかざすと、奏はアリシアを抱きしめながらその左胸に突き立てる。
肉が裂ける。
血が溢れ出る。
そして、永遠の生が死の淵に触れる。
パリン――
何かが一つ、割れる音がした。
姫守をゆっくりと引き抜くと、その刃は血で濡れていた。
アリシアが腕の中で震えている。
抱き止める奏の胸元が濡れていた。
「はい。はい――っ」
血と、涙で――
「約束ですよ、奏?」
美しい月光の下で一輪の花が咲く。
「……任せとけ」
恥ずかしさで、そう口にするのが精一杯だった。
アリシアの穏やかな顔が 月明かりを遮る。
「奏、私を殺してくれてありがとう――」
耳から零れ落ちた黒髪が奏の頬を柔らかく擽る。
「私を愛してくれてありがとう。私もあなたのことを愛しています」
三度目の唇が重なる。
ゆっくり、ゆっくりと、二人の傷が癒えていく。
たった二人きりの真実を明かす旅路が幕を開ける。




